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第五十四話 アークス十二歳、お酒ができた!




 魔力計の発表から、二年の月日が経った。



 アークスは今年で十二歳。

 背も(少し)伸び。

 体格も(ささやかだが)男性のものへと近付いてきた。

 鏡を見ても、やはり顔が男らしくなってくれていないのが、一番の悩みか。



 喉仏は埋まっているし。

 目もパッチリ。

 まつ毛も長い。



 女の子っぽさから抜け出せないのは、何かの呪いなのかと疑いたくなるほどだ。

 最近では鏡を見ながら顔をぐにぐにする機会が増えている。

 ……そんなことをしても顔形が変わらないのはわかってはいるのだが。



 アークスを取り巻く環境も、少しずつだが変わってきている。

 以前に魔力計をクレイブ経由でリーシャに贈ったわけだが。

 それに際して、危惧したことは特段何も起こらなかった。

 ジョシュアが制作者を特定できたかと訊かれれば否であり。

 秘匿の方もきっちりしている様子。

 リーシャに対して八つ当たりをする節もない辺り、その点に関しては、あの父はまともだったということだろう。



 魔法の指導が厳しくなったようだが、それ以外は特に変わらず。

 リーシャからもそういった話はされていない。

 変化という点で挙げるならば、リーシャと会う機会が以前にも増して減ったことくらい。

 その理由は、ジョシュアがリーシャの魔法の指導にさらに力を入れたからということも挙がるが、他家への顔見せなどが増えたというのが大きいだろう。

 魔導師のサロンや夜会への出席、さらにはレイセフト家の分家筋への挨拶など。

 すでにリーシャの実力は他家からも一目置かれているらしく、魔法の腕前だけで言えば、リーシャの当主の座は盤石になったと言える。



 一方で、アークスの方も、魔力計の作製など、やらなければならないことが増えたため、時間の都合が付けにくくなった。

 外出や伯父の家への泊まり込みもあり、会えるのは月に一回程度。

 まったくない月もある。

 父ジョシュアや母セリーヌの目がなければ簡単に会えるのだが、そういった機会はそうそう巡って来ることはない。



 他に変わったことと言えば、文通を始めたことだろう。

 その相手はクレメリア伯爵家長女、シャーロット・クレメリア。

 以前に侯爵の一件で助け出した少女である。



 文通は彼女たっての希望であり。

 魔力計の発表などが落ち着いた頃から始まった。

 連絡のやり取りが文通という形になったのは、お互い忙しく、かといって直接会うのもお家の体面上なかなか難しいからという理由からだ。

 彼女は二歳年上であるため、現在十四歳。

 魔法院への入学は十三歳からであるため、一年ほど前から魔法院に通っており。

 魔法は使わないが、対魔法戦の勉強をしているとのこと。

 当然、剣の修行にも励んでいるらしく。

 その内、剣の手合わせをしたいとも書いてあった。

 淑やかな見た目だったが、その辺りはやはり武家の娘といったところか。



 あとは、自分のことだが。

 魔力計の運用も順調で、問題なども特になく。

 紀言書の読み解き、魔法の試作なども順調。

 ギルドから入った莫大な報奨金も含め、金銭もかなり貯まってきている。

 現在はノアやカズィに頼んで、王都で物件を探してもらっているという状況だ。



 ……アークスとて、このままずっとレイセフト家にいるつもりはない。

 いつまでも伯父クレイブの屋敷を使わせてもらうわけにもいかないし。

 魔力計など、抱えている事業もあるため、アーベント家の別邸という形になるにしろ、別途きちんとした拠点が必要というわけだ。

 金銭については先述の通り貯蓄があるし、足りなければ借りればいい。

 それでも上手くやりくりできなければ、いくつか魔法をギルドに売り払えばいいとも考えている。

 夢のマイホーム計画(切実)だ。



 その他成果が出たものと言えば、例の酒造りだろう。

 試行錯誤……というほどでもないが、書物に書かれた品質に近付くよう、何度か作業を繰り返し、見た目はらしい感じになった。

 いまは以前と同様に、クレイブ邸の地下の一室を借り受け、醸造や保管を行っている。

 室内の壁には刻印を施しており、一年を通してひんやりとした室温を保ち。

 湿度もできる限り一定を保てる状態になっている。

 詰めた樽にも、書物に書かれていた刻印を施しており、多少だが発酵が進みやすいように処置。

 刻印だらけで目が痛くなりそうだというのは、ここに入ったことのある者たちが口を揃えて言う言葉だ。

 ともあれ、地下のミニ醸造所にて。

 保管していた樽の上蓋を開ける。

 中には酒が収められており。

 見たところ上層と下層に分かれているらしい。

 上は透き通ったいわゆる上澄みで、下には(おり)が溜まり、白く濁っている。

 割合は、上澄み二割、沈殿層八割といったところ。



 こちらの世界で酒と言えば、蜂蜜酒やエール、ワインだが、上澄みだけを見るにウォッカやジン、日本酒を思い起こさせる。

 日本酒の場合は、沈殿層である(もろみ)を絞るなどの工程が必要だが――それはともかく。

 出来てもどぶろく程度だと思っていたのだが、意外にもらしいものができ上がった。



「これが極上の美酒……」



 必要な材料。

 温度管理。

 定期的な撹拌。

 出来上がりの状態。

 書物に記されていた醸造期間もクリア。

 おそらくはこれで完成しているだろうと思われる。



 ……樽の中身を注視していると、階段の方から足音が聞こえてくる。

 数は二人分。

 やがて階段を降りて現れたのは、自分に付いている二人の従者たちだった。



 片や、女と見紛うばかりの顔立ちと美貌を持った青年。

 歳は二十代前半。

 群青の髪を、いわゆるおかっぱのようなショートボブにしており、右は肩に付くほど長めに切り揃え、左は耳の横に短い三つ編みを作っている。

 左目にはモノクル。

 腰には細剣。

 黒のモーニングコートをきっちり着こなし、まるでお手本のような執事像。



 片や、黒い髪を流し、前髪をオールバックに固めた悪人面の男。

 歳は三十代に届くか否か。

 三白眼で、切れ上がったまなじり。

 口元には常に皮肉気な笑みが目立ち。

 シャツの胸は開かれ、それに合わせてタイも緩められており、かなり着崩していることが窺える。

 腕にはスカーフ。

 腰元には鍵束。

 その他にも小道具のような物品をじゃらじゃらと携行している。



「ノアにカズィ」



 階段を降りて来たノア・イングヴェイン、そしてカズィ・グアリに声をかける。

 すると、カズィがあからさまに眉をひそめて質問を投げてきた。



「何してんだお前?」


「クリエイター活動」


「あん?」


「物作りのことだ」



 聞き返されて、言い直す。

 ついつい男の国の言葉を口にしてしまうのは、影響が色濃いためか。

 自身が基本とする言語体系は王国のものなのだが、ふとしたときに男の言葉が顔を出す。

 気を付けなければならないが、言いやすいというのには抗えない。



 ふと近寄ってきたのノアが、



「そう言えば、以前に材料を集めさせられましたね。結局これはなんなのですか?」


「酒だよ。お酒」


「酒ぇ? お前酒なんか造ってんのかよ?」


「その通り」


「酒の味も知らねぇガキんちょが酒造りねぇ……」



 微妙そうな表情から吐き出される、微妙そうな吐息。

 確かに、カズィの呆れようはわかる。

 子供が酒を造るなど、トチ狂っているとしか思えない。

 胡乱げな表情を見せる男の横で、ノアがやけに大仰な素振りを見せ、悲嘆の言葉を口にする。



「この歳でお酒に手を出すとは、教育の一端を担ってきた者としては、無力さを感じずにはいられません」


「どの口で言うんだっての。それに、俺の場合飲む方じゃなくて造ってる方だし」


「自分で購入することが難しいので造ってしまえということですね。もっと罪深いかと」



 罪深いとはどんな言いようか。

 まあ罪云々に関して言えば、男の国の酒税法には確実に引っ掛かる所業だろう。

 飲酒も合わせて間違いなく役満だ。

 だが、この国にそんな法律はない。

 地域によっては水の保存の関係上、飲み物にアルコールが入っているのがポピュラーだというところもあるほどだ。



「それに、家庭で造るものの域を出ないだろうし」


「と言いつつ、いろいろ手を凝らしているのでは?」



 その辺りは、ノアの言う通りだ。

 これまでの経験をフルに使って、室内から道具に至るまですべてに刻印を施している。

 地下室はほぼ刻印でみっしり。

 カズィが周囲を見て「うへぇ」と言って辟易するくらいには刻印だらけである。



「それで? 今日もその酒造りの作業か?」


「いや、今日はそれが出来たから試飲会でもしようかなって」


「ほう?」


「というわけでいまから味見だ」



 そう言いながら、用意してあったカップで、酒の上澄みを掬い取る。

 カップを差し出すと、カズィがいつものように不穏当な笑い声を交え、



「先いいぜ。キヒヒッ」


「では、いただきます」



 試飲の一番手を譲られたノアが、カップを受け取る。

 カップを口元に宛がい、ゆっくりと傾けると。



「ふむ。これは」



 飛び出たのは、そんな言葉。

 口元を手で押さえ、目には驚きが確かに窺える。

 その様子だと、不味くはないと思われるが、一応訊ねた。



「どうだ?」


「……美味ですね。お酒にはさほど詳しくないので言葉で言い表すことはできませんが」



 ノアほどの知者が言葉で言い表せないほど。

 酒に詳しくないなら仕方ないかもしれないが、これは期待できる。

 ふと、カズィがノアに訊ねた。



「白ブドウのワインとは違うのか?」


「はい」


「芋の蒸留酒とは?」


「それとも違いますね。あちらよりも酒精は低く、まろやかな甘みがあります」


「ほー」



 そんな風に、カズィが興味深げな声を出して顎をさする。

 もう一つカップを用意し、上澄みを掬った。



「カズィは?」


「俺は最後でいいわ」



 というわけで、飲んでみる。



「――おぉ!?」



 まず口の中に広がる、馥郁たる香り。

 そしてとろりとした口当たり、甘みとうま味を含んだ飲み口。

 甘味よりもうま味の方が格段に強いが、どちらもあるおかげか、強烈な甘みに感じてしまう。

 日本酒、ウイスキー、果実酒のどれとも違う。

 ミルキーさを感じさせる部分も見え隠れする。

 不思議な雰囲気の酒だった。



「……やばい。これはマジでやばいぞ」



 男もそれほど酒をたしなむ人間ではなかったが、それでもわかる。

 これは様々な種類の酒が大量にあった男の世界にも、ないタイプのものだ。

 いつまでも飲み続けていたくなる。

 そんな麻薬並みの中毒性が確かにあった。



 そんな中、ふとノアが。



「アークスさま、さきほどの表現は?」


「え? あ、いや、なんでもない。すごい美味いってことだ」


「そうでしたか」



 語彙が死滅したせいか、またも男の国の言葉を使ってしまった。

 ノアは慣れたのか、最近その辺り、そういうものだと納得してくれている節がある。

 最後に、カズィの分を掬って渡すと。



「へぇ、果物の香りがするな」


「お、それちょっと通っぽいぞ」


「だろ? 酒を飲むんならお前も覚えておけ。それっぽく振る舞えるぜ? キヒヒッ」



 そんなやり取りをしつつ、カズィが口に含むと。

 驚きで目を見張った。



「うおっ! こいつはすげえな……」


「やっぱそうだろ」


「ああ。いままで飲んだ酒が泥水みてぇに思える。いや、安酒だったからってのもあるだろうがよ……」



 カズィはそう言いながら、カップを干す。

 そして、ほう、っと恍惚な息を天井に吐き出した。



「甘いな。だが、この甘さはいままで感じたことがない……」



 美味すぎたせいか、いつも口にする不穏な笑いも忘れているらしい。

 だがそのおいしさが、魔法ドーピング植物由来のものとは言うまいて。

 ともあれそんな会話の間にも、少しずつ酒に口を付けていたのだが。



「なあ」


「どうしました?」


「これ飲むと、魔力が少し増えないか?」


「魔力……がですか?」


「俺、今日訓練でそこそこ使ったから、なんとなくわかるんだけどさ」



 すると、ノアもカズィも意識できたのか。



「そう言えば」


「確かに増えた気もするな」



 やはり、魔力が微量に増えている。

 もともと魔力の量が少ないため、魔力の変化を感じやすいというのもあるのだろうが。

 そこで、ふと気付いた。



「あ! もしかして、魔力がなくなったあとにこれを飲めば!」



 魔力を補充できるのではないか。

 しかし、そんな単純極まりない想像は、二人の先輩に打ち返される。



「確かに魔力は補充できるでしょうが……」


「まず間違いなくがぶ飲みしなきゃならなくなるだろうな」


「…………だよねぇ」



 そう、よくよく考えると現実的ではない。

 この魔力の増え具合から考えると、回復量は水筒一本分で400から500と言ったところ。

 まず間違いなく酔いが回って倒れてしまうだろう。

 急性アルコール中毒まっしぐらである。



「結局嗜好品止まりかぁ」


「こんだけ美味けりゃ十分だろ。いくらなんでも欲の出し過ぎだぜ?」



 確かにそうか。

 もともとの目的は完全な形で達成されたのだ。

 別の成果を求める方が、無茶な話。



「カズィの給料とかこれでどうだ?」


「それでもいいな。これなら確実に売って大儲けができるぜ? キヒヒッ!」


「その手があったかー」



 そんな冗談を言い合いつつ。



「そのうち伯父上にもあげたいけど」


「よろしいことでしょうが。あの方がこれの存在を知れば間違いなく飲みつくしてしまわれるでしょうね」


「だよなぁ」


「あー、あのオッサン、酒飲みって感じするもんなぁ」



 この酒は美味すぎる。

 酒を愛する人間が飲んだら血眼になるのは、火を見るよりも明らかだ。



「ちょっと手に入れたんで、おすそ分けです程度で」


「出所を根ほり葉ほり聞かれて結局隠し通せずあたふたしているアークスさまの道化じみたお姿が簡単に想像できますね」


「それ具体的すぎ」


「的確かと」



 しれっと言って退けるノア。

 だが、その言いようには反論できないのも確かだった。



「それで、アークスさま。この酒の名は?」


「ソーマ酒だってさ」


「ソーマ酒ですか……」



 ボッター・クリン何某の書には、そんな名前が記載されていた。

 由来も効果も、男の世界の神話にあるお酒を思わせるが、一応は別物だろう。

 ともあれこれでお酒は完成したが、あとはこれをどうするかが、今後の課題だろう。



「うめー」


「ええ。これはいい……」



 考えている最中も、がぶがぶ飲む男と、お上品に飲む青年。

 この調子だと、用途を考え付くよりも先になくなってしまう方が随分と早そうだ。



 そんな様子を横目に見つつ、底に溜まった白い(おり)を汲み出して、清潔な布巾で包む。

 容器の上で紐に吊り下げると、透明な雫が落ちて来た。

 すると、それを目ざとく見つけたノアが。



「何をなさっているのですか」


「いやさ、あらばしりっぽいものを……」



 そう言って、今度は酒の抽出の仕方を変えたものの試飲を始めるのだった。




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