第五十二話 リーシャ、魔力計を手に入れる
この日リーシャは、レイセフト家の屋敷にある、父ジョシュアの第一執務室に呼ばれていた。
ここは、レイセフト家の当主が代々、実務作業に使用する部屋だ。
執務机の後ろには、レイセフト家の軍旗が交差して掲げられており。
絨毯とカーテンは落ち着いた色合いで統一。
革張りのソファと、ガラスのテーブルも置かれており、応接室の面も兼ね備えている。
レイセフト家の内装は、貴族家勃興以来、質実剛健を旨としているため、基本的に他家のように華美な装飾にはこだわらない。
家具調度品など、しなくてもいい贅沢に金をかけるならば、戦費に費やして王家に尽くせというのが、初代当主から連綿と続く信条だからだ。
お家の経済力を示す手段は他にもあるため、新しく取り入れたものといえば、【輝煌ガラス】を使った照明やテーブル、すりガラス製の衝立程度である。
しかしていまは、執務机の前に据えられたソファに、父ジョシュアとともに座っている。
ガラスのテーブルを挟んで対面に座るのは、ジョシュアの実兄であるクレイブ・アーベント。
王国が誇る国定魔導師の一人にして、自分のことを娘のように可愛がってくれる優しい伯父である。
「――兄上、この度は呼び出しに応じていただき感謝する」
「おう。だが今日は一体どういう風の吹き回しだ? そんなに畏まって?」
クレイブが不思議そうな顔を見せたのは、ジョシュアの態度のせいだ。
普段のジョシュアの、クレイブへの接し方は、これほど堅苦しいものではない。
二人の間にはそれとない蟠りはあるものの、兄弟らしい親しさはきちんとある。
だが今日のジョシュアは少し違っていた。
怒っているのか。
苛立っているのか。
どことなく機嫌が悪いように感じられる。
ジョシュアはクレイブの質問に答えず、脇に用意していた包みから何かを取り出す。
それはガラスの管を木枠に嵌めたものだ。
透明なガラスの管の底には赤い液体のようなものが溜まり。
木枠には神経質なほど精密に目盛りが刻み込まれている。
一見して、何に使うかわからない道具だった。
しかしてジョシュアは、それをテーブルの上に置いて、
「――これに関して、率直に訊ねたい」
ジョシュアが厳しい口調で訊ねると、クレイブはまず、吸っていた葉巻の煙を天井に向かって吐き出した。
そして、
「その前に、俺も国定魔導師として聞かなきゃならんな。こいつをどうやって家に持って来た」
クレイブが露わにしたのは、ジョシュアのものよりもさらに厳しい口調と態度だ。
それはまるで、厳格な規則を犯したことを、強く咎めるようなもの。
「これの管理が厳重なのは知っている。特別に貸してもらったのだ」
「つーことはお前、握った弱みをいくつか使ったな? ひどい奴め」
「それくらいせねばならないことだ」
という。
二人の会話から、いまテーブルに置かれた道具がかなり重要なものなのだとはわかった。
だが、なればこそ。
「父さま、それは一体何なのですか?」
「これは……魔力の量を測る道具だそうだ」
「ま、魔力の量をですか!?」
「そうだ。こうして魔力を放出すると……」
ジョシュアが魔力を体外に放出すると、ガラスの管の底にあった赤い液体が上方向に伸びていく。
木枠には目盛りが付けられているため、おそらくはそれに対応するのだろう。
魔法の勉強をしてきたからわかる。
これは途轍もない発明だ。
驚くのもそうだが。
自分も魔導師の端くれ。
すぐに使ってみたいという気持ちに駆られるが、しかし恐れ多くて手を伸ばせない。
すると、クレイブが幾分厳しい声で。
「リーシャ、これはまだ公式に発表されていない国の機密だ。いま見たこと、ここで話されることは誰にも言うな。いいな?」
「は、はい……」
武官としてのクレイブの言葉に、一度は了承の答えを返したのだが――
「あの、兄さまにもですか?」
「……そうだ」
「そうですか……」
残念に思う。
この存在を教えれば、魔法が好きなあの人は、きっと喜んだはずだ。
いつも訪れるたびに、いろいろなことを教えてくれるのに、自分はこんな重要なことを伝えられない。
もどかしい。
兄のことを訊ねたとき、一瞬父ジョシュアから厳しい視線が及んだ気もしたが。
ジョシュアはそれ以上にこの魔力量を計測する道具の方が気になっているのだろう。
クレイブへ、問いの答えを促すように呼び掛ける。
「兄上」
「そもそも、なぜ俺にこれのことを訊く?」
「可能性を一つずつ消していった結果だ。出所を探っていくうちに、兄上、あなたのところにたどり着いた」
「ほう?」
「これは、あなたが作ったのか?」
「いいや。俺じゃあないぜ」
「シラを切るおつもりか?」
「本当だっての。俺じゃあそんなものは作れないからな」
「では一体どこから出て来たというのだ!」
ジョシュアの語気が強くなる。
ふとした大声に一瞬肩が竦んでしまうが。
一方のクレイブは薄い笑みさえ浮かべられるほど、余裕があった。
「どこから? なんだその物言い? それだとまるで、まだ他に出所があるような言いようだぜ?」
「煙に巻こうとするな! だからあなたという人は!」
「わかったわかった。いまのは俺が悪かった」
クレイブはそう言ってジョシュアを宥め、また葉巻を吸い始める。
気まずい沈黙が場を支配する中、ふと勇気を出して、その道具を持ってみる。
魔力の量を測る道具は、手で持ちやすい大きさであり、さほど重くもない。
魔力を放出すると、やはり底部に溜まった液体が伸び上がり、魔力量の変化を示す。
目盛りはきっちりと決められており。
量が一目でわかるよう、区切りのいい数値の部分は目立つように仕上げられ。
そしてところどころに、王国の文字でも【魔法文字】でもない種類の文字が記載されている。
何かのサインなのか。
だが、この文字にはどこか見覚えがある。
(あ……)
それで、わかった。
これを作ったのが、一体誰なのかが。
このきめ細やかなディテール。
神経質なまでに組み込まれた刻印。
間違いない。
これを作ったのは、あの人なのだ。
それなら、クレイブが、自分が作ったのではないと言い張る理由もわかる。
(兄さま……)
色んなことをする人だったが、まさかこんなものを作ってしまうとは。
そこで、ふと気付く。
そう、だからあの日、ガスタークスがあんな言葉をかけてきたのだと。
おそらくはあの日、何かしら重要の会議が開かれ、これの存在と製作者が発表された。
ガスタークスはあの人が作ったことを聞き。
自分に激励の言葉をかけ。
ジョシュアの追求には素気無く応対したというわけだ。
……あの人はずっと、父や母に疎まれ、使用人からも冷たくされていた。
不遇を託ってきたあの人が、ついに認められるほどの功績を挙げたのだ。
それは純粋に、嬉しいことだった。
「……ジョシュア。そいつはきちんと返しておけ。今回は見なかったことにしてやる」
「わかっている」
「本当か? これはすでに王家の預かりだ。俺は陛下のお言葉をいただいている。おかしな真似をすれば、陛下はレイセフトを即座に潰しにかかるぜ?」
「それでも私はっ! 私は……」
ジョシュアは気色ばむが、そこで怒りの声をぐっと飲み込んだ。
がっくりと落とした肩には、どこか失意を思わせる寂しさが感じられる。
そんなジョシュアに、クレイブは、
「……まあ気持ちはわかるが。そうじゃない。もし俺が作ったものだったら、お前にきちんと教えてるさ」
ジョシュアが失意に項垂れたのは何故か。
クレイブが質問を封じたからか。
いや、違う。
ジョシュアは、クレイブの作ったものを、クレイブの口から教えて欲しかったのだ。
ジョシュアはクレイブに対し、時折厳しい態度を見せ。
一方クレイブも、ジョシュアに対し茶化すような態度を取る。
確かに二人とも、複雑な感情を持っているが。
だが決して、お互い嫌っているわけではないのだ。
そうでなければ、どうして本家への自由な出入りを許したり、何かにつけ呼び出し合ったりしているのか。
本当に嫌いであれば、二人とも顔も見たくないはずだし。
もっとあからさまな行動に出ているはずなのだ。
蟠りこそあるが、確かな絆はある。
だからこそ、ジョシュアはクレイブが何も言わなかったことで、腹を立てたのだ。
ジョシュアは、クレイブの弟だから。
……だが、これはあの人が作ったものだ。
だからクレイブは、これを作った者が誰なのか、ジョシュアに言わないのだ。
決して。
絶対に。
ジョシュアが道具を包み直すと、クレイブがテーブルの上にバッグを置く。
そして、そこから取り出したのは。
「それと、リーシャ。お前にだ」
「私に、ですか?」
「ああ」
クレイブが取り出したものは、先ほどジョシュアが包みに戻したもの。
魔力の量を計測する道具だった。
ジョシュアが、驚いた顔を見せる。
「いいのか?」
「作った奴たっての希望だ。管理はしてやれよ。他の奴に使わせたり、流したりしたら」
「それはわかっている」
「あと、取り上げるなよな」
「そんなことはしない!」
「ならいい。あとはこれが王家の預かりだということを、よく覚えておけ。俺が言えるのはここまでだ」
「……そうか」
ジョシュアはそう言って、追及を諦める。
王家の関わりを匂わせられれば、納得せざるを得ないか。
だが、よく考えれば、これを作ったのがあの人だとすぐわかるはずだ。
しかし、ジョシュアはそんな簡単なことがわからない。
いや、そうではない。
ジョシュアは気付きたくないのだ。
だから、これを作った人間を、別の誰かにしようとして必死なのだ。
あの人のことを無能と信じているからこそ、無能だと信じたいからこそ。
あれほどの魔法の腕前も。
こんな素晴らしい功績も。
決してあの人には結びつかないのだ。
そしてクレイブも、それがわかっているからこそ、それを利用しているのだ。
ジョシュアは正面から突き付けられなければ、絶対に信じない。
だからこそ、答えを語らず、さらに王家の関わりを匂わせ、有耶無耶にしようとしているのだ。
いやもしかすれば、これもあの人が考えたことなのかもしれない。
――人は信じたいものを信じようとするものだ。
あの人が侯爵の事件のことを振り返る際、よく口にする言葉だ。
その対象は、傭兵頭。
一度頭に「アークスは無能」だと刷り込まれたため、傭兵頭はついぞ、あの人を侮ることをやめなかった。
これは、それと同じだ。
きっとジョシュアは、これからも兄を無能だと言うだろう。
兄が無能でなければいけないから。
……もしかすれば今後、自分への魔法の指導が厳しくなるかもしれない。
だが、望むところだ。
それくらいでなければ、きっと自分はあの人に置いて行かれてしまうだろうから。