第五十一話 リーシャ、魔導師サロンに赴く
この日、リーシャ・レイセフトは父ジョシュアと共に、とある貴族が主催する魔導師サロンに出席していた。
――サロン。それは主催者が知識人を招致して、知的な会話を楽しむ会合だ。
上流階級が交流を求める社交の場であり、ヨーロッパではフランス貴族の私的な集会がその走りだと言われている。
魔導師のサロンも、当然それに該当する。
有名な魔導師を招致して、彼らに魔法に関する知識を語らせ、出席した者に啓蒙する。
当然ここには魔導師という上位の知識層にある者しか呼ばれることはなく、その中でも高貴な身分の者しか出席できない。
魔法だけでなく、洗練された作法、政治的な知識までも必要とする集まりなのだ。
今回リーシャが出席するサロンは、ロンディエル侯爵家が主催するものだ。
国内でもとりわけ有名な魔導師であるガスタークス・ロンディエル。その三番目の子息キャシスタ・ロンディエルが始めたもので、数ある魔導師サロンの中でも、この集まりは特に選ばれた者しか出席できないのだという。
リーシャも、この日で出席は二度目となる。
これまで父ジョシュアに連れられ、魔導師のサロンには何度か出席していたが、この会は特に緊張する。普段出席するのは、家格も同程度で、同じ系統の魔法を使う魔導師のサロンばかりなのだが、このサロンはそれとは一線を画するものだ。
レイセフト家とロンディエル家は、魔導師としては別の派閥。
片や炎を好んで使う魔導師の家系であり、片や物質操作に関わる魔導師の家系だ。
当然魔法の考え方にも差異があり、サロンではときに派閥内の秘技も語られるため、ふとした会話の食い違いや禁忌についてなどにも気をつけなければならない。
敵地……と言うほどではないが、集まった者の中には過剰に警戒する者もいるため、どこか肩身の狭い感じもする。
それでもこうして出席できるのは、ジョシュアの手腕ゆえだろう。
レイセフト家は王国全体で見ても歴史のある家系であり、代々強力な魔導師を輩出。
戦場での活躍もとりわけ多いため、当然、出席に否という貴族も少ない。
キャシスタ・ロンディエルが「別派の魔導師をサロンに招こうとしている」という話を聞いた際にも、真っ先に手を上げて方々に根回しを行い、こうして出席に漕ぎ付けたというわけだ。
会場の奥には、サロンの主催者であるキャシスタ・ロンディエルの姿。
歳の頃はもう四十代も半ば。
すらりとした美丈夫で。
着ている服は伝統貴族が着る服ではなく。
最近流行しているという、ジャケットと長ズボンの組み合わせ。
胸には勲章がいくつか。
人好きのする笑顔を振りまきつつ、参加した貴族たちに朗らかな様子で応対している。
リーシャの知る軍家の人間は、普段からきびきびとしており、常に威厳に満ち、身分や実力に応じた威風をまとっているものなのだが――彼からはとても柔和な印象を受ける。
女性によく声をかけているのは、その血統ゆえか。
よく見れば鼻の下が伸びているような気がしないでもない。
父曰く、ロンディエル家の人間は【女好き】とのこと。
ガスタークス・ロンディエルを始め、兄弟姉妹に至るまでみな可愛い女の子が大好きらしい。
……その辺り、よくわからないが。
ふとジョシュアが口を開く。
「リーシャ、今日でこのサロンへの出席も二度目となる。多少の緊張は仕方ないが、魔導師と語らう機会を逃してはいけない。積極的に会話に加わっていく気概で臨みなさい」
「はい」
「この会は家格の高い貴族家の子弟も多い。私も気を付けるが、声をかける前は相手の振る舞いや服装、装飾品から立場をよく見極めることだ」
注意を促す言葉に対し、了承の返事を返す。
こういった場では家格の低い貴族家の者が、家格の高い貴族家の者に先に声をかけるのは失礼に当たる。そのうえ、ここに子弟が混じるため、目上、目下がややこしいことになるのだが、基本的には自分たちと同格かそれ以上の者ばかりであるため、常に気を払う必要があるのは確かだ。
最近の貴族は伝統、新興に関わらず、服装の変化も顕著であるため、その辺り基準にはならないのが難しいところ。
再度、ジョシュアから注意事項を聞いていると、ふと声がかかった。
「これはレイセフト卿ではありませんか」
「おお、ラズラエル卿。ご健勝そうでなによりです」
緊張を保つ中、気軽そうな挨拶をしてきたのは、ラズラエル子爵だった。
南部に領地を持つ貴族の一人で、彼自身も岩石などを扱う魔法を得意とする魔導師である。
以前の集まりでは見かけなかったが、今回は出席していたらしい。
見るとラズラエル子爵の隣には、自分と同じ年頃の子供が一人。
父親と同じ茶色の髪。
少年の凛々しさを感じさせる容貌。
貴族男子の着る服をまとい。
優しげな表情の中に、強い意志を同居させる少年だった。
まず、互いの親に挨拶をした後、
「ケイン・ラズラエルです。よろしく」
挨拶の口調はかなり砕けているが、礼はまるで型に嵌めたように綺麗に整っている。
所作は一から十まで徹頭徹尾美しく、厳しい教育を受けていることが窺えた。
おそらくは親であるラズラエル子爵が意図的にそうさせているのだろう。
礼節をしっかりと弁えさせたうえで、しかし態度は友好的に。
堅苦しい話し方が普通である貴族家でこれは、とても新鮮な印象を受ける。
友好関係を上手く築かせるためのものだろう。
――ケイン・ラズラエル。
この名前は、魔導師界隈では有名なものだ。
豊富な魔力を保有しており、魔力を測った当初はあまりの放出時間の長さに、立ち会った多くの者が驚いたという話だ。
嘘か真か、紀言書に語られる『英雄』その再来などと噂されているのだという。
「リーシャ・レイセフトと申します」
ケインの挨拶に対し、こちらは基本に則った挨拶を返す。
対してケインは、やはりかなり砕けた口調で、しかし自信を覗かせる言葉を口にした。
「君のことは聞いているよ。これから王国を魔法の力で支えていく者同士、仲良くやっていこう」
「はい。よろしくお願いします」
初対面にしては馴れ馴れしいようにも思える挨拶だが、屈託のない笑顔が警戒心を解きにかかる。
ふと、父たちの会話に耳を傾けると、二人は誰かに注目しているようで。
「……あちらには、サイファイス公爵家の」
「……クローディア姫様ですな。あの方も、豊富な魔力を持つとか」
二人の視線の先には、優美な少女の姿。
年のころは自分やケインと同じくらい。
クローディア・サイファイス。
王家の屋台骨を支える四公の一つ、サイファイス家の姫君であり、彼女も相当な量の魔力を持つらしい。
「いやこの年代は他の年に比べ粒ぞろいと聞きます」
「その中に、御家のご子息も含まれている」
「御家のご息女もそうだ」
ジョシュアと子爵が笑い合う。
そんなお世辞の言い合いも挨拶の内の一つなのだろうが、それを聞かされる子供は、なんとも居心地が悪くてしかたない。
お互い照れた顔を見合わせる中も、親同士、子供の自慢が止まらないようで。
「親バカでお恥ずかしい。ですが、息子の魔法院への入学が楽しみでなりませんよ。きっと歴代に名を連ねる魔導師にもなれるでしょうな」
「私の娘も負けませぬよ」
「ははは! いやお互い三年後が楽しみですな!」
「まことに」
二人が上機嫌に会話する中、挨拶回りをしていたキャシスタが現れる。
「ご歓談中のところ申し訳ない。ご挨拶よろしいですかな?」
声がかかると、ジョシュアと子爵はすぐさまそれまでの雰囲気を消し去って、畏まった態度を取る。
ケインと共にそれに倣うと、まずラズラエル子爵が挨拶をする。
同じ南部の貴族で、魔導師としては同派ということもあり、知らない仲ではないのだろう。
二人に対しキャシスタが朗らかに応対すると、今度はこちらを向いた。
「キャシスタ様。レイセフト家のジョシュアでございます」
「ジョシュア殿にリーシャ嬢。今宵の会で出席は二度目でしたね。先日はあまり時間を取れずに申し訳ない」
「いえ! キャシスタ様から謝罪をいただくなど恐れ多く……」
「私などたかだか貴族家の三男。爵位も父から余った子爵位をいただいただけの小者ですよ」
「ご謙遜を……」
キャシスタのあまりの遜りように、ジョシュアは半ば困り気味。
持っている爵位はジョシュアと同じ子爵だが、年齢も一回り以上高く、当然力具合は侯爵家の人間であるキャシスタの方が上だ。
この魔導師サロンを見てもそう。
これだけのサロンを開催するなど、いち子爵家では到底真似できるものではない。
それでもこうして腰が低いのは、その性分なのか。
ジョシュアに次いで、キャシスタに礼を執ると、
「御家では魔法の教育にかなり力を入れていると聞きます。リーシャ嬢、魔法の勉強はどこまで進んでいるかな?」
「はい、キャシスタ様。つい先ごろ、【火閃槍】の魔法で、石材を破壊することができました」
「なんと! それはまことか!」
キャシスタが驚愕の声を上げ。
周りにいた貴族やその子弟たちも聞き耳を立てていたのか、驚きでこちらを向く。
魔法には、呪文を正しく唱える詠唱技術もそうだが、想像の正確さも求められる。たとえ呪文を覚えて魔法を使えるようになったとしても、想像が甘かったり、必要な魔力を込めることができなかったりすれば、期待した威力が発揮できないのだ。
そのため、【火閃槍】での、岩石など硬質な物体の破壊は一つの指標とされる。
火とは現象だ。
これは物質として論じることができないものでもある。
王国ではこれで物質を破壊するということができて初めて、この魔法を覚えたと言えるのである。
そのうえ、【火閃槍】は国軍で基本使用される魔法の一つ。
これを使うことができれば、いつでも戦いに赴けるということでもある。
キャシスタは驚いた顔のまま、ほうと感嘆の息をこぼす。
「今年【石秋会】に入った子弟も、まだ魔力の操作に苦慮しているというのに……」
【石秋会】。
これはサロンなどの集会ではなく、魔法の訓練を行う私塾のようなものだ。
ある程度の魔法技術を会得した魔導師を講師に置き、魔導師たちはその者の下で魔法を覚え、極めていく。
ある意味、魔法版の道場とも言えるだろう。
この【石秋会】は、有能な魔導師を多数輩出しており、その中には魔法院の講師を務める者も多くいるという。
そんなところであっても、十歳前後で魔法を使える者は珍しいらしい。
「素晴らしい。これもレイセフト卿のご指導あってのものですかな?」
「いえ、娘の才覚の高さゆえのものにございます。私など、いまのリーシャの年頃には、魔法を使うのにも四苦八苦していた記憶がありますので」
ジョシュアがそう言うと、ラズラエル子爵と息子のケインが驚きの吐息をこぼす。
「レイセフト家はこの年でもうそこまで教えているのですか……」
「僕も、【石鋭剣】使えるようになったばかりなのに」
「いえ、私などまだまだです」
謙遜を挟むと、キャシスタが、
「やはり、御父上と比べているのかな?」
「…………はい。父さまは強力な魔導師です」
間があったのは、比べた対象に、真っ先に『あの人』のことを思い浮かべたためだ。
魔導師としての実力は、あの人よりも父や伯父、次いでノアやカズィの方が高い。
魔力の量など、言わずもがなだ。
だが、それでも思い浮かべてしまうのはあの人のこと。
そう、あの人は二年も前に、【火閃槍】よりもさらに強い魔法を使えていたのだから。
この前も、両親に隠れて会いに行ったとき、あの人から魔法を教えてもらっている。
【廃品鎧袖】という魔法だ。
以前に作ったオリジナルの魔法を、改造したものらしい。
いまでは生み出したオリジナルの魔法の数は、あまり使えないものも含めると二十を超えるとのこと。
父も新しい魔法を作るのには、想像を固めるのに随分と苦慮すると言っているのに。
兄は言葉さえあれば、簡単に生み出してしまうという印象だ。
まるで作りたい魔法があり過ぎて、逆に困っているように見えるほどに。
……しばらく、魔導師の講義が始まるまでの間、父はラズラエル子爵と。
自身はケインと魔法に関しての会話をしていた、その折。
会場の入り口付近で一際大きな歓声が上がった。
同時に、道が大きく開かれる。
そこには、キャシスタと同じ種類の紳士服を身にまとった老人がいた。
両脇に従者を一人ずつ連れ。
手にはハンドルが曲がったステッキ。
頭には中折帽子と呼ばれる最近流行りのハット。
周囲から「ガスタークス様だ……」と畏敬にも似た呟きが聞こえて来る。
ガスタークス・ロンディエル。王国の英雄にして、国定魔導師の一人である。
「御無音に乱入の条、お集まりの方々にはまことに相済まぬことと存ずるのである」
彼が歩き出すと、貴族たちがその場から一歩後ろに下がる。
あるいは遠慮して。
あるいはその威風に恐れをなして。
人の垣根が自然と割れ、大きな道に。
貴族たちはみな、最敬礼を執る。
ガスタークスが近付いてくるにつれ。
その強烈な威風によって、会場の空気は緊張で張りつめ。
手足に鉛の枷を掛けられたかのように鈍っていく。
それでも、ガスタークスに向けられるのは憧憬の視線だ。
場にいる貴族――魔導師の誰も彼もが、彼に対して怖れを抱くと同時に、それ以上の憧れを抱いている。
王国の英雄として。
大魔導師として。
それに対して普段通りに接することができるのは、息子であるキャシスタだけだ。
ジョシュアも礼を執ったまま、緊張している。
自分も、思うように動けない。
指先一本動かすにも、鉛が感じられる。
キャシスタが優雅な足取りで近付くと、会場に満ちていた緊張が緩和する。
「これは父上」
「突然の来訪あいすまぬのである」
「いえ、父上ならばいつでも歓迎いたしますよ」
そんな風に、二人はしばらく気安げな会話を交わしたあと。
「いやそれにしても可愛い娘ばかりが揃っているのであるな」
「そうでしょうそうでしょう! いや、麗しいご婦人や将来が楽しみなお嬢様ばかりで……」
何故か、女子の話で盛り上がり始めた。
「――あちらの娘は可愛らしい」
「――あと五年もすれば……」
などなど。
二人の間から、「えへへ……」「でへへ……」といった妙な忍び笑いが聞こえて来る気がしないでもない。
当然、会場の緊張が壊滅したのは、言うまでもないことだろう。
ともあれ会場の貴族たちはそれを契機に、礼を収める。
いまだ威風の余韻が抜けきらず、静けさは保たれたままだが。
近くで立ち止まったため、二人の会話が聞こえて来る。
「して、今日はいかがしましたか」
「緊急で家族を集めたくなったのである」
「は?」
そこで、ガスタークスがキャシスタに耳打ちする。
すると、キャシスタの顔色がみるみる内に変化。
顔に驚きを張り付けた。
「そ、それは真でございますか……!」
「うむ」
「ですが一体誰がそのようなものを? 他の国定魔導師たちですか?」
「製作者のことは話せぬのである。それだけの物ということは、お主も察せよう」
「は……はっ! そうですな……」
「いくつかゴッドワルドに融通してもらった。もちろん使用については条件付きであるがな」
「つまり、この招集は」
「察する通りである。久方ぶりの指導、覚悟するのである」
「もちろんでございます!」
キャシスタが喜色に満ちた声を上げる。
まさに飛び上がるほどの喜びようだ。
それを見たジョシュアとラズラエル子爵がひそひそ話。
「……何か好事があったようですな」
「ええ、そのようです」
そんな話を聞く中、ふとガスタークスの視線がこちらに向いた。
先ほどまで不穏当な視線を振りまいていたとは到底思えないような、鋭いまなざし。
そして、何かに気付いたような表情を見せる。
「――ほう、その銀の髪、レイセフト家の者であるか」
すると、キャシスタが補足するように、
「は。今後は別派の魔導師とも交流を深めていくべきかと存じまして。今回は折よく、レイセフト子爵に手を挙げていただいたのです」
「ふむ。王国でも由緒ある家系がいち早く行動してくれたのは、幸いであるな」
そう言って、ガスタークスが近付いてくる。
老人であるにもかかわらず、矍鑠とした足取り。
背は父より少し高い程度にもかかわらず、その三倍は大きいように錯覚される。
以前にあの人が倒した貴族も侯爵だったが、まったく豆粒に思えるほど。
ジョシュアが、膝を突いて礼を執る。
「侯爵閣下、ご無沙汰しております。ジョシュア・レイセフトにございます。こちらは娘の」
「リーシャでございます。侯爵閣下、初めてお目にかかります……」
「うむ」
緊張に身体を縛られるが、挨拶だけは成功させることができた。
これも、父の教育あってのものだろう。
強い圧力に慣れるために、日ごろから訓練を施してもらっている。
さすがに伯父クレイブまでとはいかないものの、父も強力な魔導師だ。
放つ威風は、身体を縛るに至るものがある。
すると、ガスタークスが感心したような声を出す。
「この老骨にきちんとした応対ができるのは偉いのである。将来が楽しみであるな」
「は、はい」
周囲から「閣下から称賛の言葉をいただけるとは」「いや素晴らしい」などと驚きの声が上がる。
視線が一気に注がれる気恥ずかしさもそうだが、いまは国定魔導師を前にした緊張が勝っていた。
ガスタークスが気になることを口にしたのは、そんなときだった。
「――今日はそなたの兄に会ったのである」
「え……?」
困惑の声を上げてしまう。
どうしてガスタークスの口から、兄の話が出てくるのだろうかと。
戸惑っていると、ガスタークスは優しさと厳しさの両方を感じられる声で。
「今後も励むがよい。努力を怠れば、すぐに追い付けなくなるのである」
そんなことを、言い渡された。
戸惑いはそのままだが、返す答えは一つだ。
自分だって、兄に置いて行かれたくはない。
だからこそ、
「さらなる高みを目指し、精進いたします」
「それがよかろう」
ガスタークスが頷くと、ジョシュアが口を開く。
「閣下に質問をする無礼をお許しいただきたく。さきほどのお言葉は一体どういう――」
「子爵よ。それはこの老骨が語ることではないのである。よいな」
「……ははっ」
ガスタークスの言葉で、ジョシュアは追求を完全に封じられた。
やがて、ガスタークスは従者とキャシスタを引き連れ、会場を後にする。
サロンはキャシスタの意向でそのまま続けられたが、この日は最後まで父の顔から苦みが抜けきらなかったのは、言うまでもない。




