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第四十五話 月下蠢動



 ――監察局の長官にしてラウゼイ伯爵家の若き当主、リサ・ラウゼイは目下、ガストン侯爵邸へと急いでいた。



 夜の闇に溶けそうなほど黒い青毛の馬を駆り、目的地までの最も近い道のりをひた走る。

 スウから下された命を、確実に遂げるために。



 ――その首……どうなるかわかっているな?



 そう、いまもって自身を追い立てているのは、彼女が発したその言葉だ。

 心根の優しい彼女ならば、普段は決してそんな無体なことなど言わないし、言うはずもない。たとえ口にしたとしても、最後はただの叱咤として終わらせるだろう。



 だが、今回ばかりは話が違う。冷ややかに下されたあの声音からは、確かに彼女の怒りが感じられた。ならば、その本気の度合いはいかばかりか。もし彼女の意向に沿った結果を出すことができなければ、この首は彼女の手によってたちまちのうちに斬り飛ばされることになるだろう。



 ……この一件の裏で暗躍していた者については、すぐに調べが付いた。

 監察局内で、侯爵の下に潜入していた者がいたからだ。

 であれば、だ。

 ここまで騒ぎになっているのならば、その人物は必ず近くにいる。

 下手に現場にいればレイセフト、クレメリア両家に拘束されかねない状況だが、だからといって自分の謀略の結末を見届けないわけにもいかないはず。



 それゆえ、どこか安全な場所で見物に回っている。

 そう当たりを付け、馬を降りて周辺を探すと、やはりと言うべきか、その男はいた。

 貴族たちが住まう区画の路地の一角。

 ほの暗い、雨上がりのジメジメとした臭いの感じられるその場所で、ローブを身にまとった男が一人、立っていた。



 平凡さを絵に描いたような見た目の男だ。

 特徴と言えば、その際立った目の下のクマと、どことなく感じられる陰気さくらい。

 どこにでもいて、どんな集まりにでも自然と溶け込めそうな雰囲気を持っている。

 塀の上に立って、いまは騒がしさの渦中にある侯爵邸を、遠見眼鏡越しに窺っていた。



 そんな男に、声をかける。



「ロズワース」


「これはこれはラウゼイ伯。いえ、ラウゼイ長官ではないですか。どうしてこのようなところへ?」



 男――ロズワースはこちらに気付くと、すぐに塀から降り、略式の礼と善良そうな笑みを向けて来る。

 十人に十人が誠実だと思うだろうそんな顔が張り付ける笑みは、どこか不自然な歪みでできていて、己の心の奥底をざわつかせた。



「此度の侯爵の一件、お前が関わっていることを思い出してな」


「ええ。侯爵邸に潜入していたのは確かに僕ですよ」


「ならば訊ねようロズワース。今回の件、これは一体どういうことだ?」



 率直に切り出すと、ロズワースは察しの悪い鈍り切った表情を見せ、



「えっと……侯爵が貴族の令嬢を誘拐し、それをその兄が見事助け出したという美しいお話……と言ったところでしょうか?」


「私が訊きたいのはそんな話ではない。私が訊ねたのは、侯爵の不正を捜査していた貴様はこの件にどう関わっていたかということだ」


「…………」


「答えろロズワース!」



 黙り込んだロズワースに高圧的に訊ねると、ふいに彼は肩を震わせ始める。

 その仕草は、一体何ゆえのものか。

 怯えのものか。

 いや違う。

 怒っているのか。

 それも違う。

 そうこの男は、こらえきれぬ笑いにとり憑かれ、震えているのだ。



 やがてロズワースは、笑い声まで漏らし始める。



「ロズワースっ……」


「あはは。あはははは。いえね、簡単な話ですよ。僕は侯爵の不正を調べるために使用人に成りすまして潜入しました。ですが、侯爵は中々証拠を残さない。やっとのことで掴めた証拠も、もみ潰されて有耶無耶にできるほど小さいものばかりだった。だから、その小さい証拠を使って、言い逃れできない状況を釣り上げたんですよ。貴族の子弟を誘拐するという罪をね」


「…………」


「さすがにそうなれば、侯爵も拘束や取り調べは免れない。一度捕まえることができれば、あとは監察局でゆっくり取り調べを行うだけ。ほら、簡単でしょ?」



 裏で何か動いているとは思っていたが、そんなことを考えていたとは。

 確かに、その謀略が上手くいけば、侯爵を追及することができるだろう。だが、それは限りなく黒に近いグレーの手法だ。監察局の人間がそんなことをしたという事実が露見すれば、ロズワースはもちろんのこと監察局もただでは済まない。



 ロズワースはそこで何故か、目論見が外れたというような失望を表情に現す。



「まさか、僕が監察局を動かすよりも先に、襲撃を仕掛ける者がいるとは思いませんでしたがね」


「レイセフトの長男か」


「ええ。誤算でしたよ。まさか、封印塔を脱出したうえ、たったの三人で侯爵邸に襲撃を仕掛け、しかもそれを成功させてしまうんですからね。長男は無能だって話はどういうことなんだか」


「それは子爵が吹聴しているだけだ。魔力の量が歴代のレイセフト当主に大きく劣るのは確かだという話だが、魔術師としての実力は魔法院の卒業生と遜色ないと聞いている」



 それは、自身に命を下したスウの見立てだ。

 聞くところによると、アークスとはよく一緒に魔法の勉強をする仲なのだという。

 王国では最高峰の魔法教育を受け、そのうえあれだけの力を持つスウをして「異常」とまで言わせたのだ。ひいき目に見たのだとしても、決して無能であるはずがない。



「おかげ様でいい迷惑ですよ。こちらの手柄が少なくなってしまうんですから。ああ、大丈夫ですよ? 監察局員が潜入していた証拠はお屋敷のどこにも残していませんので」



 ロズワースはそう言うと、ひどく嫌らしい笑みを浮かべ、



「なかなかに上手くやったでしょう?」


「……私としては、確たる証拠を掴めず、苦し紛れの手を打ったようにしか思えんがな」



 そう、バッサリと切り捨てると、ロズワースはじっとりとした陰鬱な視線を向けて来る。

 しかしてその視線にぶつけるのは、非難を交えた薄紫の眼光。



「レイセフト家の長女をかかわらせたのも、貴様だな?」


「ええ」


「なぜ彼女を選んだ?」


「ガストン家とレイセフト家は同じ東部に領地を持つ貴族であり、近しかったからですよ。最近では侯爵が東部の軍家を夜会に招待することが多くなって、接触することが増えました。なら、いずれは彼らが手を取り合うことがあるかもしれない。それは、貴族たちに必要以上の権力を持たせたくない王家としては、看過できないことでしょう?」



 そうだ。

 最近になって、ガストン侯爵が夜会に東部の軍家を招待することが多くなったし、軍家貴族が歩み寄りを見せていたとも聞いている。



 それは、権力を王家のもとに集中させたい国王にとっては、喜ばしくない事柄だ。

 特権を持つ貴族同士が必要以上に協力体制を取ろうとするのは、たとえ彼らが王家に忠誠を誓っているのだとしても、邪魔なものでしかない。

 国王としては、国家の運営はできる限り主導で行いたいし、横やりなど入れられたくはないだろう。

 現状、王家はその絶対的な力を以て貴族を縛り付けることができている。

 だがそれでも、傘下の貴族に必要以上の力を持たせたくはないし、必要性のない接近もさせたくはないのだ。



 つまり、この男はそれを踏まえたうえで、



「だから、この手を打ったのですよ。いままさに仲良くしようとしている家の子女が、まさか侯爵の不正を暴く手がかりを持っていた。もしそれが侯爵側に露見すれば、両家の信頼には亀裂が入る。そうなればもし僕が侯爵の罪を釣り上げることができなくても、両家の協力だけは防げるでしょう?」



 だが、だからこそ、思うことがある。



「ならばなぜ、お前は二人が捕まった時点で役人を差し向けなかったのだ? お前の目的は侯爵の身柄を押さえることだ。それなら、捕まったときで良かったはずだ。お前にはそれができただろう?」


「ええ。ですが、もし侯爵が二人を殺していれば、言い逃れできなくなるでしょう? たとえ何らかの手段を用いて罪を逃れても、戦争は回避できません。侯爵も力をもっていますが、レイセフト家は軍家であり、東部閥筆頭クレメリア伯を補佐する三子爵一つ。争いごととなれば、当然親分であるクレメリア伯が出張ってくる。相争えば、侯爵は敗北し、争った東部軍家もその力を落とすでしょう」



 確かに、侯爵が派閥の力を用い、罪に問えない状況に持っていっても、娘を殺された二人が怒り狂うことは間違いない。持てる力のすべてを使って、侯爵を叩き潰しに出るだろう。

 だがその謀略の行きつく先は、国を割るほどの内紛だ。

 侯爵家と伯爵家。大貴族同士のぶつかり合いは他家をも巻き込み、結果大きな内乱へと発展する。

 たとえ寸前で王家の仲裁がまとまり、争いを避けることができたとしても、軍家側が不満を持つことは避けられない。



 いずれの結果にせよ、国力を落とすことになるだろう。

 それに、だ。



「たとえ王家のためだとしても、まだ十歳程度の子供を犠牲にするのが、本当に正しいことだと思っているのか?」


「正しい? 謀略に正道を求めるなんて長官殿は甘いなぁ。目的を達成するためなら、なんでも使うのが当たり前でしょう? たとえそれが子供の命だとしてもね」


「……今回の行動はすべて、国のためだったとでも言うつもりか?」


「ええ。もちろん」


「嘘をつけ。自分の出世のためだろう」



 ロズワースはまるでいまの言葉が正解だとでも言うように、嫌らしい笑みを作る。



「野心家め……」



 その笑みには、さすがに怒りの声を禁じ得なかった。

 自分がのし上がるためならば、国や民を脅かすような真似を平気でする。

 ならばこの男も、不正を行って私腹を肥やした侯爵と、一体どう違うというのか。

 国のため、民のため、日々努力を欠かさず、政務にもよく励むあの方の害とならんとする。

 そのような生き方は、この国では決して許されないことだ。



 だがロズワースは、その得意げな顔のまま謳い出す。



「長官。それがこの時代に生きるってことなんですよ。謀略を駆使して、勝利を得る。この世界で生きていくなら、甘い考えは捨てた方がいいですよ?」


「貴様ぁ……」



 忠告のつもりなのか。

 笑みを深めるこの男の外道ぶりに、怒りはすでに堪えきれないところまできていた。

 そんなときだ。

 煌々と輝く満月から、そんな声が降ってきたのは。



「――そうか。なら、俺も甘い考えは捨てることにするよ」



「は――?」



 ロズワースの間の抜けた声が辺りに響く。

 しかして再度声が降って来たのは、彼が声に向かって振り向いた、そのときだった。



「これはとって置いた最後の一発だ。ありがたく受け取りな」



 突如として、何かが弾けたような、乾いた音が辺りに響く。

 直後、目の前にいたロズワースは、さながら糸が切れた操り人形のように膝から脱力し、その場にくずおれた。

 目を見開いたまま、頭から血が溢れ出させ、粘度の高い水溜まりを作る。



 しかして、屋根の上。

 見上げた満月を背負っていたのは――



「君は……アークス・レイセフト?」


「俺のこと知っているんだな。そう言えば、あんたそいつに長官とか呼ばれてたな」



 立てた膝に腕をかけて、屋根の上から月光を頼りに見下ろしてくる銀髪の少年。それはまさしく、先ほど侯爵邸に襲撃を仕掛けた張本人だった。



 彼の疑問には、隣に控えた美貌の青年が答える。



「あちらは監察局の長官である、リサ・ラウゼイ伯爵です」



 この青年のことも、知っている。名はノア・イングヴェイン。魔法院で五十年に一度の天才と言われた腕利きの魔導師だ。

 足場の悪い屋根の上にもかかわらず、背筋を伸ばして立っているその姿は、まさしく主人の脇に整然として控える執事そのもの。片眼鏡(モノクル)の奥から、怜悧な視線をこちらに差し向けるのも忘れていない。



 そして、もう一人、アークスの隣、ノアとは反対側にいたのは、



「――監察局の長官サマとはまたずいぶん出世したなリサ。会うのは魔法院の卒業式以来か? キヒヒッ」


「カズィ先輩……」



 歳の頃は二十代後半。

 切れ上がったまなじりに、三白眼。

 黒髪は散髪せず伸ばし放題だが、その特徴的な笑い方ゆえ、忘れるはずもない。

 名を、カズィ・グアリ。

 魔法院時代の先輩で、平民初の首席卒業を果たした男である。

 確かにさきほど、アークスと共に封印塔を脱出していたのを覚えている。

 いまは屋根の上にだらしなく腰かけて、こちらに不気味な笑みを向けていた。



 ふと、アークスがカズィの方を見て、



「なんだ、知り合いなのか?」


「魔法院の後輩だ。ま、リサは魔導師じゃないんだがな」



 そんな話の最中、アークス・レイセフトに訊ねる。



「これは、一体なんのつもりですか?」


「なんのつもりも、妹を危険な目に遭わせた張本人のツラを拝みにきたんだよ。考えてたことはおおむね予想通りだったがな」


「ロズワースの存在はまだしも、居場所まで割れていた……?」


「ああ。うちの執事はめちゃくちゃ有能なのさ」



 ノア・イングヴェインか。

 魔法院時代も、溶鉄の魔導師に付いていた頃からも、仕事をそつなくこなしていたという話だ。

 ならばこれも、その結果なのか。



 ともあれ、主人から称賛を受けた本人はと言えば、



「アークスさま。褒めてもなにも出ませんよ。それよりもお手当の方を奮発していただかないと」


「……なあ、最近そればっかじゃね?」


「私も金、金と言うのは大変心苦しいのですが、いまのところアークスさまの無茶ぶりへの対抗手段が金銭的なものしかなく」


「いやそこなんで対抗しようと思うんだよ!? いいだろ別に!?」


「いえ、たとえ金に卑しいと言われようとも、これだけは譲れません」


「キリッ! じゃねえ! さっきの話を引用すんな!」


「お前らはほんと忙しいな……」



 アークスとノアがやいのやいの言い合う中、カズィが呆れた視線を送っている。

 傍から見れば不思議な取り合わせだが、何故かまとまったように見えるのは、間に漂っている雰囲気が柔らかいものだからか。



 やがて、アークス・レイセフトは咳ばらいを挟み、



「最初からおかしかったんだよ。リーシャに証拠品を預けてきたとかいう使用人は、リーシャとは偶然出会ったはずなのに、何者なのか知っていたらしいし、そのあとすぐに証拠品の所在がバレた」


「身の危険を感じたのなら預けたあとすぐに逃げればいいものを、そのまま侯爵邸にとどまった。これは随分とおかしな話です」


「なら、こう考えるのが自然だ。リーシャに証拠品を預けるのはもとから予定していたことで、預け終わったら今度は打って変わって侯爵の忠実な犬に戻り、侯爵がリーシャを誘拐するよう上手く誘導した。今回の筋書きはこんなところだろう?」


「……おそらくは。しかし――」



 どうして、居場所までわかったのか。



「だって、侯爵の犬に戻ってたなら、侯爵の屋敷にいないのはおかしいだろ? 俺たちは突入したあと探したらいなかったし、その場にいないのならきっとどこかで見ているはずだ。だから、それらしい奴をノアに頼んで探してもらったってわけだ」



 なるほど同じ理由で当たりをつけたか。

 目論見には薄々勘付いていた……ということだろう。



「んで、そいつの命は手付けだ」


「手付け?」


「ああ。今回の件、そいつの命とは別に、侯爵の追及やレイセフト側の責任の有無について、あんたの方できちんとケリをつけてもらうってことだ」


「こんなことをして、そんな要求がまかり通るとでも?」



 アークス・レイセフトは、自分はおろか司法の了解も得ず、ロズワースを勝手に殺害した。

 そのうえでまだ要求を吹っかけて来るというのは、あまりに身勝手がすぎる。

 そんな語意を含む言葉を投げかけるが、しかし差し向けられた赤い瞳は、確かに怒気を孕んでいた。



「通せよ。これは交渉じゃない。通告だ」


「…………」



 声に込められた凄みと、確かな威風。

 まだ子供であっても、一端の貴族らしい。

 だが、



「受け入れられない、と言えば」


「なら、こっちも出方を変えるだけさ」


「出方を変える?」


「言ったろ? 俺も甘い考えはしないって」



 アークス・レイセフトはそう一度区切ると、その赤い目を細め、



「――この件で監察局が関わったことを公表する。その上で、それは全部あんたの指示だって付け加えてな」


「なっ――!?」


「脅しの手段としては、これもそう悪くないだろう? ただでさえ監察局は貴族から恨みを買ってるんだ。そんなことやらかしたって話になれば、飛ぶのはアンタの首だけじゃ済まないはずだ」



 そうだ。

 監察局の解体まではないにしろ、その権限は大きく削がれ、おそらく責任者である自分は一族郎党縛り首になるだろう。



「ま、そうなったら王家は知らんぷりするしかないだろうな。直轄の組織が、王家が庇護しなきゃならない連中に謀略を仕掛けていたなんて話、外聞が悪すぎる」


「それが上手くいくとでも? 現にそれを行った者は」


「そうだな。こうして消しちまったわけだが――いない方が逆にやりやすいってこともあるんだぜ? なんせ死体は弁明することも、シラを切ることもできないんだからな」


「だが、それでは難癖の範疇を出ない」


「そうだな。だけどそれならそれで……答えは一つだろ」



 彼がそう言うと、両脇に控えた二人が動き出す。



「ラウゼイ閣下。申し訳ございませんが、ここでその身柄を押さえさせていただきます」


「悪いなリサ。お前はかわいい後輩だが、俺も今回だけは味方してやれないんだわ。キヒヒッ」


「先輩……」



 自然と足が後ろに下がる。

 自分も腕に自信がないわけではないが、さすがにこの二人が相手では分が悪すぎる。

 国定魔導師の一人メルクリーア・ストリングが天才と評した【氷薄】と、在院当時、次席の貴族にぐうの音も出ないほどの大差をつけて首席を勝ち取った男【禁鎖】だ。



 そして、あのスウをおして「異常」と言わしめるアークス・レイセフト。

 いままさに、ロズワースを殺した手管さえわからなかったその実力は、いまもって未知数である。

 ならば、ここで争った結果など明白だろう。

 おそらく捕縛されたあとは、クレメリア伯爵の前に黒幕として突き出される。

 自分に罪がなくてもだ。

 そうして謀略が明るみなったならば、王家の助けは期待できない。向かう先は破滅だろう。



「……ッ」



 一方的にまくし立てられて、突き付けられたことにより、悔しさが沸き上がる。

 だが、冷静になって考えれば、こちらもここで意固地になる必要はない。

 いずれにせよこの結果をあの方に報告すれば、こうはならずとも、ロズワースには何かしらの罰が与えられるはずだったのだから。

 いや最悪、この少年を引っ張れば、あの方の怒りを買う可能性もある。あのとき、いつも慎重で冷静なあの方に、突然首を物理的に刎ねられかけたのだ。



 …………あのときの恐怖を思い出す。首筋にはいつの間にか刃が当てられ、直後心胆が底冷えするほどの殺気が向けられた。

 無論抵抗など思いつくはずもない。あの方と自分の間には、及びつくはずもない隔絶した力の開きがあるのだ。たとえそれが、わずか十一の子供なのだとしても。



 ふと、アークス・レイセフトが口を開く。



「別にあんたにだって悪い話じゃないはずだろ? そいつのことさえ目を瞑れば、知らんぷりして事態の処理ができるんだ。いまのところ悪党は侯爵だけなんだから、失うものなんてなにもない。上手く立ち回れば、監察局だって手柄にありつけるかもしれないしな」



 よく言う。それは、重要なものを押さえているからこその言葉だ。

 侯爵邸は現在、クレメリア、レイセフト、そして溶鉄の魔導師に占拠されている。

 彼らは今回の出動の件の正当性を訴えるために、侯爵の不利になるものはそれこそ根こそぎ押収するだろう。監察局が立ち入ったあとには、おそらく証拠の一つも残っていないはずだ。



 ならば、いずれにせよ自分に選択肢はない。



「……いいでしょう。あなたはこの件で監察局の存在を公表しない。代わりに、私たちは侯爵を全力で追及し、レイセフトには責めを一切求めない。被害に遭った者の名誉の保全に努め、ことはできる限り内内で済ませる」


「決まりだな。約束はきちんと守ってくれよな」



 アークス・レイセフトはそう言うと、その小さな背を向けて、満月に向かって去って行く。

 ノア・イングヴェインがこちらに一礼をしてそのあとに続き、カズィ・グアリもまた。



「……先輩」


「じゃあなリサ。上手いこと立ち回りな。何事もなく事が収まるよう祈ってるぜ。キヒヒッ」



 呼びかけに対しそう言い残して、去って行った。




 ……彼らが月下から消えるのを見送って、ふと呟く。



「子供……子供なのか、あれが」



 子供。そう、そのはずだ。小さな背。幼い顔立ち。柔らかそうな白い肌。まだ高音を保ったままの声。どれをとっても彼が十歳前後の少年であることを示している。

 だが、開いた口から飛び出るのは、大人顔負けの言葉の数々。その利発さには、天才という言葉だけでは片づけられない何かが確かにあった。



 そのまま満月を見上げ、問いかける。



「双精霊よ。なぜあの少年は、廃嫡される運命にあったのでしょう? あれほど利発な少年に障害を与える必要など、本当にあったのでしょうか……」



 当然、チェインもウェッジも、その問いかけには応えてはくれなかった。




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