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第四十一話 たとえ無能と言われても



 ときはアークスたちが襲撃を開始して、少し経ったころ。

 侯爵邸のゲストルームで囚われになっていたシャーロット・クレメリアも、外の騒ぎに気付き始めていた。



「……これは一体なんの騒ぎなの?」



 侯爵に始末するという言葉を言い渡されてから、すでに数時間が経つ。

 いつ『そのとき』が訪れるのか、リーシャと共に不安と緊張の最中にあったが……いまだに殺されていないのは、おそらく侯爵がクレメリアやレイセフトの動向を警戒してのものだ。



 もし両家がすでに何らかの手段によって、自分たちが侯爵家に捕まっているという情報を手に入れていた場合、ここで殺してしまっては侯爵にとって取り返しがつかないことになる。

 いくら財務の高官と言えど、軍家が本気で牙を剥けば成すすべはない。

 だからこそ、本当に両家に知られていないかしっかりと確認が取れるまでは、自分たちを殺せないのだ。

 逆に言えば、それまでの命。

 どう長く見積もっても、明日の夜がせいぜいだろう。



 考えている中、ふいに屋敷内がにわかに慌ただしくなった。

 廊下には乱暴な足音や怒号が響き、それはしばらくすると落ち着いたが、今度は屋敷の外が騒がしくなる。

 しかも、屋敷の中とは違って、聞こえてくるのは怒号だけでなく、悲鳴とそして何かが破壊されるような大きな物音まで。



 侯爵の邸宅は貴族の住む区画にあるため、そうそう騒ぎなど起こるはずもない。

 区画全域は衛兵の巡回ルートであり、貴族も私的に兵士を雇っているため、トラブルが舞い込んでくることがまずないからだ。



 ……誰かと一緒に、いま何が起こっているのか考えたいところではあるが、同じく捕まっているリーシャは万が一にも魔法が使えないように猿轡を噛ませられているため、相談は不可能。

 しかも、事が起こっているらしいのは屋敷の裏手であるため、窓から外の状況を窺うこともできない。

 事態が把握できずもどかしく思っていると、ふいにゲストルームの扉が開いた。

 現れたのは巨猿を思わせる見た目と体躯の傭兵頭。



 彼は部屋に入るなり、



「お姫様方、襲撃だとよ」


「しゅ、襲撃……?」



 彼の言葉を聞いて、リーシャと顔を見合わせる。

 庭に傭兵を配置し、警備を一際厚くした侯爵邸。

 そこに襲撃をかける者たちとは、一体誰なのか。



 まさか父パース・クレメリアか、もしくはリーシャの父ジョシュアが異変に気付き、救援を送ったのか――



「どうやら、そっちのお嬢様の軟弱兄貴が、仲間を引き連れてきたらしい。無能なくせに命知らずなこったぜ」


「あ、アークスくんが?」



 リーシャの兄、アークス・レイセフト。

 確か彼は、さきほどの侯爵の話では封印塔に送られたということだった。

 封印塔は王国の獄の中でも特に警備が厳重な場所で知られており、魔導師でさえ脱獄は不可能だと聞いている。



 ならばどうやってその窮地を脱したのか。

 そしてどういう意図で、ここに襲撃を仕掛けたのか。



 それらを疑問に思っていると、再びゲストルームのドアが開いた。

 現れたのは、この屋敷の主、カーウ・ガストン侯爵だ。

 直前まで湯浴みでもしていたのか、バスローブに身を包み、身体からはほのかに湯気が上がっている。



 侯爵は開口一番、傭兵頭に訊ねた。



「頭。状況は? 何か問題でも起こったのか?」


「これはこれは閣下。問題なんてなんもありゃしませんぜ? いまは部下がことに当たっています。状況は万事問題なしでさぁ」


「侵入者と聞いたが、一体何者が侵入したのだ? 監察局の連中か? それともクレメリア、レイセフトの……」


「いえそれが、少し前にとっ捕まえて封印塔送りにしたあのガキのようです」


「バカな! レイセフトの長男だと!?」


「へえ、そのようです。部下からの報告では、間違いないと」


「一体どういうことだ? 何か手違いで放免されたか……いや、しかし書状は間違いなく息のかかった者に渡ったはず……」



 侵入者がアークスだと聞いて、侯爵は驚き、怪訝な表情を浮かべる。

 まさか封印塔から出てこられるなど、夢にも思っていなかったのだろう。

 ある意味当然だ。封印塔から脱獄できるなど、誰も思うわけがないのだから。

 自分も、いまだに何かの間違いなのではないかと思っているくらいだ。



「しかし、まずいことになったな……」


「心配することはありませんよ。あんなガキ如き、どうにでもなりまさぁ」


「そうではない。脱出して自由になっているということは、話がレイセフトの当主に伝わっている可能性もある」



 事情を知るアークスが自由の身になったならば、そう考えるのが妥当だろう。

 事の次第を親に伝え、父パースにも伝わるはず。

 だが、何故か傭兵頭は余裕な態度のまま。



「いえいえ、それはないかと」


「なぜそう思うのだ?」


「閣下。襲撃に来たのはあのガキを含めて三人だけのようです」


「なんだと?」


「これも間違いありやせん。もし当主に伝わっているなら……」


「襲撃をかけるにしろ、人員は揃えているはずだということか」


「へえ」



 確かにそうだ。捕まっていることを伝えたうえで救出に来るならば、もっと人を寄こすはずである。

 相手は上級貴族、その屋敷。生半なことでは突破できない。

 にもかかわらず、数はたったの三人だけ。

 侯爵邸に襲撃をかけるには、数があまりに少なすぎる。

 当主には伝わったが、人員を揃えられなかった……というのも考えにくい。

 そうであれば、まず準備が整うまで襲撃は控えるはずだ。



 つまり、



「妹がすぐに殺されると思って焦り、血迷ったか」


「そんなところでしょう」



 侯爵と傭兵頭の考えが決着した折、ふと廊下から切羽詰まったような足音が響いてくる。

 やがてノックもなしにドアが開かれ、そこから使用人が駆けこんできた。



「閣下! 閣下!」


「一体何事だ?」


「ぞ、賊……いえ、子供が屋敷に侵入しました!」


「子供? レイセフトの長男が一人でか?」


「はい!」


「ならば早く取り押さえろ! それくらい難しくもなかろうが!」


「それが、使用人ではまるで歯が立たず……いまは食い止めていますが」


「相手はたかが十歳そこらの子供だぞ!? 何も出来んことがあるか!」



 侯爵の怒鳴り声を聞いた使用人が、身を竦めて縮こまる。

 ふと、傭兵頭が低い声を出した。



「……おい、使用人。外の連中はどうした? 俺の部下がいるだろ?」


「は、はい……どうやらそちらは全滅したようで……」


「全滅だとぉ!? そりゃどういうことだ!」


「確かです。窓から窺っただけですが、あの様子では……」



 ――みな、亡くなっているかと。



 使用人の青ざめた顔から、力のない声が響く。

 侯爵や傭兵頭の表情に、今度こそ怖れが混じった。

 侯爵は傭兵を、かなりの数用意していたはずだ。

 警備のため人員が各所に振り分けられていたとはいえ――



「た、たった三人だぞ? しかも内二人はまだガキのはずだ……」


「警備に付いた傭兵たちは魔法で倒されたらしく、裏庭はまるごと氷漬けにされています」


「なるほど腕のいい魔導師を用意してきたってわけか……」



 傭兵頭が苦々しく吐き棄てる一方で、侯爵がテーブルを殴りつける。



「ええいっ! ……悪い予感が当たったな」


「っ、腕利きの手勢を揃えられるってことは、腐っても軍家の子供ってことなんでしょうかね…………だが、ガキ一人先行させるのは連中、下手を打ったかと」



 傭兵頭はそう言うが、侯爵は浮かない表情のまま、まだ油断を持っている彼に釘を刺す。



「頭、油断するな。おそらくあの子供は無能の皮を被った怪物だ」


「怪物、ね。じゃあ俺がその化けの皮を剥がしてやりましょう」



 侯爵と傭兵頭が会話する中、乱暴な足音と共に、使用人たちの怒号が響いてくる。

 剣撃でも行っているのか。しかし、二度、三度とは打ち合わないらしく、すぐに聞こえなくなった。

 金物がぶつかるような音が収まると、ゲストルームの扉が豪快に吹き飛ぶ。

 しかして、そこから現れたのは小さな影。

 リーシャに男の子の服を着せたような見た目の、銀髪赤目の少年だった。

 彼が、アークス・レイセフトなのか。

 貴族男子が着る華美な服に身を包み、右手には剣を持っている。



 彼は入って来るなり、部屋の中を見回して、



「リーシャ! 無事か!?」



 隣にいたリーシャが大きく頷いて見せた。

 彼女を見つけたアークスは安堵の表情を浮かべるのもつかの間、すぐに凛とした表情を侯爵たちに向ける。

 十歳そこらの少年がするには、随分と引き締まった面構え。

 これまで自分が見て来た同年代の貴族の少年たちの、誰とも違うまなざしを持っていた。



 アークスに向かって、侯爵が口を開く。



「貴様、一体どうやって封印塔を抜け出した」


「そんなの答える義理はないね。企業秘密ってやつだ」



 アークスはそんな軽口を叩きつつ、侯爵に向かって切っ先を突き付ける。



「侯爵、妹を返してもらうぞ」


「ガキが、この私に向かって舐めた口を……」



 侯爵がアークスの物言いに苛立っている最中、傭兵頭が間に割って入った。



「大人を連れてきて調子に乗ってるようだが、一人でここに来たのは間違いだったぜ?」


「そんなのやってみなけりゃわからないだろ?」


「いっちょ前な口叩きやがる。死んで後悔しな」



 傭兵頭が、背中の段平を抜き放つ。



「頭、人質を!」


「いりゃあしませんよそんなもの。剣も魔法も使えないガキに人質取る必要もありやせん」



 一方アークスは……侯爵に向けた切っ先を戻して、剣を両手に持って構える。

 自分の良く知る、王国式細剣術のものではない。剣自体が、ショートソードだからだろうが、貴族や貴族の子弟が剣を持ってこんな構えを取るのも珍しい。

 しかし、どうして様になっている。

 そういった剣技の心得でもあるのか。

 傭兵頭も「へぇ……」と興味有りげな声を出した。



一端(いっぱし)の構えを取るじゃねえか。さっきのへっぴり腰は演技だったな?」


「当ったり前だ。あんな構え取った日には伯父上に殺されるっての」


「は、なら遠慮しねえ!」


「――っ!!」



 傭兵頭は一気にアークスとの距離を詰め、斬りかかる。

 一方でアークスは、その踏み込みの速さに驚きながらも、剣を傾けて受け流した。



「ぐっ!」


「へっ、これだけじゃあないぜぇ!」



 …………巨大な体躯から繰り出される、大剣での斬撃。あの圧迫感を前にして、冷静に受け流すことができる子供が……いや、大人だったとしてもどれだけいるか。

 上から何度も振り下ろされる大剣を、見上げながらにかわし、受け流している。



「すごい……」



 そんな戦いが繰り広げられる中、気付けばそんな声を漏らしていた。

 アークスはその場に止まることを嫌い、部屋の中を動き始める。

 椅子やソファ、テーブルなど調度品があるにもかかわらず、かわしたり、乗っかったりと、縦横無尽。と、と、と、とリズムよく、巧みなバランス感覚で飛び回って傭兵頭の剣撃を回避する。片足立ちになっても、身を小さくかがめても、体勢を崩すことはない。



 弛まぬ訓練の賜物だろう。



 傭兵頭の方はと言えば、アークスがわざと家具調度品のある方に逃げているため、動きを制限されている。

 だがそれでも、大人と子供では歴然な差があった。

 腕の長さ、武器のリーチ、身体能力。

 防御がいくら上手くても、それらの要因のせいでアークスは攻めに入れない。

 どころか、圧されているのが目に見えてわかる始末。



「おらっ、おらっ!」


「く、そ……このっ……」


「ハ――防御は一端のようだが、攻めなきゃ相手には勝てんぜ! おらぁ!!」


「くそ……ぐあっ!?」



 傭兵頭がアークスの見せた隙を突いて、蹴りを繰り出す。

 剣での防御は間に合うが、上手く受け流せずに衝撃をもろに受け、部屋を転がった。

 だが、アークスはすぐに立ち上がり、剣を構える。

 そんな彼に、傭兵頭はさらに剣で打ちかかる。



「ガキのくせに舐めた真似しやがって! 結局はこのざまじゃねえか! あ!?」


「くそっ……」


「お前みたいな雑魚はな! 雑魚らしく隅っこで小さくなって強えヤツの邪魔にならないようにしていればいいんだよ!!」


「ぐ、う……」


「この無能のガキが!!」


「ガッ……!?」



 アークスはしたたかに打たれて床を転がるが、また同じように立ち上がる。

 そんな彼の姿を見て、ふと思う。

 あんなに強い相手を前にして、



「どうして……?」



 彼はどうして、立ち上がれるのか、と。



「どうして……?」



 彼はどうして、剣を構えることができるのか、と。

 自分はあのとき、自分の実力が傭兵に劣っているということがわかり、すぐにあきらめてしまったというのに。



 そう、自分が信奉する『機先』が、戦いの答えを見せてしまったために。



 それを、疑うことなく信じたために。



 ……腕力、体力、剣の実力、それらが劣っていれば、相手に勝てないのは明白だ。



 なのに、彼は立ち上がる。



 ああやって、痛みを負うにもかかわらず。



 ああやって、傷を負うにもかかわらず。



 アークスの防御に遅れが出て来たところで、傭兵頭が大振りの一撃を繰り出す。防御は間一髪間に合うが、その代わりアークスは大きく弾き飛ばされた。

 広いゲストルームの床を転がり、壁際へ。



「はぁ、はぁ……」



 激しい動きの連続で、息が上がってきたか。

 身体は傷だらけで、見ているのも辛くなる。



 だから、自分は耐えきれず、叫んでしまった。



「もうやめて!」



 そんな風に、あきらめてくれと。



 もう、あきらめてもいいのだと。



 アークスが怪訝そうな表情を、こちらに向ける。



「……?」


「これ以上やっても敵わないのは、あなたほどの実力があるならわかっているでしょう!? もうやめて!」


「心配してくれるのはさ、ありがたいけど、ここでやめたら、ダメ、だろ……」



 そう言って、アークスは口元に笑みを浮かべる。

 なぜそこまで食い下がれるのか。

 敵わないと答えを突き付けられて、それでもなお。

 どうして。どうして。どうして。

 そんな風に、立ち上がれるのか。



「――俺は、諦めない。たとえ魔力が少ないって言われようと、無能だって言われようと、足掻いてみせる、さ……」



「あ…………」



 彼のその言葉を聞いて、ふと、いつか聞かされた父の言葉を思い出す。

 『機先』が見えたとしても、それが絶対というわけではない、と。

 たとえそれによって見えたものが、己の敗北であっても、諦めない限り結果は変えることができるのだ、と。



 それを決して、忘れるなと。



「ははははは! 笑わせるぜ! こりゃあガキのいいかっこしい極まれりだな! だが、そろそろ観念したらどうだ? 敵わないことは目に見えてるだろ? お姫様だってああ言ってるんだ」


「だからってそう簡単にあきらめて堪るかよ……」


「じゃあ一足先に死にな」



 傭兵頭が剣を構えたまま、アークスに向かってゆっくりと近づいていく。



「手間をかけさせおって……頭」


「へい。了解でさぁ」



 侯爵が一瞥し、残虐な笑みを見せた、そんなときだ。

 ふいに目の前に、ある『機先』が瞬いたのは。



「あ……」



 その光景に、声が漏れる。

 もう、彼への制止の声は要らなかった。



「……確かにお前の言う通り、真っ向からやっても敵うわけない。そんなの初めからわかってたんだよ」


「なら大人しく――」


「だからこそ、こうして最後まで隠し通したんだっての」



 アークスはそう言って、傭兵頭を指さした。

 普通に人差し指を伸ばす形とも違う、親指を立てたもの。



「あん? なんだそりゃ?」


「これか? これは■■って言ってな」


「あ?」


「わざわざ端っこまでぶっ飛ばしてくれてありがとう」



 アークスはにやりと不敵に笑って、何かを呟く。



『――■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■』


「まほ――っ!? だがそんな魔力の少ない魔法で俺がどうにかなるとでも!」


「■■■■■■■■■■■■■■――うっせぇ脳みそぶちまけろっての!」



 バン!

 乾いた音が室内に響く。

 アークスの魔法に、しかして傭兵頭は反応できなかった。

 いや、あの一撃は、誰であろうと反応できないだろう。

 その『機先』を見た自分ですら、傭兵頭がなぜ倒されたのかわからなかったのだから。

 アークスは人差し指の先を口元に立てて、指先に燻っていた煙をふうと吹き消す。



「ほんとこの魔法は役に立つよ。スウには後でお礼言わなきゃだ」



 アークスはそう言って、くずおれる傭兵頭の身体と入れ替わりに、立ち上がった。




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