第三十二話 恐ろしい子供
アークスが傭兵に気絶させられたそのあと。
ゲストルームにいたシャーロットたちは、侯爵の部下に武器を奪われ、いまは後ろ手に縛られていた。
リーシャとは隣同士、ソファの上だ。
見張りは付けられておらず、いまは二人きり。
扱いはぞんざい。
貴族の子女に対する扱いでも、人質に対する扱いでもない。
縄で縛って猿轡を噛ませていれば、部屋に残しておいても問題ないと思ったのだろう。
その通り、刃物がないため縄を切ることもできず、腕の自由が利かないためリーシャに付けられた猿轡を外してやることもできない。
「リーシャ、大丈夫?」
訊ねると、リーシャは銀髪を揺らしてこくりと頷く。
だがその表情に元気はなく、どこか申し訳なさそうな雰囲気が感じられた。
真面目な彼女のことだ。こんなことになったのは、自分のせいだと責任を感じているのだろう。
そんなリーシャに、
「リーシャ、あなたのせいじゃないわ」
そう優しく語り掛ける。
悪いのは不正をした侯爵。
そのうえ往生際も悪く、自分たちを捕まえて悪事を隠蔽しようとしている侯爵なのだ。
リーシャが気に病むことではない。
これは、貴族の跡取りとしての教えを全うしようとした結果なのだ。
それを、同じ貴族である自分が、どうして責められようか。
正しい行いの結果なのだ。胸を張っていい。
そう語り掛け、リーシャの罪悪感を和らげていると、侯爵が客間を訪れる。
どうしたのか。緊張で身を固め、身構えていると、ふと侯爵は小さな笑みを見せた。
「随分と時間がかかったが、ようやくことが落ち着きそうだ」
入って来るなり、そんな妙な言い回し。
アークスが到着したため、侯爵は彼に会いに行ったのだが、もしその言葉が正しいなら――
「アークスくんは証拠を持って来なかったということですか?」
「クレメリア家の姫君は聡明だな。その通りだよ。彼は私が欲しがったものを持ってこなかった」
だが、そうなると、だ。
「ではアークスくんはどうしたのですか!?」
「暴れようとしたのでな。いまは眠ってもらっている。あとは、封印塔に送るだけだ」
「ふ、封印塔?」
封印塔。それはまさか【天界の封印塔】のことか。
だが、なぜ罪人でもない、しかも子供のアークスを、そんなところに送ろうというのか。
「侯爵さま、貴族の子弟を何の理由もなくそんなところに送ったら……」
当主が黙っていないのでは、と口にしようとした折、
「ふむ? どうなるというのかね? レイセフトの当主はアークス・レイセフトがそんなところに入ったところで、きっと気にもかけないだろう。当主が子息を無能と言って疎んでいるのは、有名な話だ。むしろ逆に喜んでくるのではないかな?」
「それは……」
口ごもり、リーシャに視線を向けると、彼女は沈痛そうに俯く。
ならば、侯爵の言う通りだということだろう。
レイセフトの当主ジョシュアは、自分の息子を相当毛嫌いしているらしい。
侯爵とやり取りをしているそんな中、ふいにゲストルームのドアが開く。
現れたのは、段平を持った大柄な男――傭兵頭だ。
傭兵頭は部屋に入るなり、大きな身体を前倒しに傾ける。
「――閣下、失礼しやす」
「頭か。どうした?」
「へえ。ガキを封印塔へ送る手はずが整いやした」
「そうか」
それは、アークスを封印塔に送る手筈か。
傭兵頭は侯爵とそんな会話を交わしたあと、ふとこちらに近付いてくる。
そして、リーシャの前に立って、下卑た笑みを見せてきた。
「お嬢ちゃんの兄貴を捕まえたのは俺なんだがな、あのガキ面白かったぜ? 剣もまともに扱えないクセに俺に剣を向けて、しかも、あんなへっぴり腰で吠えてきてよ――」
……傭兵頭は、子供を甚振りたいのか、リーシャの前でアークスに対する侮辱の言葉を並べ立てる。
剣もまともに扱えないのに、向かってきたこと。
勝てないことがわかってからは、やたらとしおらしくなったこと。
あんな意気地のないガキを見るのは初めてだった、と。
尊敬する兄を侮辱されたことで、リーシャの顔が怒りでほのかに赤くなり、傭兵頭を見つめる目も鋭くなる。だが、傭兵頭はそんなリーシャの態度が面白いのか、玩弄するような笑みをさらに深める。
……以前、リーシャはアークスのことを努力家、素晴らしい魔法の使い手と言っていたが、やはりあの話は、身内のひいき目だったのだろうか。
偽の証拠を持って、単身侯爵に挑みに来たことは勇気ある行動だとは思うが、結局捕まってしまったら意味がない。
ふとそこで、傭兵頭が、
「――しかもあのガキ、軍家の一員のくせに魔法も使えないんだぜ? 情けねぇ声で、火よ。出ろ! だってよ! いやあれは傑作だったぜぇ!」
「……?」
傭兵頭の下衆な笑い声が、室内に響く。
だがその話は、以前リーシャから聞いたものと違っている。
アークスは、魔法を使えるはずだ。
しかも【火閃迅槍】という、戦争で使われる魔法を改良したものを。
ならば、だ。
どちらかが嘘をついていることになる。
だが、真面目で誠実なリーシャがそんな見え透いた嘘をつくというのは考えにくい。
ではこれは、一体どういう齟齬なのか。
そんなことを考えていると、突然侯爵がリーシャの顔を覗き込んだ。
そして、いつになく厳しい顔で、彼女に訊ねる。
「……リーシャ嬢、君の兄は、本当にそんな無能な子供なのかね?」
「…………」
侯爵は同じ疑問を抱いたのか。
しかしリーシャは猿轡を噛ませられているため、言葉を発することができない。
侯爵の問いかけに、リーシャは首を縦にも横にも振らない。
黙って侯爵の視線を受け止めている。
すると、傭兵頭が、
「閣下。随分あのガキのことを警戒しやすね」
「……いや、アークス・レイセフトの態度が気にかかってな」
「態度……ですかい?」
「頭。アークス・レイセフトは丁寧で穏やか、世間知らずで良家の子女そのものだ。そうだったな?」
「へい。確かにあのガキは、貴族のボンボンそのものでした。間違いありやせんね」
「だが、あれは私とまみえたとき、怯まなかった。少しもな」
「怯む? 閣下は、何かしたんで?」
「私はあのとき、アークス・レイセフトを強く威圧したつもりだ。だが、あれは私に怯えることなく、そのまま会話に移った」
……カーウ・ガストン侯爵の威圧感は相当なものだ。その体躯もそうだが、これまで王国の中枢を担っていく中で培ってきた威風は、下手な兵士よりも凄みが利いている。
軍家の当主に匹敵するとまでは行かないが、それでも子供が受け止めきれるものではないはずだ。
ふと、侯爵は何かを確かめるように、自分の顎を手でさする。
「それに、だ。アークス・レイセフトを別の場所に送ると言った途端、何故か急に態度が変わっただろう?」
「そう言やあ……」
「妹を返さないと言ってもろくに暴れなかったのに、あのときから急に、口調までも変わった。まるで目的にそぐわなかったからと言わんばかりにな」
「だから、封印塔へ送るとおっしゃったので?」
「それだけではないが……もしアークス・レイセフトの本当の目的が、二人に合流することだったならと思ってな」
「閣下、いくらなんでもそれは考えすぎだと思いやすぜ? あの年頃だ。なにかありゃあ短絡的に暴れるに決まってる。それでも暴れなかったのは、暴れる力がないからでさぁ。あのガキが何か爪を隠してるとも思えません」
「だといいのだがな……」
侯爵は瞳に言い知れない憂慮を湛えながら、窓の外を眺める。
その先には、国王陛下が居る王城があった。
そんな場所を、一体何を思って見詰めているのか。
傭兵頭が怪訝そうな表情で、自分が抱いた疑問を代弁した。
「閣下? いかがしやした?」
「……頭。お前は恐ろしい子供を見たことがあるか?」
「恐ろしいガキ、ですか?」
「そうだ。私は見たことがある。――この国の王太子だ」
「はぁ。天才と名高いって話の、あのですかい?」
「そうだ」
ライノール王国王太子。
その人物は、自分たちと同じような歳の頃ながら、王国始まって以来の天才だと言われている。
王族が、新しく生まれた元首の子を過剰に持ち上げるのは、往々にあることだ。
天才、双精霊の愛し子、麒麟などは、彼らを飾り立てるのによく使われる。
基本的には王国内外に対する王家の力の誇示の一環だと思われるが、王族自体が強力な力を持つ者たちであるため、あながち話を盛っているとも言い難い。
ふと、侯爵はこちらを向いて、
「シャーロット姫の態度も、リーシャ嬢の態度も、年相応ではないが貴族の教育に沿ったものだ。まだ幼くとも教育さえ施せば、この二人のように振舞うようには仕立てあげることができる。だが、王太子は違う。視野が広く、誰かに強要されたものではない確固とした意志がある。年齢にそぐわぬ威風もある。まだ、十かそこらの歳であるにもかかわらずだ。殿下を前にすると、子供を相手にしているような気がしない」
「ですが、結局は人間でしょう?」
「……王族を前にしたことのない者は口を揃えてそう言うのだ。王族がどれほど力を持っていても人間であることに変わりない。怖れを抱いてしまうのは、周囲の空気に感化されているだけに過ぎないのだ、とな。だが、あれらは、我らとは違う。人間ではないのだ。支配者という、まったく別の存在なのだよ」
侯爵は王太子の持つ威風を思い出したのか、頬に一筋、怖れの汗が流れる。
「では閣下。国王陛下も?」
「頭。殿下ならまだしも陛下のことを口に出すなど恐れ多い。慎め」
侯爵の顔がひどく強張る。
その緊張は、傭兵頭を叱責するためのものではなく、国王を怖れてのものだ。
それだけ国王陛下の威風が、恐るべきものなのだろう。
「……王国王太子。あの面紗の奥には、一体どんな顔が隠れているのだろうな。どんな想像を巡らせてみても、空虚な闇がぽっかりと口を開けているばかりよ」
「……閣下、なぜ急にそんな話を?」
「いやなに。アークス・レイセフトも、あれと似たようなところがある。無論殿下とは比較になるようなものではないが、あれも殿下と同じように、子供を見たような気がしなかったのだ」
侯爵はため息を吐くように言葉をこぼしたあと、また顔を覗き込んでくる。
迫って来る無表情に、嫌な予感が背を走る。
そして、
「こうなった以上は、君たちには死んでもらうことにする。悪く思うな」
それは、いつか来るだろうと思っていた自分たちへの最後通牒だった。




