第三十話 悪い予感は当たるもの
――それは、随分前から日課にしている【座禅】を組んでいたときだ。
一人、部屋の真ん中でいつものように、瞑想に陥り、何も考えていない状態を維持していると、使用人が届け物を持って来た。
ノア以外の他の使用人が直接、というのは最近では珍しい。ノアが屋敷に来てからは、自分のことは何事も必ずノアを通すようになったのだが――それだけ急ぎの用だったのか。
しかしてもたらされた届け物は、一枚の封筒だった。
持って来た使用人に、なんなのか訊ねる。
「これは?」
「わかりません。アークスさまに必ず渡せと」
「……俺に?」
「はい」
「これ持って来たのはどんなヤツだ?」
「ええと、身なりは良かったかと……」
使用人の言葉は、要領を得ない。ということは、相手が何者か名乗らず、確認もしなかったということか。仕事が適当な気がしないでもないが……咎める者もいないため、そこまで気を遣う必要もないと思ったのだろう。
「名乗らなかったんだな?」
「はい」
一応確認のため訊ねると、肯定が返って来る。
しかし、封筒か。おそらく中身は手紙かなにかだろう。そんな物を寄こしてくる相手など、いまのところ伯父くらいしかいないが――
「……リーシャはいまどこにいる?」
「……? リーシャお嬢さまですか? お嬢さまは午後からお出かけになられていますが……」
「……そうか。わかった。もういいよ、ありがとう」
礼を言うと、使用人は一礼して部屋から去って行った。
ぺらりぺらりと見るのは、封筒の裏表。やはり、記載はなにもない。
一瞬、リーシャに証拠を預けた役人からの手紙かとも思ったが、すぐにそれはないなと否定する。相手がその役人ならば、これはリーシャへの届け物となるはずだ。
リーシャに渡したのだから、リーシャに返却を求めるのが筋というもの。
だが、その件とはまったく関係のない、自分あての手紙ならば、持って来た相手が名乗らないというのはおかしい。
悪い予感が、腹の奥で重く膨れ上がる。
それは、考えられる可能性の中で、最悪のもの。
これは、まずい話になってしまったか。
机に座り、ペーパーナイフを用意して、急いで封筒を開ける。
見れば、中には一通の手紙が。
そしてやはり、そこには予想していたことが書いてあった。
――妹から預かった物を指定した場所へ持ってこい。両親には伝えるな。もし伝えれば、二人を殺す、と。
「っ、くそっ!!」
バン、と机を叩く。
自分が証拠を預かっているのを知っているのは、リーシャだけだ。にもかかわらず贈られたのは、自分に対しての書状。そのうえ殺すという文言。これは十中八九、リーシャに証拠を渡したという役人ではない。
ならば、送り主は不正の証拠の出所だ。
カーウ・ガストン侯爵しかいない。
だが――
「二人を殺す……他に誰か知り合いが巻き込まれた?」
手紙には、確かに二人と記載があった。
もしかすれば、同行していた誰かが、巻き添えを食ったのかもしれない。
部屋で手紙を見つめて唸っていると、ふとドアがノックされる。
やがて、ドアの外から通って来た声は――
「アークスさま、よろしいでしょうか?」
「ノアか。ああ、いいよ」
許可を出すと、ノア・イングヴェインが、ドアを開けて現れる。
入り際に、ふわりと漂うシトラスのような香り。
ショートボブにした藍色の髪、黄金色のモノクルをかけた美貌。格好はいつものようにモーニングコートで決めており、今日も文句の付け所のない出で立ちだ。
ノアは優雅に一礼すると、問いかけを発する。
「先ほど、部屋からシェリが出て行きましたが、なにかありましたか?」
届け物を持って来た使用人を、ちょうど見たのだろう。
「……これだ」
「手紙、届け物ですか?」
ノアの訊ねに対して頷き、届けられた手紙を投げ渡す。
ノアは手紙に一通り目を通すと、すぐこちらを向いた。
「アークスさま、これは……?」
「リーシャが夜会に行ったときに、侯爵の不正の証拠だとか言われて、持って来たんだ」
隠していた証拠を引っ張り出しながら、ノアに事の次第を説明する。
リーシャが証拠を預かったということ。
さらにそれを、自分が預かったということ。
一通り話を聞いたノアは、やはり渋い顔を見せる。
「……そんな大事なことを黙っていたのですか」
「ごめん。まさか向こうにバレるとは思わなかったんだ」
このまま役人が取りに来ていれば、影響が出ることもないだろうと思っていたのだが、まさか先に侯爵が嗅ぎつけてしまうとは思いもよらなかった。
「言いたいことはいろいろとありますが――それはあとにしましょう」
「ああ」
「事が露見したということは、まずその使用人に何かあったということになりますね」
「……そうだな。そうなんだろうな。くそっ……」
ぎり、と奥歯が鳴った。
リーシャを巻き込んでおいて、危険な目に遭わせるとは。捕まって口を割ったか、侯爵の勘が良すぎたのかは定かではないが、これでは文句だけでなく、ぶん殴ってやりたい気分だった。
「リーシャさまが攫われているというのは事実です。ご両親にご報告しますか?」
「いや、それはちょっと待ってくれ」
「しかしアークスさま。この殺すというのは、脅しの範囲を出ないかと」
「ああ。それは俺もそう思う」
ノアの言う通り、まさか子爵家の令嬢を殺すなどという暴挙に出ることはないだろう。
やるにしても、まずレイセフト家を謀略で陥れてから、という前準備が必要になる。
証拠をすべて隠滅されれば、その限りではないだろうが。
「ことがことですので、誰かに伝える必要はあるかと思います」
「ああ。だからまず、伯父上に伝えて欲しい」
持っている権力は、父ジョシュアよりもクレイブの方が上だ。いざというときの対応も、クレイブの方が、だし、なにより両親に伝えれば、屋敷で騒ぎになる可能性もある。そうなれば、向こうもなんらかの行動を起こしかねない。
……人質まがいのことに出ているということは、侯爵側も多少なり焦っているということだ。こちらの手持ちには帳簿の一つがある。それなりに重要視しているのだろう。
「――そのうえでだ。ノア、俺は呼び出しに応じようと思う」
「従ったところで、そんな連中は約束を守りはしないと思いますが」
「だろうなぁ。証拠を確保したら、俺まで捕まえるはずだ」
「それを理解したうえで、応じると?」
「いや、証拠は持っていかないんだけどさ」
一応はこちらも、考えなしというわけではない。
「では、いかにすると?」
「要は捕まったふりをして、リーシャたちと一緒に抜け出してこようって考えさ。まさか俺まで魔法を使えるとは思ってないだろうし」
魔法先進国である王国でも、魔法を学び始めるのは十二~十四歳ぐらいからだ。
十歳程度の子供が魔法を使えるとは、普通考えが及ばない。軍家の子息であるため、一応は警戒するかもしれないが。魔法を使うことができるだけ、という程度にとどまるだろう。
「ですが、引き合わせられない可能性もあります」
「ああ。だから、俺がそうやって時間を稼いでいるうちに、ノアには別に動いてもらいたいんだ。これからすぐに侯爵邸を、リーシャの居場所を探って欲しい。ノアならできるよな?」
「できないと言ってもやらせるのでしょう?」
「当然」
「はぁ。お腹が痛くなってきましたね」
「錯覚錯覚。それで、リーシャの居場所を把握したら――」
「クレイブさまにお願いして、動いてもらうということですね」
「そういうこと。少なくともどこにいるか掴まないことには、突入もできないだろうからな」
侯爵邸に押し入って、もぬけの殻でした、であればとんでもないことになり兼ねない。
だからこそ、下調べをしてもらわないといけないし、その時間を作り出さなければならない。
……いま自分が取れる選択肢は限られている。
いずれにせよ、こうなった以上は相応の権力を持つ誰かに頼らなければならないのだ。
――だが、結果それで解決なのか。
「…………」
ふとそんな言葉が、頭の中に降って湧く。
確かにいま自分が最優先にしなければならないことは、リーシャを助けることだ。
しかし、それが達成されたとしても、もやもやが残る結果になることは間違いない。
まず考えなければならないのは、この件が何を以て一件落着となるのかだ。
リーシャを侯爵から助けるだけなのか。
侯爵の不正を明らかにするまでなのか。
いや、この件の終着点は、きっとそこではないはずだ。
「…………」
「アークスさま?」
この件はまず、ことの発端にまで遡るだろう。
裏帳簿の方は別としても、他の雑多な不正の証拠に関しては、ガストン侯爵ほどの大貴族ならば簡単に揉み潰せる程度のものだ。
これを集めていたのは役人――おそらくは監察局の人間なのだろうが、そんな役に立たないものを揃えてなにをしようとしていたのか、ということになる。
告発するにも当然根回しが必要だし、侯爵は国の中枢を担う人間だ。
よほどのことがなければ罪に訴えることも難しいはず。
この程度の証拠ならば、裏帳簿も合わせても致命的には程遠い。
にもかかわらず、このタイミングで行動に出た。
もっと重要な証拠が手に入るかもしれないのに、その機会を捨てたというのは、その役人が無能なのか、それとも考えあってのことか。
それにだ。その役人が、『リーシャがジョシュア・レイセフトの娘』だと知っていて預けたことについてもわからない。
――部屋の周りを、何か得体の知れないものがうぞうぞと蠢いているような気分になる。
これは、水面下で何かが動いていることへの警鐘なのか、ただの思い込みの錯覚なのか。
いずれかは定かではないが、ともあれ。
「……ノア。他に少し調べて欲しいことがある。そっちも頼んでいいかな?」
「まだあるのですか? 人使いが荒いご主人さまですね」
「伯父上よりはマシだと思うけどな」
「いまからこうだと、先が思いやられるということですよ」
ノアはそう言って、呆れた息を吐く。このやり取りも、最近ではいつものことだ。
なんだかんだ言いつつも、彼はきっちりやってくれるのだから。