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第三話 涙と反骨心



 アークスがリーシャと遊んであげた、翌日のことだった。

 アークスは母親であるセリーヌから呼び出しを食らい、彼女の部屋でヒステリックな怒鳴り声を浴びせられていた。



「リーシャに近づくなと言ったでしょう!」



 金切り声が、頭の上から襲ってくる。

 叱責の理由はもちろん、先日アークスがリーシャと遊んであげたためだ。

 それがセリーヌの耳に入り、こうして怒鳴られているのである。

 こうなるとアークスが取れる行動は限られる。


 俯いて縮こまり、謝罪することだけだ。



「申し訳ありません」


「謝って済む問題ではありません! お前のような無能がリーシャに近付いてリーシャにまで無能が感染(うつ)ったらどうするのですか!」



 言うに事欠いて無能が感染するとまで言うか。

 そんなわけはないだろう。


 そう思った直後、顔に平手打ちを受けた。

 悔しさと悲しさが込み上がって来るが、ここで反抗したところでどうしょうもない。



「……申し訳、ありません」


「いいか! お前のような! 汚らわしい犬が! リーシャに! 近付くな!」



 そんな言葉の直後、また平手打ちが、何度も何度も飛んでくる。



「……ッツ」



 唇を噛んで痛みに耐える。



「ああ……どうして神は私にこんな無能を授けたのでしょう……ラズラエル家の跡取りはあれほど魔力に恵まれているというのに」



 セリーヌは、ハンカチで目尻を拭う仕草を見せる。

 言葉と相俟って、まるで自分を悲劇のヒロインと重ね合わせているかのよう。



 だがセリーヌはそんな嘆きもそこそこに、またキーキーという金切り声を上げた。



「次そのようなことをしてみなさい! お前を魔法の的にしますからね!」


「はい……」



 ……やがて、母親の勘気から解放されると、アークスは部屋を辞した。

 自分の部屋に行く途中、使用人たちのひそひそ話が聞こえて来る。



「ほら、出来損ないが出て来たわよ」


「見ろよあの顔。奥様に怒られていまにも泣きそうだぜ?」


「嫌だわ。歴史ある子爵家に生まれたのに、あんなに魔力の量が少ないなんて」


「あんな恥さらし、いますぐにでも追い出してしまえばいいものを」



 使用人ですらこれだ。魔法の才が低いと言うだけで、陰口はおろか態度にまで出してくる。

 救いなのが、使用人すべてがこのような態度ではないことか。アークスを貶すのは、魔法が使える使用人だ。それ以外の魔法の使えない使用人は、同情的でいてくれる。



 自分の部屋に戻りドアを閉めると、ふと足から力が抜け落ちた。

 緊張の糸がほどけたためか。足ががくがくと震え始める。



「どうってことないさ。どうってことは……ふふ」



 ……そう、なんてことはない。一度、二十年以上の人生を体験したのだ。

 ぶたれても、親から嫌われても、どうということはないのだ。

 決して。

 なにも。

 感じることはない。

 母親など、他人だと思えばいい。

 男を育てたあの優しい母親が、アークスの実の母親なのだ。そう思えば、悲しいことなど一つもない。うらやましくなんて、ないのだ。少しだって。欠片だって。



「……ぐす」



 ふいに、目頭が熱くなる。

 口から嗚咽が漏れてからは、もう止めることはできなかった。



「う、うう、う……」



 口から、悲しみの声が、堰を切って溢れていく。どうしてこんなに冷たくされるのか。ついひと月前までは、あれほど可愛がってくれていたのに。頭を撫でてくれて、抱きしめてくれて。わがままを言っても、笑って許してくれて。それなのに。いまでは無価値だと、いらないものなのだと、そんな目で見て来るのか。腹を痛めた子供に対する、親の情はないのか。



 才能がないと言うだけで、勘気に任せて怒鳴るのが正しいのか。

 手を上げて、暴力の的にするのが、普通なのか。

 男の人生を追体験したのだ。以前の自分ではない。なのに、なのにだ。男には我慢できるような事柄が、いまの自分には我慢できない。

 どうしてなのか。

 男の人生を、自分も追いかけたというのに。

 男の人生には、嫌なことも沢山あった。

 小学校ではいじめられ、中高はそのことを踏まえへらへらしている道化となり、大学でやっとまともに見られるようになるまでずっと我慢の生活だった。



 耐えることには慣れている。



 慣れているはずなのに、どうしてアークス(じぶん)には耐えることができないのか。



「う、うぁあああああああああああああ!! ああああああああ!!」



 抑えられない感情が、叫び声と涙となって溢れていく。

 声が嗄れても、涙が枯れても、ずっと扉の前でうずくまっていた。











 ……いつまでそうしていたのだろうか。



 気が付けば、高かった日はすでに隠れ、窓の外は暗くなっていた。

 ふと扉を開けると、台車の上に食事が置いてあった。

 味方でいてくれる使用人たちが気を遣ってくれたのだろう。

 泣き疲れて腹が減っていたのか、食事を摂ることには抵抗がなかった。



「魔法、か……」



 冷めてしまったスープに黒パンを浸しながら、ふと呟く。

 魔法、そう、魔法だ。自分がこんな目に遭ったのも、すべて魔法が関わっている。魔法の才がなかったから、跡取りから外された。魔法の才がなかったから、親の愛情が冷めた。



 そう思うと、胸に一つ、生まれるものがあった。

 いつか誰もが驚くほどの魔導師となって、自分に冷たくした両親を見返してやるのだと。

 乱暴に黒パンにかぶりつく。

 見返してやるなど子供のような考えだが、それも悪くない気がした。



 ただ、



「……ハンバーグ、食べたいなぁ」



 そんな風に思うくらいは、許してくれるだろうか。





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