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第二十九話 シャーロットの敗北



 ――シャーロットが貴族の屋敷が並ぶ区域から出て、しばらく。



 大店(おおだな)が立ち並ぶ商業区へ差し掛かり、さて今日はリーシャとどの店を見て回ろうかと話していたそのときだった。

 突然、バタバタと石畳を忙しなく踏む音が聞こえて来る。

 同時に、周囲の曲がり角や背後から、男たちが複数人、姿を現した。

 何事か。

 そう思う間もなく、男たちはみな、示し合わせたように自分たちを取り囲んだ。



「な――」


「シャーロットさま、これは……?」



 リーシャが困惑を表情に浮かべ、不安そうな声を上げる。

 現れた男たちの数はきっちり十人。前や後ろ、横道までも塞がれてしまい、逃げ場はない。

 都合の悪いことに、周囲には他に誰もおらず、人に知らせることもできない。



 その連携の取れた動きを見て、すぐさま理解が及ぶ。

 これは、偶然のものではない、と。

 自分たちを取り囲むという、確固たる意図があっての動きだ。

 そもそも動き自体秩序立っており、まったく無駄がなかった。



 護身用に持っていた細剣の柄に手を置き、声を張って訊ねる。



「なんですあなた方は!」


「そんなことお嬢ちゃんたちが知る必要はないぜ」



 叫びの訊ねを放つと、そんなことを言いながら、一人の男が前に出て来る。

 この集団の頭目なのか。腹が少し前に出た、大柄の男。しもぶくれの顔の下半分は無精ひげで覆われ、清潔さはまったくなく、この辺りの区画に出入りする者にしては随分と汚らしい。



 視線を落とせば、王都の衛兵が身に付けるものとはまた違う防具を身に付けている。

 革製の胸当てに、鉄製の籠手、背中には巨大な段平。古いもの、新しいもの、種類も全てちぐはぐな装備だ。



 出で立ちからして、貴族や商家の縁者とは到底思えない。

 他の者も大柄の男と似たような格好。その点だけを見れば、揃っていると言えるだろうが。



 ともあれと、リーシャを背後に庇い、前に出る。



「……一体なんのつもりですか?」


「なに、お嬢ちゃんたちにはちょっとばかし、俺たちと一緒に来て欲しいんだ」


「そう言われて付いて行くとでも?」



 不躾に近づいてくる大柄の男に向かって、細剣を抜き放ってその切っ先を顔に定める。

 だが、大柄の男はまるで意に介さず、子供に玩具の剣でも向けられたかのように侮った笑みを向けるだけ。



「おうおう勇ましいな。さすがは軍家のお姫さまってとこか。だが、お姫さま一人でこの数をどうにかできるかな?」



 大柄の男はそう言って、げらげらと笑い出す。

 下品な笑い声だ。それに釣られたのか他の者も笑い始める。

 そんな中、ふと大柄の男がリーシャに視線を向けた。



「おおっと。お嬢ちゃんがレイセフト家の人間だってことはわかってるんだ。こっちにも魔導師は用意してあるぜ?」



 顎をしゃくって見せる大柄の男。

 どうやら、リーシャが魔法を使おうとしたのを察したらしい。



 「魔導師は用意してある」の言葉通り、男たちの中には、それらしい格好をした者が数名いた。本当に魔導師なのか確かめる術はないためハッタリの域を出ないが、嘘をついているような態度ではない。



 いや、そもそも――



「私たちが何者か知っているのですか!?」


「まあな」


「なぜ……」



 だが、自分が軍家の子女であること、リーシャがレイセフトの子女だとわかっている以上、この者たちがただの行き当たりばったりな人攫いの集団ではないということがわかる。



 つまり、貴族を相手取ることをわかったうえで、ことを起こしているのだ。



「さて、まずお姫さまは剣を収めな。なに、大人しくしてくれれば危害はくわえねぇよ」


「そう言われて簡単に剣を収めるとでも?」


「じゃあやるかい?」



 大柄の男はそう言って身体を軽く傾け、背中の段平を抜き放つ。

 立ち会うと言うのか。

 こちらとしては、望むところ。



「しゃ、シャーロットさま……」


「大丈夫。私に任せて。私があの男を倒したら、すぐ逃げるのよ」


「ですが」


「あんな男なんて、ものの数じゃないわ――」



 そう、不敵に言い放つ。これは強がりではなく、本心だ。倒す自信はある。

 いや、自分が倒せないわけがないのだ。

 これまで、道場では何度も、多くの大人を倒してきた身。

 決して敵わないとは思わない。

 そう、自分には天稟がある。

 未来のごとき先を見ることのできる、最強の天稟が。



 しかしリーシャは不安そうだ。



「何か算段でも立ててるのか?」


「ええ。あなたを倒す算段よ」


「そいつは怖い」



 大柄の男は、やはり侮った笑いを浮かべている。

 まるで、子供の強がりを見ているように。

 確かに、体格差は余りある。

 しかし、これでも自分より背丈の大きい相手と戦うことには慣れているのだ。

 できる。

 戦える。

 倒せる。



 ここでこの集団の頭を打ち倒せば、突破口が開けるかもしれない。



 そう、思っていた。

 剣を互いに向け合った直後、目の前に閃いた【機先】を見るまでは――



「あ……」



 図らずも、声が漏れてしまう。

 しかして幻影のように見えたのは、自分が男の剣で殴打され、吹き飛ばされるという幻像(もの)だった。


「どうした? 急にやる気がなくなったな? もしかして敵わないことがわかったのか?」


「…………」



 唇を噛む。

 同時に、下がる剣先。

 なまじ、見えてしまったがために。

 答えがわかってしまったために。

 戦うことが、できなくなってしまった。



「もう一度言う、剣を収めな」


「く……」



 大柄な男の言葉に従い、細剣を鞘に納める。

 この男とは、正面から打ち合っても、決して勝てない。これが互いに細剣を使った訓練であれば話は別なのだろうが、剣術のスタイルが違うため、対応しきれない。



 そもそも見えた機先では、細剣で突き刺しても、男の動きは止まらなかった。女の、それも子供の力ではどうにもならない。自分の一刺しは、蜂の一刺しにはなり得なかったのだ。



 浅はかだった。

 大人にも勝てるようになったからと言って、図に乗っていたのだ。

 ふと、フードを目深にかぶった男が歩み出てくる。



「…………」



 周囲の者との出で立ちの違いに、何者なのか訝しんでいると、そのフードの男に大柄な男が神妙な様子で訊ねる。



「こいつらでいいんだよな?」



 大柄な男の問いかけに、フードを目深にかぶった男が頷いた。

 喋るつもりはないのか。

 おそらくは素性がバレないようにしているのだろう。

 やがて、大柄の男が口を開く。



「付いて来な」


「……あなた方はどんなことをしているのかわかっているのですか? 貴族の子供をかどわかすなど、重罪ですよ?」


「それは雇い主に言ってくれ」



 ならば、フードの男が、その雇い主なのか。



「では、あなたがこの者たちの雇い主ですか?」


「…………」


「答えなさい!」



 黙ったまま、応えようとしないフードの男の声を張り上げたそのとき。

 大柄の男から、段平を喉元に突き付けられた。



 ……一瞬だった。反応する暇もなかった。

 力量差を感じさせる、一幕。



「お姫さま。騒ぎになると困るんだ。静かにしてくれ。レイセフトのお嬢さんもだ」


「う……」


「しゃ、シャーロットさまに危害を加えないでください!」


「なら、大人しくしな。抵抗するなんて考えなけりゃ、こっちもなにもしねえって」



 リーシャも気丈に抗議したものの、男の言葉を聞いてうつむいた。

 そのまま大柄の男に従い、先導されるままあとを付いて行く。

 道は貴族の住む地区から大きく外れ、人気(ひとけ)のない区画へ。



 そこには、一台の馬車が停められていた。



 ……寂れた場所にはそぐわないほど豪華な、二頭立ての箱馬車。窓にはカーテンが備えられており、閉められれば外から中の様子は見えないだろう。



 馬車には、自分とリーシャ、そして大柄の男とフードの男が乗り込んだ。



「……シャーロットさま」


「……リーシャ。どうにか隙を見つけて、逃げましょう」


「……はい」


「……もし、それができないようなら」


「……わかっています。辱めを受けるくらいなら、貴族の子弟として」



 そう口にしたリーシャは、小さくひと震えする。

 続く言葉は、「死を選ぶ」だ。

 売り飛ばされる。

 物好きの玩具にされる。

 さらわれた子供の末路は、それこそいくらでもある。



 そんな仕打ちを受けるのは、貴族の子女として恥以外の何物でもない。お家の名誉を守るため、潔く死を選ぶ。そうなった場合に、自分たちが貴族の誇りを守るためにできる、最後の手段だ。



 ……だが、リーシャにそんなことはさせたくない。

 どうにか、彼女だけでも逃がしてあげたかった。



 やがて、馬車に乗せられてたどり着いたのは――ガストン侯爵の屋敷だった。

 豪奢な館だ。先日訪れたため、見間違うはずもない。



 門から玄関まで続くアプローチには、著名な彫刻家が手掛けた銅像がいくつも並び、タイルが敷き詰められたテラスには、パラソルに椅子とテーブル。足を踏み入れると、薔薇の香りが漂ってくる。



「あなた方の雇い主とは、まさか」


「いいから来な」



 そのまま、屋敷のゲストルームに通される。

 困惑のまま、リーシャと二人、来客用のソファに座らされ、やがて使用人が紅茶を用意。応対は客人を出迎えたときとなんら変わりなく、目の前テーブルの上には山盛りのお茶菓子まで置かれてしまった。



 しかし、徐々にこのかどわかしがどういうことなのか、理解できてきた。

 それはリーシャも同じだったようで、緊張した面持ちを作っている。

 しばらくして、一人の男が客間に入って来た。



 絹のジャケットに身を包んだ、金髪の偉丈夫。

 館の主、カーウ・ガストン侯爵だった。



「カーウ・ガストン侯爵……」


「お嬢さま方、招待の仕方が手荒になってまことに申し訳ない」



 侯爵はまず、謝罪の言葉を口にする。

 しかし、悪びれる素振りなどまったくない。

 澄ました様子で、お世辞でも口にしているかのよう。



「ご機嫌麗しゅうございます、侯爵閣下。率直にお訊ねしますが、これはどういった趣向でしょう?」



 挨拶もそこそこに訊ねると、侯爵は、



「いやいや、お嬢さま方に何かお土産でも持たせようかなと。先ほども言った通り、招待の仕方が手荒になったことについては詫びよう」


「……この件に関してはお父様にご報告させていただきます」


「ああ、構わぬよ」



 挨拶にトゲを仕込んだつもりだったが、侯爵はなんの痛痒にもならないというように笑っている。



「余裕なのですね」


「当然だとも。君が御父上にこのことを話したところで、私と伯爵の間にすぐさま亀裂が入るわけではないのだからね」


「それは……」


「それが政治というものだよ。覚えておいた方がいい」



 侯爵はそう言って、カットした葉巻に火を点けると、乱暴に二、三度強くふかす。

 誘拐さながらのことをしても罪にも問えず、まして「なんてことはない」とまで言い切った。



 だが、虚勢とは言い難い。かどわかした折に目撃者もいないうえ、実際、こうしてもてなされている事実がある。危ないところを保護しただとか、自分やリーシャが勘違いしているなどと言われ、白を切り通されれば、うやむやになって終わるだろう。



 あとは、先ほど言った通り、手土産でも持たせて帰せばいい。

 逆に感謝されるということだってあり得るのだ。



 それに、だ。自分たちを連れて来た男たちとの関係性を訴えても、彼らが勝手にやったと言われれば、どうすることもできない。当然、彼らが侯爵と関わった証拠は消されるだろう。それくらいはやってのける。やってのけられる権力(ちから)があるのだ。



「さて、君たちがここに連れて来られた理由だが――もう薄々わかっているのではないかね?」



 侯爵がリーシャに含みのある視線を向けると、彼女は澄ました顔で訊ね返す。



「なんのことですか?」


「リーシャ嬢。私と腹芸で勝負は無理だ。だが、その様子だと、本当に持っているようだな。では、あれが何かはわかっているのかね?」


「……書類でしょう?」


「確かにそうだが……まあよかろう。書類だけなら良かったのだがね。帳簿の方がなくなるとこちらも少し困るのだよ」



 侯爵はそう言って、一呼吸置き、本題に入る。



「あれを返してもらえないかね?」


「……ここにはありません」


「では、質問を変えよう。もう誰かに渡したのかね? たとえば、監察局の役人などにだ」


「…………」



 リーシャは黙ったまま、侯爵の視線を受け止めている。

 ここで口を開くことは、彼女の正義に悖るからだ。

 彼女が答えないことに、侯爵は疲れたようなため息を吐く。



「リーシャ嬢。私もことを大きくしたくはないのだ。あれらの書類や帳簿を返してもらえれば、それでかまわないのだ」



 暗に「これ以上のことになり兼ねない」という侯爵の言に、しかしリーシャは依然黙ったまま。簡単に屈したくはないのだろう。黒鞄の中身を知ったときから、彼女を動かしているのは貴族の矜持だ。潔白にあれという教えを固く守っているからこその、この沈黙。



 侯爵の無言の圧力にも、こうして耐えられている。



「……あくまで答えたくない、ということか。それならそれで、こちらにも考えがある。――おい」



 侯爵がそんな声を発したときだ。

 突然、自分の背後に控えていた大柄な男に、腕を引っ張られた。



「きゃっ!?」


「シャーロットさま!?」


「おおっと、動くなよ」



 大柄な男から、小剣を突き付けられる。

 自分という人質を取っての脅しか。



 一方侯爵は、それを確認したあと、再度リーシャに視線を向ける。



「リーシャ嬢。もう一度訊こう。書類と帳簿はどこにある? 答えなければ、伯爵家の息女に危害が及ぶぞ?」


「……リーシャ。言わなくても構わないわ。こんなのはただの脅しよ。いくらなんでも傷つけるわけが――」


「私は本気だ。それに、その男は私がやれと言えば、やる」



 その言葉通り、小剣がさらに首筋に近付き、首に当たる。刃は思いのほか鋭い。動かせば、皮膚など簡単に切れてしまうだろう。



「っ、私を傷つければ言い逃れできなくなりますよ?」


「だろう。だが、そのときはまた別の手段を取るだけだ。なに、君たちを見た者はいないのだからな」



 リーシャから、不安そうな瞳が向けられる。このままでは傷つけられる。ばかりか、侯爵の言意を正しく汲み取るならば、殺されることになる。

 他人の命と引き換えでは、矜持も崩すほかないか。

 リーシャはしばらく、責任感と怒り、不安と戸惑いのせめぎ合いに震えていたが、やがて悔しそうに項垂れた。



「……証拠が入った鞄は、兄さまに預けています」


「そうか」



 リーシャに白状させた侯爵は、すぐに指示を出す。

 アークスに対し、何かしら行動を起こそうというのだろう。

 大柄の男の腕から解放される。



「二人には鞄が届くまで、この部屋にいてもらおう。ああ、レイセフト家の息女の方には、済まないが猿轡を付けてもらう。念のためにな」



 そう言って、侯爵はゲストルームを去っていたのだった。





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