第二十八話 シャーロット・クレメリア
――シャーロット・クレメリアは、王国有数の軍家の娘だ。
歳は今年で十二。ミルクティー色の長い髪で、髪質は柔らか。横髪は頬下まで伸び、小顔には瞳は琥珀が埋まっていると評されるほど、輝きに満たされている。
お家は歴史ある王国式細剣術を興した名門中の名門であり、父は東部辺境を預かる大貴族にして、国軍を率いる将軍パース・クレメリア。東に広い領地を持ち、王都には大きな屋敷を構える。
他貴族との交流は上級、下級と幅広く、文句の付け所がないほどの良家の子女だ。
上級貴族の娘は、その出自の良さから蝶よ花よと愛でられる姫であるが、シャーロットは貴族の姫であっても剣を嗜んでおかねばならないという父の意向で、教育の時間の一部を細剣術に割いている。
そのためこの日も、彼女は剣技の鍛錬に勤しんでいた。
場所は、クレメリア家が王都にいくつか所有する訓練場の一つだ。王都にあるものの中では特に大きく、貴族の子弟もよく出入りし、質は最も高いとされている。
天井付近に採光窓をいくつも備えた広い室内は明るく、陽光が床に撥ね。
周囲には多くの門下生が熱の入った声を響かせており、立ち合い、突きを繰り出している。
シャーロットが剣を合わせているのは、父パースの高弟の一人である年長の男だ。
筋肉質で肩幅も広く、まるで石壁を前にしているかのような印象を受ける。
基本的には父や兄から剣を教わるのだが、彼らも仕事があるため常に時間を割けるわけではない。そのため彼らがいないときは、選りすぐった腕前を持つ者が、稽古を付けてくれることになっていた。
……木剣を片手に持って突き出し、半身になって集中する。
一方、向き合う相手も同じように、右の半身を前に出して横向きに体を開き、突きの届く距離を伸ばしている。
王国式細剣術の基本の構え。
相手は大人。体格差もあって普通ならば勝負にならないと断じられるが、その辺は条件を設定しているため、問題はない。
気息を整えつつ、じっくりと動きの起こりを窺っていると――
ふいに、止まっている状態から、疾風のような突きが飛んでくる【機先】が、幻影のように現れる。
挙動の起こりの一瞬前に知覚したそれに従い、軌道から逸れると、相手の突きが一瞬遅れで自分が元いた場所に突き刺さった。
その隙を突いて、木剣を首筋に突き出すと、年長の男が「参った」と敗北を認める。
勝ちだ。これで今日は五本中、二本取れた。
……この【機先】は毎回見えるのだが、見えても身体が追い付かないことがしばしばある。相手の動きが速すぎるときなど、身体の動きが間に合わないときだ。
そのため、相手の動きを見切れていても、負けることはしばしばある。
しばらく、年長の男から先ほどの動き方について評価を受けていた折、ふと大きな気配に気付いた。
訓練場に武威を放ちつつ入って来たのは、父パース・クレメリア。
彼が武威を以て現れたことにより、場内の空気がさらに引き締まる。
父は、周囲の門弟に声をかけつつ、こちらに向かって歩いてきた。
「お父様」
「シャル。今日もよく励んでいるようだな」
「はい。今日はゼル殿から二本取りました」
試合の結果を告げると、父は驚きを顔に出す。
「……! ほう、もうゼルを負かせるようになったか」
「はい」
淑やかさを心掛け、頭を下げる。
すると、相手をしてくれていた年長の男が、父に報告という名の称賛を並べ立てる。「姫さまは天才ですな」「素晴らしい腕前です」などなど。褒めちぎって憚らない。
あまりの褒めように、気恥ずかしくなって俯いていた折、
「――いやあ、姫さまはまるで未来でも見ているかのようですな」
「――!?」
年長の男が言ったふとした言葉に、びくりと肩が跳ねる。
未来を見ているのか。その言葉が、まさしくその通りだったからだ。
看破されるはずはない。はずはないのに、心臓が大きく脈打つ。
それは、あの力にわずかばかりの罪悪感を持つゆえだ。ああして機先が見えるのは、ズルではないのかと。自分にしか見えない先見ゆえに、それを勝負に使うのは、正々堂々ではないのではないかと。そう言った意識が、心の奥底にあるのである。
正鵠を射た発言に固まっていると、ふと、父がしゃがんで、両肩に手を置いた。
そして同じ位置から視線を合わせ、その黒いまなざしを向けて来る。
「……そうか、やはりお前には、剣の天稟があるのだな」
「天稟、ですか?」
「ああ。私やウェインよりも大きな天稟だ」
父は、才能――言葉で括れないあやふやな力の源泉ではなく、確固とした能力のことを、天稟と言う。それは天から与えられた高い資質であり、生まれ持った天命であるのだと。
それを定められた者は、誰しも常人では及びつかない力を持っているのだと口にする。
大国の王族然り、戦場で名を馳せる英雄然り。みな途方もない天稟を持っている。持っているからこそ、いまの地位にいるのだと。
それを、父も兄も、そして自身も、それを持っているらしいのだ。
その天稟が、この【機先】を見る力なのか。それは定かではないが――
「シャル。勝つために、自分の持ち得る力を使うのは悪ではない。むしろ、全力を使わず手を抜くことこそ、勝負では悪しきことだ」
「そうなのでしょうか?」
確かにあれは、自分の力だとは思う。だが、そんな風に勝って、それで本当にいいのか。機先が自分のものであるとは言え、降って湧いたような天啓のような感覚に頼り切りの勝利が、剣の勝利と言えるのか。その腕前を競うならば、初期地点を周囲と合わせるべきではないのか。
もし、それをズルだと糾弾されれば――
「シャル。そこから出てくる文句は、ただのやっかみだ。負けたことの言い訳にしているに過ぎない。誰も、勝利のために全力を尽くすものだ。それを怠ることこそ、悪だと思え」
父は内心の不安を見抜いたか、答えを的確に口にする。
「そう覚えよ。いいな」
「はい」
命令にも似た父の言葉に、頷く。許されたのか。それは杳として知れないが、少しだけ不安は取り除かれたようにも思う。
そんなとき、ふと父が、
「私は感じるだけだが、お前はどうだ?」
「私には視えます」
「――! ……そうか、お前であれば、王国一の剣士も夢ではないだろうな」
そう言った父の表情には、どこか複雑そうな機微が見えた。素直には喜べないというような印象を受ける。
それを不思議そうに見ていると、父は表情を元に戻して、
「それに、そんな悩みを持つには、まだまだ実力が足りない」
「さ、最近はゼル殿だけでなく他の方にも勝てるようになったのですよ!」
「ははは、そうかそうか」
父は笑いながら頷くが、まるで相手にしてくれない。
「――だがシャルよ。一つだけ、覚えておきなさい」
「なんでしょう?」
「【機先】が見えたとしても、それが絶対というわけではない。たとえ見えたものが己の敗北であっても、諦めない限り結果は変えることができる」
「あきらめない……」
「そうだ」
父は、そんな言葉を口にしてから、
「――ところでシャル。午後の予定は」
「はい。このあとはリーシャと共に街を散策しようかと」
「そうか。リーシャはお前の友人であると共に、私の協力者の娘だ。しっかりと守るのだぞ」
「はい」
父の言葉に、力強く頷く。一般的な貴族の考えでは、身分が下位の者が上位の者を守るというのが普通だが、父はよくよく上に立つ者の責任を説く。部下は自分たちの盾ではなく、庇護下にあるものだ、と。彼らが自分たちを守ろうとするのは、こちらが大きな傘となって彼らを守るからこそ、尽力してくれるのだと。決して、彼らが守ってくれることを当然としてはいけないのだと。
リーシャは子爵家の娘であり、自分にとっては年下の友人だ。何かあったときには自分が守らなければならないというのは、弁えている。
だから、
「剣に誓って」
「うむ」
剣に誓いを捧げたことで、父は満足そうに頷いた。
「お父様。時間になるまで、稽古をつけていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいだろう。――剣を持て」
…………そうしてしばらく父と剣を合わせたあと、汗を拭き、休憩を挟んで伯爵家の屋敷へ。
屋敷に戻ると、迎えに来ていたリーシャが応接間に通されていた。
部屋に入ると、彼女がソファから立ち上がって淑女の礼を取る。
相変わらず、リーシャは可愛らしい。陽光を浴びるときらきらと輝く美しい銀髪はポニーテールに。青いリボンをあしらい、フリルの付いたブラウスを着て、スカートも青に揃えている。血色の良い唇、ぷりぷりとした頬。どの部分も、彼女の愛らしさを引き立てる役割をしっかりとこなしている。
特に気に入っているのが、その目だ。赤い、紅玉のような瞳。真っ直ぐで実直さを窺わせるその輝きが、とても好ましい。
ごきげんようなどの挨拶もそこそこにして、リーシャと連れ立って屋敷を出る。
……王都の主要な区画は衛士が巡回しているため、治安はいい。下町のバザーや裏通りはその限りではないが、貴族の邸宅が並ぶ区画や大通り、商業区などは子供が独り歩きをしても問題ない。
リーシャと歩きながら話すのは、互いの近況などなど。勉強や訓練の進み具合の話もそこそこに、他家の話や噂話から最近流行りの装飾品のことまで。
おしゃまな会話はやがて、夜会での預かり物のことに。
「そう、アークスくんに……」
「はい。兄のところに預けて」
どうもリーシャは、夜会で預かった不正の証拠品を、彼女の兄に預けたらしい。
――アークス・レイセフト。リーシャの兄にして、レイセフト家当主ジョシュア・レイセフトから失格の烙印を押され、廃嫡された少年だ。
廃嫡の理由は、才能の欠如だと言われている。
彼の家に必要な、魔力の素養に乏しかったらしい。
魔法の才を強みとする軍家にとって、魔力の量は重要な要素だ。
魔力量の多い少ないは、戦場での魔法行使で如実に現れる。魔力の量が多いだけで、同じ魔導師と相対した際、打ち勝つ要素になるし、その量を頼みに多く敵兵を倒すことができる。
有り体に言うと、継戦能力だ。どれだけ戦えるか、いつまで戦えるか。いつまで戦場にいられるか、だ。
それを子爵が重要視するのも、無理からぬことだろう。軍家の当主ともなれば、戦場に立ち、兵を指揮しなければならない。魔導師の指揮官は率先して魔法を使わなければならず、それが一般の魔導師と同じ程度では、まず周りに示しがつかない。
生まれですべてが決まってしまうのは可愛そうだが、お家のことを考えれば仕方のないことだ。
魔力の量は一生変わらない。
レイセフト家は特に魔力量に重きを置くため、早々に切り捨てられたのだろう。
そのため、婚約の話も、向こうが潔く解消を願い出たというわけだ。
だが、リーシャだけは、彼に対しての評価が違うらしく。
「兄さまが持っていれば、安心だと思います」
「アークスくんのこと、信頼しているのね」
「はい」
破顔するリーシャ。彼女がアークスの話をするときは、随分と楽しそうな顔をする。
優しく、妹思いな兄だからだろうか。
……これまで、貴族としての付き合い上、同年代の男子には何人か引き合わせられたことがある。軍家の跡取りとして訓練を欠かさない者、父親のあとを継ぐため、勉強に力を入れる者。貴族の立ち回りを身に付け、優雅に振る舞う者。家の裕福さにかまけ、勉強や訓練を怠る者もいた。
アークスのことを、リーシャをもとにして想像してみる。目に浮かんだのは、リーシャと同じ銀髪を持った、線の細い穏やかな少年だ。荒事とは無縁そうな、どちらかというと内向的な印象を受ける少年。
その婚約者と、隣り合って並んだ姿を想像する。
やはり、しっくりこない。
「シャーロットさま」
「なあに? リーシャ」
ふとした呼びかけに答えると、リーシャは不安そうに目を伏せた。
「目に見えた才能とは、それほど重要なものなのでしょうか……」
「……そうね。私もよくはわからない」
と、前置きをしつつも、貴族というものに照らし合わせて考えれば、やはり。
「でも、私たち貴族は、誰かの上に立つ者よ。誰かの上に立つには、それに見合った力が要る。普通よりも飛び抜けた才能が必要なのかもしれない。才能が大きければ、それは自然に目に見えるものになるはずよ」
「……そう、ですか」
リーシャは兄アークスが、不遇を託っているのに納得がいっていないのだろう。
――だが、彼の境遇を自分に当てはめて考えたら、どうなのだろうか。
もし自分に剣の才能がなく、彼のように冷遇されたとしたら。父ならそんなことはないだろうが、もし他家に生まれていたら、どうだったのだろうか。
そう考えると、やはり理不尽なことだとも思える。
本人の意思にかかわらず、生まれで勝手に初期地点が決まり、どれだけ努力しても覆すことができない。
もし自分が、そんな目に遭ったとしたら――




