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第二十五話 リーシャ、夜会へ



 ――この日、リーシャ・レイセフトは、父ジョシュアと母セリーヌに連れられて、とある貴族の屋敷を訪れていた。



 そこは王都の上級地区の一角にある、巨大な邸宅だ。

 広大な敷地に四階建ての館で、塔付き。庭園に至っては王都の中央広場に匹敵するほどに広いお屋敷である。

 レイセフト家も由緒正しく、王国では歴史のある家柄だが、やはりこの威容を見せつけられると、財力の差を感じずにはいられない。



 ――カーウ・ガストン侯爵。



 それが、この邸宅の主人の名だ。王国の財務官僚で、爵位、官職ともに上級に属する貴族である。

 屋敷の威容に圧倒され、呆然と見上げていると、父ジョシュアが声をかけて来る。



「大きいだろう。これが王国貴族の中でも随一と言われる財を持つ、侯爵閣下のお屋敷だ」


「はい」


「今日はよく勉強なさい」



 勉強なさい。それは、他家を訪れるときに、父がたびたび口にする言葉だ。

 魔法の研鑽だけでなく、常日頃から貴族の有り様を勉強せよという父の訓育である。



 ……最近では、こうして他家を訪れることが随分と増えた。

 父ジョシュア曰く、挨拶も兼ねた顔見せらしい。

 自分が正当な跡取りだということを、レイセフト家が所属する派閥の貴族たちに周知させるためのものだという。

 父がわざわざこういうことをするのは、兄アークスがいるからだ。



 ――長男がいるのになぜ妹の方を跡取りとするのか。

 廃嫡したとは言えど、他家からの干渉が決してないわけではない。様々な思惑から、廃嫡された子を再び正当な嫡子へと担ぎ上げる動きは、あるのだという。そういった声を封じるための、根回しなのだそうだ。

 同派閥の貴族が開く夜会へ出席、懇意にしている貴族の邸宅への訪問、上級貴族が主催する魔法サロンへの参会などなど。そういった場所へ連れて行き、既成事実を作ってしまおうということだ。



 今日侯爵邸を訪れたのも、その一環だ。

 侯爵はレイセフト家が所属する派閥の人間ではないが、近しい場所に領地を持つ。

 そのため、これから頻繁に交流を持とう、ということになったらしい。

 大規模な夜会への参加を呼びかけられたのをこれ幸いと、父はこれを利用して、跡取りとして広く知らしめようという魂胆なのだ。



 いまは他家やサロンに赴く場合に着用する質のいいドレスに身を包み、いつもよりも気合の入ったおめかしをさせられている。

 父も正装(ジャケット)であり、この日は母の姿もある。父曰く、家族総出で挨拶しに行かなければならないほど、重要なことだそうだ。



 総出とは言うが、もちろんその中に兄はいない。



「…………」



 ふと、兄の姿を追って振り返る。

 兄は今夜も、除け者にされて屋敷にいる。

 そう、父や母が優しくするのは、いつだって自分だけだ。廃嫡が決まった日から、兄は両親からの憎しみの的となり、自分は以前の兄以上に目をかけられるようになった。



 兄への攻撃は日を追うごとに激しくなり、その裏返しのように、自分へは優しくなる。

 いつもそれで、兄に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだ。兄だって以前のように優しくされたかっただろうに。父や母から跡取りだと言い聞かされるたび、自分が兄から奪ってしまったような気持になる。



 心の中で兄に謝っていると、父がまた声をかけて来る。



「リーシャ、こっちに」


「はい。父上」


「今日は当家との繋がりの深い方々も多く出席する。できる限りで構わない。顔をよく覚えておくように」


「わかりました」



 頷くと、父は優しく微笑む。

 この笑顔を、わずかにでも兄へ向けられないかと思うが。



「リーシャ。あなたはレイセフト家の長子。次期当主らしく、丁寧な振る舞いを心掛けなさい」


「はい……」



 母の言葉は厳しいものだが、声音はずいぶんと優しい。だが、やはり兄はいないものとされている。



 やがて出迎えの執事に、夜会の会場である大広間に通される。

 絨毯はすべてに金糸の刺繍があり、天井から下がるのは【輝煌ガラス】を使った巨大なシャンデリア。有名な画家が手掛けた絵画がいくつも飾られ、テーブルの上には珍しい料理ばかりが山のように高く盛り付けられ、並べられている。



 上級貴族らしく……いや、他の上級貴族でもこれほど贅を尽くせるのかと疑問に思ってしまうほどの豪勢さ。

 きらきらしすぎて目に痛い。そう思ってしまうほどに、大広間は輝いていた。



 会場にはすでに多くの貴族が訪れており、それぞれ会話に興じていた。



「ジョシュア」



 ふと、父を呼ぶ声が聞こえてくる。

 振り向くと、そこには白髪交じりの黒髪を持った男性の姿があった。

 細身ながらしっかりとした体格で、老齢に差し掛かったとは思えないほどかくしゃくとした足取り。白を基調としたジャケットに身を包み、胸には煌びやかな勲章の数々。腰には見るからに高価そうな細剣を差している。



「これは……伯爵閣下」



 父に声をかけたのは、クレメリア伯爵家当主、パース・クレメリア。王国が抱える軍家の一つであり、父ジョシュアの直属の上司。そして国軍を率いる将軍の一人でもある。



 クレメリア伯は東部の貴族の旗頭とも言うべき貴族であり、東部に有事があった際は傘下の貴族を率いてこれに当たる。レイセフト家も王国の東に領地を持つため、この東部閥の筆頭である上級貴族、パース・クレメリア伯爵の傘下にあり、父はその補佐をする三子爵の内の一人でもあるのだ。



 ジョシュアの挨拶に合わせ、母と共に礼を取る。

 伯爵は人のよさそうな顔をほころばせ、声をかけて来る。「花のように美しい」「宝石のようだ」など美辞麗句を並べるが、貴族の社交辞令としては控えめ、最低限だ。質実剛健を旨とする武門の伯爵らしい。



「閣下、侯爵閣下はいまだ?」


「そのようだ。どうやら、趣向があるらしい。こうして娘と二人、待ちぼうけだよ」



 脇から現れたのは、公女然としたしとやかさをまとった少女、シャーロット・クレメリア。ミルクティー色の髪、整った目鼻立ちはまるで、有名な細工師が手掛けた人形のよう。伯爵に合わせているのか、白いドレスに身を包んでいる。



 彼女はスカートの両端をつまんで優雅な礼を見せた。

 そして、父に一通り挨拶をしたあと、こちらに近付いてくる。



 それぞれ「ごきげんよう」と言葉を交わす。

 シャーロットとは、すでに見知った間柄だ。王都にあるクレメリア伯爵邸への訪問や、魔法サロンへの参会時に会っているため、よく話をする。身分はシャーロットの方が上であるため、あちらは呼び捨てで、こちらは敬称を付けなければならないが。



 ふと、シャーロットは誰かを探すように周囲を見回す。



「……リーシャ。その、アークスくんは?」


「兄さまは来ていません」


「やっぱり、あの噂は……」


「はい」



 最近の顔見せもあってか、すでに兄の廃嫡や家族から疎まれているということは、いろいろなところに広まっている。聞けば聞くほど嫌な話だが、しかし、貴族社会ではこういったことは当たり前のように扱われている。無能を跡取りから外すことは、貴族社会では一般的だ。いずれ嫡子は一族やひいては領地を引っ張る家長になる。才能がなければ務まらない。



 あの努力家で才能の塊のような兄が、無能だとは決して思えないが――



「閣下、よろしいでしょうか?」


「ふむ。ジョシュア。いかがしたか?」


「我が愚息とご息女の件、今宵正式に解消していただきたく」


「……それは、婚約の話か?」


「は」



 父ジョシュアは肯定する。

 そう、シャーロットと兄は婚約者の間柄だ。兄が生まれたときに、パースとジョシュアの間で決められたのだという。

 顔合わせの前に廃嫡が決まったため、本人たちは一度も会ってはいないのだが。



 すると、パースはわずかにだが、表情に渋いものを浮かべる。



「子息の廃嫡の話は、早計ではないのか? 魔力は……思ったものではなかったのだとしても、だ。魔導師としてはまだこれから伸びる芽もあるであろう?」


「いえ。魔力が規定以下であるのは、レイセフト家では恥にございます」


「……この仕儀は、御家の伝統に則ってのことと」


「は。レイセフト家は武門にございますれば、無能では務まりませぬゆえ。それに、閣下にご迷惑をおかけするわけには参りませぬ」



 父の言葉に、伯爵は小さくため息をこぼした。



「以前にも、似たようなことを聞いた覚えがある」


「そ、それは……」


「いや、失言だったな。貴殿はよくやっている。レイセフトの歴史をたどっても、貴殿ほど功を成した者はそういまい。ジャール戦役、氾族(ハン)鎮圧、私も随分と助けられている」


「……お言葉、ありがたく」



 父は伯爵のお世辞に謝意を示すが、やはり廃嫡や婚約解消の話は譲れないらしく。



「ですが、婚約の解消に関してはなにとぞ。閣下やお嬢様にご迷惑をおかけするわけには参りません」


「む……」



 父が頑なな態度を取ったせいか、伯爵は言葉に詰まる。

 父や母が言うには、その無能とやらは感染するものらしい。



 無能もなにも、兄は単に魔力量が少なかっただけだし、そもそも人間の持つ魔力の容量は変わることはないため感染(うつ)るなどということはあり得ない。そんな単純なこともわからないのかと思ったこともあるが、父や母は頑なだ。



 その辺りのことに関して兄は、「あのクソ親父は頭が■■■並みなんだよ」と言っていた。そのうえ「そんなに嫌なら常時バリアーでも張ってろバーカ」とまで。



 最近兄はちょっと口が悪くなった。



「お父様。私は、その……このお話は子爵さまの言う通りにしていただいてもよろしいかと」


「シャル……」


 シャーロットは、婚約解消の話を受け入れたいらしい。

 だが、無理もない。やはり、自分の伴侶を勝手に決められるというのは、受け入れがたいものだ。それが貴族の倣いと言えど、回避できるなら回避したいということなのだろう。



 それが無能と噂される者であれば、なおさらか。

 シャーロットの申し出を追い風に、父は再度追撃をかける。



「もとは閣下と私だけで決めたこと。お嬢様も乗り気でない以上、ここは是非とも解消の方、ご再考いただきたく」


「……確かに私も、才のない者に娘を嫁がせるよりは、才のある者に嫁がせたい。だが、聞けば子息はクレイブから直に手ほどきを受けているという話ではないか?」


「それは…………あれは兄上の気まぐれにございます」


「そうなのかね?」


「は。兄上はもともと魔力も無いような愚息を憐れんだだけにすぎませぬ。才能など決して」


「ふむ……」



 伯爵の細まった視線には、どこか疑いの色が見て取れる。

 父のあまりに頑なな態度に、おかしさを感じたのだろう。

 ともあれ、微妙な空気を味わっていたときだった。



「――これはこれは。皆さまお揃いのようだ」



 ふいに、一段高い場所から声がかかる。

 大広間の奥、階段上にあるステージの上から、芯の通った中年の声が通った。

 声のした方を向くと、その場にいた者たち全員が驚きの声を上げる。



 声の主は、この夜会の主催者、ガストン侯爵だった。身の丈180を超える威容を質のいいジャケットで包み、手足や身体のいたるところに金の装飾品をいくつも付けている。

 あらゆる部分が自信の塊なのか。見せつけるような身振りを取りながら、整ったカイゼル髭をしきりに撫でつつ、並みいる貴族たちの間を歩いてくる。



 だが、会場の人間が驚いたのは、侯爵の貫禄にでも、金に飽かした身なりにでもない。

 侯爵が引き連れていた、巨大な黒猫に、だ。

 いや猫と言っていいのかわからないほど大きく、体毛は新月の日の闇夜のように真っ黒な獣だった。



「皆さま驚かれましたかな? これは、東国は佰連邦(バイリァンバン)からさらに遠く東から取り寄せた、【ヘイフウ】という動物でしてな」



 ざわめきがさらに大きくなる。東の超大国【佰連邦(バイリァンバン)】のさらに東と言えば、未開の地だ。そんな場所に生息する動物を取り寄せてしまうなど、どれほど財を使ったのかわからない。

 父も【ヘイフウ】の威容に驚いたようだが、それも一瞬のもの。レイセフト家は軍家であるため、たかが動物如きに怯えるような人間ではない。



 クレメリア伯爵も同じだ。クレメリア家は王国細剣術の宗家であり、国軍を指導する立場にある。伯爵本人も将軍の一人であるため、そうそう動じることはない。

 一瞬「ほう……」と唸って、どういった動物なのかつぶさに観察している。

 伯爵の言っていた侯爵の趣向とは、これだろう。誰にも手に入れられない動物を見せつけて、自分の財力を誇示しようというのだ。



 ガストン侯爵は道々、貴族たちに挨拶をしつつ、やがてこちらにも到着した。



「ガストン侯爵。今宵はこのような素晴らしい夜会にお呼びいただき、感謝いたす」


「はっはっは、これはクレメリア閣下。どうですかな、私のペットは。なかなか見事なものでしょう」



 侯爵はカイゼル髭を自慢げに整えながら、ヘイフウを前に出す。

 低く唸るように喉を鳴らすヘイフウ。猫のするような仕草を数倍の規模にしたようなものであるため、甘えなのか威嚇なのか判じ得ない。



 それに対し伯爵は、静かな態度のまま。



「そうですな。世界広しと言えど、これほどのものを従える者は侯爵以外におりますまい」


「そうでしょうそうでしょう。撫でてみますかな? ああ、噛みはしないのでご安心あれ」



 侯爵勧めを聞いて、伯爵が頭を撫でると、【ヘイフウ】はむずがゆそうに目を細めた。

 見た目よりも、大人しい気質の動物らしい。



 今度は父が侯爵に挨拶をする。



「閣下。今宵はお呼びいただき、恐悦至極に存じます」


「いやいや。以前から東部閥の方々とは親しくしたいと思っていてな。子爵、今宵は楽しんでいかれよ」


「はは」



 侯爵の言葉に、父は頭を下げる。

 そこで、ふと気付いた。父は侯爵相手に恐縮しているようだが、一方でクレメリア伯はどこか冷めた雰囲気をまとっていることに。



 その様子を不思議に思っていると、シャーロットがささめいた。



「……侯爵さま、あまりいい噂がないみたいなの」


「……そうなのですか?」


「……ええ。金銭を不正に得ているとか、領民への締め付けとか」



 よくある話だ。貴族の不正は現国王の手腕でかなりの数が減ったと聞いているが、それでも大身の貴族となると簡単には手が出しにくいのだろう。



「……だからお父様も、侯爵さまのことは警戒しているみたい」


「……それでも夜会に来なければならないのは」


「……お付き合いは大事らしいわ」



 伯爵もシャーロットも、侯爵のことはあまりよく思っていないらしいが、下手な対応はできないということか。貴族の『しがらみ』は大変だ。



「お嬢さま方は、仲がよろしいですな」



 笑顔を向けてくる侯爵に、シャーロットと共にすまし顔で会釈する。

 




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