第二十一話、ギルド長、驚愕す
魔導師は、国家の財産だ。
技術の先駆者であり、国の大きな武力でもある。
だが、そんなものでも、いずれにあろうと権力の前には膝を屈するのは世の常だ。
権力者の振りかざす力の前に、望まぬことをさせられる。そしてそんなことがまかり通るばかりの国であれば、自然魔導師は減っていくというもの。
それを防ぐために作られたのが、いわゆる【魔導師ギルド】だ。
もともとは王国に散らばる魔導師の人頭を把握する役所を基礎とし、現在は前述の通り、国家の管理のもと、加盟する魔導師たちの仕事の斡旋や立場の保証、保護などを目的にして活動している。
建物は王宮からほど近くにある各庁舎が集まる地区にあり、四階建ての黒い建物が特徴だ。
――しかして、魔導師ギルド長官であるゴッドワルド・ジルヴェスターはこの日、午前にあった王宮での面会および会談を終え、己の城である魔導師ギルドへと向かっていた。
ギルド庁舎へ向かう馬車の中で、老秘書バルギウスに訊ねる。
「確か午後イチで、面会が入っていたな」
「はい。面会のお相手はクレイブ・アーベント様、以下二名です。面会には、ひと気のないところをご所望になられたため、黒の間を取ってあります」
「ほう? なにか悪だくみでもしようというのか」
「音の洩れない密室で悪だくみとは、ギルド長にはお似合いですな」
「ふん。言っていろ」
笑い出した年かさの秘書に、ゴッドワルドはそう返す。
魔導師ギルドには会談で使用する部屋が三つある。地位の高いものを通す【金の間】、人が多いときに使用する【藍の間】、そして密談を行うために使用するのが【黒の間】である。
盗聴を防止するため他の部屋は隣接しておらず、また窓もない。
国定魔導師などは自らの研究を報告するために使用することがあるため、ここを指定されることはそう珍しくないのだが。
「以下二名か。従者か」
「でしょうな。お心当たりは?」
「報告が上がりそうな研究をしていたとは聞いてはいないな」
ゴッドワルドは、クレイブとは旧知の仲だ。
クレイブがまだやさぐれて暴れ回っていた悪童の頃、よく現場に出向いてどやしつけていた。
彼が家を出奔し、国を離れ、そして王国に帰参した折、国定魔導師にならないかと声をかけたのも、彼である。
そのため、連絡は頻繁に取っているし、研究の相談もよく受ける。
だが、最近は領地のことや軍の仕事が忙しいため、目新しい研究には手を出していないという話だったはずだ。
しかして黒の間には、面会を求めた国定魔導師、クレイブ・アーベント。そしてその従者であるノア・イングヴェインと、もう一人、見覚えのない少女がいた。
クレイブと同じ銀髪を持ち、白い肌の小顔には紅玉のような赤い瞳が埋まっている。上は真っ白なシャツと、貴族女子には珍しく、スカートではなくハーフパンツタイプのズボンを着用。腰には護身用の短剣が差してあった。
「ひっ!?」
その少女は、自身の顔を見るなり驚いたような声を出した。
それを失礼……とは思うまい。いつものことだ。顔がひどくいかついうえ、向こう傷がいくつもあるのだ。顔を見た小さな子供が居竦んだり、泣き声を上げてしまうのには、慣れている。
…………そう、慣れているのだ。
銀髪の少女は失礼に気付いたか、すぐに立ち上がって慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません!」
「いや、構わない」
とは言ったものの、少女は何を勘違いしたのか、再度腰を折って頭を下げ、
「ほ、本当に申し訳ございません!」
そんな風に更に謝罪を重ねる始末。
そこまで怯えずともいいだろうに。
それほどまでに、この顔が怖いというのか。
一方、少女を連れて来たクレイブと言えば……従者ともどもニヤニヤしている。
この主人にして、この従者あり――まあ、ノア・イングヴェインについては、普段は澄ましているが、もともとこういった性格だったということは聞いている。
少女はおろおろと困惑しているが、クレイブが「大丈夫だ」と言ったところでやっと、落ち着きを取り戻し、また頭を下げてソファに座った。
魔導師ギルドの旗を背にして、対面に腰掛ける。
面会を求めたクレイブに、まずは訊ねた。
「ノアは知っているが、そっちは娘か?」
「いやいや甥だって。甥。服見れば男だってわかるだろ?」
「甥……?」
随分可愛らしい顔だが、確かに服装は王国の貴族男子の着るそれだ。
クレイブに息子はいなかったが――そういえばレイセフト家の本家には廃嫡された長男がいたと聞いている。
「あ、アークス・レイセフトです。初めまして」
「うむ。国王陛下より魔導師ギルドを預かるゴッドワルド・ジルヴェスターだ」
名前だけの自己紹介が終わると、クレイブがいつもの適当な紹介を始めた。
「アークス。この怖い顔のおっさんが、この国の魔導師の中で一番偉い……まあ一番偉いのは国王陛下だが、その次に偉いのがこの怖い顔だ」
「アーベント。怖い顔は余計だ」
「なんだ。せっかく場を和ませてやってるんだぜ? ちょっとは乗っかってこいよな」
クレイブはそんな軽口を叩く。国定魔導師になっても、爵位を得ても、相変わらずこの男から悪童ぶりは抜けないらしい。言っていることはあながち間違いではないのかもしれないが。
「それで、今日は一体なんの――」
「し、失礼します!」
ふと、扉の外から女の大声が聞こえて来る。緊張しているのか、声が多少上擦っていた。
やがて部屋の中に入って来たのは、最近ギルドの職員になったばかりの女だった。
「一体なんだ。騒々しい」
そんな風に、普通に声をかけたつもりだったのだが。
「ひっ……」
職員の女は絶望の表情を浮かべて、その場に尻餅をついてしまった。
その拍子に、手に持っていたらしい書類が散らばる。おそらくは急ぎの重要書類を届けに来たのだろう。
ふと見れば、職員の女は目尻に涙を溜めていた。
そして、その場で小動物のように縮こまり。
「こ、殺さないで……お願いしますぅ……」
「……そんなことはしない。一体どうしたんだ?」
「は、はい! えっと……」
「ん!? なんだ!? はっきりしろ!?」
「すいませんすいませんすいません!! お願いです! 命だけはどうか!」
そのまま、職員の女は平伏してしまった。
すると、アークスが顔を青ざめさせて、引きつらせ、
「……やっぱり殺すんですか? 生きたまま混凝土詰めにしてザナス湾にでも沈めるんですか?」
「ひぅぅ!」
アークスが具体的なことを言ったためか、職員の女は一層怯えてしまう。
「殺すわけがないだろう……人聞きの悪いことを言うのはやめたまえ」
「すっ、すみません!」
窘めると、こっちも背筋を伸ばしてしまった。
すると、クレイブが呆れたような表情で見つめて来る。
「おっさんは顔が怖いんだからよ、もう少し柔らかい態度心がけねぇとさ」
「う、うむぅ……顔が怖いのは仕方なかろう。これ以上どうしろというのだ……」
呻いてしまうが、それはともかくこちらの職員の方だ。
「それで、どうしたのだ?」
「その、バルキウス様から、書類と、あと子供が来ているからとお茶とお茶菓子を持って行けと言われて……いま部屋の外に」
用意しているのか。老秘書の用意の良さは相変わらずだ。
「ふむ、バルキウスめ気が利くな」
すると、アークスはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべ、
「あのぉ……ぼくは砂糖のお菓子は苦手でして……」
「そうなのか? 珍しいな」
普通このくらいの年頃の子供は甘味の味を喜ぶものだ。それが苦手というのは、中々に珍しい。
「こいつは変わってるのさ」
「ええ。変わっていますね」
「……二人してひどい」
クレイブ、ノア両方から言われたせいか、アークスは微妙そうな顔を見せる。
職員はお茶と茶菓子をテーブルの上に置き、部屋を退出。一服したところで、クレイブが切り出した。
「じゃあそろそろ本題に移るか」
「で、今日は一体どうしたのだ」
「それはな……これだ」
そう言ってクレイブが差し出したのは、木製の台座に嵌ったガラスの管だった。
……果たしてこれは、いったい何なのか。薬品用の試験管にしては細すぎるし、口が閉じているため中に何かを入れることもできない。木製の枠には物差しに書かれるような目盛りらしきものが。管の下部は少し膨らんでおり、赤い液体のようなものが溜められている。
黒の間を使うほどのことだ。何か重大なものだというのは間違いないだろうが――
「これはなんだ?」
「これはな、魔力の量を数値付きで正確に測る計測器【魔力計】だ」
「は……?」
クレイブの言葉を聞いて、ついそんな呆けた声を上げてしまう。
彼が口にしたことの意味が、すぐには理解できなかった。
一方でクレイブは、その顔が見たかったのだとでも言うように、人を食ったようなニヤニヤとした笑みを浮かべている。
それで、やっと我に返ることができた。
「いやっ、だが……魔力の量を測るだと!?」
それは、これまで誰もが挑戦して、できなかったものだ。あるいは魔力の量を測るための魔法を模索し、あるいは刻印を用いる方法で模索した。だが、結局はどれも上手くいかず、断念せざるを得なかったという。
そんな、幾人の先達が諦めた研究を成したなど……、
「ま、まさか、本当にこれが?」
「ああ、そのまさかなんだよこれがよ。ほら、この底の丸いところに溜まったモンが、魔力に反応する物質だ」
「魔力に反応する物質……そうか、ではこれが動くのか?」
「いや膨張するんだ。放出する魔力の量が多ければ多いほどにな」
「お前が作ったのか?」
「いまおっさんが持っているのは、オレの手も加わったものだが、原型を作ったのはこいつだ」
クレイブはそう言って、隣にいたアークスの頭を叩く。
だが、こちらとしてはそのことの方が驚きだった。
「こんな十にも満たない少年がか?」
「そうだ。驚きだろ? オレも最初はたまげたぜ」
クレイブが豪快に笑い出す一方、アークスは照れたような笑顔を見せつつも、大人しくしている。
しかして、その【魔力計】を手に取る。確かに魔力を放出すると、クレイブが言った通り、中に入った赤い液体が膨張。上部へとすぐさま伸びていく。魔力の放出を止めると、瞬時に収縮。下部の球体に納まった。
「……魔力に対する感度が素晴らしくいいな」
「ああ。おかげさんで測るのも楽なモンさ」
聞き初めは半信半疑であったが、実際に見てみると確かにその通り、計測器のていを成していた。
「感知距離は? どこまでだ?」
「さすがに離れすぎると反応しない。限界範囲はここよりもう少し狭い部屋くらいだな」
その言葉に、アークスも頷く。
ならば、敵魔導師の魔力放出を感知するといった使用方法はできないか。
ともかく、これは革新的な逸品だ。これがあれば、呪文に使用される魔力の計測が可能となり、魔法の会得が速やかになる。そうなれば、これまで魔導師が魔法を覚えるために必要とした時間が大幅に減るうえ、魔導師の質の底上げだけでなく、魔導師の能力の均一化も可能となるだろう。
これがもたらすだろう恩恵は、一口では語り切れない。
ただ一つ、わかることは――
「これが発表されれば、国への貢献は計り知れないだろうな」
「だろ?」
「だが、いいのか? これを作ったお前たちには、これを秘匿する権利もあるのだぞ?」
これは、魔導師の秘伝に含まれる技術だ。王が定めた法律では、独占してもいい部類に入る。これを独占し、家の強みにすれば、他家と圧倒的な差が付く、いや、新たに自分の派閥を作ることすら夢ではない。
「それについてはこっちで結論は出てる。こいつは、【魔力計】を広めて、その見返りが欲しいそうだ」
「ほう……」
見返りが欲しい。この歳で、そういった答えに行きつくのは意外だ。
「アークス・レイセフト。君はこれを発表して、一体何を求めるのだ?」
「第一に金銭を。よければ、閲覧できる分の重要な魔法の資料とかも見たいです」
実に魔導師らしい要求だ。金に知識。魔導師はいつもこれらに喘ぐものだ。
魔導師らしい、が……。
「……クレイブ、この年頃の子供は、お菓子やおもちゃを欲しがるものではないのか?」
「だよなぁ。おかしいよなぁ。こいつがオレに初めてねだったのも、魔法を教えてくれ、だぜ? いまじゃオリジナルの魔法も自分で作ってるくらいだ」
「おっ……!」
クレイブの言葉を聞いて、背筋を冷やりとしたものが駆け上がる。独自の魔法を作る作業は、魔法院の卒業課題にしているほど難易度の高いものだ。魔法院で単語や成語の知識を深め、魔力の操作に親しみ、それをみっちり五年こなしたうえで、学生は卒業間際にやっと呪文を組み上げることができる。その時点でも、使い物にならない魔法を発表する学生は山ほどいるし、目を見張る呪文を作る卒業生など一割いるかいないか、そんな程度。
つまりこのアークスという少年は、すでにそのレベルにあるということになる。
この年頃でそんなことができるのは、天才と名高い王太子殿下くらいのものだと思っていたが、まさかそれに匹敵する才を持つ者がいようとは。いくら国定魔導師の教えを請うているにしても、尋常ではない。
「……それでこんなものを生み出すまでになったのか。末恐ろしいな」
これまで幾人の魔導師たちが追い求めていたものを作り出すこの発想と機転。
今後成長していけば…………どうなるのか予想もつかない。
……改めてアークス・レイセフトに視線を向ける。
顔は少女にも見えるほど愛らしく、あどけない。
いまは緊張からか、頻繁に紅茶に口を付けている。顔立ちも仕草も微笑ましく、恐るべき才を持っている人間には到底見えないが――
視線をクレイブの方へと戻す。
「……それで、このことは国王陛下には?」
「まだだ。あいつのことだ。言ったらすぐ「生産に関しての目途が立ってるかー」だとか、「関係各所に根回しは済んでるかー」だとか言うに決まってる。やってなかったら何言われるかわからんからな」
……確かに、国王陛下ならばそういった話までするだろう。陛下は仕事ができる人間を求める。報告すれば、間違いなく結果とその先まで訊ねるだろう。
あとのことも見据えて動いていなければ、何か小言を言われるのは間違いない。
だが――
「先に言わなかったら言わなかったで「なんで俺に一番初めに言わなかったテメェ」……などと言われるのではないか?」
「理不尽だよなぁ。あの魔法バカめ」
クレイブとそんな話をしていると、アークスが目を点にして固まっているのに気が付いた。
「いや、あの、国王陛下をあいつとか、魔法バカ呼ばわりって……」
「ん? ああ、そうだな」
ライノール王国では……いや、他国でもそうだが、国王ならびに王族は神聖であり、絶対の存在だ。そんな存在に対し、このような不遜な言葉を吐くなど、不敬罪で処断されてもおかしくない。
確かにそれは常識だが、このクレイブという男に関しては、少々事情が違っている。
「あいつとは友達でな。昔はよくお忍びで街に出てきては、オレと一緒に暴れ回って――」
そんな風に、クレイブが現国王陛下と共に打ち立てたとかいう、武勇伝を口にしていく。
やけに自慢げだが、こちらからすれば、それらはすべてひたすら傍迷惑な騒乱だったという印象しかないのだが。
一方、アークスはと言えば、それを聞いてぱくぱくと口を動かしている。
やがてクレイブの自慢話が終わると、
「じゃあ報告だけはしておいたからな」
「わかった。こちらは受け入れる体勢を作るだけで構わないな?」
「ああ。研究やらなんやらはこっちでやっておく。発表の目途が付いたら、根回しだけたのむわ」
クレイブはそう言って、席を立とうとする。
「これは持っていかないのか?」
訊ねると、これにはアークスが答える。
「それはギルド長が使ってください」
「オレたちからの心付けってヤツよ」
「まったく、小生意気な連中だ」
そうは言ったが、内心の興奮は隠せなかった。
そして、退出の折――
「アーベント」
「あん?」
「王家にとこしえの忠誠を」
「おう。王家にとこしえの忠誠を」
そう言いかわして、クレイブは二人を引きつれ部屋を辞したのだった。