第十七話、スウとのお勉強会
人攫いの件があって以降、黒髪の少女スウとはあれからちょくちょく顔を合わせている。
同年代の子供との交流……と言えば理知的に聞こえるかもしれないが、実情は王都を二人で遊び回ったり、話をしたりと実に子供らしい交流に落ち着いている。
基本的に、行動力のあるスウに振り回されている感が強いのだが。
広場で自己紹介をしたときにもその片鱗を見せたが、彼女はどうやらかなりの魔法大好き少女であるらしく、魔法の話には目がない。魔法の話を始めると目をキラキラと輝かせ、あの単語はどういう場面で使うだとか、あの成語はこういった意味を含んでいるだとか、持論を展開し始める。
その熱中ぶりはすさまじく、いつの間にか時間が経ってしまうほどだ。
もちろんそれに付いていけるアークスも、底抜けの魔法バカではあるのだが。
結局彼女が何者なのかは……それについてはまだ聞けていない。やはり名家の子女のお忍びではあるようなのだが、身元に関しては簡単に他人に言ってはいけないらしく、その点については謝罪があった。
「ごめんね。でも、仲良くしてくれると嬉しいかな……」
不安そうな視線に、どことなく縋るような色合いが含まれていたのは、家の事情があるからなのだろうと思われる。
そう言った事情で、彼女も友達作りには苦労しているのだろう。
ともあれこの日も、時間を合わせて、二人で一緒に魔法の勉強をしていた。
場所に関しては日によって変わるのだが、この日は王都のカフェのテラス席だ。
どちらかと言えば庶民向けの店であるため、優雅にお茶~とはいかないものの、落ち着いた雰囲気に身を置ける。少々の金銭が掛かるため『毎度毎度ここで』とはいかないものの、飲み物ありで安全に気を配る必要がないため、場所選びの選択肢の一つに上がっていた。
端の席に案内されたあと、スウの対面に座って勉強道具を広げ――しばらく。
いまは木製の丸テーブルの上に紀言書やペン、メモ、その他には、ガラス製の茶器などなど。男の記憶があるため、ちっともおいしいとは感じられない砂糖菓子も、スウにとっては喜ばしいものなのか、箸休めにペロペロと舐めている。
二人でする勉強は、基本的に自分たちが個々で勉強して知り得たものを教え合うというスタイルと、二人の知識を持ち寄って紀言書から新しい【魔法文字】や【古代アーツ語】を発掘するという作業に当てられる。
もちろん、アークスにもスウにも互いに教えてはいけない単語や成語が存在するため、その辺りの線引きはあらかじめしているが。
「……だから、この単語はこっちの文にもかかってるから」
「じゃあこっちは?」
「たぶんこれじゃないかな?」
そんなことを言いながら、紀言書の一つを手に取る。
そして、メモを確認しつつ、神妙な顔になって、
「第一紀言書、天地開闢録にある、大きな地揺るぎ。大地震撼。つまり地震だ」
「地震……」
「紀言書の通りに読むと……唸りどよめく地震によりて、崩れたるは丘バハル。山、谷、川、海を呑み込みて平らげ。残されたるもの悲しみに暮れなずみ、ナイに悲嘆を捧げたる――」
おそらくこの文は、地殻変動を含んだ巨大な事象を記したものだと思われる。
山河大海に影響を与えるほどの地震であるため、よほどのことだったのだろう。
【丘バハル】。
【悲しみに暮れなずむ】
【ナイ】。
【悲嘆を捧げる】。
……に関しては、まだ情報が足りず解読しきれないのだが。
(悲嘆を捧げる……悲しみを捧げてなんになるんだ? そもそもナイってのは……)
アークスが考えていると、スウが「うむむ」と低い唸り声を出す。
「地震……これを呪文に組み込むのはちょっと無理そうだね」
「そうだなぁ。規模が大きすぎるもんなぁ」
地震。これは魔導師の手には余る現象だろう。必要分の魔力もそうだが、おそらく既存の言葉を組み合わせた程度では、制御しきれないはずだ。
もし仮にできたとしても、今度は呪文が長くなってしまい、詠唱が大変だ。長い呪文を記憶できても、呪文をトチって詠唱不全を起こしてしまえば、魔法は発動しない。
スウが椅子の背もたれに身を投げ出す。
「ひと区切りにしよっか。集中力切れちゃった」
「そうだね。そうしようか」
いい区切りだと、スウの提案を受け入れて、書物やメモを閉じる。
二人してうだうだし始めた折、アークスはふと以前のことを思い出す。
それは、人攫いの男に攫われそうになったとき、スウが使おうとした魔法のことだ。
「あのさ、この前スウが人攫いに使おうとした魔法だけど」
「使おうとした魔法? あいつにはいくつか撃ったけど……どれだっけ?」
「ほら、ぼくが【がらくた武装】を使う前に使おうとしたあれ――」
「あ! あ、あ、あれ!? あれあれあれは、あの、その……あはは」
スウが背もたれから弾かれる。態度が焦りを帯びて、急によそよそしくなった。
どこか誤魔化したそうな雰囲気があるが、ということはつまり、だ。
「あれは教えるとダメなやつなんだ」
「あの呪文は、その、ね? うちの秘伝だから……」
教えられないということか。
「なら、無理に聞くわけにはいかないよね」
「ごめんね。私の方はいろいろ教えてもらったりしてるのに……」
「それも含めてお互い様だよ」
そう、その辺りはお互い様であるため、心苦しそうにされると逆にこちらが困る。
スウとは、互いに魔法の知識を教え合う間柄なのだ。
アークスは男の知識を利用して、こちらの世界ではまだ一般的でない概念や現象、それを踏まえて見つけた言葉をスウに教えているのだが、スウは歴史的な成語やら古い言葉に強いため、彼女からはそちらのことを教えてもらっている。
しかも、これがなかなか知識豊富だ。彼女が教えてくれたおかげで読み解けていない文章の解読ができたり、成語に含まれる意味もいくつか追加で知り得たりできている。
先日作った【黒の銃弾】の魔法の中核となる、【死神のまなざし】などの成語は、彼女からもたらされたものだ。
その辺を考えると、こちらがかなり助けてもらっているようにも思えるのだが。
ともかく、この前の魔法だ。
呪文のことは教えてもらえないようだが、ちょっと紐解こうとするくらいなら、構わないはずだ。
…………アークスは、男の記憶を得てからというもの、記憶力が尋常ではないほど増した。
文字や言葉を覚えるのも苦にならないし、男が読んでいた本も、繰り返し何度も読んだ本に限られるが、一字一句覚えているほどの記憶ぶり。
さて、あのときスウはなんと言っていたか――
(天蓋を焦がす跫音。眩くあって空にあり)
だったはずだ。
魔法の結果を呪文から紐解くには、まず単語が意味するものや成語が含まれていないかを確認したのち、かかる言葉に組み合わせて、考える必要がある。
となれば、
「天蓋は貴人の場に設ける覆いや空……それを焦がす足音……ここで言うのは気配か――」
「……ほえ?」
解き明かし始めたのを聞いたスウは一瞬間抜けた声を上げて固まったが、すぐに弾かれたように動き出す。
「待って! 待って待って待って! そこまで! そこまで!」
「え?」
「ダメ! 考えない! これ以上考えるの禁止!」
「いや、ちょっと考えるくらいはさ。どうせ呪文の一部分だけなんだし」
「一部分でもダメだよ! アークスならきっと答え出しちゃうもん! っていうかなんでそれだけでそこまで解読しちゃうの! 跫音とか天蓋とか意味も言葉も誰だって知らないはずでしょ!」
「そんなことは……ないと思うけど」
……とは言ったものの、よくよく考えれば魔導師間でもあまり一般的でない【古代アーツ語】だ。確かこれらはどちらも、伯父上でも投げ出した【クラキの予言書】の一部に記載があったものだと記憶している。
「ほら、これにさ。書いてあるし」
「く、【クラキの予言書】! 読めるの!」
「最近ちょっとね」
そんなことを言いながら、スウを宥めていると、
「アークスはおかしい! おかしいよ! 特に頭が!」
「ちょ、その物言いはひどいだろ!」
そんなことをぎゃあぎゃあ言い合いながら、スウとは親交が深まったり、深まらなかったり……。




