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第百六十二話 人形と人形師。鐵の薔薇の憂鬱



 ――ライノール王国が征伐の準備を進めている。



 そんな報告を聞いたドネアス国王、ルジャーノ・ディストディは、驚きと共に王座から立ち上がった。



「ライノール王国が攻めてくるだと!? どういうことだ!」



 ライノールの侵攻。政治に関心の薄いルジャーノにとって、その報告はまさに寝耳に水だった。あまりに慌て過ぎたのか、その取り乱しようは極めてひどく、手に持っていた金の杯を取り落とし、中身を床にぶちまけてしまうほどであった。


 ワイン色の水溜まりが床に広がるが、それすら気にならないのか。神経症でも患ったかのように、両手を顔の前で小刻みに震わせている。



 そんな報告を持ってきたドネアスの宰相は、段の下で大仰な身振り手振りを交えながら、国王ルジャーノに訴えかける。



「ははっ! 現在、そのような兆候が見られますれば!」


「なぜだ!? どうして!?」


「やはり、陛下がライノールの請求を突っぱねてしまったのが原因かと」


「私が原因だというのか!? そもそもどうしてあの件が我が国の仕業だとバレたのだ!?」


「それは……ライノールの実力端倪すべからざるもの、ということなのでしょう。いやはや侮れませぬな彼の国は」



 宰相はまったく予想していなかったというように、驚いて見せる。

 ルジャーノにはそれが演劇でも見ているかのように錯覚させたが、いまはそのわざとらしさを咎められる状態ではなかった。



「だ、だがどうするのだ!? い、いや、相手はライノール王国だぞ!? まさかクロス山脈を越えて我が国に来るというのか!? いくらなんでもそれは現実味がないではないか!」



 ルジャーノの認識は至極真っ当なものだ。

 ライノール王国とは間に北部連合を挟むうえ、行軍距離もかなりのものになる。

 戦争を起こすにも障害が多くあり、政治的にも現実的ではない。



 ……戦争となれば、まず自国の勝ちを見据えるものだ。長距離の行軍は補給などの関係上、開戦は慎重にならざるを得ないし、防衛側の有利も考慮しなければならない。

 だが、それはルジャーノが、魔人の騒動からの成り行きを正確に把握していないがゆえのものだ。実際彼は、自分の国が傭兵を集めていることも、兵糧を買い集めていることも知らなかった。ライノールが戦争せざるを得なくなるよう追い詰めたことなど、まったく慮外であったのだ。



 だがいま一番彼が気になったのは、宰相の表情だった。まるで喜ばしいことでもあったかのように、一貫して笑顔のままでいる。

 それが、ルジャーノの神経を大きく刺激した。



「宰相貴様! どうしてそのように嬉しそうにしているのだ!」


「どうしてとは異なことをおっしゃいます! それはもう嬉しいからですとも! どうしようもなく! このうえなく!」


「あれだけ自信満々で言っておきながら、魔人の件が失敗に終わったのだぞ! このような事態を産み出しておいてよくもまあそんなことが言える! その首いますぐ刎ねてやろうか!」


「我が王! しばらく! いましばらくの寛恕を!」


「寛恕だと!? 貴様にそんなものが与えられるとでも――」



 ルジャーノの怒鳴り声が終わるのを待たず。

 頭を垂れる宰相の瞳が、垂れた前髪の裏で妖しく光った。



「我が王。あの魔人の策は、失敗をも見越してのものなのでございます。わたくしめは最初から、あのような策が成功するとは微塵も思ってはおりませんでした」


「いまさら言うか! あれだけの大言を吐いたというのにか!」


「はい。まったくもってその通りにございますれば」



 宰相が向けたのは、満面の笑みだ。自らの王の勘気から積極的に逃れようともせず、むしろなんの臆面もないというように。

 それは子供が親に見せるような、屈託のない笑みだった。

 ルジャーノはその場違いな笑顔に不気味なもの感じ取り、気圧されてしまう。



 宰相はルジャーノの右側へ回る。まるでこれから、悪事を耳元でささやくように、だ。

 やがてどろりとまとわりつくような粘り気のある声が、ルジャーノの耳の奥を這いずった。



「陛下。陛下。よくよくお考えになってくださいませ。これは好機。好機なのでございますよ」


「こ、好機、だと……?」


「はは。古今東西、戦とは防衛側が有利というのは誰もが知るところ。しかも、相手はわざわざ遠くから労をかけて、我ら懐に飛び込んでくるのです。ここは地の利も大いにあり、そして陛下の御威光を背負う有能な将も兵も、すべてが揃っております。この有利な戦でライノールの将たちを捕らえ、解放の条件に魔力計を提示すれば……」


「な、なるほど! そうか! そうれもそうだな! 何も恐れることはない! 我らが勝つに決まっている!」



 ルジャーノの右耳が、じうじうと(ただ)れ始める。

 さながらそれは、酸の混じった毒気を直に浴びせられたかのよう。



「はい、はい。その通りでございます。その通りなのでございます」


「ふふふ、ふはははは! よし! では宰相、そのように進めろ! 金はいくらかけても構わん! 我らが勝利した暁にはライノールのすべてを我がものとするのだ!」


「はは。我が国王陛下の仰せのままに」



 宰相はひと仕事を終えたというように、もと居た位置に戻る。その顔は先ほどの昂揚が嘘だったかのように至って冷静であり、一方のルジャーノは宰相の先ほどまでの場違いな昂揚が移ったのか、異常に興奮している有様だった。


 まるでもう、戦に勝ったかのよう。



 王座の間に冷静な声が響く。



「陛下。それともう一つ、見逃せぬ件が」


「なんだ? ライノール以外にも何か問題があるのか?」


「ヒオウガ族についてでございます。これまで動きがありませんでしたが、もしやすればこの機に動き出すやもしれませぬ」


「放っておけ……とは言えないか。そちらもよく警戒しておけ」


「承知いたしました」


「あとは北部連合の動きだな」


「向こうにも動き有りとのこと。諜報部の報告では、北部連合にはライノールと同調する気配があるようでして……」


「なんだと! なぜそうなるのだ!? 北部連合はこちらの味方ではないのか!」


「おそらくは連合の盟主である『鐵の薔薇』が押し通したのかと存じます。『鐵の薔薇』は、ライノール寄りでございますからな」


「っ、メイファ・ダルネーネス、あの小娘め……まったくもって忌々しい」



 これまでルジャーノも、北部連合とはうまくやっていたし、何も問題はなかった。しかし、メイファが盟主の座に就いた途端、歯車がまるで噛み合わなくなったのだ。



 邪魔が入る。横やりばかりだ。メイファの行動は、いつでもルジャーノの神経を逆なでした。

 ルジャーノはメイファの顔を思い浮かべる。あの怜悧な美貌が、いまは、この上なく忌々しかった。





 北部連合ダルネーネス領。複合要塞都市エルダイン中央。

 その王座の間に、一人の男が入って来る。

 その男は、メイファの側近であるロックスだ。目の下には黒いクマを作り、どこか眠たげで、気だるげ。無精ひげをそのままにしただらしない風体の男で、顔には軽薄そうな笑みが浮かんでいる。



 ロックスは資料を手に持ったまま、部屋の奥に進む。

 彼が正面に見据えた王座には、一人の女が座っていた。

 黒いドレスを身にまとい、手に嵌めるのは黒のギャザーグローブ。身の回りを黒で統一しており、それと(こと)にするのは、なだらかに波打つダークブロンドの髪と薄い唇、そして雪を欺くような白い肌、いまは閉じられたままの紫の双眸のみ。

 王座の手すりに頬杖を突き、目を閉じたまま、身じろぎ一つしないでいる。



 エルダイン要塞の主、メイファ・ダルネーネス。

 ロックスの気配を感じ取ったのか、彼女はその瞳を開いた。



「ただいま戻りました」


「……うむ」



 ロックスが声を掛けても、メイファの表情は動かない。

 返事一つしただけで、ただ薄目を開けて睥睨するのみだ。



 そんな氷像めいた女が、さも意外そうに言葉をこぼす。



「まさか、ライノールがドネアス討伐に踏み切るとはな」


「それも仕方ないでしょ。ドネアスには攻め入ろうとする兆候がありますからね」


「そうだな。いまのライノールの立場を考えれば、そうせざるを得んだろうよ」


「もし、そうしなかったら?」


「そんなもの決まっている」



 メイファは議論の余地もないというように、冷たくぴしゃりと言って退ける。

 その容赦ない言い草に、ロックスは苦笑するしかない。



「それよりもドネアスですよ。まさかライノールにちょっかいをかけたうえ、侵攻する素振りまで見せるんですから」


「正面には我らもいるというのに、随分と大胆に走ったものだ。ルジャーノ・ディストディの暗愚もここに極まれりだな」



 メイファは目の上のたんこぶを嫌がるか。いや、毒にもならない俗物の存在にあきれ果て、頭の中から追い出そうとしているほどだ。



 メイファが銀鈴のような声を響かせる。



「で? ロックス。ケルノー伯はその後、どう言っているのだ?」


「なんでも、ライノールが連合(こっち)に侵攻するとかどうとか言って、要領を得ません。よくわかんないですね」


「ふむ。なにか魔法でもかけられたか?」


「そうではないようですが……よくわからないですけど、どうにも腑に落ちないことが多くて尋問官も困ってるんですよ。まったくどうしたもんか」



 ケルノー伯とは、先のライノールでの事件の折、ドネアスの侵入の手引きをしたと思われる、連合の貴族だ。しかし、行動の証拠はほぼ揃っているにもかかわらず、言動は支離滅裂で何を言っているのかわからない有様。



 ロックスは困りあぐねたように、項垂れて肩を落とす。いちいち動きが仰々しく無作法が目立つが、メイファはそれを咎めもしない。それは、彼女が形式、格式よりも、有能さで人を判断するからだ。



「それでメイファ様、ライノールからの要請ですが、こっちはどうしますか?」


「構わん。軍の通行の許可を出せ。ライノールにはそれでこちらに敵意がないことを示すとしよう。それで向こうも何も言ってくることはないはずだ」


「作戦への協力はどうするんです?」


「連合はライノールの同盟国だからな。向こうから請われれば戦力は出さねばなるまい。ライノールが講和を最終的な目的とするなら、今後我らの圧力も必要になるだろう」


「こちらにも旨みはあると?」


「ほう? お前はそれがわからん男ではないと思っていたが?」



 ロックスの試すような言葉に、メイファが返したのは冷ややかな視線だった。

 それを見たロックスは、降参したように後ろ頭を掻いた。



「そうっすね。ライノール軍が入れば、そりゃあどこも特需でウハウハでしょう。向こうもそれを餌にするでしょうし……ただ、憂慮があるとすれば一つ」


「食料だな。我らも南に穀倉地帯を持っているとはいえ、北方はそれほど食料に豊かな土地ではないからな」



 もしライノールの軍が、一時的にでも連合に駐屯することになれば、食料の需要は格段に増えることになる。もちろんライノール本国からの物資の供給もあるだろうが、現地での買い付けがないわけではない。ドネアス領に攻め入る前に、多くの物資を買い漁ることは想像するに難くなかった。


 下手をすれば、民が飢餓に喘ぐことになる。行軍に必要になる食料は、平時のそれを遥かに凌駕するし、それを目当てに食料を見境なく売りつける商人などは、往々にして己の懐具合にしか興味がないものだ。食糧事情だけは、自分たちで掌握する必要があった。



「軍の通行許可に、要請があった場合は参戦っと……では、どの軍を動かすので?」


「今回は私が出よう」


「え?」



 ポカン。そんな間抜けな音が聞こえそうなほど、いまの言葉でロックスは呆気に取られてしまった。やがて彼はその呆然から回帰する。



 白昼夢でないことを確認するように周囲を見回し、焦ったように聞き返した。



「え? え? いや!? メイファ様自ら御出陣ですか!?」


「王国に付くと決めたのは私だぞ。ならば、椅子の上でふんぞり返っているわけにもいくまい。それに、いまのうちにいろいろ見ておきたいものもある。あとでザッセムとバルカンを呼んでおけ」


「りょ、了解しました……マジかぁ」


「無論、お前にも出てもらう。期待しているぞ」


「わかってますって」



 ロックスはメイファの怜悧な顔を見て、疲労がさらに嵩んでいくのを感じた。

 活躍を望まれているのか、なんなのか。一見してわからない己の主の感情に首を傾げるも、そんなもの気にしていても始まらないと、益体のない思考を頭の中から追い出した。



「で、話は戻るんですが、ケルノー伯の件はいかがいたしますか? 口封じでもしておきますか?」


「それはこちらで確保しておけ。尋問を続けていれば、何かしら出てくるだろう。だが決してライノールには突き出すな。痛くない腹を探られて、ありもしない弱みを握られるなどあってはならん」


「了解しました。余計な口がない方が俺はいいと思いますけどね」


「あまり剣呑な方へ走り過ぎるな。そうでなくても我らはやり過ぎたのだ」


「……そうっすね」



 メイファが連合の盟主になるために、これまで多くの血を流した。いままた粛清などに手を出せば、今度こそ離反者を出す恐れがあった。

 だが、それはメイファの抱いたイメージである。ロックスにとっては、彼女の名声に傷さえつかなければ、膿み出しに血が混じったところでどうでもいいことだった。



「現在のドネアスの状況はどうなっている?」


「どうやら金に糸目を付けず傭兵を募っているようですね。北部で活動する傭兵団が、続々とドネアス国内に入っている模様です」


「軍の動きはどうだ?」


「それがですね、それについては動いたっていう話は聞かないんですよね……もう動いてもおかしくないんですが、傭兵たちを集める以外の話はまだなにも」


「……ライノールに攻め入る素振りを見せていたにしては随分と悠長だな」


「どういうつもりなんですかね。最近のドネアスはよくわかんないですよ。まあ同じ魔法技術国としてライノールにケンカを売りたいのはわかりますが、やり方が下手くそっていうか、あえて下手くそにケンカを売ってるっていうか」


「まるで攻めてきて欲しいと?」


「ええ。もしかしてそれが目的なんすかね連中。攻め込んできたライノール軍を自国領土で打倒して、捕虜にした将兵を人質にいろいろと請求する。主に魔力計の技術とかですか、考えられてそのくらいっすかね」


「……旨みがないわけではないが、回りくどいな。我らを間に挟んでやるには恐れ知らず過ぎる。そもそもそれほど魔力計が欲しいなら、帝国と手を切り遠交の計に則って技術提携すればいいだけだ」


「なんですよねぇ。たとえライノールとの戦に勝っても、疲弊したところに温存してたウチらに総力で攻め込まれたら、計画もおじゃんですし」


「我らとしてはうまいどころの話ではないな」


「もしそうなったらライノールからは睨まれそうっすね……実はそんな(はかりごと)とか動かしてないですよね?」


「当たり前だ。私とてライノールとぶつかる気はない」


「それがよろしいでしょう。国定魔導師やシンル・クロセルロードを相手にするのは命がいくつあっても足りないですからね」


「個々の戦力が戦局の趨勢を決めるものではない。お前の持論ではなかったか?」


「状況によるでしょ。ライノールみたいな国とぶつかるなら、戦術的には負けても、戦略的に勝利する手段を模索し続けることが必要です」


「面倒だな。やはりライノールとはいい関係であり続けたいものだ」



 メイファとて、いざ戦となれば決して負けないつもりである。だが、そうやって起こした戦で被る損害は、どれほどのものになるか。そういったことを考えれば、益を求めて短慮に動くことなどできなかった。



「あと、さっきの話の続きですけど、ドネアスが北牙の団長を招聘したって話です」


「ほう? グラス・ダリオスか。名は私も知っている。この北部でも名高い一団だ」


「いまは団の規模もだいぶ膨れ上がってるそうで、兵だけでも五百人を抱えるとか」


「一つの傭兵団にしては大きすぎる規模だ」


「他にもありますがデカいところはその北牙くらいなもんです。あとは……アイオネスの凶星も呼んだとか聞きましたね」



 その異名を聞いたメイファが、目を丸くする。あまり表情を変えない女が、珍しく。



「アイオネスの凶星とは、あの不敗の用兵家のことか?」


「そうです。ま、さすがに不敗は盛り過ぎですけどね。ちょっと頭が良くて、多少器用って程度のものですよ」


「さすがに身内には厳しいな」


「身内って言っても同じ里の出身ってだけですから。面識もガキの頃に面倒見てた程度ですしね」


「才は?」


「いまじゃ群を抜いていますよ。まだまだ若いのに里を出て、傭兵なんてやってますからね。魔法の腕も立ちますし、後ろで指揮もできて、前にも立って戦えるとくれば」


「なるほど。『アイオネスの凶星』、ルセリア・アイオネスか……」



 ドネアスの精鋭たちに、傭兵団『北牙』、そして凶星と呼ばれる用兵家。

 メイファは今回のドネアス征伐は、厳しいものになることを予感せずにはいられなかった。




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