第百五十九話 たまり場での一幕
魔法院で起こった事件から一週間後。
事件後は騒がしい日分が続いたが、いまは落ち着きを取り戻し、魔法院では講義が再開されていた。
平穏を取り戻したのは、たまり場も同じであり、現在はアークス、リーシャ、シャーロットが集まっていた。
「お給金が……お給金が減ったですよぅ……」
メルクリーアがひどく嘆いている。というかぐずっている。
たまり場の一角を占拠して、テーブルに項垂れるように突っ伏して、涙まで垂れ流している姿を見ると、これが国を代表する魔導師の一人だということを一瞬忘れてしまうほど。
傍らには飲みかけのアイスティーが入ったコップを置いており、もしこれがアルコール飲料だったなら、場末の酒場でやけ酒を煽るダメな大人そのままだっただろう。
たまり場に入って来るなり、「何か飲み物を」と自然な様子で飲み物を注文したかと思えば、据え置きのお菓子を酒のツマミのようにポリポリ。アークスが「アイスティーか麦茶で」と言えば「お酒はないのですか?」と返してくる始末である。仕事中ということをどこかへ忘れてきてしまったらしい。
「アークス・レイセフト。次はソーマ酒をお願いするです」
「ダメですって。ここは学び舎ですよ?」
「飲みたいです。最近全然飲んでないです」
「いま醸造中なんです。出来上がるまでもう少し待ってください」
「なら早くするです」
「…………」
そこまでアルコールを欲するかこの女史は。
あまりに場違いで彼女らしくない態度に、すでにたまり場に入っていた面々は困惑も困惑。そのうえ、聞いてもいないのに、先日の騒動の顛末をとりとめもなく話し出した。
メルクリーアの、説明……というにはだいぶ親切さに欠けた話を要約すると、だ。
魔法院に間者が潜入していたことで、その辺の責任を取らされてしまったらしい。
問題が起これば立場が高い人間から責任を問われるのが世の常だ。それは魔法院の院長であるエグバードも同じだったようだが、向こうはそれほどダメージはなかったらしい。むしろ彼の一番の問題である魔人の件が解決したことで、気が楽になったようだった。
「ズルいです。あんな晴れやかなお顔の院長閣下など見たことがないです。ズルです」
「やめましょうよそんなこと言うの、誰も幸せになりませんよ?」
「ならみんな公正に不幸になれです」
魔導師が呪いの言葉を吐くとは何事か。
同調圧力という、文明に何の寄与もしない負の面の文化に憑りつかれそうになっているメルクリーアをみんなで宥めようとするが、ぶつぶつと呪いを吐くだけで、一向に聞き入れようとしない。
ならば落ち着くまで放っておこうということになり、また別の会話が始まった。
シャーロットがホットの紅茶に口を付けながら、話を切り出す。
「それで、結局アークス君の処遇はどうなったのかしら?」
「なんかすぐには決められないらしい。取り急ぎ魔法院での事件を解決した功労者の一人ってことで何か褒賞が出るみたいだけど、何が出るかってのはまだわからないんだ。まず、俺とメルクリーア様は確定で、あとは働きをした人間にも出るみたいだな」
「そう。じゃあ今回の、なかったことにされる恐れはないのね」
そこで、リーシャが控えめな様子で手を上げた。
「兄様。ノアさんとカズィさんにも出るのでしょうか?」
「あの二人は俺の従者ってことだから、俺から出せってさ」
「そうなのですか? どうするのです?」
「うーん。なんか今回出た褒賞でどうにかやりくりするよ」
王国の憲法に則ると、家臣なので自分に与えられた分から賄えということになるらしい。これについてはどこでも普通のことであるため、特に言うことはなかった。
「それで、いただくものは何か決まってるの?」
「それは俺にも……」
「兄様は何がいいですか?」
「金だな。金がいい。金しかないな。うん」
「…………」
アークスの身も蓋もない即答を聞いたリーシャは、笑顔のまま固まってしまう。彼女も自分の兄がこんな守銭奴だとは思っていなかったのだろうが、お金は大事だ。
「アークスくん? それは少し直接過ぎるのではなくて?」
「なにを、お金は大事なんだぞ?」
「わかるけど、武家の人間がお金お金っていうのはあんまり褒められたことではないのでは?」
「なんとでも言えばいい。お金は大事なんだ本当に。二人もそのうちわかるようになる」
金金金と、金の話しかしないアークスには、埒が明かないと思ったのだろう。
二人はメルクリーアの方を向いた。
「アークス・レイセフトへの褒賞ですか。いろいろと挙がっているですよ? 手っ取り早く金銭で賄うというのもあるですが、爵位を与えようという話も出ているです」
「爵位かぁ……」
「あら、いいじゃない? アークス君には相応の地位が必要じゃなくて?」
「うーん。その分、税金も上がるだろ?」
「年金も出るですよ。あまり出ていくお金に固執してはいけないです」
アークスは「いまそれをアンタが言うのか」と言いたくなったが、確実に要らない波風が立つので黙っておくことにした。
アークスがメルクリーアに訊ねる。
「爵位ってそんなに簡単に貰えるものなんですか?」
「あの騒動が簡単と言うですか? 魔法院の地下の問題は、王国が長年放置して来た危険物なのですよ?」
「いえそういうわけではないんですが、もっと何かすごい功績を沢山あげないといけないといけないとか思ってたので」
「魔力計を作った時点でもう十分あげているです。そうでなくても呪詛計なる品や、あの少ない魔力で強い魔法を使う品まで作ったのです。これで爵位が得られなければ、王国の貴族はもっと少なかったはずです」
「いやー、あはは……」
「兄様、この期に及んで笑って誤魔化すのはさすがにダメです」
「ぐふっ」
義妹からの掣肘がもろにわき腹に入る。
やはり最近のリーシャは手厳しくなった。一体これは誰の影響なのだろうか。いやこれくらいしっかりしていた方が、貴族社会の荒波にも堪えられるのだろうが。
「そもそもアークス・レイセフトはレイセフト家という由緒ある血筋の人間です。それにアーベント卿という前例もあるです。爵位に関しては難しい話ではないです」
「伯父様も、新しいお家を立ち上げたんですよね」
だが、やはりその件についてはタイミングを計りたいというのは正直なところだ。
しかし、それを周りが待ってくれるわけもないのだ。上の事情で押し通されるし、選ぼうと思って選べるわけではない。不自由は仕方のないしがらみだ。
では爵位を得たらどうか。まず風当たりは強くなるのは確実だろう。間違いなくジョシュアが動き出す。直接的にしろ、間接的にしろ。こうなるともはや無能がどうだなどという話など、関係なくなってくるだろうが。
人は感情で動く生き物だ。自分の激情の前には合理性など簡単に度外視される。
「爵位はまだ当分いいかな」
「アークス君はそれでいいの?」
「いいのいいの。出る杭は打たれるって言葉もあるだろ?」
「知らないわね」
「すみません兄様。私も知りません」
「…………」
知らないのも当然だろう。これは男の世界の言葉だ。二人が知る由もない。
そんなときだ。部屋の入り口から、感心したような声が響く。
「――ふむ。出る杭は打たれる。頭一つ抜け出せば、引っ込むよう上から叩かれるし、打たれ過ぎれば二度と出て来れなくなる。意味合いとしてはそんなところか」
「そうそう。そんな感じ。だから、叩かれない程度に少しずつ少しずつ出るのが一番いいんだが……最近そうも言ってられないんだよな」
「仕方あるまい。待っていては機を逸する」
「だな。鉄は熱いうちに打て、だ」
「ほう? 確かに、冷えた鉄を叩いても意味はないな。熱いときの方が形を作れる。なるほどアークスのたとえはいつも面白い」
「そりゃどうも」
これも追体験して覚えたものなのだが、その辺の説明は難しいのでパス。
声に惹かれ、部屋の入り口に向けると、そこには厳かな雰囲気で頷くスウがいた。
顔を見ると、何かに気付いたのか、目を丸くしたあとバツの悪そうに咳ばらいをする。最近はどことなく猫の被り方が甘くなっている気がしないでもない。
頭の上の猫三兄弟も夏バテ中だろうか。もしくはストライキでも始めたか。
ともあれ。
「お疲れ」
「うん」
スウは頷くと、自然と隣の椅子を引いて腰掛けた。
シャーロットの顔が不自然ににこやかになる。
「あら? スウシーア様、少しアークス君と近いのではありませんか?」
「正面に座っているシャーロットさんに言われたくはありませんね。シャーロットさんはいつもアークスの前に座るでしょう?」
「別に選んでいるわけではありません。リーシャたちとも近いですし、それはここが一番腰を落ち着けやすい場所だからです。スウシーア様はもう少し、距離を考慮する必要があるのでは?」
「いえ、その必要はありません」
「なぜ?」
「アークスが私のものだからです」
「――は?」
あまりに飛躍した話を聞いて、思わず声が出てしまう。
どうしてカテゴリーが所有物なのか。
しかし、当のスウはこちらに構う様子もない。
「す、スウシーア様? それはどういう意味で言った言葉で……」
「どういう意味もそのままですけど? アークスは私のものです。自分の物を手元に置くのに、遠慮などする必要はないのでは?」
スウの言い分があまりにぶっ飛び過ぎていて、理解が及ばず口が半開きになる。
そこへ、追加の攻撃。
「ねー? この前だって、私のこと守ってくれたしー」
澄ました声が一転、猫なで声に変化する。そしてその言葉と共に、不必要にくっ付いてくる公爵家のお姫様。ほぼ密着だ。椅子を近付けて、もたれかかって来た。
お互いを隔てるものが何もない。
「お、おいスウ! ちょっと」
「別にいいでしょ? これくらいー」
スウは甘えるような声を出して、頬ずりしてくる。一体何が起こっているのか。突然よくわからない状況に陥ったせいで脳みそがフリーズしてしまう。
リーシャは驚きのせいか顔を両手が伸び、一方シャーロットは勢いよく立ち上がった。
「す、スウシーア様!? なななな何をなさっているんですか!?」
「何って、アークスにくっ付いてるだけだけど? それがどうかした?」
「どうかしたって、どうかしてます! そんなにくっ付くなんて! ききききき、貴族というものはもっとなんというか慎みというものを持って――」
シャーロットは、状況を目撃したせいか、言葉がまとまっていない様子。あわあわと慌てふためくばかりで、一向に先の言葉が出て来ない。
「す、スウ? もう少しその、だな?」
「えー? この前だって庇って抱き寄せてくれたのにー?」
「あれは……」
そう言えば、あの肉塊に囲まれたとき、立ち上がらせるとき抱き寄せた記憶がある。スウを守るために、『浄妙坊の太刀』を使ったときだ。
思い出すと、確かに大胆なことをしていたように思う。
「そう。そうなのね。そう……」
「あら? どうしたんですかシャーロットさん? 何かありましたか? うふふ」
「いえ、なんでもありませんよ? ふふ、ふふふふふ……」
また気味の悪い暗闘が始まったのか。二人の視線がぶつかっている。
これまでのギスギスが、もはやバチバチの域に入っていた。
さすがに空気を悪くするのはよくないと、なんだかんだぬくもりは名残惜しいが、一旦スウから距離を置こうと引きはがした。
すると、彼女はそれがお気に召さなかったのか、ぷくっと頬を膨らませた。
「むっ、なんで逃げるのかな?」
「逃げるって……まあ、そのあれだ。貴族的な節度をだな」
「私はそんなの気にしないけど?」
「いや、俺も一応貴族だしさ」
「あー、アークスったらずるいんだー。いつもは貴族がどうこう言ってるくせに、こういうときだけ貴族を持ちだすなんて卑怯だよ?」
「うぐっ」
痛いところを突かれてしまった。
一方でスウは言い負かしてしてやたっりとばかりに、またひっ付いてこようとする。
そんなときだ。立ち上がったシャーロットが椅子を引っ張って来て、無理やり反対隣に腰掛けた。
「シャーロットさん? 正面が一番座りやすいのではなかったのですか?」
「ちょっと隣の座り心地を確かめたくなっただけです」
シャーロットも笑顔だ。種類はとびっきりの余所行き。古今東西、笑顔は何より頑丈な盾になるというが、まさにいまそれを発揮している状況だ。
スウも顔に笑顔を貼り付ける。いや笑顔とは盾ではなく、相手と戦うための矛だったらしい。「うふふ」「あはは」情緒がかけらも感じられない笑い声が聞こえるたびに、背中がひどく寒くなった。
どうもそれはリーシャも同じらしく、背中をしきりに気にしている様子。たびたび振り帰ってはぶつぶつと何か言っているようだ。
それもあって、お互い大変だなと言うように視線を送ると、急に誤魔化し笑いを始めた。
どうしたのか。
ともあれ、この混沌とした状況だ。どうしようかと視線を彷徨わせていると、突っ伏したメルクリーアが目に入った。どうやらこっちはまだテーブルと同化しているらしい。
「ぐす、ぐす……」
「メルクリーア様。いい加減機嫌直してくださいよ」
「直らないです。お給金が戻るまでずっとこのままです……」
その前に教職員の詰め所に戻らなければならないと思うのだが、それはさておき。
「そんなにお給料が減ったのが痛かったんですか?」
「そっちもそうなのですがで、主に研究費の方が……」
「あぁ……」
削られてしまったのか。それは確かに痛い。額があまり大きくなくても、研究費が削られるというのは、国定魔導師としてかなりの痛手である。いくら国を挙げて魔導師の研究に力を入れているといっても、予算は無限ではないのだ。天秤の傾きは一定ではない。
「アークス・レイセフト。同情してくれるのでしたら、研究費を貸して欲しいです」
「いえウチの工房も予算が潤沢というわけではありませんので」
「稼いでいるではないですか! アークス生徒の工房は魔導師ギルドでも一番潤っている稼ぎ頭です!」
「だからってうちは別に金持ちってわけではないんですって。稼いだ分、魔導師ギルドや王家への寄付で手一杯なんですよ?」
リーシャが意外そうな、キョトンとした顔を見せる。
「兄様。そうなのですか?」
「そうなんだよ。金があるからってなんでも好きなようにさせてくれるわけじゃない。こうしてマメな付け届けとかしておいて、周囲と仲良くしてないと、すぐに邪魔を入れられるんだ」
「やり過ぎると、周りから金を贈って歓心を買ったって言われるですよ?」
「そこがなぁ。何もしてないのに恨むやつはいるんだよ……ほんとマジでな」
そう言って、メルクリーアよろしく項垂れる。何をやっても嫌われるところには嫌われてしまうのは、本当に頭の痛いところだ。
スウがしみじみと頷く。
「そういうの、アークスは一家言あるよね」
「あるな。あり過ぎるくらいにはある」
そう、重なりに重なった恨みつらみだ。積載過多でそのうち暴走事故でも起こしそうなほどには重なっている。
暗に父の話をしたからだろう。リーシャが引きつった笑いのまま固まった。そこはシャーロットが気を使ってくれたらしく、話題の路線を切り替えにかかった。
「レイセフトのおじさまの話はいいとして、他に恨まれることはあったりするの?」
「あるぞ?」
「あるのね……」
断言すると、シャーロットも自然と眉間に指が伸びる。
一方こちらは、言葉と一緒にため息が出てくる始末。
「この前、どっかのお偉い貴族様がさ、突然工房に乗り込んできて。大店との取引に一枚噛ませろとか言ってさ。それが嫌だったら、工房ごと傘下に入れって。まったく無茶苦茶言いやがるぜ」
「そんな横暴なことがあったのね……」
「あったんだよ。ちょっとばかし目立ってるのが気に食わないんだろうな」
「確かに目立ってるわね。これとか、あれとか」
シャーロットはそう言って、エアコンや冷蔵庫に目配せする。
原因の一つ……というよりは完全にそれらが原因だ。
工房はエアコンの一件で特に名声が高まった。それにスイッチ式の輝煌ガラスのこともある。それで、ごうつくな張りなお貴族様が、自分にも噛ませろと言ってきたのだ。
おそらくは、渋々頷いたあと、なんだかんだ言い掛かりをつけて、成果を取り上げようとしたのだろう。それがすぐにわかったからこそ、こちらも対処することができた。
「それ、どう決着をつけたの?」
「破綻させた」
「え?」
「向こうの商材を全部こっちで買い取って倉庫を枯渇させたあと、別の商人経由で、監査に引っ掛かりそうなものを掴ませてから、チクったのさ」
告白すると、スウには心当たりがあったのか、彼女は小さく驚いた。
「…………それ、もしかしてこの前、セドリナ家の話? 取り扱いが禁止されている品があったって大騒ぎになったの」
「そうそうそれそれ。向こうだって納入のときに細かくなんて調べないしな。その辺うまく突いて紛れ込ませたんだよ。余計な出費があって痛かったけど、まあこの場合仕方ないしさ」
もちろん嫌疑不十分で釈放されたが、貴族の動きを制限するには十分な出来だった。ケチが付いたら、周りもそう簡単に助けてくれるものではない。下手をすれば自分たちだって巻き込まれるのだ。貴族たちはセドリナ家から距離を取り、その隙にこちらはこれまでの魔導師ギルドへの寄付や、得たコネをフルに使って、防備を固めたというわけだ。
……こちらは権力者の知り合いが多いため、助けてくれと願い出ればいいが、そんなことばかりしているわけにもいかないのが世の常だ。これくらいの面倒事、撥ね退けてみせなければ、成り上がりは遠のくばかりである。一応これも成り上がりのための点数稼ぎの成算である。
ともあれ、この件で一役買ってくれた糸目の商人のことを思い出す。あのあとも定期的に連絡を取っていたことが功を奏し、すぐに取り掛かってくれた。
かなり大きめな借りが出来たため、早めに返す算段を付けなければならない。まあ、向こうも大して損はしていないため、あまり負い目に感じ過ぎるのも良くないことではあるのだろうが。
スウが片手で頭を抱える。
「その話、私は聞かなかったことにしておくね」
「そうしてくれ。まあもしかしたら、監察局の長官さんは把握してるかもしれないけどさ」
リサなどは、耳ざといし目ざとい。もうすでに資料をまとめて上の方に提出しているということは十分にあり得ることだ。もちろん敵ではないはずなので、大丈夫だとは思うが。
リーシャが難しい顔をして唸った。
「これが謀略というものなのですね」
「そうだぞ。リーシャも身の回りには気を付けろ。こういうのはいつ誰が仕掛けてくるかわからないからな」
「はい。気を配っておきます」
見ると、他の三人が「こいつ、よくそんな他人事みたいに話せるな」というような顔をしていた。おかしなものを見るような目だった。
「一通りかいつまんで報告したんだけどさ、そのときのギルド長の顔と言ったらさ……」
もちろん、御禁制の品を掴ませたことを言ってはいないが。
「ギルド長ですか。あの顔はやはり悪です」
「ここにいないからって、無茶苦茶言いますね……」
「大丈夫です。誰も告げ口をする人間はいないです」
ふと、そこでイタズラ心が芽生える。
「あ、ちなみに最近工房では音声を記録する魔導具を開発中でして……」
「そ、それは犯罪です! 一概にどの法律に抵触するかわからないですが犯罪です!」
また無茶苦茶を言う国定魔導師様である。
ふと、スウが手を叩いた。
「でも、そういうの、あると便利だよね」
「あればなぁ。議事録とか、裁判とかに役立つぞ」
アークスがそう言うと、スウが不気味な笑い声を漏らす。
声音があからさまに変わった。
「ふふふ、そうよな。忘れただの、言っていないなど、すぐにしらばっくれようとする輩に目に物言わせることができような……」
「こわいこわいこわいからさ。そういうのやめような?」
スウがいきなり黒い面を見せたことで、場に妙な空気が広がる。
こちらには影響はないが、どうもメルクリーアには思うところがあったらしく、さらに小さくなったような気がした。
シャーロットが笑う。
「ふふ、こんなときにあの子がいれば、アークス君に文句でも言ったかしら?」
「そうだな。あのむっつりした顔で、『全部アークスのせい。オウムじゃないなら自分の口から出た言葉には責任を持つべき』とか言いそうだ」
「確かに、言いそうね」
似ていない声真似をしていると、ふと、リーシャの視線がテーブルの端の方に行ったのに気が付いた。そこはエアコンに一番近い席だ。
そしてそこにはいつも、同じ人物が陣取っていた。
「ミリアの席か」
「……はい」
目を伏せる瞳の揺れ具合が、どこか侘しさを思わせる。
ミリアがいなくなってしまったことは、リーシャには随分とショックだったらしい。
たまり場では、お互いの気が合ったのか、なんだかんだ彼女とは仲良くしていた。友人が突然、敵のような立場に回ったのだ。
自身としても、リーシャほどではないが、衝撃があったように思う。
「あまり気にするなって。あいつとはまた会えるさ」
「そうですよね!」
「ああ」
少し無責任かと思ったが、また会えるような気がしている。いや、きっと銀の明星とは今後も敵味方にかかわらず、関わり合いになるのだろう。そんな確かな予感があった。
それにしても、
「リーシャも強くなったなぁ」
「あら? リーシャはもとから強かったと思うけど?」
「いや確かにそうだけどさ」
「そうよ? 今回も活躍したもの」
「でも兄様が来るまで何もできませんでした」
「それは仕方ないわ。アークス君の意地悪な魔法には誰も勝てないもの」
「意地悪な魔法って、その言い方はひどくないか?」
「確かにあれ、嫌がらせみたいな魔法だったもんねー」
「ええ。こっちがやられたら堪ったものじゃないわ」
「そりゃそういう風に作ってるからな」
そんな話をしていた折だ。突然、たまり場の扉が開かれる。
「みなさんおはようございますー!」
扉を開け放って入ってきたのは、誰あろうセツラだった。
「セツラさん」
「お前……」
あまりに元気が良すぎる登場に呆れていると、反撃とばかりにイジリを仕掛けてくる。
いつもの調子でニヤニヤしとした半笑い。
「あー、アークスさんったらまた何かやっちゃったんですか? やり込められてる顔してますよ?」
「やり込められてる顔ってなんだよ。やり込められてる顔って」
「やり込められてる顔はやり込められてる顔ですよ。ひとしきりおたおたしたあと、疲れたような顔して項垂れてるときのあれです。それに、いつもアークスさんが原因で騒ぎになるんですから、きっと今日もそうなんだろうなって思っただけです」
「どうしてそうなるんだよ!?」
「どうしてって、だいたいいつもそうですし、それにさっきだってスウシーア様にくっ付かれてだいぶおたおたしたと思うんですけど――」
「あ、ああああああれは!」
「あれはなんです?」
「っていうかどうしてお前がそれを知ってるんだよ!」
「それはそっちの窓から見えてたからで――」
「覗いてたのかよこのくそやろぉおおおおおおおおお!」
あまりの話にツッコミが、止められない。
しかし、これ以上の発言は旗色を悪くするものになると断じ、一旦黙ることにした。
ともあれ、リーシャの顔が華やかになる。
「セツラさん。ご無事でよかったです」
「そうね。顔を出さなかったから、もしかしたらあのとき巻き込まれていたのかと思っていたのよ?」
「ああー……それは申し訳ありません。あのときはちょっと用事がありまして」
セツラのバツの悪そうな態度に、リーシャとシャーロットは首を傾げている。
こちらもそれに関しては、関係があるため口を挟んだ。
「俺が頼み事したんだよ。あの日はそれで行方をくらませてたんだ」
「兄様、そうなのですか?」
「ノアとカズィを呼んできてもらったんだ。そのあとは避難してもらってた」
「あ、それでお二人が、装備を持って駆けつけてきたのですね」
「確かに二人ともいい頃合いで来たものね。そういうことだったの」
リーシャとシャーロットは納得した様子。
「ふーん……」
しかし、スウがセツラを眺めている。瞳の色味が少しだけ妙なのが気になった。
「スウシーア様、どうかしましたか?」
「ううん。なんでもないよ。無事でよかった」
スウの顔に笑みが浮かぶ。急な変化のようにも思えたが、笑顔にはなんのわざとらしさもない。
だが、アークスの目にはそれが妙なものに映った。
「いやぁ、いまのはなんかありそうな感じだったぞ?」
「む。なんでもないって言ったら何でもないの。あんまりこだわると頬っぺたムニムニするよ?」
「それホントもういい加減にしてくれませんかね……」
しかして頬っぺたは摘ままれた。スウは、一人「ぷにぷに~」と言ってご満悦である。
お姫様は何かにつけて頬っぺたを触りたいらしい。