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第百五十七話 暗躍それぞれ



 ギリス帝国、南部方面軍軍事拠点、ステアロン城砦。



 その司令室に、一人の男がいた。



 程よく鍛えられた長躯。

 ワックスでオールバックに固めた黒髪。

 きっちりと着こなされたシワ一つない軍服には、いくつもの勲章が色褪せず輝いている。



 南部方面軍司令官、帝国の獅子と呼ばれる男、レオン・グランツである。



 いまは司令室の窓の前にあるシックな革の椅子に腰かけ、静かに紫煙を燻らせている。

 普通なら暗殺を嫌って、腰を落ち着ける場所は窓の近くを選ばないものだが、しかし窓の外にあるのは断崖だ。ここは狙撃も不可能であり、安全は確実に担保されていた。



 ステアロン城塞は、帝国最南部にある要衝であり、ここはライノール王国攻略の重要拠点でもあった。

 レオンは短くなった紙たばこを灰皿ににじる。

 物憂げな様子で、何かの到来を待つように静寂(しじま)を受け入れる姿は、まるで厳かな調度品を思わせる。



 やがて、司令室に一人の士官が入って来る。その士官は「失礼します」と言ってレオンに近づき、彼の耳元でささやいた。



「……そうか、わかった」



 内容を聞いたレオンは、軽いため息を吐いた。

 己の役目を終えた士官は、きっちりとした礼を取って、司令室から退出する。



 次いで、司令室に一人の女軍人が入ってくる。

 それはレオンの副官の一人である、リヴェル・コーストだった。



 前髪を真一文字に切り揃えた、長い黒髪を持つ女だ。帝国北部に住む氏族に多く特徴が現れる白皙の肌はいつもきめ細やかで美しく、脇にはメモ書きが入った革鞄と小ぶりの剣をいつも携帯している。



 リヴェルはきびきびとした動きで靴の踵を鳴らし、直立不動の姿勢で礼を執った。



「グランツ将軍、ご報告に上がりました!」


「内容は?」


「は! ライノールとの国境にある砦の補強の件ですが、現在順調に進んでいるとのこと。情報部の方でも、同じ報告が上がっています」


「うむ。順調で何よりだ」


「は! 今年中には閣下のご要望に適う改築が見込めるのではないかと!」



 リヴェルは報告を終えると、身体の緊張を口から逃がすように軽く息を吐いた。

 レオンはその様子を見て、苦笑を浮かべる。



「……その、閣下。報告のたびにいちいちこのように、意味のない報告を挟むのはどうなのでしょうか?」


「念のためだ。声を張る練習にもなるだろう。尉官として声の大きさは大事なものだ」


「はぁ……」



 間者へのささやかな対策。士官の意識向上。

 そんなレオンの意図が、リヴェルにはいまいちわかってなかった。

 帝国軍の管理は完璧であり、間者の疑いのある者のほとんどは締め出されている。特にこのステアロン城塞は、帝国の砦の中でも監視や規律がかなり厳しい部類に入るため、リヴェルには、いもしない間者のことを不必要に警戒するレオンが不思議でならなかった。



「コースト尉官、世の中に絶対というものはない。大丈夫、問題ない。そんな楽観という幻覚が気の緩みを引き起こし、それが積み重なった結果付け入る隙を生んでしまう。ゆめゆめ油断しないことだ」


「はっ! 承知いたしました」


「もしかすれば、先ほどの士官が間者だった……ということもあり得るのだからな。もしあれが間者で、ドアに聞き耳を立てていたとしたら……」



 リヴェルは軽く後ろを見返った。先ほどの士官はレオンに最も長く仕える第一副官だ。流石にそんなことはないだろう。レオンの方を向くと、彼は「冗談だ」と言って紙たばこに火を点けた。



「閣下、付かぬことをお聞きしますが、フィスコ殿は一体なんの報告にいらっしゃったのでしょう……?」


「ドネアスの例の件の報告を聞いていた」


「では例のライノールでの作戦ですね。結果の方は……」


「失敗だ」


「失敗、ですか」



 リヴェルは別件に従事していてこの作戦にはかかわっていないため、その件に関してはさして明るくない。そもそも作戦の内容が内容であるため、頭の固い現実主義者であるリヴェルにとっては、興味の湧くようなものでもなかった。自分に与えられた任務でなければ、知らないのが普通だろう。帝国軍には秘匿任務も多い。



 レオンは淡々と語り出す。



「連絡予定日に連絡要員が現れなかったこと。あとは王国に潜ませた別の間者の報告で大体のことは掴める。魔法院で騒ぎがあったようだが、それはすぐに鎮圧されたらしい」


「おとぎ話に語られる魔人を復活させるという荒唐無稽な話でしたし、やはりそもそも復活さえしなかったのではないでしょうか?」



 リヴェルの言葉に、レオンは首を横に振った。



「魔人の話はかなり信憑性があった。事実、魔法院で大規模な変事があった可能性があるという話も上がったからな」


「では、魔人は復活したということでしょうか?」


「その可能性はある。間者が暴れた程度では騒ぎになどならんからな。だが、鎮圧されたということは、もろとも倒されてしまったのだろう」



 魔人グロズウェル。聖賢の導士アスティアとの戦いの末、大陸の地下深くに封印されたという存在だ。リヴェルも幼少の頃は寝物語に聞いたことがあるし、そういった話では珍しく女性が主軸に置かれているため、よく母や祖母に読み聞かせをねだったものだ。



「おとぎ話に語られる魔人と、それを倒してしまった何者か。話があまりに荒唐無稽で、私には想像も付きません」


「それは私も同じだ。だが、信憑性があった。魔法院は何かしらの脅威に蓋をするために学術機関を置いたというのは、昔からささやかれていたからな」


「そのようなお話が……」


「ああ、それもあって、魔法院には不用意には手を出してはならないとこちらにも伝わっていたからな。あとは、例の男が持ちだした予言書の内容に、カーウェイ翁がお墨付きを与えたことが大きかった」


「帝国最強の魔導師と名高いお方だとお聞きしております」


「うむ。頭の固さも帝国一と名高いがな」



 レオンが業腹そうに言う。冗談と嫌みが同居した物言いから、リヴェルは彼が古くからその老魔導師に苦労させられていることを察した。



「今回も、情報を精査したあとは、王国のことだからと言って私に放り投げてきた。まったく魔導師で老人というものは、厄介に過ぎる。そこは王国の魔導師がうらやましくなるな。王国の魔導師たちは柔軟性に富んで常識に囚われない。向こうでも老人に頭を悩ませているのかもしれないがな」


「はぁ。ですが、失敗したのは残念でしたね」


「そうでもない。ドネアスの計画が失敗しただけで、こちらの策は順調だ」


「は? それはどういう……?」


「私にとっては、翁の話や王都の壊滅など、二の次だったというだけだ。私としてはドネアスが大きな騒ぎを起こしてくれるだけで良かった。少なくともこれで、シンル・クロセルロードの頭を痛めることはできるだろうからな」


「…………?」


「わからないか? このあとに王国が何をしなければいけないのか、考えてみろ」


「…………あ」



 リヴェルにレオンは「気付いたようだな」と言って紙たばこを一度吸うと、頬杖をついて小さく煙を吐いた。



「……起きた混乱であわよくば魔力計とやらの入手もと思ったが、そちらは難しかったようだ」


「王国も例の品の管理は徹底していますが、いずれほころびは出るでしょう。小官は時間の問題かと考えます」


「それはそうだが、それは王国も予想しているだろう。こちらに流れたところで、再現できないよう細工もしているはずだ」


「魔力計……私にはそれほどまでに重要な品だとは思いませんが」


「魔導師を指揮していれば、その内わかるようになるだろう。そうだな。今度貴官に魔導師の部下を付けることにしよう。魔法を勉強しろとは言わん。魔導師というものを、よく見ておくだけでいい」


「は! ありがとうございます!」



 リヴェルはレオンの気遣いに礼の言葉を申し述べるとやはりきっちりとした敬礼をして、退出したのだった。



 …………レオンはその華奢な背を見送って、一人密かに呟いた。



「ドネアス、か。魔人の情報の出どころ。おとぎ話に語られる品の存在。これらは一体なんだったのか……」



 レオンはこの狂騒が、己が想像した以上のものになるということを、予想せずにはいられなかった。



   ●




「――そう、ですか。ジエーロは失敗してしまいましたか」



 男が、忍び笑いを漏らす。



 薄暗い部屋の中でただ一人、気味の悪い笑い声を発する姿はひたすらに不穏だと形容できる。

 夜の権勢はすでに色濃く、窓のすぐ外に暗幕が垂れ下がっているかのよう。

 だが、室内の光源は数本ある蝋燭の灯火のみだ。

 夜の闇と相対するには随分と心許なく、頼りなさげに揺れている。



 クセのある長い髪。


 伸び上がったように大柄な体躯。


 衣装は黒色の面積がやけに多く、好事家が意図して仕立て上げたようにも見える。

 福には装飾品を過度にあしらい、色味や配色を変えれば、宮廷道化師と言われても誰もがなんの疑問もなく頷いてしまうだろう。



 男はどこへともなく問わず語りに話し、返事もないのに相槌を打つ。

 陰気さと、場違いな昂揚感。この様子を見れば、誰もがこの男を怪人物だと言うだろう。


 男が語らっているのは、人形だった。粘土を人形に模っただけの、シンプルな造形をしたヒトガタ。それらはテーブルの上にいくつも置かれており、いずれもが男の方を向いている。



 人形遊びにしては、随分と気味が悪い光景だった。



 男はその中の一つ取り上げると、己の耳元に持っていく。まるでささやきに相槌を打つかのようにうんうんと頷くと、納得したように息を吐いた。



「やれやれ。彼の三聖と戦った魔人とやらも、大したことありませんでしたねえ。所詮はヒト、ということでしょうか。ともすれば予言書の破滅に届くものかと思いましたが、悪魔の力もたかが知れたもの。所詮は大昔の、醸成し切っていない時代の、古めかしいお話だった、ということですか」



 台詞は落胆を思わせるものだ。しかし、やはり昂揚感がそう見せるのか、まったく失望を感じさせない。むしろこの状況を楽しんでいるかのように、声を弾ませている。



「しかし、残念な幕切れもあったものです。そのまま塩と化して言理の坩堝に還ってしまうとは。せめて後味の悪いハッピーエンドにでもしてくれれば、まだ幾分は楽しめたものを。物語としては三流も三流。折角手間をかけたというのに、そんな駄作に堕ちてしまうとは、まったく面白みの欠片もない仕上がりですねぇ」



 ふと、テーブルの上に置かれた別の人形がカタカタと動いた。

 男は、視線を向ける。人形がひと揺れ、ふた揺れすると、まなじりが引き裂かれたかのように、男の目が鋭く細まった。



「ほほう? ネズミが紛れ込んでいたと? ああ、彼女たちですか。相変わらず薄汚い連中だ。なにもできないのに、壊すことだけには熱心だ。すべて自分たちの行いの結果だというのに、諦めの悪いこと悪いこと……ふふふ、いいですね。往生際の悪い人間は好きですよわたくしめも」



 男が手に持っていた人形を置く。いつしか、テーブルの上の人形は横並びに整列していた。



「さて、では次の幕と相成りますか。予言書の通りにならなかったということは、なるようにしなければなりません。まず、今回の件にドネアスが関与したことを噂として流しなさい。さすれば、ライノールも何かしら行動を起こさざるを得ないでしょう。ああ、そうですね、こちらで商人を集めるのもいいかもしれません。兵糧を買い取ると伝えなさい。鉄甲山脈の採掘量も増やすのもいいですね。北部連合の懇意の者にも、それとなく話を付けるのです。きっと、面白いことを考えてくれるでしょう」



 男が言い終えると、人形は一斉にカタカタと動き出す。まるで男の命令がこの上ないものだと賛辞を贈っているかのように、統一感なく囃し立てた。



 男はそれに気を良くしたのか、声をさらに弾ませる。



「ええ、ええ。それはもう! ことは、盛大な方がいい。ヒトは散り際こそが、もっとも鮮やかな色彩を見せてくれるのですからね」



 次いで現れるのは、口の端を引き裂いたような笑顔だった。



「物語を。戯曲を。どれほど滑稽でも構いません。あなた方の生きた、それだけを見せてもらえればいいのですよ」



 男は今後どんな面白いことが起こるのかと、ただひたすらに胸を高鳴らせる。

 そんな邪悪な人間賛歌は、夜が更けるまで続けられた。





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