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第百五十五話 答え合わせ



 塩が風に吹かれてどこへともなく消えていく。


 そんな末路を見送ったあとも、アークスは魔人グロズウェルがいた場所を見下ろしていた。



「あんた、いくらなんでも拗らせすぎだぜ……」



 言葉には思いのほか、憐みが交じっていたように思う。


 だが、そんなことを言った手前、自分としても内心わからない話ではなかった。

 魔人グロズウェルは胸のうちに(わだかま)った嫉妬を昇華できず、悪魔の走狗へとなり下がった。強力な力を得た結果、その傲慢さはさらに膨らみ、アスティアたち三聖と対立。激闘の末ここ魔法院の地下深くに力を封印され、最後はこうして倒されるに至った。



 嫉妬は恐ろしいものだ。これは人間の負の面の燃料とも言える。もちろん乗りこなせば物事をいい方向に導くこともあるが、まかり間違えば、こうして悪い方向へと物事を進めてしまうこともある。いや、そちらの方がずっと多いだろう。そして、行き着いた先には確実に破滅が待ち受けているのだ。



 それが、嫉妬の恐ろしいところでもある。

 これは誰だって他人事ではない。他人の境遇がうらやましいと感じたことがある者こそ、嫉妬心の恐ろしさを心するべきだろう。



(特に、俺みたいなのはな……)



 生きていれば、うらやましいと思うことばかりだ。

 特に格差や劣等感が大きいと、僻みや妬みはすぐに怒りや憎しみへと変わってしまう。


 魔人グロズウェルも、それを埋めるために努力をしてきたのだろう。そしてそれが解消されなかったからこそ絶望し、アスティアを恨み、世界を恨み、破滅の道を辿ったのだ。



 他人事ではない。そう思えるからこそ、こうしてそのやりきれない結末を、どこか物悲しく思ってしまうのかもしれない。



 スウが剣をしまって、歩み寄ってくる。



「アークス。先ほどの話は、三聖の一人、聖賢の導士アスティアの話か?」


「アスティアがグロズウェルの影を巨大な水晶に封じ込めたときの話だ。グロズウェルが悪魔の力を手に入れてもなお負けて、その理由を問いただした。そのときにアスティアが言ったことだよ」


「負けた理由か」


「ああ。勝ち負けは、仲間がいたかいないか、ただそれだけの違いだ。あのときアスティアの周りには、沢山の仲間がいた。宿り木の騎士フローム、鈴鳴りの巫覡シオン、双精霊に妖精たち。悪魔の力を得て一人ぼっちになったグロズウェルとはまるで違った。だがその違いが決定的な差だった。負けられない理由の重さが、アスティアの方が他の者たちを背負っている分少しだけ重くて、その重しがなかったからこそ、グロズウェルは踏み止まれなかった。もちろん、グロズウェルが最後まで悪魔頼りだったからってのもあるかもしれないけどさ」


「旗色が悪くなって切り捨てられたか。最初から破滅させるつもりだったのか」


「さてな」



 いまだ(あわれ)みが抜け切らず、地面に目を落としていると、クローディアも歩み寄ってくる。


「アークス・レイセフト。さきほど、グロズウェルのことをサイファイスと言ったのは……」


「アスティアは、同じ力を持つ子孫にその管理を任せたんだ。それが、現在のサイファイス家の始祖だったってことだ。彼らの持つ天稟が唯一、魔人の力を解放できる力を持っていたからこそ、使命感を持たせて、任せた。二度と復活させないようにな」


「それは……そうだったのですね」



 クローディアは(うつむ)きながら、どこか納得したように噛み締めていた。



 ……ともあれ、これでようやく終わりだ。肉塊の対処に引き続き、魔人との戦い。いまだ夕刻前というのが信じられないほど、短く濃い時間だった。



「終わったな……」



 そう一言口にして、肩から荷物を下ろすように、上半身の緊張を解く。

 ふと歩み寄ってきたリーシャが笑顔を見せた。



「兄様、お疲れ様です」


「リーシャ、ありがとう。今回は大変だったな。突然肉塊やら魔人やらと戦う羽目になるなんて、かなりきつかっただろ」


「いえ、私は兄様が来てくれると信じていましたから」


「そうか。いや、最後のあれは俺も助かったよ。なかなか味なことをするじゃないか、まさか呪文を口にして騙すとは思わなかった」


「あれも兄様のおかげです」


「あれが俺のおかげ? ん? ってことは……」



 どういう意味だろう。リーシャが満面の笑みで口にした答えの真意がピンと来ない。

 それを考えていた折、彼女はハッとしたように背筋を伸ばした。



「いえ! なんでもありません! なんでもないんです!」



 何故かリーシャは大慌てだ。先ほどの言葉をどうにかこうにか有耶無耶にしようと、わたわた。手のひらをこちらに向けながら、不思議な踊りを踊っている。



「あら、アークス君の真似をしたって意味じゃないのかしら?」


「しゃ、シャーロット様!?」


「俺の真似……? いや、俺は別にあんなことをした覚えはないけど?」


「そう? ああいう肝心な場面での悪戯はアークス君、得意そうに思ったけど?」


「ま、まあ、ちょっとくらいならあるかも……かな?」


「そこは素直に認めないのね?」



 シャーロットに潔くない答えだと指摘される。最近は彼女からも、よくジト目を向けられる。だが、褒め言葉と思うことにしてあまり深くは考えないことにした。



 そんな話をしている一方、ノアやカズィはと言えば。



「キヒヒッ! いやぁさすがに今回は肝を冷やしたぜ。まさかおとぎ話の魔人と戦う羽目になるなんてなぁ」


「まったくです。相手がグロズウェルとは」


「この前の本の話といい、どういう因果なんだか。ウチのご主人サマの周りはさすがにいろいろあり過ぎだぜ」


「私はいま、昔にアークスさまにお仕えしていると暇をしないと言ったことを猛烈に後悔していますよ」


「にしては楽しそうに見えるが?」


「さてそれはどうでしょう? しかしまさかカズィさん、あのような強烈な奥の手を持っているとは思いませんでしたよ」


「あ? それをお前が言うのかよ。涼しい(ツラ)してとんでもねぇ魔法使いやがって……ナルダミゴスの氷河とか、あっちの方が絶対ヤバいぜ?」


「それはどうでしょうか? それに、双精霊の武器を借り受けるなど考えるのはカズィさんくらいのものだと思いますが」


「ん? ああ、あれか? まあ結局どこまでいってもあんなのは借りモンだしなぁ。つーかお前の魔法の方は上の偉いのが見逃してくれないだろ? このまま執事業なんてしてられんのかよ?」


「大丈夫でしょう。その執事業のおかげであの魔法が完成したので。離れなければならない理由にはなりませんね」


「でもよ、そっちのちびっこがさっき――」



 カズィが指を差して、メルクリーアに対する身体的な特徴をあげつらった悪口を言い放ったそのときだった。



 地の底から響いてくるような怒りの声が、やはり下の方から響いてくる。



「きーんーさぁあああああああ……」


「うお!? アンタいたのかよ!?」


「小さいから見えなかったぜ? ですか? 言うに事欠いてそんなことまで口にするとは!」


「おい待て俺はそんなこと言ってねえし! 脳内で勝手に補完すんじゃねえよ!」


「心の声が聞こえたです! いま! はっきりと! 頭の中から!」


「そりゃアンタの妄想だろうが!」



 向こうは向こうでわちゃわちゃやっている一方、スウがクローディアに訊ねる。



「クローディア。地下に侵入したという間者たちは?」


「あの男にほとんど殺されましたわ。まだ地下に息のある者が残っているかもしれませんが……」


「姫様。そちらは私が拘束しておきました」



 名乗り出たのはエグバードだった。

 やはり彼もスウに対し(へりくだ)った態度を取っている。



「そうか。なるほど、そちは先に地下へ向かったのだな」


「は。到着が遅れて申し訳ございませぬ」


「よい。責は問うまいよ。みなやるべきことをやったまでのことだ」



 サイファイス家が地下を守っていたのならば、確かにそちらの状況の確認は優先されるだろう。スウも特にそれを咎めたり、あげつらったりするつもりはないらしい。



 スウはそこで、思案するように顎に手をやる。



「しかし、わからんのは、どうしてこれほど簡単に侵入されたかということだ」



 彼女が考えるのは、賊たちの侵入についてだ。いくら魔法院の状況がいつもとは違ったと言え、王国最高の学術機関。警備は必ず詰めているし、そうやすやすと入り込めるものではない。侵入の手口が、掴めずにいるのだ。



 そこで、アークスは目を向ける。

 侵入の立役者、この場においての犯人だと思われる――いや、犯人だという確信がある相手の方へ。



 それは、新任の講師たちの中にしれっとした様子で雑じっていた一人の人物だ。

 眼鏡をかけ、魔法院に講師に支給される法衣を身にまとった長髪の若い女性講師。いつもはおっとりとした様子だが、いまはそんな間の抜けた雰囲気が一切どこにも見当たらない。



 そんな女に、答えを突きつけるように言い放った。



「――侵入の手引きしたのはあんただろ。ジョアンナ先生」



 アークスの憚ることのない無礼な名指しに対し、当のジョアンナはにっこりと微笑む。



「アークス生徒、一体なんのことでしょうか?」


「今更とぼけるなよ」


「はあ……? どうして私になるのでしょうか? もしかすれば他の講師や生徒かもしれませんし、そもそも魔法院の関係者ですらないかもしれませんよ?」


「そうだな。指摘するには情報が絶対的に足りないだろうな。だが俺には、あんただって確信があるのさ」



 確信を下地にした断言に、ジョアンナは笑顔から一転、困ったように長い髪の毛をくるくると弄り出す。



「ではその結論に至った答えを、お教えいただいても?」


「まず、演習場所の変更だ。第一訓練場でやるはずだったのに急に変えた。あれは、突然あんたが言い出したことだったんだってな?」


「ええ、そうです。この前も魔法院の周辺で不審者騒ぎがありましたし、警備や負担のことを考えると、第二訓練場に変えた方がいいと考えたからですね」


「第二訓練場は第一に比べて小さいのは確かだが、あまり大きく変わるとは思えないけどな」


「ですが、私のその意見は多くの方に賛同いただけました。そもそも、それがどうして私が侵入を手引きしたことに繋がるのでしょう?」


「問題はその変更のせいで、何が起こったか、だ? 変更のために生徒や講師が総出で駆り出されたせいで、今日、大半の生徒が登院していない。訓練場云々にかかわらず、あんたにとってはそれが第一の目的だった」


「そうでしょうか? もし私が侵入者たちの立場でしたら、むしろ被害を大きくして、混乱させたいと考えるのではないでしょうか?」



 確かに、それも目的となり得るだろう。侵入者たちの目的は、ジエーロがどうだったかは知らないが、地下の魔人を目覚めさせて、王都に混乱をもたらすことだったはずだ。混乱は大きければ大きい方がいいし、被害に関してもまたしかりだ。



 だが、魔法院に人がいないというのは、もっと別のメリットもある。



「あんたが、混乱に伴う危険度を嫌ったからだ。魔法院から人間をなるべく出すことで、侵入を容易にした。人が少なければ少ないほど、見つかる可能性も下がるし、目的の場所へも行きやすいからな」


「そうですね。確かにそれは道理です。ですが、それはアークス生徒の単なるこじつけにしか過ぎないでしょう。その程度なら、たまたま、偶然ということで片付けられるのでは?」


「そうだな」


「では」



 と、言いくるめられるか否かという折、アークスは手の平を返したように、肩を竦めた。

 まるで、いままでの会話は全部茶番だったと言うように、だ。



「いや、実を言うと俺があんたを疑う理由は、そんな状況的なものじゃないんだ」


「……?」


「あんたが俺を授業で褒めたときのことを覚えているか? 講義で呪詛(スソ)の話をしたときだ」


「そういえば、そんなこともありましたね。それが一体どうしたというのです?」


「あんたそのとき、なんて言って俺を褒めたか、覚えているか?」


「確か、『殿下をお守りした勇士……』ではなかったでしょうか?」


「そうだ。あのときあんたは、俺が『殿下をお守りした勇士』と言った。はっきりとな」



 ジョアンナに少し苛立ちが見えてくる。さながら自分で気付くように仕向けようとする、要領を得ない説明と質問に、視線がわずかに鋭くなった。



「それがなんだというのです? それは確かなことでしょう?」


「ああ。間違いない」


「なら」


「だけどな、それはおかしいんだよ?」


「おかしい? どこがおかしいのです? れっきとした事実が、あなたはおかしいというのですか?」


「あんた、まだ気づかないのか?」



 アークスはそう言うと、胸に付けられた勲章を取る。

 そして、いまだ勘付いていないジョアンナに対し、見せつけるように突き付けた。



「論功行賞のときに俺がこれを授与された理由の一つが、俺が殿下にナダール領へ入ることの危険性をお伝えして、直前で引き返してもらったからだ。それはだいたいの人間が知ってるはずだ」


「……そうですね」


「だろう? だから、それに対して『殿下をお救いした』とは言うだろうが、俺が『殿下をお守りした』とは言わねえんだよ。そうだろ? 俺が殿下を黒豹騎から守った話を知っているのは、ほとんどがあの場から帰ってきた人間だけなんだからな。そうだろ?」


「それは――」


「この期に及んで言い間違えたって言い訳は苦しいぜ? 助けた、ならまだしも、守っただからな。守るってことは、近くに(はべ)ってなきゃできないことだ。俺があのときどんな立ち位置にいたかがわかっていなきゃ言えないことだし、そもそも発表もされていない。それが突発的な発言ならなおさら、救っただの助けただの、事実に近い言葉が出てくるもんだ」


「つまり私が、あなたが殿下を守った場にいたと?」


「いたとも。そうだろ? 銀の明星の、不滅のアリュアスさんよ?」



 核心を突きつけると、スウが驚いたようにこちらを向いた。



「アークス、それは……」


「これは、まさかあのときの方ですか」


「つーと、例の裏で暗躍してたとかっていうヤツか」



 事情を知るノアやカズィも身構える。



「もっと早くに気がつくべきだったよ。いや、また同じようなことがあっても、気付けないで聞き流すとは思うけどな」



 ジョアンナ講師、いや、銀の明星のアリュアスは、くすくすと笑い声をあげる。



「さすがですね。やはりあなたは油断ならない方だ」


「そりゃどうも」



 頭を掻いて、一度気を緩めた演技を見せつつ、即座に剣に錬魔力を乗せて遠当ての要領で解き放った。斬撃の波動は魔力の線と土煙の尾を引いて、一瞬でアリュアスのもとへ到達。しかし斬撃波が当たる直前、アリュアスの姿が忽然とかき消えた。



 しかし、すぐに姿を現す。だが、現れたのはいままでいたところよりも大きく離れた場所であり、そのときにはすでに、彼女の姿は以前のような白仮面に変わっていった。



「ち……」



 一撃入れられなかったことに対する悪態の舌打ちが止められない。

 一方でアリュアスはと言えば、白仮面の裏で感心したように笑っている。



「面白い技です。体内で錬成した高密度魔力体を体外に放つとは……以前にデュッセイア殿に使ったのは、拳から直接叩きつけるものでしたが、剣と印象を合わせることによって斬撃を放つように転化させるとは、器用さも折り紙付きということですか」


「お褒めに預かり光栄だよ」


「いえいえ本心からですとも」



 言葉に忍ばせる含みで戦うも、決着はつかずじまい。

 しかし、お互い油断はしておらず、周囲に気を配っている。



 そんな風に、アークスとアリュアスが剣呑なやり取りをしている最中、ミリアがアリュアスの隣に降り立った。



「アリュアス、知り合いだったの?」


「ええ。彼とはナダール事変で(まみ)えましたので」



 やはり仲間だったかと、一人納得する。ミリアに関しては、校舎での会話もあり、なんとなく予想がついていた。


「ミリア。やっぱりお前もそっちなのかよ」


「そう。ミリアは銀の明星の【不空】。ミリア・ランバルト」



 ミリアは素っ気なくそう言うと、背に負った鋼鉄の鷹の両翼を広げる。念のため何が起こってもいいように、臨戦態勢を取っているのだろう。空からの攻撃は厄介だ。


 一方でメルクリーアが帽子を深くかぶって視線を(さえぎ)る。



「銀の明星……」


「対陣の魔導師殿。かの有名な【平方陣】を拝見したく思っていましたが、今日はそれも適わずじまいでしたね」


「いまからでも遅くはないですよ? それ以外の私の魔法も、味わってみるですか?」



 メルクリーアが魔力を高め始める。ここまで、彼女はほとんど戦っていない。つまり、万全の態勢というわけだ。


 だがアリュアスの方に、手を出そうという素振りはない。

 これ以上の戦いには興味ないとでも言うように、魔人が塩となって消えた先に白仮面を向けた。



「しかし、勇傑の武具ならばと思っていましたが。まさか双精霊ウェッジの(くさび)を召喚して倒すとは。これで、予言書に記される厄災は回避されたということなのでしょうね」



 そこで、声を上げたのはクローディアだった。



「あなた、その内容を知っているのですか!?」


「ええ――クラキの予言書、第十章。決して傷つかぬ魔は、聖賢の左腕にしか滅ぼされない。左腕はそのまま腕のことを指すのではなく。聖賢の右腕と左腕に関する文言は、あちらのお二方を指す言葉だったということです」



 アリュアスはそう言って、ノアとカズィのいる方を向く。



 しかして当の二人はと言えば、大仰な仕草で驚きを示した。



「お? なんか、俺たちのことが載ってるらしいぜ?」


「どうやらアークスさまにかかわったせいで、これから苦労するのが確定してしまいましたね……」



 アリュアスの話を聞いて、一人はニヤニヤしているが、もう一方は(なげ)いている。当然嘆いている方は内心楽しんでいるのだろうが。言い方に含みがあり過ぎて問題だ。相変わらずの従者たちである。


 白仮面が再びこちらを向いた。



「にしても、まさか勇傑ではなく、聖賢の末裔、いえ、本人とは驚きました。聖賢の導士アスティアの生まれ変わりということですか」


「またそれかよ。どいつもこいつも人を導士導士って。俺はおとぎ話の登場人物になった覚えはねぇっての」


「心当たりがあるのに、否定しますか」


「当り前だ。本人なわけないだろ」


「そうでしょうか。ならばどうして先ほどは、魔人の詳しい話などできたのでしょう?」


「あれは本で読んだんだよ」


「そのような本があるのなら、是非私も読んでみたいものですね。きっとあなたの持っている理論と同じく、あなたの頭の中にしかないものなのでしょうが」



 確かに魔法の理論や科学知識は、あの男の人生を追体験して得たものだ。自分の頭の中にしかない。だが、例の本は本棚にあったものを読んだだけだ。そんなことを言われるのは甚だ心外である。



「――ですが、私が最も驚いているのは、あなたの左腕のそれと、そちらのリーシャ・レイセフトに持たせた計測器に関してですが」


「…………」



 白仮面の裏にある視線が、【魔導籠手(チャンバーガントレット)】に据えられた気がした。

 つまりアリュアスは、この戦いでこれらがどんな役割をこなしたのか、わかっているということだ。



 ミリアが訊ねる。



「アリュアス、あれはなんなの?」


「あれは呪詛の量を測る道具と……魔導高速度増幅装置というものです」


「呪詛を測る道具は名前でわかるけど、魔導高速度……?」


「そう、魔導高速度増幅装置……空気中のエーテルを魔力に変換、増幅させて取り出す装置のことです。プロトタイプはもっと大掛かりなものだと聞いていましたが、まさかアストダイトを用いずにここまでコンパクトに再現してしまうとは思いませんでした」



 アリュアスの口にしたそれは、まさに見てきたような解説だった。



「お前はこれがなにかわかる……いや、知っているのか?」


「ええ。それは魔導師たちの挽歌の時代の初期、旧人類が隆盛を誇った頃に生み出されたものです。最初期のものは直接魔法に対して用いるものではなかったはずでしたが、段階を飛ばして、まさか少量の魔力で大魔法を使う機構にしてしまうとはまったく恐れ入ります」


「それが、さっきアークスが少ない魔力で大魔法を使った絡繰り……」


「開発は魔力線量測定器だけに留まるかと思いましたが、まさか自力でそれにまでたどり着いてしまうとは……」



 アリュアスは一度言葉を区切ると、突然自身に向かって礼を執る。なんのつもりか。それはどこか演技じみていて、大仰にすぎた。



「改めて、祝福させていただきましょう。おめでとうございます。魔力線量測定器にカースドメーター、そして魔導高速度増幅装置。旧人類でさえすべて作るのに三百年以上かかったと言われる三大発明を、この短い期間でこうしてすべて揃えてしまうとは、さすがというべきでしょう。聖賢をはるかに上回るその頭脳に、畏敬の念を禁じえません」


「アリュアス、つまりアークスは、【魔導師の挽歌】の技術を再現できるってこと?」


「そんな規模のものではありません。そうですね。旧人類が世界を滅ぼした要因を、自らの頭の中だけで完成させてしまったと言えばいいでしょうか。ふふふ……こんな報告を送ったらドクが嫉妬で憤死するかもしれませんね」


「…………」



 【魔導籠手(チャンバーガントレット)】のこともそうだが、旧人類が世界を滅ぼしたなどと、この女はどうしてそんなことを知っているのか。そしてなぜこれらの発明がそんな事態を引き起こしたのか。

 そんな様々な疑問にかかわらず、彼女の口に舌言葉に緊張を覚える。

 重大な発明。いや確かに重大な発明だとは思っていたが――



「それで? どうする気だ?」


「退きましょう。まだ()()()のあなたの魔法が残っていますので」



 アリュアスは訳知り顔だが、周囲は彼女が口にした言葉の意味が理解できていない様子。魔法がまだ残っているという、突然場に(わだかま)った疑問に対し、ミリアが問いかけた。



「発動前? どういうこと? アークスの魔法は途中で止められたんじゃないの?」


「ミリア、そうではありません。先ほどのあれは、発動の前段階の余波にしかすぎません。本当の力はこれからです。空を見上げてみなさい」


「空?」



 天を見上げると、曇り空の一部にぽっかりと黒い穴が開いていた。

 それはミリアが留まっていた位置よりも、もっともっと高い位置だ。そこに、球体のようで平面のようでもある不思議な黒い点が穿(うが)たれている。



 ミリアが胡乱げに目を細めた。



「なに、あれ?」


「あれが、先ほどの魔法の正体です。()()()穿()()、ですか。なるほど確かに世界に穴をあけたようです」



 アリュアスが忍び笑いを漏らす。それがひどく不気味に聞こえるのは、あまりに訳知りに過ぎるせいか。



「……あんたはあれが何かわかるのか?」


「ええ、以前に一度、わが師メガスが似たようなことを行ったことがありまして。ですが、そのせいで都市が四分の一ほど消滅しましたが」


「は? おい、メガスはあれを制御しなかったのかよ」


「実験中でしたので、そこまで気を回さなかったのでしょう。いえ、それと引き換えにしても、彼にとっては重大な実験だったということでしょうか。それを魔法のみで実現したあなたを恐ろしく思いますよ」


「あれはそんなに強力なものなの?」


「ええ。規模はそのときよりもはるかに大きい。暴走させればさてどれくらいの被害になるのでしょうね」


「っ…………」



 アリュアスの言葉に、ミリアはおろか周囲の者たちも絶句する。あの魔法の威力がただの余剰だということがわかれば、その結果も推して知るべしだろう。



「最悪あなたはあれを使って、グロズウェルを別のどこかに飛ばそうとしていたのでは?」


「ブラックホール・ホワイトホール論かよ? その理論は否定されてるっての。俺がやるのは重力の坩堝に取り込んでマイクロサイズにまで圧縮させることだ」


「ああ、そちらのですか。メガスは()()の方に希望を見出していましたので」


「移動? 移動っておい、まさかメガスっていうのはもしかして……」


「……もしかして、なんでしょう? まさかあなたは、そんなことまで知っているのですか?」



 アリュアスの口元が、どこか喜びにも似たものへと変化する。その吊り上がった口角が、自身の背中をざわつかせる。それは確かに、メガスの出自を示唆するものに他ならなかったからだ。



「そうですか、あなたはもっと未来(さき)の方を見ているのかと思いましたが、そちらではなかったのですね」


「…………」


「あなたとはまだまだ面白い話ができそうですが、そろそろお暇いたしましょう。あまり長居し過ぎると、私たちも帰れなくなりそうですからね」



 アリュアスが背を翻すような素振りを見せると、スウが殺気を迸らせ、剣の切っ先を向ける。



「ここから無事に帰れるとでも」


「ええ。あなたたちは私たちを止める術はないでしょうし、なにせ――」


「あんたたちは飛べないもの」



 ミリアがそう言うと、二人がともにふわりと浮かび上がった。



「おい、あんたも飛べるのかよ」


(ことわり)の制限があるせいで、ミリアほど自在にとは参りませんがね。あなたやメガスのように重力(ガイ・ア)の理論をいくつも詳しく知っているのなら、また別なのでしょうが」



 すると、メルクリーアが天を見上げる。



「飛ぶというなら、撃ち落とすまでです」



 魔力を高めて、魔法を放つ前段階の状態に移行。いまだ圏内であるため、攻撃は可能だ。

 メルクリーアの口先が動くか否かのその折、それを止めにかかる者が現れる。

 それは誰あろう、場を掌握していたスウだった。



「いや、メルクリーア。待て」


「姫様!? しかし!?」


「我らだけならよい。ここには他にも大勢の者がいる。あのアリュアスという女の力は侮れん。魔人よりも高い火力を出されれば、被害は計り知れん。それに、無闇に手札を切るのはよろしくない」


「……はっ」



 メルクリーアは発露させた魔力を収める。彼女ほどの地位であっても、スウの判断は優先されるのか。確かに切り札を見せたあとに逃げられることになれば、損失も大きいだろう。


 次いでスウは、こちらを向いた。



「アークス。あの空に浮かんだ魔法は使えるのか?」


「使えるが、あれを使えばそれこそあいつらを跡形もなく全部し飛ばしちまう。そうなりゃ情報も何も得られなくなる。それでも使えって言うなら使うが?」


「そうか。それは私も望むところではないな」


「いいのか? 何かまたしでかす前にぶっ倒すってのも手だ」


「うむ。だが、()()()()()()()()()()、ミリアごとになるぞ?」


「……正直なところ、そこは迷ってる」


「だろう。捕まえることができないならば、私たちだけでは判断しきれぬ」



 やはり、見逃すしかないのだろうか。アリュアスの力は未知数だし、メルクリーアと同じく、彼女もまともに戦っていないため、戦いとなれば激しくなるはず。それに、自身やノア、カズィ、リーシャは消耗もあって参戦不可。講師たちも言わずもがな。スウだけが魔力を温存しているため、魔法戦の恰好だけは付くだろうが、やはり判断が難しい。



 アリュアスがスウの方を向く。



「あなたも大変ですね。以前お話したときも、そんな喋り方をしていましたか」


「ふむ? 院内ではあまり会話をした覚えはなかったように思うが?」


「尻尾は出さないということですか」


「そんな妙なものを付けた記憶はない。べらべらと回る口は余計な(わざわい)を呼び寄せるという話を知らんらしい」


「それは……確かにその通りでしょう。舌禍は何よりも恐ろしいものです」



 スウの静かな怒気が、天を昇りかける。これ以上のおしゃべりは許さないというように、薄笑いを浮かべる白仮面の女を鋭く睨みつけた。ミリアとアリュアスは少しずつ上昇している。



 そんな中、ふと気になることがあった。



「一つ訊きたい」


「なんでしょうか? 面白いものを見させていただいたので、答えられる範囲でなら、お答えしましょう」


「お前らはどうして魔人を解放させた?」



 その訊ねには、ミリアが答える。



「それはさっきミリアが言ったはずよ? 魔人を倒すためだって」


「なぜ?」


「なぜ? そんなもの、倒さなければならないからよ」


「だからここまで苦労して、ドネアスの連中の策に乗っかって、魔人を開放させたって?」


「バカね。あんたこの世にいるのは利益を顧みて戦う者ばかりじゃないってこと、知らないの?」


「にしても無理筋だろ。それに、予言書の内容を知っていたなら、お前らがそんなことする必要はないってことくらいわかってたんじゃないのか?」



 紀言書に記されている話は、聖賢に関するものだったはずだ。まったくかかわりのない人間が躍起になって変えようとしても、空回りすることは目に見えている。



 だが、それにはアリュアスが、否定の言葉を落としてきた。



「あなたがそれを言いますか。あなたも、予言書の内容は変えられることを知っているのでは? そうでしょう? あなたが聖賢ならば、クラキの予言書に書かれた、数々の厄災を倒さなければならない。()()()()()()()()()()()()()


「――!?」



 言われた途端、心臓を鷲掴みにされたような気分に陥る。いまの話は、いつか夢にチェインが出てきたときの『頼まれごと』を予感させるものだ。予言書の内容(なかみ)を変えろ。その結果が何をもたらすのかは知らないが、アリュアスも同じようなことをしっているということだ。



「今回のこともそうです。結果、あなたは予言書の中身を変えるに至った」



 確かに、そうだ。自分の意志にかかわらず、変えることができた。アリュアスが口にした紀言書の内容の原文は、人類にネガティブな結果をもたらすものだったからだ。

 だが――



「あの戦争を誘発させるようなことをした連中がよくそんなこと言えるぜ」


「あれは私も確かめたいものがあったから手を貸したまでのこと。本当に魔力線量測定器がこの時代に生まれたのか否かを知る必要がありましたし、どういう運用がなされているのかを知る必要もあった。まかり間違えば、先ほど言ったことが再現されかねませんからね。あの時代を生きた私には、それを止める義務があるのです」


「あの時代を生きたって……」



 そのセリフは、一体何を意味するのか。

 先ほどもメガスの話をしたように、このアリュアスという女、まるで見てきたかのようだ。

 見上げる中、アリュアスは口元にふっと穏やかな笑みを浮かべる。



「ですが、様子見ですね。双精霊や妖精が聖賢としてあなたを選んだのなら、あなたのことについては、私たちの出る幕ではないのかもしれません」



 ふいに、飛んでいたミリアが振り向いた。

 そして、何を言うかと思えば。



「アークス。あんたもこっちに来ない?」


「は?」


「アークスなら連れて行ってもいいわ。それに、あんたなら快く迎えられると思うし」


「ええ。席は私が掛け合って用意いたしましょう」



 銀の明星へのお誘いか。そういえば、黒豹騎と戦ったあのときも、アリュアスから似たようなことを言われた。

 答えようとした折、スウが先んじて口を開く。



「それは許さん」


「あんたには聞いてない」


「聞く聞かないの話ではない。私が許さんと言っているのだ」


「っ……」



 スウとミリアの間で、バチバチと、先ほどとはどこか別種の火花が散る。

 だが無論、こちらの答えは以前と同じだ。



「遠慮する」


「ミリアのお誘いを断るって言うの? 度し難いほど愚かね。さかりの付いた猫でもまだ分別が付くわ」


「勧誘する相手に罵倒ですか……」



 なんというかこの期に及んでも動物にたとえた罵倒をされると、肩の力が抜けていく。しかしミリアの方が至って真面目なのか、ぷりぷりと怒ったような表情。だが、すぐにぷいと顔を背けて、こちらを一瞥する。



「じゃあねアークス。あんたとは、また会うかもね」



 そんな中、リーシャが口を開く。



「ミリアさん」


「リーシャもさよならね。あなたと話していて、楽しかったわ」



 ミリアの言葉に、リーシャは少し残念そうに目を伏せる。たまり場では仲良くしていたためだろう。折角増えた友達が、実は敵だった、敵に近いものだったというのは、彼女の心には衝撃的だったのかもしれない。



 やがてアリュアスとミリアは、空に消えてしまったのだった。






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