第百四十五話 まさかまさかのお手伝い
魔法院のたまり場に、クローディアが息せき切って現れた。
扉を開けるなり叫ぶとは、ただ事ならぬ事態を窺わせる。
いつも羽織っているカーディガンを振り乱し飛び込んでくる姿は、あまりにもらしく。身なりの方もおざなりな様子。
緊急事態のその証明なのか、クローディアからはいつもの余裕は消え失せており、顔には焦りが浮かんでいた。
そんな慌てぶりを見たアークスが、一同を代表してクローディアに訊ねる。
「クローディア様、一大事とは穏やかじゃありませんね。一体どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもありません。演習の準備が間に合わないのです」
「演習の準備? それってあの、魔法院の講師と五期生が行うっていうあれですか?」
「この時期に演習と言えばそれしかないでしょう」
そんな風に常識のように語られても、初めてであるためわからない。もちろんそれは魔導籠手製作のため休みを取っていたからということもあるのだろうが、それにしたって言い方が荒っぽすぎやしないだろうか。
「中止になる具体的な原因はなんです?」
「演習の場所が突然変更になったのと、人手が足りないからですわ」
「演習の場所が変更になった? こんな時期にですか?」
「ええ。ジョアンナ講師の発案ですわ。警備に充てる人員削減のため、そうした方がいいのではないかと発言したのだそうです」
「ジョアンナ先生って確か新人講師ですよね? あの人にそんな権限があったんですか?」
「いえ、人員の削減については賛成する方が多く、そのまま大きな意見となって、認められました」
テーブルの下に隠れているメルクリーアに目配せすると、彼女は知らないという風に首を振った。ということはこの国定魔導師はそんな大事なことを話す会議をすっぽかしてここにいるということなのか。なかなか面の皮が厚いことである。
視線を外して、クローディアの方を向く。
「やっぱりそれはあの事件のせいで?」
「ええ。本来ならば講師陣ですべてをまかなえるのですが、人員を王都にある重要施設の警備に取られているせいで予想以上に人手が足りなくなったのです」
「それで、会議もそういう話の流れになってしまったということですか」
クローディアは「そうです」と言って重苦しく頷いた。
「第二演習場は第一演習場よりも一回り小さいので、収容できる人員も少なくなり、演習内容の変更も余儀なくされました。進めていたことを一から作り直すしかなかったのです」
なるほど、今回そのしわ寄せがクローディアのところに来てしまったというわけか。
ルシエルがクローディアに訊ねる。
「クローディア様。講師陣の事情で変更したのなら、援助はないのでしょうか?」
「ええ。ですがそれも仕方ありません。日々の講義だけでなく、王都の警備に回される講師の方々の負担も相当のもの。このうえ援助を申し出ては業務が立ち行かなくなります」
「あー……」
アークスはそんな妙な声を出しながら、テーブルの下に視線を落とす。
そこには、まるで「こっちを見るな」と言うように威嚇しているメルクリーアがいた。
こっちはこっちでやはり大変らしい。
「そういうわけで、手を貸してくださいまし」
再びルシエルが訊ねる。
「どうしてまた俺たちにそれを求めたのでしょう?」
「それは……この前、アークス・レイセフトに別件で相談をした際、大変なことはなんでも抱え込まず他人に相談しろと言われたので、それを実行したまでです」
「ちょっとアークスー! なに言ってるのかな!」
スウは笑顔を保っているものの、責めるように圧力をかけてくる。これがアニメや漫画であれば、額に青筋が浮いていたことだろう。
「い、いやまさかその相談がこっちにくるとは思わなくてさ!」
「にしても迂闊じゃない?」
「むしろすぐにこんなことが舞い込んでくるなんて思うわけないだろ!」
「よく言うよ。いつも何かしらの騒動に巻き込まれてるのに」
「うぐぅっ!?」
言い返すが、返ってきたのは正鵠を射た一言だ。
やはり彼女の言う通り、迂闊だったのかもしれない。
クローディアが咳払いを一つ。
「ここだけではありません。手の空いていそうな人員には一期生だろうと二期生だろうと声をかけています。もはやなりふり構ってはいられません」
「……そうだね。以前までのクローディア様なら、上級生の威厳って言って全部自分と取り巻きたちでどうにかしてたし、こんな弱みは見せなかったもんね」
「ええ。ですが、行事が破綻してしまえばそれまでです。それこそ名誉は地に落ちるというもの。そのような失態は犯せませんわ」
だろう。失敗したときのことを考えれば、傷は浅い。むしろ生徒たちの多大な協力で……となれば結束も高まるし美談にもなる。要は対外発信さえきちんとしておけばいいのだ。
ではどうしようかと、アークスはスウと顔を見合わせる。
ここにいるのは自分を含め、スウ、リーシャ、セツラ、ルシエル。机の下に逃げ込んだ、ですです魔女っ子国定魔導師は除外しても、あとはオーレルだけだ。
スウは、不敵な笑みを見せる。
「私は構わないよ? 貸し一つということにしてもらえればね」
「……やむを得ません。条件を呑みましょう」
リーシャはいつものように生真面目に受け答えをし。
「私もお手伝いいたします」
セツラは困ったように頬を掻いて。
「わ、私はあまり大変ではないのがいいかなと思ったり……」
ルシエルは厄介事が舞い込んできたというように息を吐いた。
「これ、断れない話だよなぁ」
約一名、御客人のオーレル・マークは存外やる気だ。公爵家のご令嬢の頼みともあり、やたらと張り切っている様子。
「クローディア様たっての要請です。僭越ながら私もお手伝いいたしましょう」
というわけで、最後は自分に視線が向けられる。
もちろんだが、答えは決まっていた。
研究に一区切りがついたところでちょうど良かった。これが魔導籠手完成前であれば、困り果てていたところだろう。
「みんなの単位に影響がないようにしていただければ俺は構いませんよ」
「それに関してはわたくしから手を回しましょう。あとはその点も配慮していただける方がいらっしゃるでしょうし」
クローディアはそう言うと、ちらりと机の下に視線を向ける。
どうやらメルクリーアの存在はバレているらしい。クローディアの視線を追いかけるようにしてテーブルの下に目を向けると、筆頭講師は帽子を目深にかぶって見えないふりをしていた。威厳もこれでは形無しである。この状況でプリンも紅茶も平らげているのはさすがというべき面の皮の厚さではあるのだが。
しかしクローディアも敢えてメルクリーアを見過ごすということは、これも彼女なりの配慮なのだろう。そうでなくても国定魔導師の仕事量は多いのだ。メルクリーアには警備の方に尽力してもらうつもりなのかもしれない。
スウがクローディアに訊ねる。
「クローディア様。演習の予定日まであと何日だっけ?」
「前日の軽い予行演習を除外すれば……あと五日ですわね。訓練場の整地から、会場や屋台の設営、各種書類、魔法院の誘導経路の確保。すべて変更となったので一から企画を変更しました」
「それはもう?」
「はい。あとはそれに付随する作業だけですわ」
イベントのプログラムが決まっているのなら、あとは。その実務が大変ではあるのだが。
ともあれ、気になったことと言えば。
「屋台って、お祭りみたいなことするんですね」
「これは勉強漬けの生徒たちの息抜きのようなものでもありますから。特に地方から来ている貴族の子弟に不満をため込ませるわけにはいきませんし、こうして慰撫しないといけないのですわ」
以前も話には聞いていたが、地方貴族にはかなり気を遣っているようだ。
その辺りの話の補完は、スウとひそひそ。
(……地方の貴族も、中央の仕事ぶりは見ているしね。余裕がないって思われるのは避けないといけないんだよ)
(……それを学生の方にも持ってくるんだな)
(……貴族は貴族だから。それに、ここで良い思いをさせておけば、何かあったときに協力的になるでしょ?)
(……なるほどなぁ)
スウの解説は確かに得心が行くものだ。
彼女の言う通り、管理がおざなりであれば中央の体制を見限られることにもなりかねない。そこはどこでも、どんな場所でも関係ないのだ。隙や瑕疵は端々から見えることだろうし、行き届いていないということになる。
改めて貴族社会というのは、どこも油断できない場所だなと再確認した。
そんなこんなで、手伝いに向かう人員が振り分けられた。
自分はスウと一緒に、直接クローディアたちのお手伝いをすることになった。
「それで、クローディア様。私たちは何をすればいいのかな?」
「それに関しましては着いてから説明しますわ。見ればわかりますから」
「……?」
スウと顔を見合わせながらも、クローディアの案内で魔法院の一室に通される。
内装は……なんとなくだが、男の国の学校によくありそうな、いわゆる生徒会室のような印象を受けた。
そして、机の上は驚くほどに書類の山だ。用紙がてんこ盛りで積み重なっており、わずかな衝撃でも雪崩を引き起こしてしまいそうなほど不安定だ。いま現在進行形でクローディアの取り巻きたちが、それと一生懸命戦っているといった状況である。
「くっ、終わらない!」
「どうしてだ!? 終わらせても終わらせても書類が出てくる!」
「手がっ! 僕の手がぁ!」
最後の取り巻きは腱鞘炎にでもなりかけているのか。
お仲間が死んだ目をしながら、治療の魔法をかけている。
……要するにこれをやっつけるのを手伝えということなのだろう。
だが、
「「書類かぁ……」」
スウとセリフが見事にハモる。
げんなり飽き飽きもう勘弁。それはさながら、事務仕事に疲れたサラリーマンのよう。
お互い書類仕事にはうんざりしていることもあって、疲労のため息が止まらない。
紙と文字を見ているだけでおくびが出そうになるほどだった。
スウに至っては他の生徒がいるにもかかわらず、猫被りも忘れている様子。
一方でそんなこちらの事情など露ほども知らないクローディアと言えば、予想が違ったというように首を傾げるばかり。
「スウシーア様やアークス・レイセフトなら、こういった仕事も慣れているでしょう?」
「ソンナコトアリマセンヨ」
「ナイナイ、ゼンゼンナイナイ」
「……あなた方」
スウと二人適当な返事をすると、クローディアから非難がましい視線が向けられる。
呆れられたのだろうが、それでも愚痴は止められない。
「もういいよ書類仕事はさ。どうして魔法院に来てまで書類に苦しめられなきゃならないんだよ。いい加減俺たちを書類地獄から解放してくれ」
「そうだよそうだよ。こんな仕事するくらいなら肉体労働の方が何倍もいいよ。部屋にこもってるよりも、外で汗をかいた方が気持ちいいよ?」
「わたくしたちは好きで部屋にこもっているわけではありませんわ。というかスウシーア様に体力仕事などさせては貴族の権威というものに瑕疵が付きます。そんな仕事は振れません」
「そんなので傷がつくような脆い権威なんて私は必要ないかな」
「ではどう保つと言うのですか?」
「そんなの武力に決まってるでしょ。国家間の信頼は何事も武力だよ。強さを見せつけて黙らせる。それが一番雄弁な権威の示し方じゃない?」
「あのなー、怖い話はその辺にしとこうなー?」
ナチュラルに武力の話に持って行き始めるバイオレンス極まりない少女を、諫めるように宥める。彼女にとって権威や権力=武力なのだろう。武門が力を持つ国家の子女は考え方が恐ろしいことこのうえない。
ともあれ、溜まっている書類に関してだが。
「それで、俺たちはどうすればいいんですか?」
「そちらの書類を手書きで複製してください。見本はそちらにありますわ」
クローディアはそんな耳を疑うことを言い出した。
無論、そんなことを聞けば、驚きは隠せないわけで。
「は? え? 手書きで?」
「複製~?」
手書きで複製。その言葉にスウ共々戦慄を覚える。
この量を手書きで、しかも数人で複製するなど、理解に苦しむ。
それだけでどれだけの時間を持っていかれるのか。物理的にも厳しいというか難しいというか。まず不可能な領域にある。
「この量をやるのか……いや、これまでの演習のときもやってきたんだよな」
「いえ、今年は増えました」
「え? これでも増えたんですか!?」
「ですから、急な変更で一から変わったと言ったではないですか」
「ああ……つまり、全部終わったあとで変更が来たことですか」
それはそんなことをすれば、人手も足りなくなるだろう。
さすがにスウも苦言を呈する。
「……ねえクローディア様、こんなにあるなら写字生でも雇ったらどう? そっちの方が効率的だよ?」
「わたくしもそうしようと思いましたわ。予算もそうですが突然のことで人員の確保も難航し、結果こうなってしまったのですわ」
「予算に人員かぁ……まあ、雇えなかったら自分のところでどうにかしようってなるよなぁ」
だが、それでもこの数の書類をやっつけるのは現実的ではない。
ならば、どうするか。
答えは一つだ。自分には魔法がある。
「……しょうがない。奥の手を使うか」
「奥の手? これは書類仕事ですが……?」
「何かあるの?」
「ああ。俺の工房でも使ってる超便利魔法だよ」
そう言って、椅子に着席。複製しなければならない書類と用紙を位置にセットして、呪文を唱える。
《――これは読み取りの左と、引き写しの右。この手にかかれば、どんな写本師も裸足で逃げ出す写しができる。取り換えでもなく、すり替えでもない。一度光れば、あら不思議。種も仕掛けもからくりも、まやかしでもない羅列がここに。偽書贋造を駆逐する、両手の妙技を御覧じろ》
――【寸分たがわぬ右の写し手】
そう、奥の手と言った超便利魔法とは、コピーの魔法だ。
左手側に複製したい書類を置き、右手側に用紙を置く。
あとはコピー機さながら、ピカ、ピカっと発光するたびに、寸分たがわぬ書類が刷られていくという寸法だ。
「えーなにこれなにこれ!? おもしろーい!」
そんな様子を見せると、スウが久しぶりにはしゃぎだす。やはり魔法関連となると、興味心が揺さぶられるのだろう。いつになく目をキラキラと輝かせ、身を乗り出している。
「これが書類仕事から解放する救世主。文字複写系助性魔法だ。……もちろん、書き写すだけだから解放してくれるのは作業の一部だけだけどな」
そんなことを得意げに言うと、スウは表情を一変させる。
思い違いだとでも言うように、表情を険しくさせた。
「うーん。でもこれ、戦いじゃ役に立たなそう」
「スウさんスウさん。なんでもかんでも戦闘に結び付けようとしないでくれませんかね?」
「でもやっぱり魔法の華は攻性魔法なんじゃないかなって……」
「今日は随分物騒だな」
権力やら武力やら、そんな話ばかりで呆れのため息を禁じ得ない。
そんな話をしている一方で、クローディアの取り巻きたちは、みな唖然としていた。
「……その魔法、便利ですわね」
「でしょう? 書類仕事が嵩むときはいつもこれを使ってるんですよ。この魔法、使ってみます?」
「よろしいんですか?」
「ええ、まあ。コピーなんて独占しなきゃいけないような魔法じゃありませんから」
そう言って、クローディアや取り巻きたちに呪文とイメージを手早く伝える。
彼らは実際のコピー機を見たことはないため完璧にはならないだろうが、それでも魔法を使っているところを見ていれば、なんとなく同じようにはできるだろう。
「すごい。はかどるぞ」
「時間短縮だ」
「こんな魔法があると写字生の仕事がなくなりそう……」
かもしれないが、基本的に複写なんてものは魔導師が好んでやるような仕事ではない。魔導師は派手な仕事、見栄えのある仕事を望むものだ。おそらくはコピー機や印刷機が登場するまで、彼らは現役で働き続けることだろう。
……やがて複製の仕事が終わり、書類の山のほとんどが切り崩された。
「では次の仕事ですが」
「まだあるんですね……」
「当然です。今度はあちらにある……」
クローディアはそう言って、次の仕事を持って来ようとする。
その様子を見て、ため息が止まらない。
「……やっぱ断ればよかったかな」
「そうだね。嘘でも忙しいって言えば良かったかも」
「いまからでも遅くはない。腹が痛いということにしておけば切り抜けられるかも……」
「じゃ、その手でいく?」
スウと一緒に逃げる算段を考え始める。
このままここにいれば、目から光が失われていくような気がしてならないからだ。
だが、それを許すクローディアではない。
「いまさら逃しませんわよ。たとえ逃げても幽霊犬トライブのように地の果てまで追いかけますわ」
クローディアやその取り巻きたちの目が本気だ。ここで逃げれば、本当に地獄の底まで追いかけてくるだろう。いや、すでに地獄か。どうやら自分たちはとんでもない地獄に来てしまったらしい。




