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第百四十一話 アークス・レイセフトの日記その四



 〇月×日



「――やばいやばい。夢中になってて遅くなった」



 アークスは慌てた様子で、魔導師ギルドの正門を飛び出した。

 時はすでに宵の頃。

 工房での研究や開発に没頭していて、気が付いたら日が沈んでいたという状況だ。

 翌日には魔法院の講義もある。荷物に封をし、居残りの職員に挨拶をして帰路に就いた。



 この日は実験ばかりしてもうへとへとだった。装置完成まであと一歩のところまで漕ぎ着けているため、体力だけでなく魔力の消費がいつもよりも激しい。早く帰ってご飯を食べて、身体を拭いて、ベッドにもぐりこみたい。



 夕食の献立を楽しみにしながら屋敷方面へ向かって歩いていると、ふと敷地のすぐ横にある通りに、複数の人影を見た。

 こんな場所に、一体何者だろうか。魔導師ギルドの周辺でうろうろしてはいけないのは、王都の住人が周知する絶対のルールだ。関係者や職人、魔法院の生徒などという例外はあるが、許可がなければたとえ子供であろうと許されない。うかつに入り込んで見つかれば、残酷無比なお尻叩きの刑が待つという。そもそも敷地外も門や塀などを設置しているため、そうそう入り込める場所ではないのだが。



 もちろんアークスは魔法院の生徒であり、職員扱いもされているため、守衛も巡回もみな顔見知りだ。



 物陰に入ってしゃがみ込み、不審者たちの様子を窺う。

 見たところ巡回ではない。立ち並ぶのは知らない顔ばかりで、最近人員補充をしたという話もアークスの耳には入っていなかった。

 これはすぐにでも通報しに行くべきだろう。

 そう思い、その場で立ち上がろうとしたそのとき。



「――おい」



 背後から、男性のものと思しき低い声がかかった。

 声質、そして気配からも、不穏さが感じられる。

 マズい。前にばかり気が取られていて、近付かれたことに気付かなかった。

 立ち上がりながら、ゆっくりと振り向く。



「小僧。良くないな。魔導師ギルドの周りにいてはいけないと親から聞いてはいないのか?」


「それはそっちにだって言えるんじゃないか?」


「俺たちは、お前のような者が出ないよう見回りのため巡回している者だ」


「抜かせよ。俺は巡回や守衛さんとも顔見知りだ。それに俺は魔法院の学生だぞ?」



 魔導師ギルドと魔法院は距離があるが、同じ敷地にある。

 そのため、制服を着ている人間なら、外塀横の通行に関しては咎められない。



 こちらで話しているのを聞きつけたのか、人影たちがすぐに駆けつけてくる。

 速い。離脱する間もなく、囲まれてしまった。



 居並んだ者たちを見回す。そのほとんどが布やスカーフで顔を隠している中、一人だけその顔を臆面もなく晒している者がいた。

 ギルド長に負けず劣らずのいかつい顔の男だ。角張った顔にチンストラップスタイルの髭。まるで裏社会の顔役のように凶悪な面相をしている。



 その男が顎を手でさすり、目を細め、そして口を開いた。



「ほう、子供かね?」


「ああ。先ほどからこちらを窺っていたようだ」


「ふむ……物陰に隠れて人のことを盗み見とは、教育がなってないな」



 アークスが周りの者を睨みつけるように見回すと、ふいにいかつい顔の男が黙り込んだ。



「…………」


「どうした?」



 仲間の一人が声を掛けても、男はなぜか答えようとはせず、こちらを検分するかのようにしげしげと眺め、何かを窺っている様子。

 やがて、何か自分の中の問題に決着がついたのか。



「……まあいい。見られてしまった以上、君には生贄になってもらおうか」


「生贄? 一体何をするつもりだ? 頭の狂ったおかしな儀式に使うとか勘弁してくれよ? そうでなくても最近狂人扱いされてるんだし……」


「なにもそんなことをするつもりはない。だがね、私たちは私たちがここにいるのを誰にも見て欲しくはなかった。なら、自分がどうなるかはわかると思うがね?」



 喋られなくさせるとでも言うのか。

 だが、どうも腑に落ちないことではある。こちらはただの学生だ。見られたならばすぐ立ち去ればいいと思うし、そうでなくてもここは敷地のすぐ外だ。おかしなことをしていれば、すぐに警備に見つかる恐れもある。いまは一目散に逃げるのが最善手だろうに。

 一体何を考えているのか。それとも目撃されたこと自体が困るのか。

 にしてはこうして顔を見せにくるし、まるで人目に気を遣っていなかったと思うのだが。

 わからない。それはともかく。頃合いが悪いのかいまだ巡回が来る気配はない。



 ……マズい。工房での実験のせいで魔力がほとんどない。できて目くらましが一発程度か。こういうときのための【びっくり泡玉(アストニッシュバブル)】なのだが、いまはその程度でさえも魔力が残っていない。



 完全に油断していた。まさかこんな場所に不審者が現れるとは思わなかった。

 王都でも特にこの付近の治安活動は厳重だ。

 そうそう簡単に部外者が入り込めるはずもない。



 不審者たちが迫ってくる。まるで自分を中心に置いた円陣のように。これが胴上げなら危機感を抱くようなこともないが、周りには敵意まではないにしろ、不穏な空気が漂っている。

 それを見て、剣を抜いた。

 だが、斬りかかりはしない。

 剣に自信がないわけではないが、この状況でまともに太刀打ちするなどもってのほかだろう。いまは魔力が付きかけているうえ、手持ちには魔力増幅の資料に加え、魔力計まである。何者なのかわからない以上、やけを起こして倒され、それらが盗まれることになればそれこそことだ。



 持ち物を悟られてはいけない。守らなければ。


 なんとか突破口を開いて、逃げることに全力を傾けるべきだろう。



 横目で周囲を観察する。

 塀を乗り越えるには、距離が空き過ぎている。

 かといって路地に逃げたところで、取り囲まれるのがオチだ。

 ギルドの入り口までは距離がある。

 いまのところ巡回が来る気配もない。


 見たところ、不審者たちの動きはかなり統制されているようだ。訓練された者たちの動きのように思える。先ほどの言動と合わせて考えるに、何らかの組織に属した人間と考えるのが妥当だろう。



 不審者たちの手が伸びる。その前に、魔法の呪文を呟いた。

 不審者たちがわずかに驚くのもつかの間、素早く詠唱を終える。

 そして、



「――誰かぁあああああああああ! たぁぁぁすけてぇえええええええええええ!」



 拡声魔法で増幅した音声で助けを呼ぶ。ひと当てもせずに助けを呼ぶなど、格好がつかないが、いまはそんなことを言っている場合ではない。

 耳を塞ぎたくなるような大声が辺りに響いたあと、すぐに静寂が訪れる。

 だが、不審者たちは焦る様子もない。

 いかつい顔の男は、いまの魔法がなんだったのか察したのか。



「随分と変わった小細工をするものだ。見たところ魔力も少ない。ただの悪足掻きと言ったところかね?」


「そういうことだ」


「そんな少ない魔力で、滑稽なことだ」


「そんなこと言ってていいのか? すぐに巡回が駆けつけてくるぞ?」


「生意気な物言いだ。これはおしおきは厳しくしないといけないな」



 いかつい顔の男は余裕ぶって笑っているが、先ほど背後に立った男は冷静だった。

 周囲の状況を見て、鼻を鳴らす。



「ふん。早々来るわけがないだろう」


「……くっ」



 不審者の内の一人の魔力が高まる。

 まさか、こんなところで、たった一人の学生のために魔法を使おうというのか。

 考えていることはわからないが、それに気を取られたのがまずかった。



 ふいに、横合いから蹴りが飛んでくる。



「ぐっ……!?」



 体格差もあって、撥ね飛ばされる。何とか受け身を取ったが、防御は間に合わなかった。

 肺から空気が押し出され、意識が飛びそうになるほど苦しくなる。

 反撃してしまいたいところだが、下手なことはできない。ここで反撃すれば不審者たちも本気になり、それこそ危ういことになりかねないのだ。

 拡声魔法が警備の人間や憲兵に届いていて、こちらに向かってきていることを願うばかりだが……。



「どうした? 先ほどの声を大きくするだけの魔法で、他はもう打ち止めなのかね? いやいや魔力が少ない者というのはまったく。持たない者よりも度し難い」



 いかつい顔の男はそう言うと、呪文を唱える。

 今度は風の魔法だ。おそらく殺傷力の低いもの。

 やがて魔法が成立すると、風圧による衝撃が与えられた。



「ぐはっ……」


「魔法院の生徒なのだろう? 魔法で防御や反撃はしないのかね? ああそうか。そこまで魔力がない魔無しなのか。ははは!」



 男は気に障る笑い声を上げながら、風の魔法を使い続ける。

 やはり衝撃が、身体を強く揺さぶった。



「うぐぅっ!?」


「いやいや、君のような魔無しでも通えるとは、魔法院とは相当に審査基準が緩いらしい」


「っ……!」



 好き放題言って。魔力さえ残っていればこのようなことにはならないというのに。

 こうして亀のように丸まっていなければならないのがひどく悔しい。

 そんな中、いかつい顔の男は何かに気付いたのか。



「ほう、少ない魔力を急所に集中して、なけなしの防御か。小賢しいことだ」



 いかつい顔の男を、睨み上げる。



「……なんだねその目は。悔しかったら何かして見せるといい」


「…………」


「聞いているのか!? 聞いているなら答えろというのだ!?」


「……かはっ!?」



 ずん、と腹部に一層重い衝撃が感じられる。一瞬意識が遠のきそうになるが、気合で持ちこたえる。ここで意識を手放してはならない。

 ぐるぐる。ぐるぐる。目の前が渦を巻き始める。



 そんな中も、いかつい顔の男が、聞こえよがしに歯ぎしりの音を聞かせる。

 先ほどから余裕ぶっている割には、随分と沸点が低い。いたぶっているがどちらかわからなくなるほど、ひどく苛立ちを募らせているようだ。

 魔力が少ない人間に反抗的な態度を取られるのが、そんなに気に食わないのだろうか。そもそも魔無しなどと言われなければならないほど魔力が少ないわけではない。実験で魔力が少なくなっているところをたまたまこうして、カチ当たっただけだというのに。



 ふいに、先ほど背後に立った男が口を挟んだ。



「おい、いくらなんでもやりすぎではないか」


「止めるのかね? 私はこういった分を弁えない人間が嫌いなのだよ。魔力が少ないクセに、自分の身の程も弁えず小賢しく立ち回ち、持ちうる者に追いつこうとする浅ましさがね」


「子供を嬲るなど、良い趣味だとは言えんが?」


「見た人間を痛めつけようと提案したのは君だろう? まさかこの程度で終わらせると?」


「もう十分ではないかと言っているのだ。これ以上そんなことをしても意味はない」


「いいや。こういったガキにはしっかりと教えこまないとならない。それに、これも我らのやるべきことにつながるのではないかね?」


「それはそうだが……」


「それに見たまえ、あの赤い目を。君も気に食わないとは思わないかね? 私はああいう目を見るとひどく苛立つのだよ。あの赤い目がね……ああそうだ。ひどく腹が立つ」



 いかつい顔の男が見せるのは、敵意に満ちた表情だ。台詞回しは嗜虐的なものを覚えるが、意志はそれに反して別の意図があるかのようにも感じられる。



 ただいたぶりたいのではなく、本当に目障りに思っているかのよう。

 その様子に、声を掛けた男も困惑しているらしい。



 不審者たちは考えが一致していないのか。意見が衝突しているようだ。いかつい顔の男が嬲ろうという素振りを見せているのに対し、他の者はすぐに終わらせようとしているらしい。



(…………?)



 考えが読めない。見つかったときの対応にしては、どちらも適していないからだ。

 片や嬲ろうとしてすぐに殺さず、片やなぜか「もう十分ではないか?」という妙に手心のある意見を口にする。

 何か別の目的でもあるのか。そんな風に思えるが、痛みが邪魔してその細部までに考えが及ばない。なにか、とても重要なことだと思うのだが。



 いかつい顔の男がまた呪文を唱え始める。今度は長い。


 ――だが、いまはそれを待っていた。


 いかつい顔の男はこちらが痛みでまったく動けないと思っており、反抗する意思もないと思っている。他の者も同じだ。ここから反抗されるなどとは一切考えていないらしく、周囲の警戒に当たる者も出始めているほどだ。

 そこが、付け込みどころ。

 確かに反撃はできなかったが、伊達に弱っちい素振りをしていたわけではない。



 息を吐き出す時間を長く取って、痛みを感じる時間を狭める。

 そして、逃げるための『集中』だ。動くタイミングはあの魔法が完成する直前。全員の意識が魔法に向いたそのとき。いかつい顔の男に一撃斬り付け、そのままの勢いで脱出する。



《風声》



 風の呪文を作るときによく使われる単語だ。使い勝手がよく、文のどの部分にも組み込める。



《ことほぐ》



 随分古い単語が飛び出した。これは祝いや喜びの言葉だ。これで修飾された言葉は、そのエールを受けて効果がいや増す。



《高なる峰の嵐颪(あらしおろし)



 こんな言葉を聞くとは意外という他ない。【精霊年代】にもほとんど出てこない言葉だったはず。

 意図せず、奥歯を強く噛む。これを、いい魔法だと思ってしまったからだ。こんな連中が、まさかこれほど効果や語句に気を利かせ、よくまとまった呪文を使うなどとは思わなかった。



 だが、そろそろだ。油断が最高潮に達する。

 動くべきときはもう間もなく。

 そう思った、そんなとき。



「――こっちでーす! こっちに不審な集団がいまーす! 早く来てくださーい!」



「――!?」



 どこからともなく、女の声が聞こえてくる。

 追って聞こえてくるのは、騒がしい足音だ。

 やがて、目を覆いたくなるような眩しさに照らされる。

 夜間、警備員が周囲を巡回するときに使用する、輝煌ガラスを用いた懐中電灯のようなもの。江戸時代の龕灯(がんどう)にも似た物品だ。



 現れたのは、敷地の周囲を巡回する警備員たちだった。

 他にも、王都を見回る憲兵も交じっている。



「そこで何をしている!」



 声を聞いたいかつい顔の男が、せせら笑いを浮かべる。

 それは、遅まきの到着に対する呆れと、一抹の喜びが混じったような妙な笑み。

 どういうことなのか、それはまるで彼らの到着を待っていたというような顔ではないか。



「やれやれ、やっと来たか。まったく手間をかけさせる」


「逃げるぞ。ここで捕まってはもとも子もない」


「先導は任せよう。逃げ道を上手く見繕ってくれたまえ」



 いかつい顔の男が傲岸そうに言うと、不審者たちは一斉に逃げ出した。

 しかしてその逃げっぷりは、目を奪われるほどに鮮やかだった。

 一体何が目的だったのか。先ほど言っていたこともそう。あまりにちぐはぐすぎる。

 やがて、警備員たちが駆け付けてくる。



「きみ、大丈夫か!?」


「はい……助かりました」


「アークスくんか!? 怪我はないかね?」


「ええ。なんとか」



 酷い怪我はない。口を少し切ったくらいだ。

 憲兵たちが不審者たちを追っていく。

 だが、捕縛は期待できないだろう。彼らには逃げる用意があった。

 警備員が、手当のために魔導師ギルドへのとんぼ返りを促した折。

 ふと気になったのは、いかつい顔の男が発したセリフだ。



 ――やれやれ、やっと来たか。まったく手間をかけさせる。



 いかつい顔の男は、確かにそんなことを言っていた。

 その物言いは、まるで……。





 〇月×日



 魔導師ギルド付近での不審者騒ぎのあと。

 当然、迎えに来てくれたノアには説教されてしまい、カズィには諭されることになった。



「実験もいいですが、他のことも気を付けていただかなければ。アークスさまは魔力計の開発者という国内でも重要な人間です。自重するのもまた必要なこと。よく考えていただかないと」


「ごめん。完全に浮かれてた」


「今度から帰りのこともよく考えといた方がいいぜ。いくら治安が良くても、危険はどこにでも潜んでるってことだ」



 完全に失態である。魔力を残しておけば太刀打ちもできただろうが、その点についてもかなり詰められた。実際二人には大変申し訳なく思っている。

 ともあれ、今度から魔導師ギルドに行く際は、必ずノアかカズィのどちらかを伴うこと、魔法院の帰りに向かうときは、人を遣ってどちらかを呼ぶことが条件となった。



「それにしても物騒ですね」


「いまそのせいでギルドは厳戒態勢だよ。いろんなところから警備員を連れてきてるらしい」


「そうなのかよ?」


「ギルド長が言うには、魔力計もあるからだそうだ。まさか魔法院の講師も駆り出されてるくらいだし、いまじゃギルドは中も外もピリピリしてるよ」


「魔導師ギルドの周りで不審者が捕まるとはよく耳にすることではありますが……」


「しかも捕まってないとかどうなってんのか」



 ……そんな話をしたあと、ノアとカズィを引き連れ、借り受けた空き地に向かう。

 持ち物は装置の基幹部分と、巻物(スクロール)各種。



「これから巻物(スクロール)の実験を行う!」


「そろそろ大詰めと言ったところですね」


「そうだな。ふふ、ふふふ……これで俺が天才だということを周囲に知らしめることができるぞ……ふふ、ふふふふふ……」


「…………」


「…………」



 突然不安になるようなことを言い始めたアークスを見て、ノアやカズィは硬い表情を作る。

 当然彼らにも、アークスがこうなる心当たりがあるわけで。



(……しばらくよくなったと思ったが、また寝不足なのか?)


(……ええ。見ていないとすぐこれです。大詰めということなので、しばらくまた寝不足が続くかと)


(……やれやれ、今回のこれが終わったら、いろいろと考えないとな)


(……そうですね。私とカズィさんだけでは手が回らないことを考えて、工房の職員も抱き込みましょう)



 そんな二人のひそひそ話はともあれ。



「アークスさま。先日のこともあります。あまり調子に乗って魔力を使いすぎるということがないよう、心の隅にでもお留め置きを」


「う……わかってるって。それに今日は二人もいるからさ。な?」



 だが、あれは自分が悪い。彼の言葉は甘んじて受けなければならないか。



「よし、そろそろ起動するぞ!」


「それはよろしいのですが、そこにあるものは一体?」



 ノアは地面に置かれた物体を見て、首をかしげる。

 そこにあったのは、子供の腕の長さはある円筒状の機構だ。

 外側には盾のような部品が取り付けられている、一見して何が何だかわからない物品である。



「これは巻物を使用するための装置の中身だ。これから作る本体はこれを組み込むわけだけど……まあ、そっちは楽しみにしててくれよ。思わず俺を褒め称えて崇め奉りたくなるようなものを見せてやるからさ」


「それはいいけどよ、ちゃんと動くのか?」


「今回はそれを試すためのものだ。計算方法を変えたものをいくつか試行して、その中で一番良さそうな計算式を使う」


「どういうことです? 計算が合ってるものがいいのではないのですか?」


「違う計算式でも答えが導き出せるからな。ほら、分解された式がいいのか、省略された式がいいのかとか、いろいろあるだろ。答えが出ればいいってもんじゃない。物によっては巻物(スクロール)に書き込む計算式まで影響するんだ」


「めんどくせえなあ」


「ほんとだよ。俺に魔力さえあればこんなことにはならないのに……」



 つい先日も、魔力がないことを散々バカにされたのだ。極力身体にダメージが入らないよう丸まっている最中、小賢しいだのなんだの、嫌悪の声がやたらと聞こえてきたように思う。

 それもあって、そのときの愚痴に、二人を付き合わせてしまった。



 それを思い出すと、疲れたため息が止まらない。



「とりあえずやってみましょう。すでに結果は見えたようなものなのです」


「そうだな。言う通りもう成功は見えてるんだしよ、文句言う奴はみんなこれでぶっ飛ばしてやれ」



 一気にテンションが下がったことを心配してくれたのか、ノアとカズィが前向きな話に路線変更してくれる。こうして元気づけようとしてくれる二人に感謝しつつ、装置に巻物(スクロール)をセットした。



「起動」



 …………そんな風に、何度か装置を起動する。

 魔力蒸気が吐き出され、辺りに呪詛(スソ)が飛び散った。

 やがて、



「見たところこれが一番良さそうだな」


「そのようですね。魔法の効果も滞りなく発揮されました」


「装置が停滞したり、止まったりとかもなかったな。いいと思うぜ?」


「よし、じゃあこれを使ってデータを取ろう!」



 そんなことを宣言したそのときだった。



 ふいに周囲の景色が、緋色に染まっていく。



「ん? なんだ……?」



 それは、あまりに唐突だった。

 世界が、赤色に浸食されていく。

 まるで、霧の広がる景色が夕焼けの中に沈んだかのよう。


 一体これはどうしたことか。いまは薄曇りの昼間。このような自然現象になどこれまで遭遇したことがない。だが、いま使った魔法の効果でもない。



 紅霞の中で困惑する中、その異変の正体に真っ先に気付いたのは、ノアだった。



「っ、アークスさま! これは魔物が現れる前兆です!」


「へっ!? え!? ええ!? 魔物が!? どうして!? なんでそんなことが!?」


「わかりません! ですが間違いありません!」


「気を付けろ! どこから出てくるかわからねえぞ!」



 久しぶりに、カズィの切羽詰まった声を聞く。

 何が何だかよくわからないが、こちらも遅ればせながらも身構えた。

 魔物であれば、油断はできない。以前に聞いた話の通りなら、とんでもないものが現れることになる。



 装置から手を放してすぐに剣を取り、集中。残りの魔力を高めて臨戦態勢を取り、いつでも魔法を使えるよう、頭の中になるべく高火力なものをピックアップしておく。

 ノアとカズィと三人で、背中合わせの状態を作りながら、周囲の様子を油断なく窺う。


 体勢は万全に。


 ノアは氷結剣を手に取り。


 カズィも精霊の鎖を使わんと準備に入る。



 ……しばらく、色濃くなった紅霞がふいにその色味を落としていく。

 徐々に赤い世界が色味を失い、やがて世界のありようは元の状態に戻った。

 曇り空が広がる灰色の風景だ。

 いまだ赤い余韻が目に残像となって焼き付いているが、何事もない。



 周囲を見回す。



「……消えた?」


「のようですね」


「俺は経験がほとんどねえが、これで大丈夫なのか?」


「以前クレイブさまと魔物退治に出た折は、これで魔物の出現はなくなりました」


「そうか。よかった。でも一体なんで魔物なんかが出そうになるんだ……?」


「どうしてかはわかりませんが――あ!」


「あー、そうか。まあ理由は一つしかねえわな」



 ノア、カズィに続いて、思い至る。

 そう、魔物の出現というのは、呪詛(スソ)の増大によって起こるものだと言われている。

 つまり、その原因は一つしかないわけで。



 三人の視線の先には、巻物(スクロール)を使う装置がある。



「要するに、これの使い過ぎのせいで周囲の呪詛(スソ)が増えたのか?」


「そう考えるのが自然でしょうね」


「んで、警戒して装置を止めちまったから、魔物が出てくるまでにならなかったってわけか」


「そうなんだろうけど、それはそれでなんか……」



 おかしい。

 そう思うのも当たり前だ。この程度の魔法行使でこんなことが起こっていれば、戦争規模で魔法を使用した際など、そこら中魔物だらけになるはずだ。魔法を使っての戦争どころではない。だが、戦争ではそういった現象は起こらないし、起こったと言う話も聞いたことがない。



 しかし、こうして前兆現象が起こるということは、一定空間内の呪詛(スソ)が増大したということは間違いないのだ。



「つまり、これって思っている以上に呪詛(スソ)を発生させるってことか?」


「だろうな」


「これは開発に大きな問題が出ましたね」



 そう言うが、そこまで深刻なものだとは思えない。

 それもそのはず。



「いや、大丈夫。前兆現象が起きたのは装置を結構使ってからだ。要するにこれを使いすぎなければ、問題ないってことだろ? いずれにせよ戦闘じゃこんなにバカスカ使えるようなものでもないから」


「まあ……」


「それでも規模の大きな魔法はどうなるかってのも考えとかなきゃならないだろうけどさ」


「だがよ、王国の呪詛の扱いは厳しいぜ? その辺りきちんと対応策を持ってないと、開発中止を言い渡されるんじゃねえか?」



 確かにカズィの言う通りだ。これが周知されれば、ストップがかかる可能性も否めない。

 だが、すでに解決策は思いついていた。



「……ふふふ、どうやらこれよりも先に作らなきゃいけないものができたようだな!」


「それは?」


「周囲の呪詛(スソ)の量を測る装置だ! 放射線量測定器(ガイガーカウンター)ならぬ、呪詛量測定器(カースドカウンター)!」


「名前の方はよくわかりませんが、そもそもそんなものどうやって作るのです?」


「ふふふ、甘いよ明智君! すでに構想は立ててあるのだよ!」


「…………」


「…………」



 どこぞの怪人めいたセリフを口にした折、優しげだった二人の目が、またざんねんないきものでも見るような目になった。なぜだ。



 ……もちろんこのあと、呪詛(スソ)の量を測る装置の設計、開発で再び寝不足になったことは、言うまでもないだろう。



別作品である『日本と異世界を行き来できるようになったので、とりあえずいまはレベル上げに勤しんでます』が書籍化する運びとなりました。


書籍版はタイトルが変わって『放課後の迷宮冒険者~日本と異世界を行き来できるようになった僕はレベル上げに勤しみます~』になります。


そちらもどうぞよろしくお願いします。

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