第百三十九話 アークス・レイセフトの日記その三
〇月〇日
実験の結果、巻物の使用によって魔力が増幅されるのはまず間違いないということがわかった。
魔法に必要な魔力の割合を計算していった結果、徐々に魔法が発動するようになりはじめたのだ。
これにより、
・魔法を行使するとき、魔法陣によって魔力が増幅される。
・魔法は術者本人の魔力および、増幅された分の魔力を使用して行使される。
・巻物を使用すると魔力の伝達速度が上昇し、行使までの時間が加速する。
・魔法は行使から発動までの時間が短くなれば短くなるほど、増幅される魔力も増える。
ということが判明した。
性質上、魔力を増幅させるには『強力な魔法の巻物』が必要なため、結局のところ巻物は
『|強力な魔法を使うためだけの道具』に止まる。そもそも少ない魔力で大きな魔法を使えるようになる時点で、とんでもない話ではあるのだが。
ここで疑問なのが、ここで生まれる熱が、結局何者なのかという話だ。
これには、巻物焼失時に排出される『ラメのような煌めきを帯びた白い靄』が関係している。
これが魔法を通常使用して漏れ出していないということは、発生していないということだ。巻物の行使、つまり魔法の行使時間を短縮することで、二次的に発生するものだと考えられる。
そしてこれは、魔力として消費される以上の速さで生産されているため、オーバーフローを起こしており、それが消費され終わる前に、蒸気となって外部に逃げてしまうのだ。
その溢れたものを余さずに使用できれば、さらに魔力消費を抑えられるかもしれない。
このガスを便宜上【魔力蒸気】と呼称する。
「あとは……」
いまだ仮で使っている機構に目を落とす。
長方形をした銀色の物体に、変形機構を思わせるつなぎ目のような亀裂がある。
以前のものよりも小さくはなったが、まだまだ大きい。
今後の課題は、これをもっと小さくすることだ。
……ともあれ、機構について。
パッケージングした巻物をその都度薬室に装填し、魔法の行使後、錬魔銀の膨張と使いきれなかったガスの圧力を利用して、余った熱と共に使用済みの巻物を排出。動作はほとんど拳銃のブローバックのような動きを見せる。
これをどんな形状のものに落とし込むかだ。
動作を考え、そのまま拳銃を模した形にする。
それとも十字架型にして盾のように使う。
いや、腕に装着する手甲型にするのもいいかもしれない。
そんな風に、妄想を膨らませる中。
「あ……」
重大な問題があることに気付いてしまった。
●
クレイブ・アーベントの屋敷にて。
屋敷の主であるクレイブが、執務室で葉巻のコレクションを眺めていたときのこと。
「――失礼致します。クレイブ様、お客様がいらしておりますが、お時間の方は大丈夫でしょうか?」
「ん? ああ、大丈夫だ。通せ」
クレイブが許可を出してからしばらく。執務室に入ってきたのは、見目麗しい青年だった。
群青の髪を持ち、片眼鏡をかけた怜悧な美貌。寒風のように身に刺さるような冷たい剣威を身にまとうのは、以前彼が手元に置いていた副官である。
「クレイブさま。ご無沙汰しております……と言うほど以前に会ってから間は空いておりませんが」
「なんだノアじゃねえか。どうした突然? もしかして俺の副官業が恋しくなったか?」
「まさか。アークスさまのもとにいるとそんな暇はございません」
「ははは! そうかそうか! 楽しみが長く続いているようでなによりだ!」
「まったくです。アークスさまといると飽きることがありません」
「その分忙しいだろ?」
「それはもちろん。その辺りはクレイブさまをお恨みするということで、一つ」
「おいおい俺のせいかよ」
そんな話のあと、クレイブが目を向けたのは、部屋の隅の上部に設置されたエアコンもどきだ。
「この前もらったそれはいいな。夏でも涼しく過ごせる」
「私は個人的に、魔力計よりもこちらの方が大発明だと思います」
「それは言い過ぎ……とも言えんか。そのうち魔力計よりもこっちの方が多く普及するようになるのかもな。魔力計と違って魔導師以外にも恩恵があるとなれば、褒め称える声もこっちの方が多くなる」
「アークスさまもそうおっしゃっていました。あと、使いすぎると知らないうちに身体が冷えてしまうので、気を付けて欲しいとのこと」
「風の出るところに直に当たらないようにする、だな?」
クレイブは挨拶代わりの世間話を終えたあと、ノアに訊ねる。
「それで、今日はどうした? なにかあったか?」
「はい。アークスさまが少々ご相談したいことがあるとのことです。今回私は先触れのようなものですね」
「なんだ。こうして改まって来たってことは、また何か作ったのか?」
「勢いを見るに、どうやら今回はこれまで以上のものかと存じます」
「ほう……ならまた人の耳に気を付けなきゃならんな」
クレイブはそう言って目を細める。そして屋敷の使用人を呼び付け、部屋の周りの人払いや、屋敷の周りの警戒を強めるよう言いつけた。
そんなことをしている間に、クレイブに相談を持ってきた人物が到着する。
しかしてその人物は、執務室の扉を開けるなり大きな声でクレイブにこう切り出した。
「――伯父上! お金ください!」
「入るなり金の無心はよしやがれこのバカタレ!」
甥からぶちかまされたあまりの言葉に、クレイブは堪らず怒鳴り返したのだった。
●
〇月〇日
この日、アークスは伯父であるクレイブの屋敷を訪れていた。
来訪の目的はもちろん、今度の発明に関することだ。
……クレイブの執務室にはすでにエアコンもどきが設置されており、室内の気温を快適な温度に保っている。働き者だ。もはやアークスの知っている人間のいる場所にはどこでもこれが仕事をしていると言った具合である。あとはストライキを起こされないよう定期的にメンテをしなければならないのが、大変なところなのだが。
最初のアプローチがまずかったのか、クレイブが呆れのため息を吐いた。
「まったく、入るなりかける言葉がそれか」
「いえ、下手に回りくどくするよりも、直截的に言った方がいいかなと思いまして。あはは」
「で? 金が必要になったから俺に無心しにきた、と?」
「はい。どうしてもいますぐ必要なので、工面していただけないでしょうか……」
アークスはクレイブに頭を下げて頼み込む。
そんな彼に対し、クレイブがぶつけたのは疑問だった。
「だけどよ、この前の戦の褒賞で金はたんまりもらっただろ? それに魔力計の褒賞と収入に、お前んとこの工房の稼ぎを合わせても、そうそう首が回らなくなるようなもんじゃないはずだが?」
「それが、家を買ったり、ギルドの工房で道具の開発をしたり、ソーマ用の株を買ったりしてたら、即金がちょっと心許なくなりまして」
「そんなにか?」
「エアコンの製作がなければもっと余裕があったんですが」
「これか」
「ある程度供給に目途が付いたと思ったら、今度は上級貴族の方々からの要望が増えてきたそうで。急ぎで材料を買い揃えていたら、思った以上にお金が手元から離れてしまっていて……」
アークスの工房はギルドの敷地にあるが、ギルドが直接運営しているものではなく、独立したものだ。そのため、経費とはいえど、ギルドで金銭を受領するにはいちいち七面倒な手続きをしないといけない。
急ぎのときは一時的に身銭を切って充当するわけだが、まさか即金が底をつくまで必要になるとは思わなかった。
申請を出しているため、すぐにその分の金銭はギルドから返ってくるのだが、いますぐ欲しい分のお金がない。
少しの期間なら待てばいいと思われるが、アイディアには鮮度がある。鉄は熱いうちに打て。物事は熱量を失わないうちに行動を起こさなければならないのだ。
なので、
「ここは伯父上に融資していただこうかと」
「子供が使う言葉じゃねえな、融資。ちょっと無駄遣いが過ぎるんじゃないのか?」
「では伯父上に送るソーマ酒が減っても構わないと?」
「俺がそんな程度の低い脅しに屈すると思うか? で? いくら欲しいんだ?」
クレイブは葉巻を咥えながら眼鏡をかけ、ごく自然に算盤のような計算機をいじり始める。
それを見ていたカズィが、胡散臭そうなものでも見たような顔を作る。
「おっさんおっさん、前後の文脈がおかしいぜ? 屈してる屈してる」
「うるせえ。こいつがあんなうまいもの作るからいけないんだ」
「確かに、全部アークスさまの行動から生まれたものではありますね」
「ええ!? なに!? 俺が悪いの!?」
「そうだ。子供のくせに酒なんて造りやがって悪ガキめ。重罪だぞ重罪」
悪いことをしたわけでもないのに面白がって責め立てられる。
まったくひどい理不尽である。
ともあれ。
「きちんとお返しいたしますのでお金を貸してください! お願いします!」
もう一度頭を大きく下げて、クレイブに頼み込む。
「つーことは、またなんかやろうとしてるのか?」
「はい! 今度のはすごいです! これが成功すれば、魔導師の魔力量の差を……ある程度ではありますが埋めることができます!」
「魔力量の差を埋めるだと? どういうことだ?」
「はい! 少ない魔力でも強い魔法を使えるようになる道具の理論を確立しました!」
「……は?」
アークスはクレイブに胸を張ってどや顔を見せる。
その表情を見たクレイブは眉間を揉んで、待ったをかけるように手のひらを突き出した。
「待て待て待て……一体なんだ。お前、一体何をやりやがった」
「ですから、少ない魔力で強い魔法を使うための道具を設計したんです」
「さっき理論を確立したって言ってたが」
「適切な装置さえ作ることができれば、実現できます!」
「…………」
クレイブは巨大なため息を吐く。
「具体的にはどのくらいの量を節約できるんだ?」
「もともとは三倍程度でしたが、条件をすべて整えたという前提で五倍です」
「倍? いや俺は低減する分の話をしているんだが?」
「ええっと、ちょっと計算方式がいろいろ違いまして……少なくともいまの継戦能力の四倍から五倍は増える見通しではあります」
「よくわからんが、要はお前がそれを使えば、軍家魔導師の平均くらいにはなるってことか」
「もちろん使う魔法によっては上下するでしょうが、一番低く見積もってもそのくらいはいけるのではないかと」
「随分とデカいな……で?」
クレイブは、何かを寄越せと言うように、おもむろに手を出した。
「あ……やっぱり計画書とか必要でしょうか?」
「当然だ。口頭でなんぞダメに決まってるだろ。お前もゆくゆくはギルドに計画を上げる立場になるんだ。その辺りいまのうちにきちんとできるようになっておかないとダメだからな」
「ですよね……え? 計画?」
「そりゃそうだろ。どうせこれからもまだまだ色々と作ろうとするんだ。いまは個人的なもので、規模も大きくないからまだいいが、それなりの立場になってデカい事業をやるようになったら必要になる」
「いやぁ、それはさすがにどうかなって。もしかしたらもうこれ以上のものは作れないかもしれないですし」
「そう言うやつに限ってそんなこと言うんだよ。っていうかお前偉くなりたいんだろ? それはどうなんだよ? ん?」
「あ、あははは……」
険しい顔を近付けてくるクレイブに、誤魔化し笑いをしながら、持ってきた鞄をごそごそ。
そこから取り出したのは、計画書の一部だ。
パチン。クレイブは取り出した葉巻の先を切って火を点ける。
そして、どこか感心したような息を吐いた。
「なんだよちゃんと持ってきてるんじゃねえか」
「一応必要になるかなと思いまして」
「一応じゃねぇ絶対だ……まったくお前ときたらしっかりしてるのかおちゃらけてるのか」
クレイブは火のついた葉巻に歯を立てて咥えながら、計画書を受け取った。
すると、ノアが控えめな苦言を放つ。
「クレイブさま、それは下品ですよ」
「生まれてこの方お上品じゃなくてな」
「ああ、有数の軍家の生まれとは一体なんなのでしょうか……まったく嘆かわしい」
「ノアそれさ、俺にも言ってるよな? 絶対そうだよな?」
「その辺はアークスさまのご想像にお任せします」
皮肉を言っておいて逃げる従者である。
一方でその茶番めいたやり取りを見たカズィが「キヒヒッ!」と他人事のように笑っていた。
「中身は?」
「大丈夫です。テキストは全編【古代アーツ語】を使用し、ギルドの暗号を用いています」
「もうギルドの暗号も覚えたのか」
「そちらは早急だと判断しましたので。そもそも俺の場合は一度見ればすぐですし」
「そう言えばそうだったな」
計画書の中身は大部分が暗号化されているため、知識がある人間以外は読むことはできないようになっている。
「……ふむ。巻物を用いた機構?」
「はい。その巻物の実物がこれです」
鞄からパッケージングした巻物の実物を取り出して差し出す。
あの男の国の巻物大くらいはある円筒型の物体だ。
クレイブはそれを受け取ると細部も見逃さないようしげしげと眺め、やがてパッケージの機構を見抜いたのか、開口部を器用に開いて中身を取り出した。
「中身は丸めた紙か」
「それに書いてあるのは、伯父上の作った【火閃迅槍】です」
「ほう? 発生する魔法陣と【魔法文字】。こっちは呪文の変化過程か。魔法銀を焼き付けるように記してあるな」
さすがだ。一目見ただけで何が書いてあるのかわかったか。
「ふむ。こういうのには、見覚えがあるな」
クレイブはそう言うと、巻物をパッケージに戻して戸棚から書籍を探し始める。
執務机に必要ない本をポンポンと積み上げつつ、奥の方にしまってあったものに手を掛けると。
「お! あったあった。これだこれ。随分前に魔法陣の研究をした魔導師がいたらしくてな」
そう言って、クレイブは手に持った本をひょいと投げて寄越してくる。それをキャッチして従者共々顔を並べて中身を見ると、確かに魔法陣に関する研究と考察が記してあった。
「……魔法陣のこともしっかり研究されてはいたんですね」
「そりゃそうだ。魔法を使うと出てくるもんだからな。研究してみようって思う奴も出てくるさ。だが、ここまでは研究したらしいんだが、うまいこと利用する方法は見つけられなかったみたいでな」
「ですね。中身が魔法陣の話だけで終わっています」
「ここから刻印に繋げれば研究も続けられたんだろうが、何しろこれ以上は魔法銀が大量に必要になるってことで頓挫しちまったらしい」
「あー、いまよりも銀の産出や魔法銀の精製が少なかったころだから……」
「そうだろうな。その点お前はその辺り魔力計やら刻印やらの実績があるから、必要になれば周りが工面してくれる」
「はい。根回し万歳です」
そんなことを言って何の気なしに両手を挙げると。
「ああ、これが子供の口にする言葉なのでしょうか?」
「根回しとか口にしたうえ実行してるガキとか怖いよなぁ」
後ろで従者どもがまた何やらひそひそ言い始める。本当にこいつらはいちいち何か言っておかないと気が済まないのか。軽く肩越しに見返ってジト目を向けると、一人は片眼鏡をハンカチで拭き拭きして聞こえないふり、もう一人はそっぽを向いて口笛を吹く始末。面の皮の厚いことだ。
「まあ、その後の研究でもうまくいかなかったらしくてよ。結局研究そのものをやめちまったらしい」
「多分俺とおんなじ理由でつまずいたんでしょうね」
「ってことは、そこは解決できたのか?」
「はい」
頷くと、クレイブが資料をめくる。
「……ん? なんだ。これはこのまま手に持って使えないのか?」
「はい。使用すると巻物が高熱を帯びるので、手で保持できないのです」
「やけどか。保護用のグローブにはしなかったのか?」
「それも考え熱伝導率の悪い素材などでやってみましたが、魔力の伝達にムラが出たり、魔力の事態の通りが悪くなったりしてやめました。計算が大変ですので」
「で、それを安全に使うための装置が必要になると」
「それを解決するのが、パッケージに手を加えた、この薬莢式の巻物です」
「ほう」
「前に作った万年筆もどきから着想を得ました。万年筆もどきっていうのがこれです」
鞄から万年筆もどきを取り出して、クレイブに渡す。
クレイブはそれを使ってみたり、分解してみたりしたあと。
「ほー。これは便利だな。一つもらってもいいか?」
「どうぞ。工房にまだまだありますので一つと言わずいくつでも」
これも人気だ。価格的なお手軽さから、工房で作ったものでは意外とこれが一番の売れ行きかもしれない。
……刻印はまったく関係ないのに。
「それで、ここで発生するのが【魔力蒸気】です」
「【魔力蒸気】?」
「便宜上、そう仮名しました。魔法陣を利用して、魔法の行使時間を極端に短くすると産まれる力です。そして、巻物を使用したときに生まれるこの蒸気熱は、熱以外の利用法も存在することがわかったんです」
「熱が熱以外に?」
「なんといいますか、直接使用できるエネルギー、魔法に流用できる熱なんです」
「む……ということは、魔力なのか?」
「大雑把に言えばそうです。正確には、魔力≠【魔力蒸気】なのですが。錬魔力みたいにちょっと違うものと考えておいていただければいいかと」
「そうなるとだ。問題はそれを伝える物質になるな?」
「はい。伯父上のおっしゃる通りです。巻物と自分の間に魔法銀を噛ませます。あれは魔力をよく通します。魔力が漏れないように、各部に錬魔銀も使います」
「となると錬魔銀の膨張はどうするんだ? あれが魔力に反応して膨張するのは、お前の研究だ。下手な作りじゃ圧迫されて内部からぶっ壊れるぞ?」
「それがこの機構のミソなんです。魔力を伝達しない錬魔銀を内部に仕込むことでちょっとした変形機構にするんです。開口部を作って、排熱及び不要な魔力蒸気の排出、使用済みの巻物の排出も試みます」
「なるほど――ん?」
クレイブが眉間にしわを寄せたり、天井を仰いだりして考え事をしている。
やがて答えが出たのか。
「疑問なんだが、この【魔力蒸気】は使用する魔法に利用されるのか?」
やはり、そこに気付くか。
「はい」
「じゃあ要するにお前これ、魔法を使って魔力を作っているってことなんじゃないのか?」
「……そう言いかえることもできるかもしれません」
「そう言いかえるって、これは効率化なんてもんじゃ……いや、だからお前、削減の割合じゃなくて、倍って言ってたのかよ」
「ええ。だから今度のはすごいって言ったじゃないですか。これは魔法にかかる無駄を省くんじゃなくて、魔力の増幅による魔法の使用です!」
「――――」
クレイブは呆気に取られたのか、咥えていた葉巻を口から落とす。
しかし、すぐに拾い直し、ぶっとい人差し指を突き出して、おでこを狙ってつついてきた。
「このっ、お前、このっ! やりやがったな!」
「やりました! やりましたよ! 目指していたものとはちょっと違いますけど! 十分それに匹敵するものができそうです!」
「魔力を増やすんだぞ!? それがどういうことかわかってんのか!?」
「わかってますとも! それに、これはどうしてもやらなければならなかったことですから!」
そんな話をしながら、クレイブの人差し指のつんつん攻撃を軽やかにかわしていく。
不意打ちでなければ、どうということはない。
ひとしきりじゃれたあと、クレイブはまた計画書に目を通す。
「……流し読みはしたが、これは量産向きじゃないな」
「はい、おっしゃる通りです。巻物は使い捨てになりますし、装置を作るお金もバカになりません」
「生産には金もかかる、通常の魔法行使と違って魔力を込める比率も変わる。使用者の練度も必要だろう。魔力計があるからってこれは簡単には使えないぞ」
「普及を考えるのなら、問題は山積みですね」
だろう。使用は巻物やそれを使う装置ありき。
巻物に書く内容も、計算が必要だし、記すのにも刻印技術を要する。
安心なのは、魔力計と違って部外者が手に入れたとしても、扱えないということか。
「だが、これが魔法の発展に寄与するということはまず間違いないだろうな。よくもまあそんなことが湯水のように湧いてくるもんだぜ」
「偶然によるところが大きいです。それに、創世の魔法を作り上げて国定魔導師になった伯父上にそれを言われても」
「まーあれも俺一人の力ってわけじゃねえからな」
「そうなんですか」
「いずれその辺のことは話してやるよ」
クレイブはそう言うと、計画書を閉じて机に置く。
「それと、ゴッドワルドのおっさんにだけは伝えておけ」
「ギルド長にですか?」
「発表に関してはお前の判断だが、予算を申請する可能性がある以上はきちんとしておかないといけないからな」
確かに、開発費にギルドからの予算を使う可能性がある以上、上に報告が通っていないといけない。不透明な予算の流れは処罰の対象だ。
だが、発表に関してはいまだどうするか迷っている。魔力計は公開しても構わないものだったが、今回の発明は自分だけのアドバンテージにしたい。折角苦労して理論を立てて、実現の目が見えてきたのだ。作ったとして自分の分と、あって従者たちの分くらいだろう。
王国では研究の秘密、秘匿を許されているため、公開しなくても処罰はされないはず。
「このあとおっさんと会う約束があるから、俺があらましを言っといても構わんが、どうする?」
「ではお願いします。では、この計画書を」
「中身の詳しい説明はできんからな、あとでお前が改めてやれよ」
「はい。それで、例のお願いの方はどうでしょうか……」
「予算な、予算。さて、どうすっかな……」
「よしノア、やれ」
「はい」
ノアに妙な命令を下して、ダメ押しのソーマ酒を出してもらう。
「これでどうでしょう?」
「手土産か。ほんとおねだりに来た子供の所業じゃねえな」
「伯父上、どうかよろしくお願いします」
頼み込むように頭を下げたあと、上目遣いをする。
すると、
「わかったわかった。そっちは用意させる。あと、上目遣いはあざといからやめろ。似合いすぎる」
「えー……」
そんなことを言われてしまった。
●
……アークスが屋敷から帰ったあと、クレイブもともとの予定通り魔導師ギルドに出向。
到着後、すぐにギルド長ゴッドワルドを捕まえて、『黒の間』へと向かった。
部屋の前に着いた折、周囲に人がいないかどうか確認しつつ、困惑するゴッドワルドを押し込めるような形で部屋に入れ、暢気に笑っているバルギウスも一緒に中に入れた。
『黒の間』。魔導師ギルドで特殊な会談を行うときに使う部屋の一つであり、内密な話をするときに使われる防音が整った部屋だ。
いまクレイブの前には、いつも通りのバルギウスと、突然のことに困惑を隠せないゴッドワルドがいる。
「一体どうした? 今回の話は内緒話をしなければならないほど重要なものではなかったはずだが?」
「予定はそれだが、いま話したいのはそれじゃねえんだ――とんでもないことが起きたぞ」
「なんだ? 不良国定魔導師たちが建造物を破壊したという話はいまのところ耳に入っていないが?」
ゴッドワルドが渋い顔を見せると、横でバルギウスが噴き出しそうになったのか慌てて口元を手で押さえる。
もちろん心当たりのあるクレイブは、口をへの字に曲げるほかない。
「おいおい一体いつの話だ、いつの。そもそもそれは俺たちが国定魔導師になる前のことだろ。蒸し返すのはかんべんしてくれ……」
「それは私の台詞だ。あの頃なんどもう勘弁してくれと思ったか。そのうちの一人は怒るに怒れない立場になってしまったからな。まったく腹の立つことだ」
それは、過去、クレイブがシンルやルノーと王都でヤンチャしていた頃の話だ。
ゴッドワルドの声には、そのときに受けた心労からの恨みつらみがにじみ出ている。
「それで? とんでもないこととはなんだ?」
「これだ。アークスがまたやりやがった」
クレイブがそう言って計画書を渡すと、ゴッドワルドは呆れをさらに深くする。
「またアークスなのか……今度は一体なにをしたのだあの子供はまったく。ん? 巻物による魔力の増幅とその伝達機構だと?」
ゴッドワルドは、計画書のページをパラパラとめくっていく。一ページ、また一ページとめくっていくうちに、その表情はどんどんと愕然としたものへ変化していった。
「いや、まてまてまて! これは……」
「旦那様、いかがなさいましたか?」
「い、いかがしたもなにもない! ……おいクレイブ!」
「見たまんまさ」
クレイブがニヤニヤしながらそう答えると、ゴッドワルドはバルギウスに見せてもいいかと訊ねるよう視線を向ける。
「まあ、バルギウスさんなら構わないだろ。だが他は厳禁だぜ? 今回は公開や発表に関しては考えてないみたいだからな」
「わかった」
見せると、バルギウスも「これは……」と言って瞠目し、絶句している。
「……クレイブ、本当にこんなことができるのか? 魔法行使を利用して、魔力を増幅するなど」
「さっき俺のところに来て、自信満々で『理論を確立した』って言ってたぜ」
「しかし……」
「アークスが国定魔導師になるために、こいつが欲しかったんだろ?」
「それはそうだが……まだ魔力計の製作者の発表さえしていないのだぞ?」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃねえか。理論を立てちまったんだからどうにもならんぜ? まさかここまで来て大人の事情で中止しろなんて言うのか? さすがにそれはいじわるすぎるぜ? これまでだってあいつには散々大人の事情を押し付けてるんだ」
「いや私とてそういうわけではないが……それで、どれだけ増やせるのだ?」
「増幅量が個々の魔法で変わるって話だからその辺はまだわからんが、経戦能力が四倍から五倍になるんじゃないかって話はしてたな」
「……驚愕だな。だが本当にそこまでこぎつけたのか?」
「あいつは形にならなきゃ言わないだろ。むしろまだ低く見積もっている可能性まであるぜ」
ゴッドワルドはクレイブの発言を聞いて、黒の間の天井を仰ぐ。
確かにゴッドワルドも、アークスの魔力を増やす研究に期待をしていた。
だがそれは十年単位の、もっと長い目で見るようなものだと考えていたのだ。
それがまさか、こうも早くそれに近い場所に到達してしまうとは思いもよらなかった。
本来の『魔力を増やす』とは微妙に違うが、似たようなものと言って差し支えはない。
「いったいどうなっているのだあの子供の頭の中は……」
「俺が聞きたいな。まあ今回のは、魔法銀が豊富なのと、錬魔力や錬魔銀があったからこそだって言ってたぜ? だから今回の発明もそこまで突飛なもんでもない……いや、やっぱ形にできそうな時点でおかしいわ。『えあこん』もそうだが、よくこんな妙な物を思いつくもんだ」
ゴッドワルドもバルギウスもしゃべらなくなったことで、室内がしんと静まる。
それだけ、アークスが作ったものが衝撃的だったということだ。
「そんなわけだ。おっさんも一口噛んでくれよ」
「金銭の話か?」
「工房での開発と、実験に費用を使いまくって、即金がちょっと怪しいそうだ」
「それほどか? 予算はこちらでも十分に回しているはずだが」
「まあ、そこはあれだ、俺たちがこぞって欲しがった『えあこん』が、予算圧迫の原因らしくてな。予算の申請はしてるそうだが、待てないらしい」
「……む、あれか、そうか。わかった。そちらも早急に手を回すとしよう
「で? 一口噛む方は?」
「わかった。バルギウス」
「とは簡単に言いますが、歳費にも限りがありまして……」
「歳費ではなく私の懐だ。お前もわかっていて言うな」
「かしこまりました」
バルギウスは「ほっほっほ」と笑っている。どうやらいつもの調子を取り戻したらしい。
「あいつからもきちんと話がいくだろうから、先ぶれが来たら時間を作ってやって欲しい」
「わかった。やれやれ。またあの工房の情報漏れに気を払わなければならんな」
アークスの工房はいまや魔導師ギルド内でもかなりの秘密の宝庫だ。国外のスパイはもちろん、国内のスパイにも気を付けなければならないほど、とんでもない情報で満ち溢れている。
ゴッドワルドは警備強化や移転についての構想を立てつつ、口元にニヤついた笑みを作っていた。
「悪党が悪いこと企んでるときの顔だな」
「うるさい。悪だくみを持ってきた奴が言うな」
●
○月×日
この日は久々にスウが屋敷に訪ねて来た。
なので、彼女にはこのたび発明した真空管やスイッチング機構などを自慢した。
魔法や新し物好きの彼女のことだ。魔力計のときのように前のめりにで食いついてくるかと思ったのだが…………存外反応は芳しくなかった。
「面白いとは思うけど、これが一体何の役に立つの?」
微妙そうな顔をして、そんなこと言う。
彼女はこの発明がどれだけ偉大なものかわかっていないのだ。
あの男の世界では、これが偉大な発明の第一歩だったというのに。
彼女が帰ったあと、ノアにそれを愚痴ったのだが。
「アークスさま。最近言動が狂魔導師のそれになっていますよ? 自分の発明が偉大だとか、天才だとか」
あきれ顔でそんなことを言われてしまった。
「きちんと睡眠を取ってください。いくらなんでも興奮しすぎです。そうでなくても、この前のこともあるのですから……」
この前のこととはなんのことか。そう言えばおとぎ話の話をしてから、ノアやカズィがよく気を遣うようになってくれたが、それと関係あるのか。
だが、あの男だって大学受験の前はこれくらいの睡眠時間だった。
「キヒヒッ。あとで自分の発言思い出してベッドの上で足バタバタさせて後悔する姿が目に浮かぶぜ」
そんなことはない。
「まったく、これであの機構も上手くいきそうなのにさ……」
「これですね」
「これだな」
三人して、改良型の機構に目を落とす。
それに、巻物をガチャン、ガチャンと装填。大まかな動きを実演する。
「ほらこうしてさ」
「…………」
「すごいだろ? こうして上部がスライドしてさ、薬室に入って、使用後またスライドして排出される……」
「ええ……」
「まあ、な……」
「……?」
二人はなぜか返事がぎこちない。
折角かっこいいブローバックが見られるカートリッジ式にしたのに、なぜか反応が芳しくない。
カートリッジ式にしたのに……。
(……あれ? これってもしかしてカートリッジっぽくする必要なかったんじゃ……)
ふと、気付いてはいけない事実に思い至る。
これを思いついたときは本当にとてつもない天啓だと思っていたのだが、よくよく考えてみると、無理にこんな風にしなくてもよかったのではないかと思ってしまう。
ノアはまるで、そのことを代弁するかのように。
「あの、アークスさま、前々から気になっていたのですが……」
「ノア! 言うな! それ以上言ってはいけない!」
「……ですが」
「いいか! カッコイイは何よりも優先されるんだ! 見た目かっこよくなかったら、強そうだとも思われないだろ!? だからこれでいいんだ! これで!」
もう、あとに引けないところまで来ているのだ。ここで形を変えるなんてことをしたら、設計がまた一からやり直しになる。それだけは金銭面的に回避したいところ。
……多分に意地になっていることは否めなかったが、絶対にそれを認めることはできなかった。