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第百三十四話 ある工作員の憂慮



 王国北端の町ラキス。ライノール王国王都の北門を出てから馬車で三週間あまりかかるここは、北部との国境線と見做されるクロス山脈のふもとにある。

 北部連合最南端エルシン領ベルクルクスとはクロス山脈を挟んで反対側にあり、外国との中継地であるためか、他の町と比較して豊かだ。



 ……王国北部は十数年前に起こった戦争のせいで多くの町や都市が荒廃し、いまは復興の途上にあるため、『周りと比べれば』という程度に落ち着くのだが。

 町の中心部の賑わいや発展ぶりは、他領の町とも見劣りはしない。

 王国の他の都市と同じように輝煌ガラスが普及し、夜の出入りもある。だがそれは単に急ぎ過ぎた発展のせいで、後ろ暗い部分が地下や外側に押しやられただけに過ぎない。

 路地の裏に入り込めば、ごろつき共が縄張りを競ってたむろし、町の外には横に長いバラックが軒を連ねている。



 しかし、ジエーロ率いる工作員たちにとっては、この町のいびつなあり方も、好都合とも言えた。

 彼らがこの地に降り立ったのは、夏の初め頃。

 山々を背にした盆地であるためか、気温が高い。

 彼らが身を隠すのは、町の外にあるバラック群だ。

 粗末で薄汚れた布で誂えられたテントが並ぶそこは、身元がない者が出入りするにはうってつけの場所だった。

 その内の一つから、工作員たちをまとめる男が顔を出す。



「まさか、これほど容易に王国へと潜入できるとはな」


「いくら北部連合との国境だからとはいえど、こうもすんなり侵入できるとは……」



 男の部下が呟くと、どこからともなく美しい声が響いた。



「――それだけ、いまだ反乱の影響があるからということでしょう」


「アリュアス殿」



 男が声の方を振り向くと、白仮面を付けた法衣の女アリュアスが、朽ちかけた板壁にもたれかかっていた。



「アリュアス殿、どこに行かれていたのですか?」


「さて、どこでしょうか」


「アリュアス殿」



 アリュアスの玩弄するような物言いに、男が苛立たしげに語気を強めると、彼女は静かに微笑んだ。



「ふふふ、潜入に向けての準備に動いていたのですよ」


「本当か? 何日も姿をくらませておいて一体なんの準備だったというのだ」


「それはこちらの秘密というものです。それに、この町にもなんの問題もなく入り込むことができたでしょう?」


「……ふん。これくらいなら我らとてどうにでもなることだ。問題はこの先にある」



 男は強がりのように口にしてから、ラキスの門から続く街道の先を見詰める。

 これから首都に近づくにつれ、取り締まりは一層厳しくなるし、途中には十君主に数えられる地方君主の領地もある。そこは北部の防壁だ。それをくぐり抜けてやっと、計画の展望が見えてくるというもの。



 だが、アリュアスは口元に薄ら笑いを張り付けたまま。



「ええ、私もそのために動いていたのです。これで王都はおろか、目的の場所へも、容易に入り込むことができるでしょう」


「随分な自信だ」


「むろん。そうでなければ、こうして潜入の案内など買って出られはしなかったでしょう」



 アリュアスが演出するのは、まるで自分の計画に不安など微塵も抱いていないというような態度だ。舞台に上がる登場人物の誰も彼もが自らの手のひらの上にあるというような、そんな余裕と驕慢が見え隠れしている。

 いまにもその仮面の裏から、麗しいせせら笑いが聞こえてきそうなほどだ。



 そんな中、門の内側から一人の男が出てくる。

 いかつい顔の男だ。ぎょろりとした三白眼に、四角い凶相。

 ジエーロだ。肩を揺らしながら、男たちのもとに向かって鷹揚に歩いてくる。

 彼がたどり着いた折、男が彼に向かって苦言を呈した。



「ジエーロ殿。単独行動は控えていただきたいのだが」


「それはすまなかった。だが、潜入に当たって相応に準備はしておかなければならんだろう?」



 ジエーロはそう言って、持っていた荷を見せびらかすように揺する。



「町で何を求めていたのだ?」


「嗜好品だよ。目立たないところで買い求めたのだがね、思いのほか質がいい。一つ、どうかね?」



 ジエーロは男に紙巻きたばこを差し出す。

 しかし、男はそれを頑として受け取らない。首を横に振って、ジエーロにしまえと促す。



「いいのかね?」


「我らには必要のないものだ」


「ふむ? 紙巻きたばこは好みではなかったか」


「職務中だ。ジエーロ殿も、ここが敵国である以上、節度をもって行動していただきたい」


「やれやれ真面目なことだ。王都のへの道のりはまだまだ長い。常に気を張っていてはいざというときに十全に力を発揮できないと思うがね?」



 ジエーロはそう言っておかしそうに首をすくめる。



 男はそんなジエーロの様子を見て、内心で苛立ちの声を上げていた。



(気楽なものだ)



 こちらは部下共々常に気を張っていると言うのに、計画の立案者はこの態度だ。

 そのうえ根拠のない自信に満ち溢れ、計画の成功をまったく疑っていない。

 現場の苦労を知らない、机仕事ばかりしている者にありがちな思い込みだ。

 実際にジエーロはそんな男だ。もといた部署でも隅にいるような人間であり、書類を整理する程度の仕事しかしないような人間だった。

 だがある日を境に人が変わったように精力的に動き始め、いつしかその風貌さえも、凶悪なものへと形を変えていたという。

 唐突にライノールの泣き所を見つけたと言い、知らぬうちに帝国との繋がりまで用意して、あれよあれよという間に計画を立てて、宰相の耳元にまで漕ぎ着けた。

 男の部下たちも、みな不満を募らせている。当たり前だ。まさかこんな男に顎で使われる日が来るとは思わなかったからだ。

 部下たち共々規則に従って動いていると言うのに、ジエーロはと言えば気ままに動き、敵国にいるという緊張感はまったくない。まるで物見遊山でもしているかのよう。



 ジエーロは紙巻きたばこに火を点け、一度大きく吸い込むと、空に向かって吐き出した。

 気分がいいのか。いかつい顔を、愉快そうにほころばせている。



 男は板壁の方を横目でちらりと窺った。

 そこにいるのは、法衣を着た女アリュアスだ。

 ジエーロもそうだが、この白仮面も得体が知れない。

 上からも協力者だとは聞いているが、本当にそうなのか。銀の明星とかいう秘密結社に所属しているらしいが、調べてもその組織に関する情報が一切出てこないため、一概に判断できないでいる。

 見てくれは嫣然とした年頃の女だが、ふとしたときに、まるで山野を根城とする大狒々を思わせるような老獪さを匂わせる。その手招きに少しでも気を許そうものなら、いつの間にか暗闇のような森の奥で一歩も動けなくなっている、そんな姿が容易に想像できた。



 油断ならない。男自身もそう思い、部下にもそれを徹底させている。



 ジエーロは吸い殻を靴裏でにじると、アリュアスの方を向いた。



「アリュアス殿は何か欲しいものはあるかね? 甘味も揃えているが?」


「いえ、私は遠慮しておきます」


「そうか」



 世間話からなかなか離れようとしないジエーロに、男がしびれを切らしたように提案する。



「ジエーロ殿、そろそろ移動しようと思うのだが?」


「そうだな。頃合いだろう。進めてくれたまえ」


「…………」



 男が上から目線の言葉に苛立ちを募らせつついると、ジエーロが何かを思い出したような仕種を見せる。



「おおっと、そうだそうだ! 君たちにはこれを渡しておかなければな」


「渡す? それは一体?」


「今後役に立つものだ。持っておきたまえ」



 ジエーロはそう言って、包みを取り出す。

 そして被せていた布をめくると、肉色をしたこぶし大の塊が現れた。

 それはまるで取り出したばかりの心臓のように、どくんどくんと脈打っている。

 一見して、何なのかわからない。



「……なんだこれは?」


「さあ?」



 訊ねるが、ジエーロは嘲るように笑うばかり。



「胡乱なことはやめていただきたい。これは一体なんなのだ」


「いやなに。私もこれを渡されただけだからね。いざというときに使ってくれたまえ。くれぐれも、いざというときだ。いいかね?」


「使えとは? こんなもの一体どう使うと言うのだ?」


「なに、そう難しくはない。魔力を注いで、こう……地面の上に落とすだけだよ。ああ、試しになんて使ってはいけないぞ。ひどいことになるそうだ」


「……承知した」



 男はそれを受け取って布をかぶせる。手に持つとまるで本当に取り出したばかりの心臓のようで、布に包み直しても気分が悪くなる。ジエーロはよくこれを平気な顔をして持って入れられたものだと、男に感心混じりの嫌悪が湧いた。

 そんなときだ。ふいにアリュアスが不穏な気配を忍ばせる。

 肉塊を警戒しているらしく、すぐにこれまで聞いたこともないような剣呑な低い声を発した。



「……随分と趣味の悪いものをお持ちで」


「ほう? アリュアス殿は、これが何かわかるのかね?」


「随分と昔に、見覚えがありまして」


「それはそれは……見たと言うなら、随分難儀したのだろう」


「つまり、ジエーロ殿はそれが何かわかっているのですね?」



 アリュアスが訊ねるが、ジエーロは愉快そうに笑っているばかりで答えない。仮面の奥からぶつけられる剣呑な視線を、風に柳と受け流している。

 豪快な笑い声を発して、誤魔化しているというよりは、笑い飛ばしているというような風にも見受けられた。



「それも、腕のものと一緒に発掘したのですか?」


「いいや。これは宰相閣下がお譲り下されたものだよ」


「宰相? ドネアスのですか?」


「ああ。そうだが? なにか気になることでもあるのかね?」


「いえ……」



 ジエーロの訊ねに対し、アリュアスは何かを思案している様子。

 彼女が困惑するなど、これまでの道中なかったことだ。



 ふと、男はアリュアスに問いかける。



「アリュアス殿は宰相閣下にお目通りは?」


「残念ながら。いらっしゃるのであれば一目お会いしておきたかったものですが」


「ふむ」


「なに、ことがなった暁には、直にお褒めの言葉もいただけよう」


「…………」



 アリュアスは、ジエーロの言葉に返答することもなく、黙って包みを見詰めたままだ。



「アリュアス殿? いかがしたか?」


「……いえ、まさかこういう流れでそれが来るとは思っていませんでしたので」


「それはどういう」


「いえ、それを使うときは、なにとぞお気を付けを」



 アリュアスはそう言い残して、歩き出したジエーロのあとに続いて行ったのだった。





次の話はなるべく早めに投稿します

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