第百三十三話 ふとしたひらめき
魔法院の廊下を歩いていると、ふいに話し声が聞こえてきた。
「あれがアークス・レイセフトか」
「前にあったクローディア様との決闘に勝ったんだろ?」
「あのあとも何度か勝負して、勝ち越してるらしいぜ」
「ほんとかよ。なんか、卑怯な手でも使ったんじゃないのか?」
「見た限りじゃそんなことしてなかったぜ?」
「それに、入学試験でも主席だったって話だし」
「じゃあ無能話は嘘ってことか? 一体なんでまた……」
魔法院の学生たちはこちらを遠巻きに伺いながら、ひそひそと話し合っている。
どうやら生徒間でも注目され始めてきたらしい。
悪い注目のされ方ではなく、評判も悪くない。
例の不名誉な噂にも、疑問が浮かぶくらいにはなってきたようだ。
……それがあの決闘のおかげというのが、素直に喜べないところなのだが。
「でも、魔力が少ないんだろ?」
「一般的な平均くらいはあるらしいけど、貴族レベルであれじゃなぁ」
「出世も難しいだろうな」
だが、やはり二言目には、こうして「魔力が少ない」だ。
あれだけ多彩な魔法を行使しても、こういった評価に落ち着いてしまう。
ため息が出て仕方がない。
ともあれ、クローディアに関して。
院長エグバードが言った、しつこいうえに努力家だ。
その言葉通り、彼女はあれから何度も勝負を仕掛けてきた。
もちろんこちらは面倒なことこの上ない。しかし断ろうにも家格が高いためおいそれとは断れない。結局はしぶしぶ受けるしかないといった状況だ。
よくわからないのは、彼女がやたらとこの件に執着していることだ。
勝負勝負の二言目には、「取り巻きに加われ」だ。この前などは「私に仕えなさい」にまで昇格してしまった。おそらくは負け越しているせいで、自分でも何を言っているのかよくわからなくなっているのだと思われる。
当たり前だが力になりたい相手はすでにいるので、仕えるなどの話は丁重にお断りした。
するとまるで「ムキー!」とでも言うように怒り出した。めんどう。もうほんとめんどう。誰かどうにかしてくれと切に思う。
ともあれ、そのときの勝負が終わったあとは、なぜかスウがいつにも増して優しくなったのが不思議だったが。
始末に悪いのは、クローディアが本当に努力しているところだ。そのせいで毎度毎度気が抜けず、ギリギリの戦いになる。魔力も多いため、使用する魔法のバリエーションも増えていくし、対応手が間に合わない。魔力が多いの本当にズルすぎる。
思い起こすのは、やはりこの前の授業でのケイン・ラズラエルの魔力量や、クローディアとの試合だ。
魔力量が多い者はそれだけでアドバンテージがあり、力押しに出られるとこちらも弱る。
やりようはある。やりようはあるが、不利であるということは決して否めない。
その辺り、この前のことでかなり思い知らされたように思う。
これまでは魔力が多い人間のほとんどは味方だった。
だが今後は、自分の前に立ちはだかる者も増えるだろう。
果たしてそのとき、その差を埋めることができるか……いまだ自信はない。
「やっぱり限界があるかぁ……」
勉強をすればするだけ、呪文の勉強だけでは魔力量を埋めることはできないということがわかってくる。強い魔法を使うには、どうしても大量の魔力が必要になるのだ。
それを克服する何かを……とは考えるのだが、それをそう簡単に思いつくはずもない。
これまで有能な魔導師たちが散々頭を悩ませて乗り越えられなかった壁なのだ。
効率化を目指す。
魔力量を増やす。
(有用な【古代アーツ語】を探して、さらに強力な呪文を作る? ソーマ酒の蒸留装置でも作って、魔力をもたらす成分だけ凝縮して取り出す? ……ダメだ)
後者はまだ現実味があるかもしれないが、再現するのは難しいし、その性質上どうしても実用性に乏しい。結局自分の総魔力量以上の魔法が使えないため、規模の大きな魔法は使えないことになる。
やはり、魔力が必要だ。
「ぐふっ、心折れそう……」
屋敷のソファの上でだらしなく身を投げ出したまま。
開いた本を顔の上に乗せて、うんうんと唸り声を上げる。
そんな中、エプロン姿のカズィが庭先で魔法を使っているのが見えた。
ソーマの株に集まった鳥を追い払おうとしているのだろう。
見た目は完全に主夫をやってる兄ちゃんである。
本を軽く持ち上げ、焦点の心許ない視線でその様子を漫然と見ていると。
空中に散らばった魔法文字が寄り集まって、魔法陣を成す。
やがてシャーンシャーンと騒がしい音が鳴り、鳥たちが一目散に逃げて行った。
魔法陣が分解され、【魔法文字】が砕け散る。
「魔法陣、魔法陣か……」
魔法陣は、魔法を使用した際に発生するエフェクトのようなものだ。効果の小さい魔法の場合は、作られないが、効果の大きい魔法を使用するとき、ああやって魔法陣が展開する。
もちろんこれは見栄えとか格好とかそんなものではなく、きちんとした意味がある。
「…………」
このとき発生した魔法陣を構成する【魔法文字】は、術者が唱えた単語や成語とはまた別の【魔法文字】が浮かぶのだ。
口頭で発せられた呪文に励起された【魔法文字】が、関連する別の魔法文字を宙に浮かび上がらせ、それが魔法陣を構築している。
そのため魔法陣には、詠唱した単語や成語とは別の【魔法文字】や、自分も知らない【魔法文字】が浮かぶこともある。
「…………」
おそらく宙に浮かび上がる【魔法文字】は、呪文とはまた別の、魔法を発生させるためのコードなのだろう。それを魔法陣という魔力が循環するサークルを構築することによって、コマンドとして成立し、魔法発生というプログラムが遂行されるというわけだ。
ともあれ、そうやって魔法は発生するのだと思われる。
「……いちいちそんなの構成しなきゃいけないなんて、ロスだよなぁ」
だろう。詠唱すると、毎度の如くバラバラだった【魔法文字】が寄り集まって、魔法陣を構築するという作業を挟む。【念移動】など効果が小さい魔法ならばそんなこともないが、魔法の効果が大きければ大きいほど、その作業に取られる時間は顕著になる。
当然だが、その作業で消費する魔力も大きい。
それを考えれば、詠唱に魔力を消費するだけでなく、魔法陣構築にも魔力を消費しているということになる。
これは勿体ないことこの上ない。
そう、勿体ない。
「――そうだよ。そういった工程が必要なら、あらかじめ用意しておけばいいんだよ! 別にその時間のうちにすべて用意しなきゃいけないっていう理由はないんだ! 魔法が発生するそのときまでに、すべて揃えられていればいいんじゃないか!?」
単語や成語に必要な魔力が、魔法陣の構築分を含むのなら。
あらかじめ魔法陣を構築しておけば、その分必要とする時間や魔力は減少するのではないか。
「なら、どうするか……」
魔法陣をあらかじめ用意……何かに書いておく作業を要するだろう。
文字や図形を書くなら紙がいい。魔法陣専用の紙を用意して、書き込むときに刻印を刻む要領で錬魔力を込めてもいい。
あとは詠唱に反応して機能するようにする。
「よし、よしよしよしよし! 久々に創作意欲が湧いてきたぞぉおおおお!!」
当初考えていた『魔力を増やす手段』からはだいぶ脱線してしまったが、随分とご無沙汰していた開発への展望が見えてきた気がした。
●
自宅で新たな理論を思いついた、その数日後のこと。
アークスはアーベント邸の庭にいた。
もちろんこの日は一人ではなく、助手Aや助手Bもいる。
今日はここで何をするのかというと、言わずもがな、例の理論の実験だ。
あれから自室で、理論の組み立てや物品の試作などを行い、ある程度の準備が整ったので、その結果出来上がったものを試してみることにしたのだ。
場所を伯父の家の庭にしたのは、自分の屋敷の庭が狭かったからだ。
以前に滅茶苦茶にした前科があるため、気を付けなければならない。
「――というわけで、これから君たちには俺の実験に付き合ってもらう」
「アークスさま。また何か思いついたのですか?」
「ああ、まあな」
「こういうのも久々だな。また面白いのを期待してるぜ。キヒヒッ!」
「期待して見ててくれ」
見た目平静そうだが、内心興味津々そうなノアと、いつものように乱杭歯を見せながら妙な笑い声を上げるカズィ。そんな二人に対して、任せておけと言うように、胸をぽんと叩く仕種を見せる。
「取り出すのはこれだ。魔法の巻物!」
持ってきたバッグから、筒状に丸めた紙をひもで留めたものを取り出した。
「ほう」
「へえ」
「これには魔法陣が書いてあってな」
「ん? つーことは魔法陣って、あの魔法を使うと出てくる魔法陣のことか?」
「そうそう。それをあらかじめこれに書いててさ」
そんな話をしていると、ノアが眉間を揉みながら指摘する。
「アークスさま、やりたいことが先走っていますよ。今日は一体なんの実験をするつもりなのですか? まずそちらの説明をしていただかないと」
「あ、そっか、その話をしてなかったな」
確かにそうだ。やりたいことばかりが先走ってしまって、二人に説明すらしてないことに気付けなかった。
「まあ、新しいことを思い付いたら周りが見えなくなるのはよくあることだからな」
「魔導師の性というものは私も理解していますが、よろしくお願いします」
「ああ、わかった」
こうしてフォローしてくれるのが本当にありがたい。
「今日俺がここでするのは、魔力節約の実験だ。普通、魔法は呪文を唱えたり、ちょっと動きを組み合わせたりするだけだが、今回は呪文を詠唱して行使する魔法にひと手間加えて……というか行使前にあらかじめ一工程行っておくことによって、行使時に消費する魔力や時間を少なくしようって算段だ」
「行使前にですか? ということは、呪文を唱える前に、という?」
「そうだ。呪文を唱える前に、詠唱直後に発生する現象をこちらでこなしてしまおうって話だ」
「ははん。それでさっき言ってた話に繋がるんだな?」
「そうだ。俺が目を付けたのが魔法陣だ。魔法陣を構築するには、その分の魔力が必要になるんじゃないかと。その分の作業を事前にやっておけば、魔法陣構築にかかる魔力分を節約できるんじゃないかってな」
「確かに、魔法陣が出来上がる工程で魔力を消費している節はあるよな」
「ええ。確かに魔法陣を。それでいまアークスさまが取り出したものに、その魔法陣が描かれていると?」
「そうそう。そういうことなんだ」
「魔力を増やすのから、節約する方に切り替えたのかよ?」
「……うん、本当は増やしたいんだけどなぁ。思い付いちゃったからやりたくなってさ」
「気持ちはわかる。それで、実際どうなんだ?」
「ああ、ある程度小さな実験は部屋でしてるんだ」
「では、理論はすでに立証されているのですね?」
「規模の小さい魔法はな。そっちは魔法陣じゃなくて、文字列とかを準備した」
それも自室で何度か試したのが、実験は成功した。
やはり事前作業の量に比例して、使用する魔力も減るらしい。
そのときは、『詠唱後に宙に浮かぶ単語や成語』を、『口頭で唱える呪文』に穴埋めのように組み合わせ、文章を作り出し、錬魔力を用いて紙に書き込んだ。
あとはロスとなる思われる魔力の量を割り出して、数字を仮定し、計算。完璧にできる状態まで試行したのだが。
……効果の小さい魔法で試したときは、魔法陣を描いた紙は燃え尽きてしまった。
おそらくはこれも、一度限りの使い捨てになるだろう。
しかし、それだけの価値はある。
「今回使うのはそれなりに規模の大きい魔法だ。それに比例して書いた文字列も描いた魔法陣も多い」
「それでそんな巻物になっちまったと」
「そういうことだ――じゃ、やるぞ! ノア、魔法の目標にするのに、水塊か氷塊を頼む」
「かしこまりました」
ノアが魔法を使って空中に水塊を作ってくれたことを見届けて、巻物を手に持つ。
そして、詠唱および魔力を込める準備をする。
用意したのは、火閃迅槍の魔法陣だ。
「行くぞ――この身に埋みし怒りは火に変じよ。天を焦がす唸りを上げて、一切あっち! あっちぃ!」
呪文詠唱中、魔力を込めていた巻物がとんでもない熱を発する。
最後まで魔力を込める前に、思わず手から離してしまった。
地面に落ちた巻物は、きらめきを散りばめた白い靄を発生させ、やがて燃え尽きてしまった。
もちろん魔法は不発。
「なんだ。熱くなるのか?」
「家でやったときはこんなんじゃなかったんだけど……」
「規模の小さい魔法だったからわからなかったのでは?」
「かもしれないけど……もう一回やってみるぞ!」
そう言って、予備の巻物をバッグから取り出して、先ほどの焼き直しのように同じ手順で魔法を行使する。
だが、魔力を込めている途中、またしても巻物が高温の熱を発する。
やはり手で保持していられず、巻物を放してしまった。
「そんなぁ……マジかぁ……」
いい手だと思ったのだが、これでは失敗だ。
膝から力が抜け、ぺたんとへたり込む。
「アークスさま。熱くて持っていられないのであれば、手を放してみてはいかがでしょう?」
「いや、詠唱が終わる最後まで巻物に魔力を注がないとダメなんだ。そうじゃないと宙に浮かんだ魔法陣と同じにならないからな」
「じゃあ魔力を移動させたらどうなんだ? そうすりゃ持ってなくてもいいだろ?」
「そうすると空中に魔力を放出したときの減衰率を考えないといけないから、魔力の込め具合の見積もりが大変なことに」
「そこまでするなら、直接注ぎ込んだ方がいいってわけか……」
実験は、思わぬところで頓挫してしまった。
だが、この理論が正しければ、【魔法文字】が魔法陣を構成する時間が格段に省略され、消費するはずの魔力も少なくなる。
いまのところ、魔法陣を必要とする魔法に成功していないため、魔法陣が映し出されるのか、魔法陣なしになるのかはわからないが。
「ま、そうそう上手くはいかねえわな」
「それでもアークスさまの場合は成功する方が多いのですが」
「俺は諦めないぞ。絶対これをものにしてやる」
ここまでうまく行きそうな芽が出たのだ。もう少し突き詰めてみたい。
「アークスさま。考えがそれに凝り固まってしまうのは良くないと聞きます」
「そうだな。ダメそうだったらすっぱり切ることも考えとかないとなぁ。でも行ける気がするんだよな。実際理論的にはいい感じだっただろ?」
「それは確かに」
「そもそも紙に書き込むのが面倒じゃねえのか? 魔法銀や錬魔力も使うんだろ?」
「そっちは必要なことだって割り切るよ。むしろそんなことをしておくだけで大魔法を使えるかもしれないんだ」
「なるほどな」
「必要な魔力の量も大きく変わりますね」
「そうだな。そこは頑張って計算するよ」
ともあれ、今後この実験は続けていくべきだろう。
人生そう簡単にうまく行くものではないのである。
(にしても、俺の場合はハード過ぎると思うんだけどなぁ……)
そんな感想を抱きながら、従者たちと共に後片付けをして、帰路に就いたのだった。