第百三十二話 奇妙な出会い
決闘があってから、しばらく経った。
これまで魔法の知識と言えば、テキストから得るか、もしくはクレイブやノア、カズィから教えてもらっていたが、講義で得られる情報もなかなか得難いものがあるというのがわかった。
呪文の単語や成語、伝承の成り立ちや意味だけでなく、詠唱のやり方にかかわる発声法や声の高低、もろもろの技術などなど。
それだけ魔法にかかわる知識量というものが凄まじいということだろう。
もちろん講義の中には、首をかしげる内容もあるわけだが――
「攻性魔法には属性があり、火、水、風、土という……」
講義に耳を傾けていると、老講師がそんなことを言い始める。
どっかで聞いたような四大元素なんたらのような区分だ。
こちらが「おっとこれは?」と不穏に思っている最中も、老講師はさらに話を続けていく。
「魔法は、もとにした伝承の内容によって、相性の良し悪しが生まれることもあります。伝承に対抗する内容がない場合は、属性をもとにして考えると良いでしょう。つまり水は火に強く、土は水に強く、火は風に強く、風は土に強い、という風に考え……」
(――はぁ?)
なんとか口には出さなかったが、心の中の声量は抑えられない。
ほんといまのはマジで言ってるのかこの老講師は。一昔前の、間違った常識を語っているのではないか。それらが通用したのは、単に規模の問題と、魔法自体の相性が良かっただけにすぎない。火力が高ければ水は蒸発するし、水の勢いが強ければ土も崩れる。火は風に煽られるし、風が土に強いとか、まったくもって意味不明としか言い様がない。浸食作用にしたって条件がまるで違うだろうに。
……この手の話を聞くと、以前ノアやカズィと天界の封印塔を脱出した際のことを思い出す。あのときも、重力の話をする前に『属性の母体』から始まる『物体の上昇と落下について』という属性ありきの話が出てきた。
魔法院でもいまだ属性というものに縛られているのだろう。
こういうところが魔法院を奇妙に感じてしまう部分だ。
あの男の国では『統一的な教育が求められる』というのは、あの国に住んでいる者は誰もが知るところ。
しかし魔法院では講座の独立性が強く、講義内容に『講師の研究結果』というものが色濃く出る傾向にあるため、時折こうしたぶっ飛んだ話も飛び出してくるのだ。
まあこの程度ならまだいいのだが、似非テキストのように、紀言書の独自解釈や恣意的解釈、感想などを組み込んでくるのには苦笑を通り越して辟易する。
そういう講義を聞くたびに、何度あの男の国の匿名掲示板管理人の有名な発言を言いたくなったことか。それってあなたの……くらいまで喉元に出かかった。
ともあれ、それとは別日。
この日は、教室での講義に出席していた。
生徒たちの前に立つのは講師が二人。一人はベテランの男性で、もう一人は今年講師になったばかりの新人講師だ。
新人講師は眼鏡をかけた女性だ。長い茶髪を結っており、講師が好んで身に付ける法衣をまとっている。
仕種や行動、しゃべり方から、どことなく『とろい』というかちょっとドジそうな印象を受ける。
資料をまとめる手さばきもぎこちなく、新人ということを加味してもどんくささが拭えない。
現在講義しているのは、ベテラン講師の方だ。
今回の講義内容は、
『魔法学技術全般』
である。
詠唱法がいかに有益であるか説明をしたあと、実際に見せるためか口元を手で包み込む。
それはまるで寒い日に吐息で手を温めるような行為にも似ていた。
「この技術は、【かじかむ手のひら】というもので、特に北部の魔導師がよく使う詠唱法です」
口を手で包み込むことで、声量を抑え、相手に口元を見られないようにするらしい。
その様が、まるで冬の寒い日にかじかむ手を息で温める行為に似ているので、そう名付けられたらしい。
ノアも北部の魔法を好むが、彼の場合は魔法だけでなく剣も使うため、この技術はあまり使用しない。そもそも、下手にこれをやると自分の声が重なってしまい、声の調子がわからなくなってしまうため、最悪詠唱不全を起こす可能性すらあるのだという。
そんなことを考えていると、
「ただ、言葉がきちんと発音されても、詠唱不全に陥ることもしばしばあるため、熟達した技術が必要となります」
講師も、こちらと似たような考えを口にする。
(でも、そういうのって、どうなってるんだろ?)
この手の詠唱不全は、自分の声が自分の声に重なっておかしくなるから――だと思っていた。しかし、講師の説明では、『言葉がきちんと発音されていても』と言っている。
それはつまり内的要因ではなく外的要因でおかしくなって魔法が発動しないことになるため、考え方としてはどうももやもやする。
そもそも、これまで詠唱した呪文が周囲の音にかき消されるということは考えたことがなかった。それは、詠唱に関してこれまでかなり気を遣っていたということだが。
(うーん、考えさせられる……)
ただ正しい発音をしていれば、いいだけなのか。
それとも、誰かがそれを聞いて判別しているのか。
もし後者が正しいのであればその判断を下しているのは一体誰なのか。
……よくわからないことをよくわからないまま漫然と考えていると。
「魔導師たちが好んで使うのは、この【猫の手】でしょう」
講師は、手の甲を口にかざす。右腕を右斜め下から左斜め上に伸ばし、手の甲は角度を付けた状態で、指はさながら猫の手のように丸めたままだ。
声を散らすことができるうえ、口の動きも読み取れない。
魔導師たちが好んで用いる詠唱法だ。
そう言えば、以前の決闘でクローディアも似たようなことをしていたのを思い出す。
あのときはそれのせいで呪文がすべてを聞き取れないことも多かった。
魔導師同士の戦いには有用だろうが、拳や武器を併用する場合は使いにくいだろう。
その後も、口の前で指を組む【祈りの手指】などの説明があったあと。
講義に区切りがつく。
「時間が余りましたね。ではジョアンナ講師、あなたの時間としましょう」
「え? は、はい!」
ベテラン講師が、新人講師に振ると、彼女は慌てたように返事をする。
こうして講義をするのも初めてなのだろう。こういうのを見ると、頑張れと、ついつい温かい視線を送ってしまう。
ジョアンナ講師は資料を焦った様子で探し始める。
「開いた時間に講義するのは……【連なる絶叫】についてだったような――ええと、この資料でしたっけ?」
「……違います。そもそも【連なる絶叫】ではありません。そちらは二年の受ける講義の内容ですよ」
「ごごごごめんなさい!」
「そちらです」
「あ、はい! 呪詛の性質についてですね! ……魔法行使時および行使後の注意点を、これから皆さんにご説明いたします」
ふむ、これは知らない話があるかもしれない。
「呪詛が魔物を呼ぶだけではないのは、皆さんはご存じでしょうか。呪詛についてはまだまだ解明されていないことが多くありますが、近年の研究で、呪詛が多い場所での魔法行使は、呪詛の少ない場所に比べて容易なのではないかという説が立てられています」
……容易、使いやすくなると言っても、内容は様々だ。どういう風に使いやすくなるのだろうか。
ジョアンナ講師は、その後も、魔力の通りが良くなるだとか、外部魔力操作が円滑になるだとか、そんな話を口にする。
ジョアンナ講師に質問する。
「ジョアンナ講師。質問、よろしいでしょうか?」
「はい」
「魔法行使がしやすいというのは、すぐにわかるものなのでしょうか?」
「なにぶん主観が入りますので……ただ、呪詛が多く漂っているとされる場で、魔力を発したときに、届く距離が延びるということが証明されています」
そこでふと、気になることがある。
「呪詛が多く漂っているとされる場とおっしゃいましたが、つまりそれがわかるということは、呪詛の多い場所を判別できるということなのでしょうか?」
「いえ、それに関してはいまだ手段がありませんので、これについては意図的に呪詛が溜まりやすい場所を作ってから行ったそうです」
「なるほど」
呪詛が魔力をよく通す。面白い特性だ。これを意識して取り扱うのは難しいかもしれないが、いろいろと利用できるかもしれない。もちろん、呪詛は魔物を発生させるということが確認されているため、気を付けなければならないだろうが。
「その呪詛の性質を利用した道具などは開発されているのでしょうか?」
「ええと、そういったものがあるということは聞いていませんね……」
そんなことを話していると、ベテラン講師が口を挟む。
「呪詛を利用するという考えは魔導師にとってあまり褒められたことではありません。呪詛は魔導師が忌避すべきものです」
「……はい」
ぴしゃりと、そう言い放たれてしまった。
おそらくはここで言う【呪詛】は、あの男の国の民俗学で言う『穢れ』のような扱いなのかもしれない。
この世界では『汚れ』が【呪詛】を呼び寄せる性質を持つ。特にライノールは魔法技術を推し進めているため、穢れにはかなり気を遣っていると聞いている。
ジョアンナ講師が小首を傾げる。
「アークス生徒、どうしてそんなことを?」
「いえ、うまく利用できるのであれば、利用できないものかなと考えただけです」
「魔法に対する知識の獲得に余念がありませんね。さすがは殿下をお守りした勇士です」
「いえ……」
「いえいえ、謙遜しなくても」
「ジョ ア ン ナ 講 師?」
「は、ははは、はい! 申し訳ありません!」
ジョアンナ講師は、ベテラン講師から無駄話を嗜められる。
この講師、マイペースというか、なんというか。
「…………」
ベテラン講師の咎めるような視線に、ジョアンナ講師はぺこぺこと頭を下げている。
そんな授業が終わったあと、同じ講義を聞いていたルシエルと廊下に出る。
「アークス、そっちは次なんの講義に出るんだ?」
「俺? 俺は次…………決闘?」
「決闘? そんな講義あったか? そういうのやるのって二年の半ばくらいじゃなかったか?」
「それが俺だけ特別でさ。クローディア様が直々に講義をしてくれるんだ。しかも今回は俺のために第二訓練場まで貸し切ってくれたよ。ありがたいだろ? HAHAHA……」
「ああ、またやるのか……」
そう、クローディアからはあのあとも、何度か再戦の申し込みがあった。
もちろん断るわけにもいかずで、勝負はしているのだが、すべて勝てているわけではなく敗北もある。
しかし、いまのところ二勝一敗で勝ち越しだ。白銀十字勲章の名誉は保たれているはず。
だからといって、毎度決闘していいというわけではないのだが。
「なんなん? 一体なんなん? 公爵令嬢ってどうしてあんなんばっかりなん? エイミ様みたいなのが普通じゃないの? おかしいだろ絶対!」
「落ち着け落ち着け」
「がるるるるるる……」
そんな風にひとしきり不平不満をぶちまけたあと。
「……じゃ、準備してくるよ」
「ああ、またな。頑張れよ」
友人からのさりげないエールをもらって、ふと中庭に出た折のこと。
一人の少女が目に入った。
やけに小柄な身体を女子用の制服に身を包みんだ、桃色髪の少女。
眠いのだろうか、随分と目蓋を重そうにしている。
中でも特徴的なのは。
「……耳? いやなんだあれ?」
頭の上に、一風変わった髪飾りを付けている。
一見してまるでケモ耳でも生えているようにも見えなくもない。
半眼の少女は何かを探しているのか、ふらふらと歩きながらしきりに辺りを見回している。
物珍しいので見ていると、ふと目が合った。
「……何を見ているの? ミリアに何か用?」
「え? いや、別にそういうわけじゃ」
そう返答すると、少女は腕を組んで斜め立ち。眠たそうな半眼をさらに細める。
「どんくさい受け答えね。陸に上がったセイウチでもまだ要領がいいわ。あきれる」
「……初対面に随分な言い様だな」
「さっさと答えないあんたが悪いのよ。それで、ミリアになにか用なの?」
「用なんてものはないよ。きょろきょろしてるから、どうしたのかなって思ったんだ。それだけだ」
そう言うと、少女はぷいっと顔を背ける。
「……別に、あんたには関係ないわ」
「そうか」
ならば、これ以上構う必要もない。無理してつっけんどんな相手に構う必要はないのだ。
そう思って、踵を返すと。
「待って」
そう、呼び止められた。
「どうした?」
「ここはどこ?」
「どこって魔法院に決まってるだろ?」
「そういうことを聞いてるんじゃない。オウムでもまだ気の利いたことが言えるわ。ばかじゃないの」
「オウムは同じことしか返せねぇよ! いちいちいちいち罵倒を織り交ぜんな!」
「それで、ここはどこなの? さっさと教えて」
「どこもなにも見ての通り中庭だろ?」
「中庭? 訓練場じゃなくて?」
「いやいや。どこからどう見ても中庭だろ? 訓練できるスペースがここにあるかよ?」
「……ミリアは訓練場に向かってた。あり得ないわ」
少女は、本気で愕然とした様子だ。まるで群れからはぐれて迷子になったペンギンの子供のように、周りをきょろきょろ見回している。
確かにあり得ない。訓練場は敷地の反対側だ。逆方向に進まなければたどり着けない。
ということは。
「お前、もしかしてあれか? 絶望的な方向音痴なのか?」
「初対面の相手にひどい罵倒。礼儀がなってない。ハシビロコウでも見習った方がいいわ」
「お前が言える台詞かよ! つーかハシビロコウとか随分マイナーなとこ引き合いに出すのな!」
「ねえあんた、ミリアを訓練場に連れてって」
「どうして?」
「講義に間に合わなかったら困るからに決まってるでしょ。そんなこともわからないの?」
「……わかったよ」
大きな、とても大きなため息を吐いて、少女の頼みを引き受ける。
どうやらこの少女はコミュニケーションが得意ではない類の人物らしい。
まあこちらもこれから第二訓練場に向かうのでそれほど手間ではない。
面倒な相手のようだが、連れて行くだけなら別に断ることもないか。
こっちだ、というように手招きすると、ふと少女が手を伸ばしてくる。
「手」
「手がどうした?」
「繋いで」
「え?」
「はぐれると困るでしょ。察しなさいよ」
「それは日常生活に支障をきたすレベルなのでは……」という感想は呑み込んだ。口にすればまた動物にたとえた罵倒が飛んできそうな気がしたからだ。下手な会話はせず、さっさと連れて行ってしまうべきだろう。
手をつないだ途端、少女はやたら呆れたような表情を作る。
そして、
「なんか薄幸そうな顔してる。道端に取り残されたアヒルの子供みたいね」
「余計なお世話だっての。いちいち、なんか言ってないと気が済まないのかよまったく」
そしてそれが結構的を射ているのが始末に悪いことではある。
「ミリアはミリア。あんたは?」
「俺はアークス」
「そう」
そんなこんなで、ミリアという少女を訓練場に連れて行った。
……なんかまたよくわからないのと知り合いになってしまったらしい。