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第百三十一話 魔法院での決闘その二




 決闘が始まってから、すでに十分以上のときが経った。



 クローディア・サイファイスは胸の内に充満するもどかしさに、ただただ難渋するばかりだった。

 これまで幾度も他の生徒と魔法戦を行ってきたが、これほど時間がかかったことはいまだかつてない。

 魔力量の差や、何より【抑圧(サプレス)】の魔法もあるため、早いときなど数回魔法を撃ち合った程度で相手が白旗を上げてしまうほどだ。

 確かにアークス・レイセフトを倒しあぐねているというのは厳然たる事実だ。

 いまもって自分の前に立っているのが、その証明だろう。

 まさかこれほどまでに難敵であるとは思わなかった。



(……上手いですわね)



 先ほどからアークスに対して口にしている挑発とは裏腹に、内心での評価はかなり高い。

 これまでまともに魔法を撃ち込めたのは一撃程度。むしろそれまでは魔法の穴を突かれることが多く、こちらの方がわずかだが痛手を受けているほどである。

 これはつまるところ、アークスの対応手が多彩だということだ。



 正しい伝承やいわれを持ち出した魔法。

 テキストにない呪文や変化を加えた魔法。

 そして、こちらの知らない知識や魔法院でも習わないような理論を用いた魔法まで使ってくる。



 普通魔法での決闘と言えば、あらかじめ用意してきた魔法の撃ち合いになるため、両者力押しがほとんど。魔法の傾向は好みの属性に偏るし、防性魔法だって用意しても一つか二つに収まる。

 しかし、だ。その想定に反して、アークス・レイセフトはその場で対応する呪文を選んでいる節があった。



 ……人の想像力には限界がある。特定の属性に対する親和性や想像力を練る場合、その属性に長く接していなければならないため、魔導師は必然的に一つの属性に偏る傾向にあるからだ。

 そのため、その場で呪文を吟味したりしないし、そもそもできるはずもない。

 だが、こうしてその場その場で臨機応変に対応できるということは、【古代アーツ語】に深い理解があると言える。そんな知識の深さもそうだが、もっとも驚くべきは魔力操作の達者さだろう。これだけ多くの種類の魔法を使っても、アークスはいまのところ一度たりとも詠唱不全を起こしていないのだ。



 入りたての一年は魔法が使えない者も多く、使える者であっても魔力操作が拙い傾向にある。しかも、戦いながらこれを行うというのは技術や経験を要するものだ。

 経験が浅い者は相手の魔法に気を取られて集中が乱れ、魔力操作がおろそかになる。もともと魔力の制御力に難がある者であれば、どうなるかなど想像するに難くない。

 しかし、アークスの魔力の制御は完璧とも言っていいほどのものだ。

 一体どれだけ練習すれば、この年齢でそれほどの力量を得られるのか。



 耳を澄ませると、聞こえてくるのはアークスに対するひそひそ話ばかり。



「どういうことだ? 一年が戦闘訓練をやるのってまだまだ先のはずだが……」


「バカ、アークス・レイセフトは勲章持ちだぞ? 前のナダール事変で出てきた帝国の魔導師部隊を壊滅させたって」


「あれって嘘じゃなかったのかよ」


「クローディア様の決闘がこんなに続いたことってこれまでなかったんじゃないか?」


「アークス・レイセフトの使う魔法もテキストにない呪文ばかりだ」


「さっきクローディア様の後ろに回ったのってどうやったんだ?」


「わからない。全然見えなかった……」



 周囲の評価もやはり高い。



 ……決闘では基本的に攻性魔法や防性魔法に偏るものだが、そこに助性魔法まで躊躇なく組み込んでくる。それによってこちらの魔法は無効化されたり、相殺されたり、果ては相互作用の果てに跳ね返ってくる始末。先ほどの【燎原の赤(ワイルドレッド)】を使用したときだって、どうしてあんな激しい現象が起こったのかさっぱりわからなかった。



 確かに、大量の水を扱う魔法に威力の高い火の魔法をぶつけると、激しい現象が発生するというのは上位の魔導師たちが行う魔法戦でよく見られることだと聞く。しかし先ほどはそうではなかった。むしろ規模が小さい魔法同士のぶつかり合いであるため、起こるはずもない。しかし、アークスは確信のもとその行動を取っていた。



 まさかこんな高度な戦い方をされるとは思いも寄らなかった。

 すでに実力は卒業生の域にあると言っても過言ではない。

 だが、だからと言って負けを認めるわけにはいかない。

 そろそろ決めに入るべきか。こちらもある程度見極めは終わった。

 殺傷しない範囲の、強力な魔法で圧倒するべきだろう。



「これで終わりですわ!」



《――谷風。山風。颪風。巻き込め渦成せかき回せ。天を渦するうねりに呼ばわれ、角なしの鉄挺よ降り落ちろ。石壁を砕け。土塀を崩せ。鎧兜を圧し潰せ。この一振りによって徹底と成す》



 もしものためにとっておいた呪文を唱える。【風吼槌(エルオスハンマー)】のさらに上位の魔法だ。本来はもう四節使ってこそ本領を発揮できるが、あくまでこれは試合だ。

 アークスの力量ならば、よほどの失敗がない限り、致命的なものにはならないはず。

 それに声が重なるように、アークスも呪文を唱えた。



《――風よ吹け。吹き風巻(しま)け。巻き返せ。ガウンの嘆きに招かれて。その歌声は地上から、空へと高らかに歌われる。目には目を、歯には歯を、渦には渦を持って応えるべし》




 ――【金床失墜(アンヴィルフォール)



 ――【報復律・旋風捷(ガストーネード)



 お互いの【魔法文字(アーツグリフ)】が飛び交い、それらが魔法陣を形成する。

 色はどちらも緑色。違いと言えば、青に寄るか、鮮やかなのかでしかない。

 こちらが天に向かって手を伸ばすと、上空で風が、さながら嵐のときのようにごうごうと唸りを上げる。

 強力な突風が周囲に広がり、余波が拡散。集まった生徒たちは吹き飛ばないよう、態勢を低くしてその場で堪えている。帽子やストールが飛ばないようしっかりと掴み、翻る外套やスカートを押さえながら。

 それでも決闘から目を離さないところは、魔法院の生徒であるからだ。



 渦を巻いた嵐の如き暴風が、上空で鉄槌の如き様相を見せる一方。

 アークスの魔法はと言えば、彼の周囲に旋律を響かせ始める。

 それはどこかで聞いたような……いや、墓地でガウンがよく歌っているような歌のようにも思えてくる。

 楽曲のように響き渡るそれが周囲の空気を刺激して、塵や埃を舞い上げた。

 鉄槌に相対する、つむじ風。

 やがてそれらが衝突する。



 誰の目から見ても、鉄槌が勝つように見えたが。



「なっ――!?」



 こちらが決め手として秘しておいた【金床失墜(アンヴィルフォール)】は、これまでの焼き直しのようにアークスの魔法によって相殺された。

 観客の生徒たちが、再び騒ぎ始める。



「あれで相殺されただって!?」


「一体どういうことなんだ!?」


「ウソだろ!? 魔力だってかなり少なかったぞ!?」



 しかし、事実だ。

 魔法の威力が十分に出せない中で、こうして対処できる魔法を使えるということは、魔力の量ではなく、単語と成語の組み合わせや、魔法の理論をうまく利用しているということになる。

 だが、気になることもある。



「……解せませんわ。どうしてこうも簡単に相手の口先が読めるのです?」


「クローディア様がこれまで使った魔法は、八つ中、五つが風系列の魔法でした。ですので、クローディア様は風の魔法を好むか、もしくは決闘では風の魔法の主体にする傾向だと考えたのです」


「ですが、それでどういう魔法かまでは」


「いえ、風となれば、引き起せる現象はそう多くありません。吹き飛ばすか、切り裂くか、巻き込むか、気圧を変化させるか。あとは呪文に聞き耳を立てていればいい。言葉の調子や呪文の長さなど、予測する要素はいくらでもあります。今回は、クローディア様の呪文に【颪風(ダウジ)】が入っていたので、特にわかりやすかった」


「呪文の構築から魔法を推測したというのですか……」



 あらかじめ風魔法が来ることがわかれば、対処の使用もあるというもの。

 確かに最初の単語がわかれば、それに合わせやすい単語や成語もわかる。全体の構成も見えてくる。あとは即興で対応する、もしくはあらかじめ準備しておいた『その魔法の効果に対抗できる魔法』を使えばいいだけだ。



 ……以前の講義で、メルクリーアに相手をしてもらったときのことを思い出す。

 あのときも、その場の状況や使った呪文の傾向で読み切られ、封殺されることになった。

 メルクリーアが使った魔法によって、こちらが使用する魔法を限定されてしまったのも大きい。



 ――効率の良い魔法を使う者ほど、読みやすい相手はいないです。周囲を湿っぽくすればその相手は火の魔法を選択肢から外しますし、周りを暑くすれば氷の魔法の使用を避ける傾向にあるです。高度な魔法戦とは、相手の行動を掌握し、自ら相手を動かすことにあるですよ。



 アークスの戦い方は、彼女の戦いぶりに通じるものがある。

 ならば、潔くあるべきだろう。



「わかりました。あなたに魔導師として実力があるということを認めましょう」


「それは良かった」



 アークスはほっと安堵した表情を見せる。だが、その安心は早計というもの。



「何を安心しているのですか? わたくしは実力を認めただけで、試合はまだ終わってはいませんよ」


「え?」


「試合は勝負。勝者も敗者も出ない勝負など存在しません」


「ええっ!? 目的は私の実力を認めるか認めないかではなかったのですか!?」


「そうですわね。確かにこの決闘の目的を突き詰めれば、そこに至るでしょう」


「なら」


「で、す、が! 先ほども言った通り、これは試合です……そうですね。魔法院を辞するというのは容赦しましょう。ですが、わたくしに負けたら、わたくしの取り巻きに加わりなさい」


「ちょ!? このうえまだ条件を増やすと!?」


「これは温情と知りなさい。むしろわたくしの取り巻きになれるのは光栄なことではなくて?」



 そう言うが、アークスはいまいちわかっていないような顔を見せる。



「いえ、あの、どの辺が光栄なのかまったくわかりませんが」


「っ、あなたサイファイス公爵家の跡取りであるわたくしの……」



 そう言いかけて、止めた。それは思い違いだからだ。



「いえ、そうですわね。レイセフト家と言えば公爵家に次ぐほどの古参の貴族家。これまで幾度もあった昇爵の機会を拒否して、東部守護の尖兵にとどまった筋金の入った武家。確かに、王家以外にそうそうひれ伏すはずもありませんか」


「……え、えーっと」



 レイセフト家。古さで言えば、主家であるクレメリア家よりも古い歴史を持つ。王家に臣従し、王国勃興後は中央にとどまらず東の領地へと戻っていった。だがそれは王家を軽視するものではなく、その後の戦にもいの一番ではせ参じ、ときにはその力を大きく削いでまで力添えをしたこともあるという。



 彼の家はそれこそ忠義の塊のようなものだ。現国定魔導師であるクレイブ・アーベントがその見本のようなものだろう。彼ももとはレイセフト家の出であり、いまは国王陛下のために力を尽くしている。

 たとえサイファイス家にも王家の降嫁した血が入っているとはいえ、その血は塗りつぶされて完全な別家となっている。彼らとっては、忠義を向ける対象ではないのだろう。

 当人がしきりに首をかしげているのが不思議と言わざるを得ないが。



「いいでしょう。あなたに是非と言わせ、頭を下げさせてみせますわ」


「は?」


「手に入れにくいものこそ、欲しくなるというものです」


「え? ちょ、なんで? なんでそうなるの?」



 アークスはひどく混乱している様子。

 先ほどつい口をついて出たものだが……取り巻きか。

 見た目も可愛らしいため、それに見合う格好をさせればかなりに映えるだろう。



「それをするに当たって着せ替えも……ええ、そういうのもいいですわね。あなたの可愛らしい見た目なら、どんな服装でも映えると思いますわ」


「ぐふっ……なんかよくわからないけど精神攻撃かよ……」



 アークスは魔法を受けたとき以上の衝撃を受けているようだが、その一方で外野から激しい声が飛んでくる。



「ちょっとアークス! 負けたら承知しないよ!」



 スウシーアの顔色が目に見えて変わった。あの入れ込みようだ。アークスはかなりのお気に入りなのだろう。以前彼女にはやりこめられたのだ。ここで一泡吹かせるのも面白そうだ。



《――不都合な真実。真夏の陽炎。水面の月。昼間の篝火。金はその価値を貶め、石くれに堕つるべし。かがやきよここに褪せよ……》



 再度、サイファイス家の魔法【抑圧(サプレス)】を掛け直す。

 灰色の【魔法文字(アーツグリフ)】と魔法陣が足元に広がり、自慢の髪が、その色を褪せさせていく。



「厄介な魔法ですね」


「それが。天稟というもの」


「天稟……天稟?」



 アークスは何が不思議なのか、その場で同じ文言を繰り返し口にながら、怪訝そうに眉をひそめた。

 やがて、ハッと光明を見出したような表情を見せる。



「――そうか! そういうことか!」



 それはまるで、これまでわからなかったことが突然氷解したようなそんな態度。手を叩いて、合点がいったと言うような表情を作り、段々とその表情を明るいものから不敵なものへと変化させる。



「なんです? 何がそういうことなのですか?」


「その魔法の正体です」


「は――まさか気付いたというのですか? そんなバカなことが……」


「相手の魔法を弱める手段というのは、いくつかに限定されます。その魔法が相手の魔法に直接掛かるか、範囲内に入った魔法に影響するようにするか……ですが、それが天稟ということは、それはクローディア様の……」


「――アークス・レイセフト。口が過ぎますね。少し黙りなさい」



 つい、ぴしゃりと口をついて出た。

 いまの語りではまだ核心は突いていなかった。だが、誰も踏み込めなかった場所に踏み込まれたことへの焦りは、確かに感じた。

 一方でアークスはしゃべるつもりはないのか、それ以降は口を閉じたままだ。



 …………再び、アークスが魔法をかわすだけの時間がやってくる。

 当たり前だ。たとえ中身を見抜いたところで、魔法がかかっている以上はどうすることもできない。効力が切れたところを見計らって、魔法を使うという手段しか取れないはず。

 効力が切れるのを見越して、再度掛け直そうとしたみぎり。

 アークスが身体にこれまでにない量の魔力を充溢させる。

 そして、



《――不都合な真実。真夏の陽炎。水面の月。昼間の篝火。金はその価値を貶め、石くれに堕つるべし。かがやきよここに褪せよ……》



《……………………………………………………》




 こちらが呪文を唱えるかたわら、アークスが突然何らかの呪文を唱えた。



「何を? そちらの魔法は効果が弱まるというのに」


「効果が弱まっても、効果が消失するわけではありません。効果が減衰で消えないよう魔力をだいぶ使いましたが……」



 確かに、アークスの言う通り、【抑圧(サプレス)】は相手の魔法の効力を打ち消すものではない。だが、魔法の効果が弱まってしまえば、期待した効果を発生させることはできないのも当然。

 ともあれ、いまのでかなりの量を消費したはずだ。

 これまで使った魔法から考えて、あと一、二発が限度だろう。

 そんなことを考える中、アークスがテキストにあるような初歩の呪文を唱え始める。

 初歩の初歩の呪文だ。これまで彼が使った魔法と比べるに値しないもの。

 直後、アークスの魔法は問題なく発動する。

 空中に火が舞い飛ぶ。

 威力が弱まったことも見受けられない。



「やっぱりだ! 成功だ!」


「っ、一体何が!? どうしてそのままの状態で魔法が……」


「いまの魔法の効果です! それで、クローディア様の使った魔法の効果を打ち消したのです」


「そ、そんなことがっ!?」



 そう、魔法の効果を打ち消すためには、当然だが『そのときに使用される魔法の効果』がどんなものなのかを知る必要がある。【抑圧】の魔法の効果を打ち消すためには、この魔法の本当の効果がわからなければそんなことはできないのだ。

 そのうえで、こうして効果を発生させられているということは――



「まさか、本当にサイファイス家の【抑圧(サプレス)】を見抜いたというのですか!?」


「アークスさっすがぁ! あとでどんな魔法なのか教えてね!」


「そ、それは許しません!」



 そんなことを言っていたのがまずかった。

 こちらが再度【抑圧(サプレス)】を使う前に、アークスが先ほどとは違う呪文を唱え出した。

 聞こえてくる呪文も、よくわからない。構成している単語は、いびきやラッパ、音楽家。攻性呪文にするにはあまりに意味のないものばかりだし、たとえ助性呪文だろうとこちらに与える影響が見えてこない。

 どんな攻性魔法が飛び出すか、身構えていると。



 ――【びっくり泡玉(アストニッシュバブル)



「――は?」


「これが俺の自慢の魔法です」



 そう言って、本当に自慢げな様子で胸を張るアークス・レイセフト。

 こんな態度はいままでにない。ということは、単なる演技か虚勢か。



(こんな泡玉を出すだけの魔法が自慢? ――いえ、違う)



 そうだ。これだけの呪文を作る力量がある以上、ただシャボンを作ったわけではないだろう。横目でも、スウシーアが観客の生徒たちに大きく距離を取れと伝えているため、周囲にも影響があるということが窺える。



(こんな魔法、こちらが攻性魔法を放てば一瞬で消えるはず――いえ、もしかしてそれが狙い?)



 そう、シャボン玉はすぐ壊れるのだ。

 つまりアークスは、これを壊させるのが目論見のはず。ならば――



「甘いですわね! 《――風よ吹け。穏やかなるそよぎの調べ。霞も靄も、霧も煙も吹き飛ばしては散り散りに。そよ風よ霧を払え――【霧払之風(フォグスラッシュ)】》」



 唱えたのは、即興魔法だ。壊してはいけないのなら風で吹き飛ばすのみ。

 風に煽られたシャボンは、アークスの方に流れ始めるが。



《……………………………………》



 彼の口から聞こえてくるのは、途切れ途切れの詠唱だ。

 耳なれない単語がいくつも含まれているが、こちらが口にした呪文と似たような単語がいくつも聞き取れる。



(っ、こちらが攻性魔法を打てないのを利用して……)



 こちらがシャボンを処理する間に、余裕ができる。

 もともと、それを見越していたのだろう。



 ――【霧払之風mk2(フォグスラッシュマークツー)】



 アークスが使ったのは、こちらが使った即興魔法に妙な改造を施した魔法だ。

 しかし、彼が起こした風はこちらの起こした風よりも強い。

 しかも、シャボンが割れない程度の強さだ。シャボンが側面に流れないように、風の吹き方も調整もされている。

 シャボンがまるで、風船を手でこねくり回したかのように、風に挟まれてぐにぐにと形を変えている。

 ならばここは、風の魔法を重ねるよりも防性魔法を使って凌いだ方がいいだろう。

 呪文はできるだけ短い、魔力を多めに使用するものならば、まだ間に合うはずだ。



《――覆え。囲え。温情は幕となって我を守る。大いなる手のひらよ包み込め――》



 魔法はすぐに成った。これで余裕ができる。

 そう考えた直後、アークスは悪戯小僧のように舌を出す。

 そして、ポケットからコインを取り出して、それを投げた。

 こちらではなく、宙に漂う魔法(シャボン)に向かって。

 


「しまった――」



 そして、投げた物がシャボンに触れたその直後、シャボンが次々に割れる。

 それと同時に強烈な破裂音が連鎖し、耳をしたたかに打った。



「――――――――――!?」



 自分の叫び声は――聞こえなかった。鼓膜を強く打ち据えられたせいで、耳の機能が一時的に失われたせいだ。

 音が極端に大きかったせいか、頭が強く揺さぶられる。

 そのまま、視界が暗転してしまった。




 しばらくして。




 …………やがて、どこからか声が聞こえてくる。



「ク……ディ……! クローディア様!」


「う、ぅう……一体、何が」



 倒れていたのか。確かめるように頭を振りながら、身を起こす。

 耳に痛みはない。取り巻きたちが治癒の魔法を使ったのだろう。

 だが、そうなると、だ。



「試合は!」


「……アークス・レイセフトの勝ちです」


「それは……」



 横合いに、アークスが立っていた。そのかたわらにはスウシーアも控えている。

 ということは、気を失ってからそれほど時間は経っていないだろう。



「っ、そうですか。いまのは音で……」


「そういうことです。障壁は使用者に必要なものは透過してしまいますので」



 アークスはそう言ってから、「あらゆる障壁系防性魔法の穴でしょう」と口にする。

 確かに障壁系の防性魔法を使っても、音も聞こえるし匂いもする。それから身を守るためには、それを防ぐための専用の魔法を使う必要がある。

 だが、



「……そんなこと講師は教えません」


「でしょうね。講師はそういうことに考えが至っていないのでしょう」



 アークスはそう断言する。栄えある魔法院の講師を、その程度だと言い切るような物言いが思い上がりのようにも聞こえるが、そうでないのは彼の実力が示している。実際に、彼の知識は魔法院の講師ですら知りえないものが多くあると感じさせるものだった。

 彼の言が正しいというのであれば、それはつまり、こちらの動きが読み切られたということだ。

 いや、これはあのときのメルクリーアの言葉通りだとも言えるだろう。

 高度な魔法戦とは、相手の行動を掌握し、自ら相手を動かすことにある。

 最後も、アークスの思い描いた絵図通りに動かせられてしまった。

 それもそのはず、結局最後には彼の望んだ通り、防性魔法を使わされたのだから。



「負けた……サイファイス家の跡取りであるこの私が……」



 魔力が少ないからと油断していた。それは事実だ。そう思っていたからこそ、この決闘にまで発展したのだから。

 それでも、こちらが使用した魔法は相手を一撃で倒すことを念頭に置いたものばかりだ。

 油断はしていたが、一切手は抜かなかった。

 だが、ここで負けた理由は油断していたからなど口にすれば、自分はその程度の魔導師に格落ちしてしまう。



 どうすればよかったのか。

 防性魔法ではなく、【抑圧(サプレス)】を使う。

 いや、掛け直しても間に合わない。【抑圧(サプレス)】の呪文詠唱はそれなりに時間を要する。魔法が行使される前に同じような決着になっていただろう。アークス・レイセフトには、シャボンを割る余裕がいくらでもあったのだから。

 勝利するには、もっと別の手段を講じなければいけなかったはず。



「お……」


「お?」




「――覚えておきなさいですわ! ぐすっ! うわぁああああああああああああん!」




 …………ともあれ。

 集まった者たちが見たのは、泣きながら走り去るクローディアの姿だった。




 ●




 クローディアの意識が戻り、いくつか答え合わせをした折。

 突然、彼女は校舎内へと走り去ってしまった。

 そのまさかとも言える姿に、呆気に取られてしばらく。

 隣にいたスウが、自身から少し距離を取った。

 そしてこちらに指を差して、何を言うかと思えば。



「あーあ、アークスが女の子泣ーかせたー」


「ちょ、俺ぇ!? これ俺のせいなの!?」


「だって決闘で勝ったからクローディア様は」


「じゃあ俺に負けろって言うのかよ!?」


「それはダメに決まってるでしょ! アークスがクローディア様の取り巻きとか絶対許されないよ!」


「んじゃどうしろって言うんだよ一体ぃいいいいいいいいい!!」



 そんな茶番めいたやり取りはともあれ。



「ね? やっぱり楽勝だったじゃない」


「どこがだどこが! こっちは辛勝だっての!」


「そうかなぁ。結局なんだかんだ勝っちゃったし」


「運が良かっただけだって」


「それにしては作戦勝ちじゃない?」


「運に左右されるところが大きかったですー」



 スウとそんな話をしていると、ケインが歩み寄ってくる。



「まさか、クローディア様に勝ってしまうとはね」


「ん? ああ、なんとかな。少し間違えば負けてただろうけど」


「白銀十字勲章授与者の力、見せてもらったよ。当然、これがすべてじゃないだろうけどさ」


「魔力がなくても意外と何とかなるだろ?」


「そうだね。でも魔力がないことの不利は、君がよくわかっているんじゃないかい?」


「身に染みてる。魔力いっぱいある奴がうらやましいよほんと……今回のことでさらに実感したぜ」



 そう言って、大きなため息をこぼす。

 ありがたかったのは、クローディアの使う防性魔法が音を防ぐ効力を持つものではなかったことだ。防性魔法の穴とはいったものの、もし音にかかわる単語や成語が交じっていれば弱められる可能性もあった。

 もちろんこちらも音撃を直に受けたため、ノーダメージというわけにはいかなかった。耳栓で鼓膜は完全に守ったが、音は身体からも伝わるため、破裂させた直後はそれなりにフラフラしていた。

 すぐに体調を整える魔法をかけたため、いまはまったく問題ないのだが。

 本来ならば錬魔力を利用した【遠当て】を使用するのをセオリーとしている。

 しかし、変わった行動を取れば細剣術の道場のときのようにいちゃんもんを付けられる可能性も否めないため、ああしてコインを投げて壊したというわけだ。



 想定以上に消耗は激しい。

 やはり魔力が多いというのは多大なアドバンテージを感じる。

 こちらがいくらテクニカルな戦い方をしたとしても、一歩間違えば簡単に押し込まれていただろう。だが、負けるわけにはいかなかった。これで負けていれば、魔力が少ない=弱いとされるのだ。

 やはり理不尽極まりない。

 再度、ほっと安堵の息を吐く。



 すると、突然スウが声を上げた。



「アークス! それよりもサイファイス家の魔法だよ! サイファイス家の魔法! 教えて教えて! いますぐ教えて!」


「いや、中身を言うのはどうなんだよ? そんなの下手に漏らしたら確実にサイファイス家に睨まれるだろ? 嫌だぜ? それのせいで寝てるときに刺客がこんばんわしてきて明日の朝日を拝めないとか」


「それは油断していたクローディア様が悪いんだよ?」


「だからってやるやらないはわからないだろ? 貴族が理不尽なのは身に染みてわかってる」



 不用意に喋るつもりはない。

 だが、絡繰りに気付けばそう難しいことではないのだ。



 呪文の正体を探るためにもっとも近道となるのは【呪文の内容】だし。



 【抑圧(サプレス)】の魔法が、相手の魔法に対して掛けられるものではないということ。



 これが【天稟】であるということ。それらを踏まえてよく考えれば、これがどういうものなのか見えてくる。


 あとは、ゲーム的な考え方も少し必要になるかもしれない。



 ともあれ、この件に関しては慎重にならなければならないだろう。そうでなくても王家の魔法の正体までも掴んでいるのだ。先ほどは絡繰りを暴いたことで興奮して考えなしに攻略してしまったが、こうして大っぴらに見抜いたことを喧伝したのはやはり結構マズい状況なのではなかろうか。



 ……周囲にいる観客たちも、なんだか妙な視線を向けている。

 気の毒と思う視線もあり。

 獲物を見つけたようにぎらついているのもあり。

 そんな中、体格のいい老人が姿を現した。

 顔には年月を思わせるしわが刻まれ、あごには白い髭を蓄えている。

 頭も真っ白。服装は伝統貴族のもので、その上からローブを羽織っているといった出で立ち。



 ――院長様だ。



 魔法院の院長である、エグバード・サイファイス。クローディアの祖父だ。

 エグバードが、老人とは思えないようなしっかりとした足取りで、こちらに近づいてくる。

 援護を求めて、スウの方を見るが、



「ちょっとスウさんスウさん……はっ!? いないぃいいいい!?」



 見ると、スウは煙のように忽然と消えていた。まるでもともといなかったかのように、その場には人一人分の空間があるばかり。

 彼女に助けを求めることはできなくなった。

 エグバードが目の前に到着した折、すぐに膝を突く。

 すると、いささかしわがれたような声が頭の上に落ちてきた。



「名前は?」


「あ、アークス・レイセフトと申します」


「そなたがか……そうか」



 エグバードはまるで吟味するかのようにそう言うと、



「よく励みなさい」



 次いで、穏やかな口調でそう言った。



「え?」


「ふむ? なにか咎めるとでも思ったのか? 」


「い、いえ、そういうわけではありませんが……」


「そなたを魔法院から追い出すということはない。それに関しては心配はせずともよい」


「は。ありがとう存じます」


「クローディアはしつこいうえに努力家だ。ゆめゆめ油断しないことだ」


「は……はい」


「それとだが、サイファイス家の魔法のことは」


「はい。口外いたしません。私の胸の内にとどめておく所存です」


「うむ」



 エグバードはそう言うと、踵を返して去って行った。思っていたよりもあっさりしたものだ。何か条件を付けられるとか、取り込みに掛かられるとか、もっと理不尽なことが巻き起こるかと思ったのだが、そう言ったことはしないらしい。

 しばし呆気に取られたまま、その場で膝を突いていたが、ふいにいまし方の会話を思い出す。



 ――クローディアはしつこい上に努力家だ。



「うわなにそれめんどくせぇ……」



 当たり前だが、そんな感想しか浮かばなかった。




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