第十三話 怪我の功名ってあるもんだ
人攫いの事件に巻き込まれてから数日後。
あれから、スウとはちょくちょく会う間柄……つまりは友達になった。
すぐに打ち解けられたのは、彼女の人懐っこさもそうだが、やはり共通の話題があったということが大きい。スウとは同レベルで魔法の話ができることと、彼女もオリジナルの呪文を組み上げる力があるため、そういった話がしやすいのだ。
そもそも彼女もかなり魔法が好きらしく、アークスも知らない魔法の知識を持っていた。
そのため、これから暇があるときは、二人一緒に魔法の勉強をしようということになったのだが――
(ぼくも人のこと言えないけど、変わった子だよなぁ)
この年頃の子供であれば、外を遊び回っているのが普通だが、自由な時間に限らず積極的に勉強に取り組んでいる。
魔法の勉強は目に見えて成果が上がるため、楽しさは普通の勉強の比にはならないが、それでも変わっていると言えるだろう。
もしやこれが、男の世界の言葉にある「類は友を呼ぶ」というものなのだろうか。
ともあれ、勉強する友達がいるのは、アークスとしてもありがたかった。
相互に高め合う相手というのは、得がたいもの。
毎度毎度頬っぺたをつついたりつまんだり、顔が可愛いとか言われるのはなんとも言えないところなのだが。
ともあれこの日のアークスは、レイセフトの屋敷の自室で、刻印と格闘していた。
魔法銀を入れたボトルと、顔料を入れたケース、そして【魔法文字】を記した手帳を脇に、刻印を彫り込むものに対峙する。
最近知り得たことだが、魔力を錬って作った熱い魔力を使って彫り込むと、随分と具合が良いのだ。
人攫いの一件もあって、非常時のために積極的に魔力を錬り、それを操れるように制御に取り組んでいたのだが、そんな中でふと思い立ち、刻印に使ってみると、これがなかなかどうしていい感じなのである。
扱うときは普通の魔力よりも制御を密にしないといけないため、常に集中が必要だが、効果が高まるというのは大きい。それを踏まえるに、もともとの刻印の彫り方では、呪文の効果を完全に引き出せてはいなかったのだろうと思われる。
地味ながらも、自分だけの新たな発見だ。
(……もうすでに誰か見つけているかもしれないけどね)
そんな風に、最初は失敗だとばかり思っていたことが、きちんと結果につながったというのが、少しだけ嬉しかったりする今日この頃。
内心舞い上がった調子で刻印を彫っていたときだった。
ふいに背後から声がかかる。
「兄さま」
「わっ!?」
集中し過ぎていて、来客に気づかなかった。
驚きで集中に穴が生まれ、魔力の制御を喪失。手に持っていた小刀は危ないためなんとか死守したが、魔法銀が辺りにぶっ飛んでしまった。
魔法銀のしずくが辺りに散らばり、ぴかぴかと光を反射する。
不意打ちの張本人、リーシャが慌てて吹き飛んだものを集め始めた。
そして、
「ご、ごめんなさい、兄さま!」
「あ、うん。大丈夫だから。大丈夫」
「まさかこんなことになるとは思わなくて……」
「ふ、普通はそうだよね。あはは……」
吹き飛んだのは、ほぼ自分の未熟さのせいなので、謝られると申し訳ない気持ちになる。
一通り魔法銀のしずくを集め終わると、リーシャは作業が見たいのか横に座った。
……二年前はまだ舌足らずだったが、いまでは会話も流暢で、言葉遣いもたいしたもの。
舌を滑らかに動かせるようにするのは、呪文を正しく詠唱しなければならない魔導師には必須であり、共通語の取得もまた【魔法文字】【古代アーツ語】を覚えるためには欠かせない。軍家の貴族の跡取りとしての教育の賜物なのだろう。
いまは好んで銀髪をポニーテールに結って、青いリボンをつけている。
横髪は長め。目はどこか眠たそう。背はアークスよりも少し小さいくらい。
白いブラウスにフリル付きの青のスカート、ソックスにはソックスガーターを付けている。
リーシャはこくんと首を傾けて、顔を覗き込んでくる。
「今日も刻印ですか?」
「うん」
「兄さまは勉強熱心ですね。もう刻印までやっているなんて」
「リーシャの方は、どう?」
「私はまだ魔法の勉強を始めたばかりですので……」
リーシャの魔法教育に関しては、本人がある程度しっかりするまで控えていたのだろうと思われる。というか、自分があまりに早すぎるのだ。そもそも魔法の勉強は十二歳以上になってから、遅くても十四歳になってから始めるのが一般的らしい。
「魔法は使えるようになった?」
「いえ、まだ一つも」
「そうなんだ」
それもそうか。自分が魔法を使っていいとクレイブから言われるまで、結局半年以上はかかったのだから。始めたばかりのリーシャも、初めて魔法を使うまで、それくらいはかかるだろう。
「兄さまはどうですか? やはり、もういくつも?」
「基本的なのはだいたいね。あとこの前伯父上から【火閃迅槍】を教えてもらって、使えるようになったかな」
「…………兄さま、すごいです」
見れば、リーシャの目がぱあっと輝いていた。
「リーシャもすぐできるようになるよ」
「はい! 精進します!」
リーシャは弾けるような笑顔を見せる。
一時は両親の教育のせいで嫌われる可能性も危惧したが、こうして変わらず接し続けてくれるのは本当にありがたい。
リーシャがいなかったら、自分はきっとひどくやさぐれていただろう。
しばらくリーシャに刻印について解説しながら作業を進めたが、やがて休みの時間は終わったのか、挨拶をして部屋を出て行った。
さてそろそろこちらも後片付けをして一休みしようかと、ふと掃除のために魔法を使用した折――
「……?」
先ほど吹き飛んで散らばった魔法銀のしずくが、どことなく動いたように見えた。
それが気になって魔法を止めると、まるで膨張していた液体が元に戻るかのように、魔法銀は小さくなった。
不可解に思い、また魔法を使うと、思った通り膨張する。
魔法は使っているが、魔法銀に対しなにかしら働きかけているわけではない。
「これ、もしかして魔力に反応してる……?」
見た限りでは、そうとしか思えない。
では、どうしてそのようになったのか。
思い当たる節は――先ほどの暴発事故だ。
これまで魔法銀がこのような振る舞いをとったことはなかった。
ならば、その間に起こった出来事……魔法銀を暴発で吹き飛ばしたことが原因だと考えるのが自然だろう。
だが、そうであるならば、一体その暴発事故の何が影響したのか、だ。
「普通に刻印に使っていただけだし、魔法をかけた訳でもない。暴発事故のときに魔法銀に影響を及ぼしたものがあるとすれば……」
――錬って熱くなった魔力。
これだ。これしかない。制御を失ったときに魔法銀が熱い魔力に晒されてそうなったとしか考えられない。
確かに刻印を彫り込むときにも、魔法銀を熱い魔力に晒すが、だがそれはごくわずかなものだ。暴発したときのように荒れ狂った大量の熱い魔力を、魔法銀に晒したことはこれまでない。
おそらくはそれで、魔法銀は【魔法銀とよく似たもの】に変質してしまったのだろうと思われる。
「だけど、膨張ねぇ……」
だからと言って、なんだと言う話である。
そんなことを考えながら、今度は魔力を放出する。
やはり魔法銀だったものは、魔力に反応しているらしく、少しずつ膨張する。
放出をやめると、膨張は止まり、もとの大きさに収縮した。
しばらくそんなことをしながら、うだうだしていた折、その様子を見てピンとくる。
「――温度計。そうだ! 温度計だ!」
大きな発見の予感が、雷のようにアークスの身体を打ち据えた。