第百二十六話 魔法院での講義
魔法院での講義の初日、講師から差別にも似た扱いを受けることになった。
これは事前に考えられた事態であったため、特にひどい扱いを受けたような気にはならなかった。
伊達に何年も不遇を託っていたわけではない。
もちろん気分的によろしいものではなかったが、この程度であればまだまだ我慢できる範囲である。
とまあ入学早々こんな目に遭ったわけだが、自分の場合は特殊な事例だ。
好き嫌いでのことならばともかく、魔法院でこういった差別は滅多にないし、小説など物語でよくあるように、貴族が平民を見下す構図はこのコミュニティには当てはまらないという。
以前はそういうこともあったようだが、いまでは親の方が、「有能な平民に唾をつけておけ」と言ってよく面倒を見させて、良好な関係を築くよう指示しているらしい。
基本的に魔法院に来ることができる平民は有能だ。魔導師ギルド職員のお眼鏡に適い、推薦を受け、その後の試験も突破しているほど。
平民にとっても、貴族家とつながりができれば今後の就職に有利ゆえ、なるべくお近づきになれるよう友好的に接する。そのため、よほどおかしい者がいない限りは、貴族と平民でのトラブルが起こることはないようだ。
「平和だよなぁ」
礼儀などの問題もあるが、そちらは必要な教育を施せばいいだけなのだ。
マナーなどもきちんと教えればできるようになるし、お互いに接していれば考え方も変わるだろう。それは当然貴族の方にも言えたことだが。
上級貴族の抱える従士の中にも、平民が採用されていることもある。
金持ちケンカしない。貧乏人を見下すのは貧乏人。
悪党の侯爵だって、部下にしていた傭兵頭に必要以上に偉ぶることはなく、意見もきちんと尊重していた。
平民出の者は魔法院に入るひと月前から、貴族へ対する最低限の礼、講習を受けることになるという。あとは実地だ。貴族の子弟と触れ合うことで、彼らとの距離の取り方を学ぶとのだ。
……こういった土壌があるのに、カズィの礼節がきちんとしていないのは、なんなのだろうかとは思うが。
逆に平民だからと言って見下す者は、裏で「人材に困らないボンボンのバカ」というレッテルが貼られることもあるという。
なら魔力が少ない貴族の子弟も見下すなよと思うが、そこは同じ貴族だからだろう。
むしろこの場合、貴族対貴族の方が露骨と言える。
――持つ者は、時には持たぬ者よりも見下されることがある。
貴族同士ならば同じ括り。比較にもならない者はそもそもそのコミュニティに存在しないのだ。であれば、底辺は持つ者の中でも最も下の者になる。それが、自分にされる差別の正体なのだろう。心理的にもそう。わざわざ遠い者をイジメに行くよりも、近い者の方がずっと手間がかからない。
ともあれそんなこともあったが、クラスでは魔力計測の一件ですでに勲章持ちということが知られたため、その後は嘲笑を浴びせられることもない。
翌日、メルクリーアに言われた通り、制服の胸に勲章を付けてきたのだが。
「あの話、本当だったのか」
「おい、あの勲章見たことあるぞ……!」
「あれって、勲功三等以上じゃなかったらもらえないんじゃなかったか?」
そんな風に、畏敬の念……というよりは奇異の目で見られる方が増えたというところ。
普通に偉い身分だとか、普通に才能があるとかいうのとは少し違うため、接し方がわからず微妙な距離を取られているが。
話しかけてきたのは、ケインくらいのものだ。
「それ、白銀十字勲章だよね?」
「ああ。夢中で動いてたら、こんなの貰うことになってさ」
「……そうか」
「どうしたんだ?」
「いいや、すごいと思ってね」
「……?」
そんな風に、ケインはよくわからない態度のまま、自分のもとを去っていった。
それから、すでに数日。
今回受けるのは、すでに魔法が使える新入生むけの実践講義だ。
『詠唱実践学基礎1』の基礎的な詠唱である。
講義内容は、まず講師が発声法や魔力の込め方のコツなどの講義を行い、その後実践に移って、各自に合わせたアドバイスをしていくというものだそうだ。
詠唱中に舌を噛まないようにする練習や勉強にもなり、むしろ自分にとっては他人がどういう詠唱をするかを観察する機会にもなる。他人の詠唱のクセを知っておけば、今後魔法戦があった場合に役立つこともあるだろうし、改善のために講師が行うアドバイスにも興味がある。
(今後は人に教える機会もあるかもだしな)
魔法院に行く必要はないと冗談で言う者も多いが、覚えるべきことは沢山ある。
ただ魔法を使えるようになる、呪文を作れるようになるだけでは魔法を極めることはできないのだ。
……訓練場に集まったのは、魔法を行使できるレベルの生徒のほかに、非魔導師生と呼ばれる生徒たちもいた。
彼ら彼女らは、魔法はほとんど使えない。ともすれば魔法関連の講義に参加する機会も減り、知識が偏るため、他の生徒が魔法を使う場面には積極的に立ち会わせるのだという。
担当の講師が呪文詠唱に関する基本的なポイントを講義したあと。
生徒たちを引き連れて訓練場へ。
そして、
「では、まず組を作っていただきます」
組……なぜ組を作るのかよくわからないが、言われたら言われた通りにするしかない。
組んでくれそうな生徒を求めて、周囲を見回すが――
(あ、これやばい。ぼっちになるかもしれん)
いまだ友人などもおらず、すでに廃嫡話は広まっている。同じクラスの者からは距離を取られているし、リーシャは別講義に行っているため助けてもらえない。
貴族の子弟たちは基本的に入学前からの友人や知り合いがいるし。
平民出身者は平民出身者で組みたがるのが常だ。
だからこそ、誰かに声を掛けられるまで待つという選択肢はない。
そんなものは下り坂の下で物が転がってくるのを待つようなものだ。
そうこうしているうちに、時間だけが過ぎていくだけになるのだから。
だが、こちらから声を掛けようにも、みな声を掛ける前に早々に組を作ってしまう。
周りを見ても、声を掛けやすそうな人間は残っていない。
このままでは、一人ポツンと残ってしまう。
そんな焦燥感に駆られた折。
「アークスさん、ですよね?」
「うん?」
声を掛けてきたのは、一人の少女だった。濃いブルーの髪を、いわゆるふわふわミディアムボブにしており、前髪にはヘアピン程度の目立ちにくい髪留めが一つ、二つ。目はくりくりとして大きく、面立ちは随分と可愛らしい。
あと、余計なことだとは思うが、とある部分が大きい。この年頃になれば発育もそろそろ目に見えてくる頃合いだろうが、それにしてもこの背丈でこれだけ育っているのは驚嘆に値する。近づいてくるだけで圧力があった。
とまあ、それはともかく。
「なんで俺の名前を?」
「この前の測定のときにいろいろ言われていたので」
「ああ、そうだな。確か同じクラスだったよな」
「はい。私はセツラと言います。もしよかったら私と組みませんか?」
「俺と?」
「ええ」
廃嫡の噂やこの前の一件があっても、こうして声を掛けてくれたのか。
こういう良い子もいるんだなぁということに、感動を覚えていると。
セツラと名乗った少女は、妙に含みのある笑みを見せる。
「――ほら、アークスさん、組んでくれそうな人いなさそうじゃないですか?」
「ぐっ」
「ね? ぼっちなアークスさんにはちょうどいいですよ? ほらほらー、どうします?」
セツラはそう言って、にやにやしながら寄ってくる。しかも、どういう思惑なのか。自分の胸を強調しながらだ。先ほど良い奴そうだなと思って感動していた自分を呪ってやりたい。
顔はかわいい。挙動もあざとい。だからこそウザさもやたらと際立った。
となれば、こちらも自衛するほかないわけで。
「いいよ。他に誰か探すから」
「そうですよねー。私しかいないですよね――あれ? え? あれ?」
「じゃ、そういうことで」
「い、いえいえいえ! ちょっと待ってください! そこは『わかった。組もう』ってなるところじゃないですか! どうしてそこで諦めちゃうんですか! 諦めたらそこで交渉はお終いですよ!」
「だってウザ……ウザそうだし」
「言い直そうとしたんですからそこきちんと言い直してください!」
「いや、俺って正直者だからさ」
「そんなところで聖人っぷりを発揮しないでください! それにほら、私ならお買い得ですよ? 他に誰もいなさそうですし、それならちょうどいいじゃないですか? それに、いまなら何かご奉仕までしちゃうかもしれませんよ?」
「ご奉仕って」
この少女、いまの言葉をサービスの意味で使っているのか。
「あ! 食いつきました? いま食いつきましたよね? そうですよねー。私みたいな女の子にこんなこと言われたんですから、当然反応しちゃいますよね。このス ケ ベ」
「……やっぱいい。二度と俺に関わらないでくれ。さよなら」
「すみませんいまのなしで! 場を和ませるちょっとした冗談じゃないですかやだなーもう」
「いやいい。やめよう。それがお互いのためだから」
「お願いしますお願いしますお願いします私もぼっちなんです! 組んでくださいお願いします!」
セツラは頭を下げて頼み込んでくる。
さすがにそこまでされれば、断るわけにはいかないか。
「わかったよ。最初からそう言えば……」
そう言うと、セツラは一転して急に胸を強調するようにふんぞり返って。
「ふふふ、やはり私のことが必要なんじゃないですかー。でも一回断ったので、ご奉仕はなしですからね?」
ぶん殴ったろかこいつ。
「……っていうか色仕掛けが効かないのが以外です。まさかそっちの気が? 確かに女の子っぽい顔してますけど」
「おいこら! 聞こえてるわ!」
「大丈夫です大丈夫です心の声がほんのちょびっと漏れただけですから」
「どこにも大丈夫な要素ないわ! 心の声は胸の中で後生大事にしまっとけっての!」
そんな風にセツラとぎゃあぎゃあ言い合いつつ、やがて実技が始まった。
まず魔法を使える者が実技を行い、講師からアドバイスをもらって、それから組となった者とのディスカッションに臨むのだという。
「うーん。討論と言っても何を話せばいいんでしょうか」
「そうだな。何話せばいいのかな」
「え? そこ、魔導師のアークスさんが主導権を取って導いてくれるんじゃないんですか」
「って言っても、今日やるのは基礎の基礎だし」
「では、講師の先生の説明で何か感じたことはなにかないんですか?」
「事前の説明はわかりやすかったな。かみ砕いてあって、まったくその通りだなと思った。誰かに教えるならこの講師の説明を真似したい」
「特に挙げるなら?」
「舌の使い方の話とか?」
「それ、変態っぽいですよ? むしろ変態です」
「そう思うのはお前の心が汚れてるだけだからだっての」
「そんなことありません。私の心はクロス山脈の雪解け水のように澄んで綺麗で透明な――」
「その言い回し好きなヤツ多いよな。そういうこと言うやつに限って胡散臭いんだよ」
セツラとそんな無駄話をしつつも、横目で魔法が使える者の実技を見る。
今回の実技は、数種類の魔法を計十回行使するというものだ。
しかも、呪文の長さも扱う魔力も少ないというかなり簡単な部類に入るものばかり。
負担も少なく、魔法行使の技術だけをきちんと見られるため、アドバイスもしやすく、生徒の方も自分の悪い点を自覚しやすいのだろう。
「――風立ち、風断つ。風雅なるもの。甲高き声に導かれ、斬り裂けよ刃」
生徒の一人が呪文を唱えるが、魔法は発動しない。
詠唱不全だ。
詠唱に淀みや間違いがなかったため、魔力の込め具合が悪かったのだろう。
魔法院に来てから、詠唱不全がよく目に付く。
そんな風に、魔法の実技が続き。
「五回成功しました!」
「生徒、素晴らしい!」
講師が歓喜の声を上げ、拍手を鳴らす。
その一方で、周りからも驚きの声が上がっている。
(え? ちょ、これどういうこと?)
確かにうまくいった方だろうが、素晴らしいはないだろう素晴らしいは。
称賛をかけるところを盛大に間違っているとしか思えない。
いや、この講師が褒めて伸ばすタイプということも捨てきれない。成功体験が実力アップに寄与することは科学的にも証明されているのだ。この手法を否定するのは、自分が信じるものにケンカを売ることになるような気もする。
「魔力をもっと淀みなく動かせるようになる必要がありますね。もっともっと突き詰めて練習をした方がいいでしょう」
「はい!」
講師はアドバイスを贈り、生徒は嬉しそうにもといた位置へと戻る。
やる気はかなり高そうだ。講師の称賛が功を奏したのだろう。
……その後も、生徒たちが魔法を行使していくが、やはり詠唱不全を起こさなかった者はいなかった。
舌を噛んで呪文をトチるならまだしも、魔力操作が下手っぴで込める魔力が安定しないのはどうなのかと思うが。
この授業に出ている以上は、魔法が使えるはずなのだが。
どうやら、数回は失敗するのが普通らしい。
隣で実技を見ていたセツラが唸る。
「みなさん、だいたい平均で六回というところですね。すごいです」
「実技試験のときも思ったけど、みんな結構失敗するんだな」
「……? 魔法の行使で詠唱不全が起こるのは当然だと思いますけど、アークスさんはそうではないんですか?」
「俺は呪文をトチらない限りは普通に使えるぞ。それもよっぽど長くて口ずさみにくいやつじゃないのに限るけど」
「え?」
セツラはなぜか不思議そうな顔をしてこちらを見詰めてくる。
「あの、魔力の操作ってすごく難しくないですか?」
「そこを練習積むのが魔導師だろ」
「それは、そうなのかもですけど……」
自身は伯父クレイブの指導に加え、魔力計の存在もあるし、なにより錬魔力を練る作業もしているので、魔力操作に関してはピカイチなのだ。
生徒のほとんどは、魔力の操作が覚束なくて失敗している。だが、だからこそ講師はこういった授業に重きを置いているのだろう。
その後、講師からされる改善方法の説明もわかりやすい。ここはさすが魔法院の講師だと言えよう。
やがて、自分の番が回ってくる。
「では、アークス生徒。魔法を行使してください」
「はい」
講師の指示を受け、指定された魔法を使用していく。
《――燃ゆる魂魄。奥津城を漂う。ゆらりゆらり。揺らめき仄めく。誘うはガウンの灯火。迷い出でては殺到せよ。ほむらの群舞》
【鬼火舞】
《――丘の増水。流れる送水。満ち引き押し寄せ、どこもかしこも水浸し。波よその上あごをもって、食らって飲み込め》
【陸波濤】
《――涸びる渦巻。小さな狂奔。風立ち風断つ、風雅なるもの。甲高き声に導かれ、斬り裂けよ刃》
【切旋風】
《――大地の大腕。剣を持たず。槍を持たず。意思を示すはその手のみ。乱を起こせし者はいまその拳を突き上げよ》
【大地拳】
なんということはない。
テキストに書かれている魔法の成語、単語に必要な魔力量はすでに把握しているし。
なんなら、テキストに書かれた魔法に必要な魔力量を割り出したのも自分なのだ。
呪文が多い魔法も一発成功。
課題をすべて完璧に成功させたことで、講師も目をまん丸くしていた。
「どうでしょうか?」
「い、いえ、さすがは入学試験の主席ですね……完璧でした。お見事です。私から言うことは特にないでしょう」
どうやらこの講師は、前のあの講師とは違うらしい。というかあんなのばっかりだったら嫌すぎるし、教育の仕方に疑問を抱かずにはいられないか。
ふと、講師が苦笑いを浮かべる。
「これでは私の講義が役に立ったとは言えませんね」
「いえ、そんなことはありません。特に説明はわかりやすかったですし、舌の口内への収め方などはとても勉強になりました。今後意識してやってみます」
「え、あ、はあ」
今回、まだまだ覚えることが多いのだと、改めて知ることができた。
それだけでも、大きな収穫だ。
井の中の蛙にはなるまい。そう改めて思えるような内容だったように思う。
もといた位置に戻る際、ケインが声を掛けてきた。
「すごいね。全部成功だ」
「一応、これくらいは」
「そうか……うん。魔力が少ないのが本当に勿体ないと思うよ」
「む……」
一瞬、嫌みか……とも持ったが、別段そういった雰囲気ではない。どうやらナチュラルに同情しているようだ。
瞳に少しだけ憐みのようなものが見て取れるのが、その証拠だろう。
「……そうだな。でも、魔法は魔力の多さだけが能じゃない」
「詠唱の技術や魔力操作の正確さ、か。そうかもね……うん、僕も負けないよ」
去り際、ケインにそんなことを言われた。
主席の件もそうだが、先ほどの魔法行使で、ライバル認定されてしまったのかもしれない。もしかしたら、以前の時点でそうだったのかもしれないが。
ケインが前に出ると、講師が少し思い悩んだような態度を見せ、口を開く。
「ケイン生徒ですね……では、あなたには私から追加で課題を出しましょう」
それを聞いて、おっと、と思う。ケインだけ、ちょっと別扱いするらしい。
「あなたが使える中で、強いと思う魔法を十、ここで使ってみせなさい」
「はい」
ケインは講師の言葉に頷くと、さながら内燃機関を一度吹かすかのように、体内の魔力を一気に高める。
余剰魔力が空気や塵を吹き飛ばし、やがて安定。
ケインが呪文を唱え始め、それまで課題で出されていた魔法とは違う魔法を唱えていく。
選んだ呪文は、先ほど課題で出されたものよりも難しいものだ。しかし、テキストに乗っているようなスタンダードなものでもある。
詠唱の際、呪文の構成を変えて効率よく調整することもしていない。
いや、しなくても構わないのだ。魔力が大量にあるため、自身のようにそういった改良をする必要がないのだ。
ケインが、魔法の行使を終える。
「それでも成功が八つですか。さすがはケイン生徒ですね……」
講師はケインのことを、畏敬を含んだまなざしで見据えている。
「本当ならすべて成功させたかったのですが……」
「いえ、強力な呪文ほど詠唱難度が上がるものです。そのうえで八つも成功させたのは、素晴らしいと思いますよ。もちろん、私から言うことはありません」
「ありがとうございます」
そしてようやく、非魔導師とのディスカッションに移ったのだが。
「それでセツラさん、何か言うことは?」
「ないです。あるわけないです。むしろどうして全部成功できたのか知りたいです。コツとかあるんですか?」
「うーん。理由は一点に尽きるんだろうけど、それは話せないしなぁ」
「えー! それじゃ意味ないじゃないですかー!」
「というかそもそも魔導師の秘密は教えないのが普通だろ」
「あー、それもそうですよね……」
セツラは特に食い下がらずに、引き下がった。
魔力操作をずっとやってきたのもそうだが、やはり魔力計の存在が大きい。あれがあって魔力操作が精密になったのだ。
国軍の魔導師部隊の詠唱不全が減った理由が、改めてよくわかった。
講義が終わったあとの、余り時間のこと。
「ケイン・ラズラエル!」
ふいにどこからか、そんな声が上がった。
乱暴に呼びつけるような声音だ。敵意剥き出しなのが丸わかりである。
その声には、覚えがあった。
そう、入学初日に順位のことで話をした伯爵家の少年のものだ。
名前は確か、オーレル。オーレル・マーク。
振り返ると、オーレルの前に、ケインが歩み出ていたところだった。
「オーレル様、どうかなさいましたか?」
「ケイン、俺と勝負しろ!」
「……えーっと、またですか」
オーレルの無茶ぶりに、ケインは困ったように苦笑している。
ふと、セツラと反対隣にいた貴族の生徒が「またか」とぼやき始めた。
どことなく疲れた顔の少年だ。顔立ちは年齢相応に若々しいが、まるで仕事に疲れた中年男性ばりのオーラを醸し出しているため、なんだか何とも言えない感じに見える。
どうやら事情を知っていそうなので、話を聞いてみると。
「オーレル様。ああしてよくケインに突っかかってるんだよ」
「そうなのか?」
「ああ、二人は同じ南部の貴族でさ。だからなのか、オーレル様はケインのこと敵視……っていうの? そんな感じでな」
要するにオーレルは、ケインのことをライバル視しているのだろう。
「石秋会の実技でもよく衝突してさ」
「結果は?」
「決まってるだろ? いつも、オーレル様の負けだよ。いくら伯爵家の子弟でも、魔法の実力じゃケインに勝てるわけないって」
「ふーん」
そんな話をしている間に、訓練場の端に人だかりの輪ができて簡易の会場となった。
勝負の内容は先ほどの授業内容に準じて、成功した魔法の数を競うものになったらしく、二人ともすぐに魔法を使い始める。
使用する魔法は自由らしいが、二人とも意地があるのか、簡単な魔法は使わない。
行使が難しい魔法。
魔力消費が多い魔法。
見ていると、オーレルの額に汗が浮かび始める。
その一方でケインは先ほどの実技であれだけ魔力を消費したのに、オーレルとの魔法勝負でも余裕らしい。
先ほど講義のときに使った魔法と同じくらい消費する魔法を使い続けている。
時折ケインも詠唱不全を起こしてしまうが、それはオーレルよりも高度な魔法を使っているため起こるものだ。
……しかして、実力は歴然だった。
オーレルはケインの使った魔法よりも程度の低い魔法で、同じ数を失敗してしまった。
「くっ……」
「オーレル様。僕の勝ちで構わないですね?」
「きょ、今日は調子が悪かっただけだ! 次はこうはいかないからな!」
なんというか、月並みな台詞だ。二人の関係を教えてくれた隣の生徒も「毎度のことだ」と言って肩をすくめている。
オーレルが悔しそうにしている一方、ケインはと言えば、まだまだ余裕そうだ。強敵と争ったというような、魔力が少なくなったときに現れる疲れもまったく見られない。
「魔力の量か……」
使用魔力の多い魔法の行使を見たときに、よく思い知らされる。
自分とは、歴然とした差があるのだと。
小細工では埋められない事実だ。もし自分がいまの二人の立場となった場合、どうなるか。純粋な魔力勝負になれば、勝ち目はないだろう。先に魔力が尽きれば、詠唱の腕前を競うこともできず、お話にもならないだろう。
いずれ、彼らの魔法行使の練度も上がるだろう。
そうなったとき、もし自分の前に立ちはだかったらどうなるか。
それを考えずには、いられなかった。