第百二十五話 私の戦闘力は二千です
初登院の日に関して。
この日はケインと出会った以外のことは、特筆することは何もなかった。
リーシャも一人での登院だったらしく、危惧していた両親との接触もない。
お互いの姿を見かけ合った折、てとてとと小走りで歩み寄ってきたリーシャ。彼女はいつもの青を基調とした服ではなく、女子用の制服を身にまとっていた。
銀髪は薄青いリボンで結われ、どこの服飾文化から流入してきたのかはわからないが、下はスカート。護身用の短剣を携行し、いまは笑顔の花を咲かせている。
「兄様、試験の主席、おめでとうございます」
「ありがとう。リーシャも上位だったな」
「はい。私は六位でした。まだまだ精進が足りませんね」
「そんなことないよ。それに、むしろ俺は取れて当り前っていうか」
「兄様はなんでも覚えておける力がありますからね」
「そうそう。だから正直な話、筆記の方は意味なかった。リーシャだって実技の方は楽勝だっただろ?」
「はい。【鬼火舞】でしたから。ただ……」
「ただ?」
「思っていた以上に失敗する方が多かったのが気になりました。実技に臨むなら四属性を基準にして、最低でも【鬼火舞】【大地拳】【陸波濤】【切旋風】は押さえておくべきところです。正直、あれを落とした方たちは控えめに言っても迂闊すぎるかと思います。ダメです」
「お、おお……そうだな」
「軍家貴族であればなおのこと。兄様はその辺、どうお考えでしょうか?」
「いや、まあ、魔法院に入る前は魔法が使えなくても構わないわけだしさ、ガッツやチャレンジ精神は認めてあげないといけないんじゃないかと思う次第で……」
「むう。兄様、曖昧な態度はよくありません。それもダメです」
「そ、そうだな、うん……あと、リーシャ? 最近なにか嫌なことでもあったか?」
「……? いいえ? なにもありませんが」
「そっか。なんかピリピリしてるような」
「そんなことはありませんが……ピリピリしていたでしょうか」
リーシャは思い当たる節がないというように、こっくりこっくり小首をかしげていた。
彼女も年を重ねていく中で、個性が出てきたのだろう。優しげな雰囲気は相変わらずだが、「我」というものなのか、好き嫌いが前以上にはっきりしてきたし、ふざけている人間に対して容赦なくなった。
最近よく使い始めた「ダメです」という口癖も、それの表れだろう。
何が彼女をそうさせるようになったのかはわからないが――リーシャとはそんな話をして、一旦教室へ。
こちらの予想に反し、魔法院では入学式というものがなかった。
式典を行い、院長や教師が言葉を掛けるのは、生徒に自覚を持たせるいい機会だ。
にもかかわらずそれを省くと言うことは、魔法院が形式的なものではなく実質的なものを重視するためなのだろう。
祝辞とか答辞などの面倒な催しも特にない。
新入生たちは登院したあと、一度一か所に集められ、組分け分けがなされた。
魔法院の授業は講義形式であるため、クラスなどあってないようなもの。
しかし、生徒全員に同じ講義を受けさせる際や、予定などを伝達する際に召集する必要があるため、組分けを行うらしい。
試験の成績はこちらに反映されるらしく、成績が近い者たちが集められ、リーシャやケインも同じクラスへの所属となった。
その後に行われたのは、魔法院の案内だ。
魔法院は入り組んだ構造になっているため、生徒は真っ先に内部を覚える必要がある。
端から端まで歩かされ、その日は丸一日、案内だけに費やされた。
次いで翌日。
新入生たち魔法院内にある訓練場に集められた。
全員ではなく、クラスごと。
担当講師は眼鏡をかけた男性だった。
男性講師はすらりとした長身を講師用の制服に包んでおり、年のころは三十手前。
見た目は大体カズィと同じくらいといったところ。
きつめのまなじりから、プライドの高さが見受けられる。
講師は一度生徒たちを見回して、口を開いた。
「これから、全員の魔力量を計測する」
――ついに始まった。公開処刑だ。
これに関しては多分に予想されていたことだが、やはりこうして突きつけられると心に来るものがある。
魔法院で魔力総量の測定などあまり意味がないように思えるが、基本的に魔力計を使用できる機会というものは限定されているため、こうして生徒各自が知る機会を設けたのだろう。
自分の正確な魔力量を知っていれば、配分の計算もしやすいだろうし、今後役に立つ。
講師は生徒たちを訓練場の一角に集めたあと、魔力計を取り出した。
今回使われるものは、総量を測るタイプであるため、通常のものとは違って大きめの形状。
目盛りは悪く言って大雑把で、細かく記載されてはいない。
……最新の魔力計はすでに三世代型だ。国軍や医療方面に配られたものは小型化されているが、魔法院に配られたものは嵩張りやすく、破棄しやすいものとなっている。
もちろん、実物を見たことがない者も多く、「あれはなんだ?」「もしかして……」など声を上げていた。
男性講師はにわかな喧騒に対して咳ばらいを一つ。
注目が集まったことを確認したあと、魔力計についての解説を始めた。
「知っている者もいるかもしれないが、先般、魔力の量を測る道具が発表され、ここ魔法院にも導入された。これがそれだ」
……男性講師は、魔力計が生徒たちに見えるようにずいっと突き出す。
魔力計を掲げながら本体の概要を説明しているが、もちろんはっきりとしたメカニズムは知らされていないので、説明はどういう働きをするのかという程度にとどまっている。
筒状のガラス容器。
魔力に反応する赤い液体。
話せてもその程度だ。
「……であり、【マナ】という単位が用いられ、これで魔力の量を表すのだ!」
生徒たちの前で説明する男性講師は、徐々に興奮をあらわにしていく。
なぜか鼻高々で、自慢げだ。
こうして自分が作った理論や道具を講師が我が物顔で説明するというのも、なんとも不思議な気分である。
「昔は宝玉に魔力を込めてその発光の強さで量を測ったり、水面に放出し続け波紋が持続する時間で量を測ったりなど様々あったが、これが開発されたおかげで、魔力の計測が容易に、そして限りなく正確になった。そう! これはとても素晴らしいものなのだ!」
男性講師、魔力計をベタ褒めである。「作った方は天才だ」と顔を明るく輝かせながらそんなことを言っている。
もちろん集まった生徒たちも興味津々だ。つい少し前まで魔力の量を感覚的にしか把握できなかったのだ。実際に計測出来て数字がわかるというのは、心が弾むのだと思われる。
「今回、魔力量を計測するにあたっての注意点だが、体内の魔力をすべて放出する必要がある。一定の疲労感や魔法が使えなくなるから、十分留意するように。計測した魔力量は自己申告してもらうことになるが、これに関しては大体の数値で構わない。キリのいい数値を言うように」
講師は注意点を口にすると、眼鏡のブリッジを片手で摘まんで位置を直し、
「まずは……ケイン・ラズラエル!」
「はい」
ケインが男性講師に呼ばれ、前に出た。
他の貴族の子弟も、彼の存在を知っている者がいたらしく「あれが……」とか「見るのは初めてだ」などという声がチラホラ聞こえて来る。
本当に名が知れている。自分とは正反対に、だが。
ケインは自信に満ちた堂々とした歩きぶり。
髪色と同色の瞳には常に火がともっており、向上心が見て取れる。
彼は講師から魔力計を渡されると、身体に魔力を充溢させた。
魔力の放出に合わせて波動が発生。すぐさま彼を起点に突風が巻き起こり、訓練場の砂が圧力に押されて、彼を中心に同心円状に吹き飛んでいく。
かなりの魔力量だ。まるで容器から水が溢れ出すようなイメージが幻視されるほど。
その強力な波動に対し、驚きの声がいくつも上がる。
「す、すごい……」
「人間がこんなに魔力を持てるなんて……」
「勇者の再来って言われるわけだ……」
聞こえてくる声は、どれも感嘆の音色が含まれている。
魔力計を他の生徒に見せているわけではないため、感液がどこまでせり上がったかはわからない。だが、この状況を鑑みるにかなりの量を記録したと推測される。
やがて、量がどの程度なのわかったのか。
「僕は……17000です」
「おお! これは素晴らしい!」
男性講師が嬉しそうな声を上げる。
ケインはきっちりした数値を口にしたが、実際の数値はもっと細かいだろう。
感覚的に、1000、いや2000は少なくサバを読んでいるように感じられる。おそらく実際の数値は19000から20000。ほとんどの国定魔導師を超える魔力量だ。
自分のまるまる十倍の量。破格過ぎて心情につらく響いてくる。
「いや、さすがは勇傑の再来とまで言われるだけはある! 私も石秋会の出として鼻が高い!」
「い、いえ、そんな……」
男性講師のべた褒めに、ケインは照れる一方だ。
我がことのように自慢げな講師に、困ったような愛想笑いを見せている。講師が「さすがだ!」「見事だ!」と、褒め殺しに終始する一方、ケインは「そんなことはない」「他にもいる」などと遠慮を忘れない。
そんな中、ふいにケインの瞳が、空虚に見えたように映る。
(……ん)
だが、気のせいだったか。目の焦点を再度合わせると、優し気な眼に戻っていた。
ともあれその後も、幾人かの計測が行われた。
基本的に魔導師系の貴族の子弟は5000、少なくとも4000を超え。
非魔導師系の家系や平民出の生徒も、平均して2000から4000の間に落ち着いた。
「次、リーシャ・レイセフト」
「はい」
男性講師に呼ばれたリーシャは前に出て、魔力計を受け取る。
そのまま魔力計を胸元に引き寄せて、目を閉じた。
やがてリーシャが、大量の魔力を放出する。
最初の計測のときように風が巻き起こるが、吹き付けてくるのは熱風だ。そのせいでケインのときよりも風圧が強く感じられる。
ケインの計測を思わせる魔力の充溢ぶりに、周囲からは「これは……」「彼女もすごい」という言葉が聞こえてきた。
「私は……11000を超えました」
リーシャも10000を越えて来た。
自身の感覚では、おそらく12000を超えるくらい。
大体自分の四倍くらいの量かと思っていたが、六倍の量があったらしい。
リーシャに対しても、男性講師は「素晴らしい!」と声を上げており、周囲の生徒たちも「あれがレイセフト家の……」「さすがは王国古参の家柄」などと囁き合っていた。
ふいにこちらを向いたときの顔が申し訳なさそうだったのは、負い目があるためか。
なので、笑顔を返しておいた。そんなことを気にして欲しくはないからだ。
「次は……エイミ・ゼイレ様」
公爵家のお姫様の名前が呼ばれた。さすがに講師も、彼女に対しては敬称を省くことができないらしい。
ゼイレ公爵家。当主コリドー・ゼイレとは、発表パーティーで言葉を交わす機会があった。
小柄で人当たりが良く、人に取り入るのが上手い人間を見ると、豊臣何某を想像してしまうのは、あの男の影響なのか。
彼女の見た目はまったく違う。
肩下まで切り揃えたふわふわの金髪は明るく。
立ち振る舞いは楚々として、一挙手一投足に気を遣っているのが窺える。
いつも笑顔を湛え、穏やかで物腰柔らかいという印象だ。
彼女も、魔力量が10000を超えてきた。ゼイレ家が文官系という事実に反し、かなり多い。だからこそ、ケインの婚約者にあてがわれたのだろう。
「今年は素晴らしい! まさかこれほど才能ある者が入ってくるとは!」
男性講師は満足げに、誇らしげに言い放つ。そして、
「つい先日、在籍している生徒たちの魔力量を測ったのだが、一クラスに10000超えた者は一人いればいい方だった。それがこのクラスでは三人もいる。もちろん、他の者の魔力量も例年の平均より高い」
男性講師の言葉の通りならば、今年は随分と豊作らしい。
(ずりぃ……)
よりにもよって自分が魔法院に入る年に被るのか。
本当に誰も彼も魔力が多い。私の戦闘力は53万とか言ってみたい。
そんなことを考えていると、やがて自分の番が来た。
「アークス・レイセフトか…………ふん。受けてみろ」
男性講師の態度が、他のときとはまるで違う。
彼もこちらの名前を知っているし、魔力の量が少ないことも知っているのだろう。
男性講師の瞳の中に嘲りが見え隠れしている。見下しているのが露骨過ぎて丸わかりだ。
男性講師の前で、魔力を解き放つ。
ケインやリーシャと比べると、当然のようにわずかな時間で魔力の放出が止まった。
我ながら悲しくなるほどにしょぼい。
本来ならば1900とちょいなのだが、こういう場なので少なくサバを読む。
「1500です」
「はッ……!」
数値を口にした途端、講師が狙っていたかのように鼻で笑った。
そして、鬼の首でも取ったかのように早口で捲し立てる。
「やはり噂通りの無能らしいな! 軍家の子息にもかかわらず、たったこれしか魔力を持っていないとは!」
言い放つ声は、聞こえよがしに大きい。他の生徒に聞かせて、つるし上げにでもするつもりか。確かに他に自分と同じような量なのは、みな平民ばかりだ。貴族であるため、こうして見下され、バカにされるのだろう。
見ると、周りの幾人かの生徒たちも、嘲弄を浮かべている始末。
(ああ……)
当然、多分に予想ができたことであるため、怒りよりも呆れを覚える。
まさか魔法院の講師までもが、ここまで単純なものだとは。
「平民出の者ならばともかく! 貴族の子弟のくせにここまで魔力が少ないとは! 非魔導師系の家の子弟でももっとあるぞ!」
確かに、講師の言う通りではあるが。
「見栄えよく繕っていても、土台がなければいつかボロが出るのだ! 試験では運よく主席になれたようだが、これがメッキが剥がれるというものだ!」
講師の罵倒じみた言葉が続く。
「お前のような魔力の少ない無能が魔法院に来て恥ずかしくないのか!? ええ!?」
講師はまだまだ飽きないらしい。デカい声を出し続けて、喉が痛くならないのだろうか。それだけ日々のストレスを溜めているのかもしれない。教職は本当に大変だ。
「いままではうまく誤魔化せていたかもしれんがな! この魔力計がある限りはもうそんなことはできんぞ!」
「はあ……」
魔力計が、某ご老公の印籠の如くズイズイと突き付けられる。
一方でこちらはなんとも言えない返事をするだけ。
なんというか、もう言い返す気さえ起きなかった。
そもそもだ。その魔力計を作ったのが誰なのか知っての言葉なのかそれは。
さっきそれを作った奴は天才だとか言った奴はほんとどこのどいつなのだろうか。
ふとリーシャの方を見ると、事情を知っているためか心なしかムスッとしていた。あれは心の中で「あの講師、ダメです」とでも言っているような顔だ。
ともあれ、大人しく嵐が過ぎ去るのを待っていると、
「――計測は終わったですか?」
訓練場の入り口の方から、聞き覚えのある声がかかる。
振り向くと、小さな影が一つ、こちらに近づいてきていた。
「これは! ストリング閣下!」
そう、訓練場に顔を出したのは、メルクリーア・ストリングだった。
彼女は国王シンルから対陣の名を賜った国定魔導師にして、ここ王国魔法院では少し前から筆頭講師の地位におり、講師たちを統括しているという。
それもあって、様子を見に来たのだろう。
三角帽子にローブ姿。まったく魔女っ子という言葉が相応しい見た目である。
見た目は同じくらいの歳頃の少女にしか見えないが、実際の年齢はカズィよりも年上だ。
彼女の登場によって、その場にいた者たちはみな緊張に縛られる。
カシーム・ラウリーのときと同じだ。
国定魔導師は、国の魔導師たちの最高峰。ひとたび戦場に舞い降りれば、戦況をひっくり返すことも難しくはないほどなのだ。威風と威圧は自然に備わっており、その権威も、人々を緊張させるのに十分なほど。
自分やリーシャは身内に国定魔導師がいるためこういった感覚には慣れているが、他の者は緊張もひとしおだろう。
男性講師はメルクリーアに略式の礼を執ると、先ほどの結果を口にする。
「閣下! 今年は粒揃いです! まず10000を超える魔力量を持つ者が三人! そして、8000以上の者が五人もいます!」
「それはすごいです」
「特にケイン・ラズラエルなどは17000を記録しました! これは魔法院始まって以来の記録ではないでしょうか!」
「それは……国定魔導師並かそれ以上はあるですね」
メルクリーアが満足そうに頷く中、ふと男性講師が顔に露骨な嘲笑を浮かべた。
「ただ、ひどい結果を出した者もいますがね」
講師はそう言って、嘲るような視線を向けてくる。
「軍家の貴族の子弟にもかかわらずこの魔力量とは。よく恥ずかしげもなくこの魔法院に来られるというものだ。お前には、恥という感覚が欠落しているらしいな」
講師の見下す発言に合わせて、くすくすと周りから嘲笑が聞こえて来る。
彼と同じように、魔力が少ないことを見下している者が何人かいるのだろう。
クラスの大半がそうでないことが、救いというものか。
そんな中、メルクリーアと目が合った。彼女とは以前から魔力計のやり取りをしており、今回魔法院へ導入するにあたっても密に連絡を取り合ったため、知らない仲ではない。
むしろ国定魔導師の中では、ギルド長ゴッドワルド、【恵雨】ミュラー・クイントに次いでかなり多くやり取りをした部類に入るだろう。
男性講師が嘲弄を浮かべる一方、メルクリーアは大きなため息を吐き出した。
「……なんとなくこうなるように思ってはいたですが」
メルクリーアが発した呆れ声の呟きに、男性講師が反応する。
「閣下。なにかございましたか?」
「なにかもなにもないです講師。あなたはいつもそういった指導を行っているですか?」
「は……愚かな質問をお許しいただきたく。メルクリーア様、そういった指導とは、一体なんのことでしょうか?」
「いま自分で口にしたことです。魔力の多い者を是とし、少ない者を否とした在り方です」
「それがいけないとおっしゃるのでしょうか?」
「気にしてもいなかったですか」
メルクリーアはさらに困ったというような様子で、眉間を揉んでいる。
「閣下。私は魔導師に最も重要なのは魔力量だと考えます。魔力量の多さは、戦場では継戦能力として重要視されますし、規模の大きい魔法が使える芽もあります。魔導師にとってこれは常識かと」
男性講師の言葉に、メルクリーアはふいに考え込むような素振りを見せると、
「一から説明するのが面倒です。講師、ここでいまから私と立ち会うです」
「は? え? それは……」
「私は魔法を一回だけ。一回だけしか使わないです。逆にあなたはいくらでも魔法を使っていいです」
メルクリーアのそんな発言から、唐突に魔法を使っての模擬戦が始まった。
国定魔導師の魔法行使が見られるということで、その場はにわかに興奮に包まれる。
生徒たちはみな前のめりだ。一挙手一投足を見逃すまいと、みな食い入るように見つめている。
やがて戦端が開かれた。
男性講師が魔法を行使するが、しかし彼がどんな魔法を使っても、魔法はメルクリーアを捉えることはできない。
メルクリーアは男性講師の魔法を事前の動作のみで凌ぎ、危なげは一切ない。
おそらくは断片的に聞こえてくる単語や成語から、おそらくは事前に使った魔法の影響を考えた戦術の構築から、男性講師がどんな魔法を使うのか推測をして動いているのだろう。
彼もそれに気づいて口元を隠すスタイルに変えるが、それでもメルクリーアは難なく回避。やがて、男性講師が長めの呪文を唱えようとした折、それより呪文の短い魔法を素早く構築する。
その魔法は呪文が短いにもかかわらず男性講師の魔法を圧倒し、その余波で男性講師に打撃を与えた。
「ぐあっ……」
メルクリーアはすぐさま間合いを詰めると、手に持っていた杖を男性講師の喉元に突きつけた。
決まりだった。
「魔法が一回でも、倒せたですね」
「……は。見事でした」
「聞きます。講師、いまあなたが負けた理由はなんです?」
「は。閣下は単語や成語からどんな魔法を使用するか素早く考察し、回避されていました。最後の魔法も、呪文が短く、おそらくは強力な結果をもたらす単語や成語があったためかと」
「その通りです。では、いまの戦いに魔力の量が関係していましたか?」
「それは……」
メルクリーアは男性講師を一発で仕留めた。
しかも、使用した魔力が特別多かったわけでもない。
その程度ならば、この場にいる者ならば誰であっても捻出できるような分量である。
「いいですか? 多い者と少ない者を区別するなというわけではないのです。ただ魔力が多いだけで見下すと、こうして知らず知らずのうちに隙を作ってしまうのです。魔力が多くても、知識には打ち倒されることはある。魔導師が最も尊ぶべきは魔力量ではなく、識格なのです」
メルクリーアは言い終えると、改めて集まった生徒たちに向き直った。
「覚えておくのです。魔力が多いからと言って、自分が特別だと思うことは大きな間違いです。魔法院で鍛えなければならないのは、魔力の精密な操作と、知識と発想力。魔力が多いというだけで強者と酔っていては、必ず足元を掬われるのです。そしてその意識を戦場にも持って行ってしまえば、たちまち倒されてしまうです。いくら魔力が多くても、その場に適した魔法を使うことができなかったり、詠唱不全を起こしてしまったりすれば、まったく意味がないのですから」
ふいにメルクリーアが、訓練場に設置された像を見やる。
「あれを見るです。あれは王国の偉大な魔導師ラデオンの像です。西方の領土を帝国から切り取って、王国の発展に大きな貢献を果たしました。あなた方は、彼の魔力量を知っているですか? 【火炎獅子】を二回使用するだけで限界が来てしまうほどだったそうです。いまの魔法に換算すれば【火閃槍】がたった五発しか使えないほどです」
メルクリーアの話の通りであれば、その魔導師の魔力量はかなり低いことになる。
もちろん、自分よりもだ。
「魔力が少なくても世に名を遺した人間は他にもいるです。精霊年代に登場するアスティアなどは、魔力量が少ないという欠点をその知識と発想で補い、悪魔や怪物と渡り合ったと言われているです」
アスティアの魔力が少ないというのは、有名な話だ。
アスティアは宿り木の騎士フローム、鈴鳴りの巫覡シオンと共に三聖の一人として伝わっており、幾多の創意工夫で困難を乗り切ったという。
「確かに、いまは昔よりも、一人当たりの魔力が増えました。体格が大きくなり、生物が種を重ねて成長していくのと同じです。いつか、魔力量も、低いと呼ばれる日がくるでしょう。ですので、決して間違えないように。魔力の量も大事ですが、知識と実践はもっと大事です。これを肝に銘じておくように」
メルクリーアは再度男性講師に向き直る。
そして、状況を把握できていない男性講師に無慈悲な通告を行った。
「では査定です、が」
「閣下、それはっ!?」
男性講師は、メルクリーアが発した査定という言葉に顔を蒼褪めさせる。
彼の顔を見るだけで、その絶望ぶりが伝わってくるほどだ。
それも当然だろう。あのような指導要綱に反した講義などしていたら、査定に響くのは簡単に想像がつく。
だが、メルクリーアは仏心を見せたのか。
「……普通ならば、査定にかかわるですが、これはあなただけではなく、おそらくは他の講師も似たような考えを持っているはずです。これであなただけ懲戒というのは不公平になるです」
「は、はい!」
「なので今回は不問とするです。今後、指導に関しては徹底するように」
「承知いたしました!」
男性講師はチャンスをもらったおかげか、一筋の希望を見出したように顔を輝かせるが、メルクリーアがにらみを利かせるとぶるりと身を震わせた。
国定魔導師の威圧感だ。講師筆頭として舐められてはいけないためだろう。ここできっちり脅しつけておかないと、今後も今回のように手抜かりがあると踏んでのことだ。
ふと、メルクリーアがこちらに視線を向ける。
そして、何かに気付いたのか。
「そういえばアークス・レイセフト。白銀十字勲章はどうしたですか?」
「え……はい。持っていますが」
「ならなぜ制服の胸に付けていないですか?」
「正装ならまだしも魔法院にまで付けてくるのは威圧的かなと」
「いいですか? それは恐れ多くも国王陛下が手ずから下賜されたものです。それを公式の場で外したままというのはよろしくないです。ここ魔法院も公式の場です」
「も、申し訳ありません」
「今後はいつでも、きちんと胸につけておくです。特に今後殿下に召されて登城する際は必ず付けるように」
「はい。承知いたしました」
メルクリーアとそんな会話をし終えた折、生徒たちがざわめく。
「勲章だって? どういうことだ?」
「俺たちと同じくらいの歳で勲章なんて貰えるわけ……」
「そういえば、前に貴族の子弟が勲章をもらったって聞いたことがあるぞ」
噴出するのは、驚きや疑問ばかり。他の生徒たちがそう思うのも、無理からぬことか。
この年齢で勲章を授与されるなど、国王シンルも前代未聞のことだと言っていたのだ。
その疑問に答えるように、メルクリーアが発言する。
「アークス・レイセフトの勲章授与は、先般のナダール事変で功績を挙げたからです。王太子殿下の供回りを務めつつ、首級を挙げ、帝国軍魔導師部隊を撃破殲滅。あと二、三手柄を挙げるだけで――いえ、むしろすぐにでも正式に爵位、勲功爵を与えられる可能性すらあるです」
国定魔導師が断言したからだろう。爵位に関しては盛り過ぎだとは思うが、驚きや疑問の声を上げていた者たちが、いまは固唾を飲んだような表情でこちらを見ている。いくつもの視線に晒され、どことなく面映ゆい。
そこで叫び声を上げたのは男性講師だった。
「そんな馬鹿な!? このような魔力の低い者にそんなことができるなど! 何かの間違いではないのですか!?」
彼をこの発言に至らしめたのは、ただ純粋に話が信じられなかったためだろう。
十五にも満たない少年が戦場で功を上げるなど、話がぶっ飛び過ぎている。
だが、その発言は国定魔導師を前にしてのものとしては、あまり不用意だったと言わざるを得ない。
メルクリーアの視線が、ひどく剣呑なものへと変化する。
「――いま、間違いと言ったですか?」
「え……?」
「講師。その物言いは、国定魔導師として聞き逃すことができないです。勲章授与の決定を下した国王陛下に見る目がないと、公然と言い放つのと同じです」
「ひっ!」
空気がみしりと軋み始め、近場の建物のガラスが、パキパキと乾いた悲鳴を上げる。
魔力放出を伴わない、強烈な威圧だ。
国定魔導師の力の発露に、生徒までもが青くなる。
ギルドでの会議で見せた、あの鋼鉄のように厳格な信奉だ。
王家に関連することになると、見過ごすことはできないらしい。
「講師」
「お、お許しを! どうか! どうか……!」
「国王陛下が実力のない者を評価することはあり得ないです」
「申し訳ございません!」
講師は、もはや平伏する勢いだ。他の生徒などはみな強力な力の発露のせいで青くなっている。
こういう場面を見せられると、やはり国定魔導師の権威と力の強大さが窺える。
メルクリーアは他の者にも周知するように、一度生徒たちを見回して言う。
「聞くのです。魔力の多い少ないにかかわらず功績を挙げた者については、アークス・レイセフトも良い例です。ナダール事変では独自の魔法によって新型の防性魔法を破ったです。以前私も見たですが、私からも粗削りながらも良い魔法だったと感じたです。去年の国家試験の受験者たちなどよりも彼の方がよっぽど相応しいと思ったくらいです」
そこまで褒められると、なんとなく面映ゆい。
男性講師は再び、「そんなバカな」と言いかけたようだが、やはりメルクリーアのひと睨みで押し黙った。
ともあれ、この状況を見て思うのは。
(この講師、こうなったら二度と出世できないんだろうなぁ)
だろう。誰だってこんな不用意な発言をポンポンする者を出世させたり、推薦したりはしたくない。
ふと、リーシャが近づいてきた。
「あの、兄様? あの講師の方、やっぱり今後出世はできないのでしょうか……?」
「リーシャもそう思うか? 俺もそう思う。やっちまったよなぁ」
「少し可哀そうな気もしますね」
「そうだなぁ。でもまあこれに関しては自分が悪いよ。不用意過ぎる」
これに関しては、講師の頭が足りなかったと言うしかない。貴族社会で不用意な発言に気を配るのは常識だ。たった一度の失言でお家取り潰しもないことではないし、男の世界でも、失言をあげつらわれて辞職にまで追い込まれた政治家だっている。
これに関しては、この発言が一体どんな結果を生むのか、しっかりと考えを巡らせなかった講師が悪い。
どこぞのことわざか。己の舌で己の首を斬る、に同じ。愚者の舌は自分の喉を掻き切るくらいに長い。不用意から端を発した舌禍は、必ず自分に降りかかるという戒めの言葉が思い出される。
恨めしそうに睨まれたのは、正直筋違いだと言いたくなったが。