第百二十三話 魔法院入学試験その二
「実技試験の会場はこちらです」
白い学生服を着た生徒が、試験を受ける者たちに向かって声を張っている。
ここでも、生徒たちが受験生に対して場所の案内をしているようだ。
門の前にいた生徒を含めると、これで十人以上は見かけた計算になる。
案内に立つ数が随分と多いが、こうして案内が複数人必要なのにも理由がある。
魔法院の構造がかなり複雑で通路も入り組んでおり、案内がいなければすぐに迷ってしまうような造りになっているからだ。
おそらくこれは侵入者や、有事の際の防衛を考えてのものだろう。
意味のないドアが多数設置され。
歩けばすぐに曲がり角にぶち当たり。
意図的な行き止まりも複数ある。
極めつけは階段だ。段数も高さも合わせられておらず、どれだけ昇ったのか降りたのか感覚が狂わせられる。
まるで迷路のアトラクションにでも迷い込んでしまったかのような気がして仕方がない。ここに初めて入るいち生徒としてはわくわくさせられるが、ここに攻め入ろうとする者は堪ったものではないだろう。迷うのは約束されたようなものなのだから。
廊下にはレプリカが置かれた展示台が設えられ。
立ち入り禁止を示すポールパーティションもところどこにあり。
男の世界の西洋の城にある、アーチと柱を組み合わせた回廊などもある。
案内に従ってたどり着いたのは、訓練場だ。
ここは魔法院の敷地の端にあり、試験に使われた教室からそこそこ歩かされた。
訓練場に集まったのは、仕立ての良い服装に身を包んだ少年少女ばかりだ。
とりわけ身分が高そうな者が多く、全員が貴族の子弟であることが窺える。
カズィの言った通り、平民との差がつくようにするためだろう。
リーシャの姿がないところを見るに、別日に受験した、もしくはするのだろうと思われる。
しばらくすると、訓練場の中心で目印のように立っていた講師が、集まった者たちを見回す。
「これで、実技試験を受けたい者は揃ったか。担当の者を呼んでくるので、待っているように」
講師はそう言うと、足早に訓練場を離れた。
やがてその講師に連れられて、一人の青年が訓練場に現れる。
黒の法衣をまとった眼鏡の人物だ。
濃い紫の髪はくせっ毛で、短めに切りそろえられており、その髪質にはどこか親近感が湧く。
この青年には、見覚えがあった。以前、魔導師ギルドで国定魔導師国家試験を見た際に、メルクリーア・ストリング、フレデリック・ベンジャミンと共にいた人物である。
おそらくは国定魔導師なのだろう。激しい威圧感はないが、厳かな雰囲気が感じられる。
彼は試験を受ける者たちの前に出て、自己紹介を始めた。
「私は今回の実技試験の監督を務める、カシーム・ラウリーと申します。魔法院の講師ではありませんが、今日は皆さんの実技試験の監督を務めさせていただきます。よろしくお願いします」
カシームが自己紹介をすると、周囲から「おお!」と驚きの声が上がる。
やはり、国定魔導師だったか。カシーム・ラウリーと言えば、【眩迷】の二つ名を持つ魔導師だ。幻惑、幻覚の魔法を得意とし、戦場では撤退戦で味方を逃がすときに大きな活躍を果たすという。
魔導師ギルドでの会議で顔合わせをしていない国定魔導師一人でもある。
顔だけを見れば、柔和で気弱そうな風にも見えるが、身体にまとう圧力は本物である。
確か、カズィの後輩だというようなことを何度か聞いた覚えがあった。
(というかあいつすごい知り合い多すぎだろ)
先輩は国定魔導師のメルクリーア・ストリング、後輩は現監察局長官のリサ・ラウゼイ伯爵と目の前の眩迷の魔導師ときた。
それを考えるに、当時はかなりヤバい世代だったのではないか。そんな気がしてならない。
「ではこれから、実技試験を始めます。国定魔導師だからと言って厳しくなどしませんので、気を楽にしていただいて結構ですよ」
穏やかに微笑んで言われるが、当然、素直に気を抜く者はいないだろう。ここでいい成績を出せば、今後の評価にもつながるのだ。自然気合は入るし、ほとんどの者が鼻息を荒くしている。
カシームはそんな様子を穏やかに見つめながら、説明を続ける。
「実技試験は、こちらが指定した魔法を一人ずつ使っていただきます。もちろん一発勝負ですので、その点をよく留意して望んでください」
やがて、呪文が書かれたテキストが渡される。
指定された魔法は、【鬼火舞】だった。
火炎系の攻性魔法で、青白い炎の球を複数、対象にぶつけるタイプのもの。
攻性魔法の中では呪文もちょうどよい長さで、使用難度も低い。
自身にとっては、いまちい威力が低く、コストパフォーマンスに劣るという認識だ。これを使うならば、もう少し威力のある魔法を使うか、即興で創作した方が魔力も節約できる。
だが、魔法の実技で測るのは、そういった独自性、独創性ではない。
この試験で判断するのは、魔法を正しく使えるかどうかだろう。
正しい量の魔力を単語や成語に込め、呪文を正しく発音、発声するのは、魔法を行使するうえで当然のものとして。
魔法自体は同じものだが、効果に差異が出ることもままある。
魔力の動きが滞れば、行使速度に影響が出るし。
イメージの強度が甘ければ、魔法の形質や強度、威力も低下。
最悪それらが合わされば、詠唱不全で不発ということもある。
逆に威力が上がったり、大きくなったりするということはない。
……一部そう言った例外をこともなげにやってのける人間はいるが、基本的に魔法の効果というのは、低下しやすい傾向にある。
自分やリーシャの使う魔法を比べてもそれは歴然で、自分で作ったオリジナルをリーシャが使うと威力が下がり、逆に炎の魔法は自分よりもリーシャの方が優れているということが多い。
魔法の威力を上げるには、やはり呪文を改造する一択だろう。
ともあれこの試験は、どれだけ基準に沿った効果を出すことができるかが、焦点となるのだと思われる。
まず、カシームがお手本を目標の対象物へと撃ち込む。
複数の青白い炎が巻き藁に向かって殺到し、焼き尽くした。
周囲から「おおっ!」と感心とも驚きともつかない声が上がった。
試験に挑む者たちが、順々に指定された魔法を使い始めた。
「――も、燃ゆる魂魄。奥津城を漂う。ゆらりゆらり……揺らめき煌めく……誘うはガウンの灯火。迷い出でて殺到しろ。ほむらの群舞……」
金髪の受験生が呪文を唱えるが、魔法は現出しない。
魔力が霧散し、宙を舞った魔法文字が砕けて散った。
「あ……」
「失敗ですね。呪文をしっかりと覚えて、言葉に込める魔力の量も正確にする必要があるでしょう」
詠唱不全を起こしてしまった生徒に、カシームが簡単な助言を入れる。
初っ端から失敗してしまった受験生は、悔しそうに肩を落として元の場所に戻っていった。
カシームが「次の方」と言うと、女子の受験生が名乗りを上げて前に出る。
「――燃ゆる魂魄! 奥津城を漂う! ゆらりゆらり! 揺らめき仄めく! 誘うはガウンの灯火! 迷い出でては殺到せよ! ほむらの群舞よもっと輝け!」
彼女が呪文を唱えると、魔法文字が現れ、宙を勢いよく暴れ回る。
しかして魔法の効果はと言えば、魔法文字が複数の青白い炎に変じたかと思うと、これもまた宙を野放図に暴れ回り、巻き藁の半分の距離まで行くと地面に着弾して炎上した。
「どうです!」
彼女はドヤ顔で胸を張っているが、カシームは少し呆れたような様子で言う。
「どうして自慢げなのですか。ダメですよ」
「あうっ……」
「呪文に余計な単語を付け加えましたね?」
「つ、つい我の高ぶる心の抑えが利かず……」
「完成された呪文に勢いで余計な言葉を付け足すのは、当然ですが悪い行為です。あとはこの魔法は幽玄な趣のある魔法ですので、詠唱にかかる抑揚についても、抑えるべきでしょう」
「うう……もっと輝いて欲しかったのだ……」
「魔力の込め具合は良かったですよ。もっと自分を制御しましょう」
一体どういうこだわりなのか。墓場の鬼火が輝き過ぎるのはダメだろう。運動会や野球だってもっと大人しいはずだ。
ともあれ、他の受験生の魔法だが。
次の受験生は緊張のせいか詠唱をトチって失敗。
その次の受験生は魔法を発生させることはできたものの、お手本の魔法に比べて随分と効果が目劣りすると言った具合だった。
……順番待ちで行使の様子を見ていたのだが、詠唱不全を起こす者が思っていた以上に多い。
魔導師系の貴族は事前に魔法の教育や練習をしている者が多いと聞いていため、失敗がここまで出てくるのは意外だった。
いや、よく考えれば、この中の全員が全員試験に合格するわけでもないのだ。
一部は筆記で落ちるということも十分考えられるのだから、魔法を使えない者がいるのも当然と言えば当然だろう。
現在十人中、魔法の行使に成功した者は先ほどの女子を含めて三人ほど。
女子以外の二人も、普通の【鬼火舞】よりも物を燃やす力が弱かったり、火球が小さかったり。巻き藁の目標物を燃やし尽くすことはできなかった。
(こんなに差が出るものなのか)
正直なところ、かなり驚いていた。
ここまで一つも、基準に沿った威力が出ていないのだ。
いや、国軍の魔導師でも魔力計の導入前と導入後では、詠唱不全の数が大きく変化したのだ。魔法院入学前ならば、この詠唱不全の数も決しておかしな話ではない。
本来それだけ、魔法の行使というものは難易度の高い技術だということだ。
つまりこの状況をおかしく感じてしまうほど、自分の周りの人間は魔法の腕前が熟達しているということにもなる。
魔法の行使を成功させた生徒が、自慢げに声を上げた。
「成功しました!」
「お見事です。よい魔法行使でしたよ」
魔法行使の成功を、カシームが祝福する。
今回の生徒も、やはり基準よりも効果が落ちていたが、及第点ではあるようで、カシームも嬉しそうに微笑んでいた。
「では、次の方」
自分の番がきた。カシームが声を掛けてくる。
「アークス・レイセフトと申します」
「ああ! 君がですか」
他の生徒たちと同じように、名乗りを上げて前に出ると、カシームは嬉しそうな顔をして近づいてきた。
「君と会うのは初めてだね。いや、これまでは会議に出席できないときばかり重なってしまっていたから……」
「いえ、閣下がご多忙であるのは、そのお力が類まれなものである証左でしょう」
「その分、雑務に駆り出されやすいってだけなんだけどね」
カシームは「あはは……」と笑う。その力ない笑いが妙に憐憫の情を催させるのは、苦労人気質であるということが読み取れたためであろうか。
ですです魔女っ子年齢詐欺魔導師とか。
めんどくさがり屋ちょい悪系魔導師とか。
挙句の果てにはベルトで雁字搦めにされた問題児系魔導師とか。
周りがアクの強い人間ばかりであるため、シワ寄せを受けやすいのかもしれない。
「カズィ先輩は元気にしてるかな?」
「ええ。いまは家で仕事をしたり、エプロン付けて掃除したりしています」
「先輩がエプロンを着てるところかぁ。一度拝見してみたいな」
カシームはそう言いながら、朗らかに笑っている。
この青年はこの青年で、結構マイペースな人間らしい。
というか、他の国定魔導師に比べて随分と話しやすい。
近所の穏やかなお兄さんと会話しているような気分になる。
「その……ラウリー閣下、そろそろ」
「ああ、失礼しました。つい」
講師に促される形で、カシームが試験の進行を再開する。
共通の知り合いがいるせいか、ついつい世間話をしてしまった。
「腕前についてはすでに話を聞いているけど、試験だからね」
「はい。では――燃ゆる魂魄。奥津城を漂う。ゆらりゆらり。揺らめき仄めく。誘うはガウンの灯火。迷い出でては殺到せよ。ほむらの群舞」
――【鬼火舞】
さっと呪文を詠唱し、魔法を行使する。
【魔法文字】が散らばって宙に舞い上がると、やがてそれに青白い炎が点り始める。ガスに着火具を用いて火を点けたように、ぼっ、ぼっ、と。それらはまるで墓場に飛び交う鬼火のようにふらふらと辺りを彷徨い、すぐに目標物に向かって飛んでいった。
青白い炎がわらでできた目標物に着弾すると、青白い炎は油を得たように激しく燃え上がる。
威力の方もまったく問題なし。他の受験生が使った【鬼火舞】のように、途中で息切れすることもない。
すぐに周囲から、声が上がる。
「成功したぞ」
「完璧じゃないか」
「【眩迷】様の使ったものとまったく一緒だ」
「あんな簡単に? 小石をちょっと飛ばすみたいになにげなく使ったぞ……?」
受験生たちの声は、どれもこれも驚きに満ちていた。
そこまで驚くようなものではないのだが、やはりある程度、認識に差があるらしい。
先ほどカシームを呼びに行った講師の方も、
「これは……ここまで正確に魔力を制御できるとは」
横で驚きと共に唸っていた。
「お見事……というのは失礼だったかな?」
「いえ、ありがとうございます」
「威力、行使速度、どれをとっても申し分ない。お手本のような魔法行使だったよ」
「これに失敗したら伯父上に何を言われるか……」
「溶鉄様かぁ……それは恐ろしい」
確かに、苦笑いするほかないだろう。
こちらもクレイブに火の魔法を失敗したと言えば、訓練のやり直しだとどやされるだろうし、何よりこんな魔法を失敗していては、ジョシュアを打倒するなど夢のまた夢である。
実技試験についてだが。
別の組では成功者が複数人いたようだが、アークスがいた組では彼一人しか完璧な成功者は出なかったという。