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第百十三話 宵の接触



 魔力計の発表が正式に決定した。



 期日はまだ調整中であるため、正確な日にちはわからないが、近いうちにお披露されるということはほぼ間違いないとのこと。

 王家が発表に踏み切る決め手になったのは、やはりポルク・ナダールの起こした戦争だった。

 結局のところあの戦いは、国内の貴族が起こした反乱、内紛の域を出ず、外聞もよろしくない。王家は「反乱を起こされる国」という醜聞を打ち消し、あくまであの件は「帝国の謀略といち貴族の暴走だった」「王国はいまでも列強の一つ」ということを強く印象付けるために、この発表を使うことにしたそうだ。



 魔力計の発明は革新的なものだ。いち貴族の小さな反乱の話など、これによって須玖にだろう立ち消えになってしまうだろう。なにせ、魔法技術の高いライノール王国の魔導師が、これでさらに強くなることが約束されたのだ。この発表は諸外国にそれを強く意識させるものであり、この機に付け込もうとしていた他国は方針の転換を余儀なくされるはずだ。



 敵国も下手に手を出せば、王国の魔導師たちの餌食になる。

 友好国であっても、王国の反感を買えば魔力計導入への交渉が頓挫してしまう。

 ライノール王国に対する外交戦略を根本から変えざるを得ず、当分はどこもかしこも王国に下手なちょっかいをかけることすら躊躇われるはずだ。



 そして、この発表は国内の結束にも寄与するものでもある。

 強い軍事力が背景にあれば、貴族たちもそう簡単に王国を離れることはないし、反乱など起こそうという気にもならないだろう。

 ポルク・ナダールの二の舞になるということを彼らに強く植え付けるものだ。

 この発表にはそういった意図も含まれている。



 こちらとしても、タイミングとしては悪くないと思えた。

 すでに引っ越しを終えているため、頃合いとしてはちょうどいいし、それに向けての準備もできる。

 ただ、製作者の発表に関しては先延ばしにするらしく、まだ無能の烙印は払拭できないらしい。これには魔力計の恩恵が広まったあとの方が、製作者の名声も高まるだろうという思惑があるからだという。

 そのため、製作者の発表は一年、長くて二年は先になるとのこと。



 王家も随分と図らってくれるのだなと不思議に思ったものだが、そんな甘いだけの話があるはずもない。

 それに当たって一つ、セイランから申し付けがあった。



「――魔法の製作、でございますか?」


「そうだ。そなたには何かしら、強力な魔法の製作を期待する。なに、そなたならばそう難しいことではなかろう」



 セイランから王城に呼びつけられ、そんなことを申し渡された。



「そなたは魔力計の製作者だ。王国にその名を残すことはすでに決まったも同然のもの。ならば、魔導師として華も必要だろう。誰もが目を見張るような魔法を作り出し、魔導師として大成してみせよ」


「承知いたしました」


「よい返事だ。余もそなたの一層の活躍に期待する」



 ……そんな風に、セイランの指示に了承はしたものの、これといった案はなかった。

 強力な魔法が、そうそう簡単に作れるはずもない。

 だからと言ってその場で「できません」と言えないのも辛いところ。

 あの状況だ。上位者からああして言われれば、了承せざるを得ない。

 それを作るにあたって問題になるのは、やはり魔力の量だ。自分は市井の魔導師程度しか魔力がないため、魔力を大量に消費する魔法はまず作れないし、製作にあたって試行していくにしても、自分は早くに底を尽きてしまうため、その分、魔法の製作には時間がかかってしまう。

 まずはこれを解消する術を模索するのが先決だと思っていたが、まさかそれよりも早く規模の大きい魔法を求められるとは。



「……遅くなっちゃったな」



 セイランの話を聞いて王城から出たあと、発表の調整のため魔導師ギルドに寄ったことで、日はすでに落ちてしまっていた。

 王都は輝煌ガラス普及のおかげで基本的に明るいが、それでも自分の知る「街の明るさ」とは比べるべくもない。男の世界では、沢山の電灯や、家々の窓から漏れる明かりなどで大抵の場所は明るいが、ここは一歩路地に入ると、すぐに薄暗い場所に行き当たってしまうのだ。

 やはり夜道にランタンが欠かせない。

 そんな風に思いながら、曲がり角を曲がったときだった。



 路地の奥の薄暗(うすくら)がりに、人影が見えた。

 道のど真ん中に立ち、まるで路地を通る者の邪魔をするかのように立ちふさがっている。

 こんなところで明かりも持たず、ただひたすら佇んでいるだけとはさすがに胡乱と言うほかない。

 君子危うきに近寄らず。接触を嫌って迂回するのも手だが、この先はすぐに自分の家であるため、そんな遠回りするのも癪だった。



 歩きながらランタンを掲げ、さりげなく様子を窺う。

 路地に立つ何者かはフードを目深にかぶっており、顔立ちは判然とせず。

 背丈はだいたい160から170の間程度。

 特徴的なのは、その出で立ちだ。外套の下から見える服装はどことなく和風を感じさせる色彩の使われ方で、雅な着物を連想させる。

 都を追われた貴人か。不審者にしては、随分と目立つ格好をしているように思う。

 男か女かは……起伏をはっきりとさせない服装のせいで、見た目からは判じ得ない。

 変わり者か、不審者か。



 こちらが警戒して道の端に逸れようとすると、逆に向こうは距離を詰めてくるような素振りを見せる。

 ならば、害意があるのか。



 ……端っことはいえ、ここは王都の、貴族の住む区画だ。そんな場所で貴族に危害を加えるなど普通は考えないはずだが、何に付けても例外は存在する。

 最悪の場合を想定し、不自然にならないよう腰に差した剣を意識。この場で使うのにふさわしい魔法も、一通りピックアップしておく。あれが囮であるということも考え、周囲に気を配るのも忘れない。



 すると、



「導士さま」



 フードを目深にかぶった何者かは、そんな風に呼びかけてきた。



 ――導士、またそれか。確かその妙な呼び名は、いつかチェインにも言われた覚えがある。



 チェインが口にした名称と同じものを用いたことに、こちらも少なからず驚いたが、それはともかく。

 発せられた声はまるで銀鈴を鳴らしたような涼やかな高音だ。

 まず女で間違いないだろう。

 こちらが呼びかけに反応しないと、フードの女は再度声をかけてくる。



「導士さま」


「……それは、俺に言ってるのか?」



 警戒もあらわにそう言うと、フードの女は間違いを犯したというように声のトーンを一段階引き下げた。



「……申し訳ありません。導士さまを見つけることができた興奮がまだ少々残っていたようです。ご無礼、どうかご容赦いただきたく」



 フードの女はその場に静かに膝をついた。

 突然のその行為に、こちらは戸惑いを隠せない。

 こんなものはまるで、主君の前にいるかのような恭しさだ。こちらはいくら貴族に連なる者とはいえ、まだまだ子弟という身分でしかない。そんなことをされる覚えはないし、むしろそのせいで不審さはいや増すばかり。



 フードの女に、剣を引き抜いて突き付ける。



「胡乱だな」


「そう思われても仕方がないとは理解しております。ですが、まずは私の話を聞いていただきたく存じます」


「…………」



 普通ならば、このような待ち伏せじみた行為を行う人間の話など、聞く必要はない。

 だが、導士……チェインに言われたあの言葉を口にしたならば、話は別だ。

 彼女が精霊に関係する人物の可能性もあるし、もしそうでなくても自分が知らない何かを知っている可能性も否定できない。



「お聞きになっていただけますでしょうか?」


「いいだろう。まず、俺から距離を取れ。話はそれからだ」



 そう言うと、フードの女は大人しく命令に従う。

 立ち上がって、後退るように後ろへ。

 丈の長い着物を着ているせいか、足運びは見えない。路地の石畳を踏む音も、擦る音も聞こえない。しかし、上体は揺れず確固としているため、体幹がしっかりしているのは間違いない。



 女から視線を外さず、集中しつつ、こちらも距離を取る。



 一歩。まだ危険だ。



 もう一歩。まだ危機感が遠のかない。



 さらに一歩。一足飛びで斬られるビジョンがまだ見える。



(……なんだ、間合いがやけに広い)



 動きの中から、フードの女の間合いを計る。クレイブやノアとの手合わせや、ナダールでの戦を経験しているためか、最近はそんな曖昧なものが、なんとなくだがわかるようになってきていた。

 女の間合いから脱するならば、おそらく話にそれなりの声量を必要とするほど距離を空けなければならないだろう。

 これは女の腕前のせいか、それとも身体能力のせいか。



 やがて女が確認を求めてくる。



「これでよろしいでしょうか?」


「まだだ。魔法を使わせろ」



 そう言ってすぐ、魔法を使う。




 ――【肉体よ十重に高まれ(ベーシックパフォーマンス)



 使用したのは、身体能力を一時的に向上させる魔法だ。

 これに【集中】を合わせれば、並大抵のことではやられないだろう。

 身体の動きを確かめるようにその場でぴょんぴょんとステップを踏むと、フードの女は微笑ましいものでも見るかのような口を利く。



「随分と警戒なさるのですね」


「当然だろ。俺にとってあんたは不審者だ。何されるか分かったものじゃない以上、態勢を整えるのは当然だろ」


「いえ、私は導士さまに危害を加えるつもりは一切ありません」



 フードの女はそう言うと、自分の名前を名乗りだした。



「まずはご挨拶申し上げます。私はヒオウガ族のアーシュラと申します」


「ヒオウガ族? ヒオウガ族って確か……」


「一族のことは、ご存じでありましたか」



 思いもよらない言葉に困惑気味の表情を浮かべていると、女は顔を隠していたフードを取る。

 しかしてそこに現れたのは、息を呑むほど美しい面貌だった。

 整った鼻筋に小さな鼻、薄い唇。切れ長の目の下には、どの世界でも美人として共通される、泣きぼくろが一つ。年齢は定かではないが、妙齢の範囲内。肌はできものとはまるで無縁そうなきめの細かさ。長い黒髪にはかんざしのような髪留めを付けており、黒髪は勝色ともいうべき艶やかさを放っている。

 とんでもない美人だ。これほどの美貌など、いままで見たことがない。絶世。傾国。そんな言葉がまったく似つかわしい美しさ。絵画など創作でしか生み出すことはできないだろう、そんな奇跡的な造形がそこにあった。



 ――ヒオウガ族。王国の北東部から北部連合の端まで続く高原地帯に住むと言われている民族だ。

 どこの国にも属さずに、中立地帯で生活をしている者たちで、王国とも交流があり、王都にも彼らの作る織物や品が流通しているという。

 彼らを示す身体的な特徴が、額の上部、生え際の辺りに生えている小さな小さな角の存在だ。ヒオウガ族は総じて、額から角のような突起が生えているという。

 ランタンを高く掲げる。髪の毛で目立たないが、このアーシュラという女にも、長さ1㎝程度の小さな角のような突起が生えていた。



 ……男の世界でも、できものや角質が硬質化して、角のようなものに変化したという事例がある。それらは基本的に一つかもしくは非対称な形で現れているため、突発的な変化と言えるが、こちらは骨のようなものが対照的に生えているため、そういうものとも違っていた。

 その美貌はともあれ、問いを投げかける。



「そのヒオウガ族のアーシュラさんが、貴族の子供の俺に一体何の用だ?」


「この度は、導士さまにご挨拶に伺った次第」


「よくわからないが、その導士ってのは、ヒオウガ族の人間がわざわざ王都にまで挨拶に来なきゃいけないくらいのものなのか?」


「おっしゃる通りです」


「人違いだ。じゃあな」



 そう素気無く言って剣を鞘に収め、その場を離れようと試みる。

 彼女になんの意図があるのかまだ判断がつかない。

 そもそも、どうやって自分をその導士だと判別したのかが疑問だ。

 自分には、まずはそれを確かめる必要がある。

 立ち去るようなそぶりを見せれば、何かしらのアプローチがあるだろう。



「お待ちを。証拠はございます」


「どこに?」


「おそらくは、その左腕に」


「は……?」



 つい、魔の抜けた声を上げてしまう。なぜ、そこで自身の左腕の話になるのか。

 いま自分の左腕は、包帯を巻いた状態だ。包帯を付けていることが、その証拠とでも言うのか。もし左腕を負傷している者がその導士というのであれば、理由としてはあまりにお粗末というほかない。



 しかし、アーシュラは至極真面目そうだ。

 その落ち着きぶり、こちらを弄しているようには一切見えない。

 どういうことかと訊ねようとすると、



「その話をする前にまず、お伺いしたいことが一つございます。導士さまは【クラキの予言書】についてはご存じでありましょうか?」


「知ってる。あと、導士はやめてくれ。勝手にそんなよくわからないものと断定するな」


「は。では、アークス様とお呼びしてもよろしいでしょうか」


「俺の名前も知ってるのかよ……」



 ということは、すでにこちらの素性は割れていると思っていいだろう。

 そのうえでの接触ということは、かなり準備をしてから臨んでいるのだと思われる。



「は。アークス様は、クラキの予言書に書かれた、我らヒオウガ族を導く者と特徴が一致しておられるのです」


「ヒオウガ族を導く者?」


「予言書にはこう書かれています。導士は銀の髪と赤い目を持った年若きものである、と」


「それはレイセフト家の人間の特徴だ。それに、銀の髪と赤い目をした人間なんて探せば他の国にもいるはずだぞ」


「おっしゃる通りでしょう。それにあたって、その左腕を見せていただきたく。導士さまであれば、そこに鳳の紋様があるとも記されています」


「鳳って……」



 アーシュラの言葉を聞いて、一瞬、心臓が大きく跳ねた。

 自分の左腕には、彼女が言うような紋様などはない。

 そんなものないが、それに似たような痣ならある。つい先日、スウに治療してもらったときに指摘されて、ようやく自覚したものだ。



 この奇妙な符合はなんなのか。



「その者、左腕に鳳の紋様を持つ。一族に安住を与えるであろう、と」


「…………」



 確かに、この痣はそんな風に見えなくもない。

 見えなくもないが、そんな不確かなものをこうまで信じようとするものなのか。



 ……どうやら無意識のうちに、痣のある部分に目を向けていたらしい。



「やはり、予言書の通りなのですね」


「……似ているだけだ」



 したり顔を見せるアーシュラに包帯を取って見せると、彼女は予言が当たったことを喜ぶように、感極まった表情を見せる。



「ああ……確かに」


「いくらなんでも偶然だ。それに、これじゃまるで……」



 ――本当に自分は、おとぎ話に出てくる人物ではないか。

 だが、アーシュラはこちらの否定をかき消そうとするように、大きく首を振った。



「ですが、同じ特徴を持つ者はそう多くはありません。おそらく間違いはないかと。それに、アークス様も、導士と呼ばれることに心当たりがあるのではないでしょうか? そうでなければ、私の話に耳を傾ける必要はないでしょう」


「……特徴の一致は間違いないかもしれない。だけどどうしてそこまで確信してるんだ? 普通予言なんて不確かなものだろ?」


「いえ、クラキの予言書に書かれている事柄はすべて今後起こる事柄に関連性のあるものなのです」


「確かにそうは言われてるけどさ……」


「実際、これまでも当たっているということが伝えられております」


「……と言うと?」


「以前も我らヒオウガ族は、前の導士さまのお導きにより、四十二氏族すべてが苦難を乗り越えているのです」


「それで、その話に符合する俺にも、それを期待しているって?」


「……は。突然、御身の前に現れて導いて助けろと言うなど厚かましいとは存じておりますが、これも予言書に書かれた定めにございます」



 厚かましいということは、彼女も自覚しているらしい。

 つまり、それを弁えたうえで、なお接触する必要があったということだろう。

 そもそもよくそんなもの無条件で信じられるなとも思うが――予言書はそれを信奉する者にとっては絶対的なものだ。事実彼女の言う通り、この世界の人間にとってクラキの予言書に記されていると伝えられる文は、今後確実に起こる出来事として認識されている。



 魔導師たちが解読しようと心血を注ぐのもこれが理由の一つであり。

 くさりの精霊チェインも、自身の夢枕に立ったとき、内容が現実のものになるということを示唆していた。



 この話を、真実だと仮定しよう。

 それでも、だ。



「突然自分たちを導けって言われても困るし、俺には何かできるような力もない」


「では、これからできるようになるのではないかと」


「で、もしそれができるような立場になったら、協力してくれと? そもそもあんたらはそういうのを必要としてるのかよ?」


「は。(わたくし)たちヒオウガ族は、土地を持たぬ者として、歴史の節目節目に各地を移動してきました。安住の地は、我らにとって悲願なのです」


「いま住んでる場所は……北東のラマカン高原とクロス山脈の一部だったか」


「我らは十数年前にも移動を行い、現在の場所に住み始めましたが、合わないものが多いのです。気候や地形は問題ないのですが」



 あとは。その土地に住みにくいというので、真っ先に上がるのは。



「水が合わないとか?」


「は。その通りにございます」



 飲み水の変化は、土地が変わって起こる体調不良の原因の一つだ。

 体質に合わないため、蕁麻疹が出る。肌荒れする。腹を下す。



「……別に俺に頼る必要はないと思うけどな。あんたらがその気になれば、でかい領地の一つ二つくらい簡単に得られると思うが?」


「は。アークス様のおっしゃると通りにございます」



 ヒオウガ族は領地を持たぬと言えど、戦闘能力が高く、小規模の民族ながらその力は小国の軍事力にも匹敵するという。

 それゆえ、族長を公爵待遇で迎え、戦力として取り込もうと常に各国が働きかけているのだという。

 もちろんそれは、ライノール王国も例外ではない。

 アーシュラとそんな話をすると、彼女は、



「ですが、そういった思惑で与えられた領地や爵位が、安住につながるかと言えばそうではありません。ならば、予言書に語られるお方が現れるのをお待ちした方がよいだろうというのが、一族の総意にございます」



「どっちがいいか、はかりにかけようってことか。まあ安パイだわな」


「無礼、まことに申し訳ございません」



 こちらを利用しようということを隠そうとしないだけ、いいのか。

 むしろ予言にさえ縛られていなければ、こんな小僧に接触する必要もないのだ。

 彼女たちにとっても、この件はどう扱えばいいのか頭を悩ませるものであるのかもしれない。



「厚かましいということは重々承知しております。ですが、どうかお願い申し上げます。無論、(わたくし)たちもただ頼るだけ……というのを、よしとは思いません。導士さまがお求めになるならば、ヒオウガ族が氏族の勢力すべてを以て、導士さまをお助けすることをお約束いたします。その証拠に、主従の誓いを結びたく……」



 アーシュラは突然、そんなことを言い出した。



「おいおいおい待て待て待て、待ってくれ……いくらなんでも話が急すぎるっての」



 こちらは急にそんなことをされても困る。

 そんな契約などしてしまえば最後、こちらも協力しなければならなくなるのだ。

 こんなのはとんでもない爆弾を抱えることになるようなもの。自分の知らないところで爆発してくれるのは構わないが、抱えたまま爆発しようものなら大きな被害は免れない。責任はこちらにも降りかかってくるのだ。安請け合いなどできるはずもない。



「いまも言ったけど、話が急すぎる」


「信じてはいただけませんか」


「当然だ。そもそも、一方的に話を聞いただけでその記述が実際にあるのかどうかもはっきりしてないんだ。実際あんただって、どこにその記述があるかわからないんだろ?」


「それは……」



 アーシュラは黙り込んでしまう。

 やはり、書かれていると口伝されているだけで、実際に【クラキの予言書】を読み解いて見つけたものではないらしい。



 とは言ったものの、だ。

 導士という呼ばれ方はチェインが口にしていたし、腕の痣は予言書の内容とも符合している。

 おそらく、アーシュラが言っていることは間違いないのだろう。

 だが、心の奥底にいる用心深い自分が、無条件でそれを信じていいのかと問いかけてくる。予言書という不確かなものを無条件に信じることが、本当に正しいことなのか、と。

 つまり、それだけ自身が、あの男の人生に影響されているということの証明でもあるのだろうが。

 それに、



「……なぜ、いま俺の前に現れた?」


「初めてアークス様のお姿をお見掛けしたのは、論考式典でした。接触が遅れると、それも難しくなるかと考えたゆえのものにございます」


「どうしてそう思った?」


「お立場が上に行けば上に行くほど、容易には接触できなくなります」


「俺がそうなるって?」


「白銀十字勲章をこの年齢で授与されているならば、将来どうなるかは簡単に想像できるでしょう」


「……声をかけておくにはいましかない、か」



 確かに、魔導師としての確固とした地位は欲しくある。もしそうなることができれば、彼女の言う通りおいそれとは接触できなくなるだろう。

 いましかないというほど切羽詰まったものではないが、接触は早めにしておくべきという結論に至った理由は理解できる。



 ともあれ、どうするべきか。

 まず、安請け合いは厳禁だろう。先ほど考えた通り、ともすれば爆弾を抱えることになりかねない。

 だからと言って、頭ごなしに断るのも間違いだろう。くさりの精霊チェインと同じ名称を出しているということは、今後重要な関わり合いを持つ可能性も否定できない。

 この話の中心点は、やはり予言書の存在だろう。あの男の世界では胡乱な存在であろうとも、この世界では真実や事実を書き記す書物なのだ。下手な先入観は持たない方がいい。



 ならば、だ。



「……話を信じる信じないかは別だが、あんたのことは覚えておく」


「は。いまはそれだけで十分にございます。アークス様の柔軟なご判断に感謝を」



 そう言うと、アーシュラは道の端に寄る。その様はまるで、王の通り道を開けて跪く家臣さながら。その導士というのは、そこまでされるものなのか。



(導士……か。確かに本当にそうなら、そんな風にされるものなのかもしれないな)



 そんな風に考えながら、道を通り過ぎてからしばらく。

 肩越しに振り返る。

 アーシュラはいまだその場に跪いたまま。石膏像のようにまるで微動だにしない。

 アークスは視線を前に戻すと、そのまま家路についたのだった。


 


 ●


     


 アークスが路地から立ち去ったあと。

 路地の端で跪いていたアーシュラはその場に立ち上がり、しばらくの間、アークスが消えた先を見詰めていた。

 建物の谷間に位置する路地はすでに闇が深くなり、月明かりだけが良く目立つ。

 いずれ彼女のいる場所も、真っ暗闇に包まれることだろう。



 アーシュラはカンテラを取り出すと、その灯芯に火をつけた。

 路地の壁はぼうっとした炎の色味に照らされ、そこに大きくなった影が浮かび上がる。

 影法師が立つ一方で、灯火の光の及ばない闇はさらに色濃くなった。



 そんな折、アーシュラはいずこかを見上げるような素振りを見せたあと、何者かに呼びかける。



「――ヤハンニ。いますね?」



 彼女の断定するような言い回しに対し、呼ばれた人物が反応を見せる。

 灯火の光の届かない路地の隅。そこにわだかまった暗がりから、フードを目深に被った何者かがぬるりと姿を現した。

 背はアーシュラよりも低いが、彼女と同じように、雅な着物の上に風よけの外套を羽織った出で立ち。フードを目深に被ったまま、アーシュラに応じる。



「あれが導士さま、ですか。腕の痣といい、外見は言い伝えの通りでしたね」


「ええ。心当たりもあったようですし、おそらく間違いないでしょう」


「本人は全力で否定していましたけど?」



 ヤハンニの弄するような発言に、しかしアーシュラは顔色を変えるようなこともない。



「現状、そうするしかないのでしょう。年齢を考えれば随分と落ち着いています」


「そうでしょうね。あの年頃の子供ができるような話しぶりじゃなかった」



 警戒の仕方もそう。アーシュラの目からも、ヤハンニの目からも、アークスの立ち振る舞いは年相応には見えなかった。

 肩をすくめるヤハンニに、アーシュラが言う。



「あなたはアークスさまのことをよく調べなさい。ご無礼にならない範囲で、という条件は付きますが」


「いいんですか? あんまり裏でこそこそすると、もっと警戒されるのでは?」


「まず、我々は導士さまのことをよく知らなければなりません。そうしないと、何がご無礼に当たるのかすらわかりませんから」


「導士さまのご機嫌を損ねないために、身辺を調べると。だから、無礼にならない範囲でってことでよろしいですね?」


「そうです」


「難しいなぁ」



 とはいうものの、「できない」と言わない辺りやってのける自信があるということだ。



「しっかし、紀言書に謳われる導士……本当にあんな子供がそうなんでしょうか?」


「ヤハンニ。あなたは言い伝えを疑うと?」



 アーシュラの鋭い視線に、ヤハンニは飄げた口調で応じる。



「予言の話は子供のころから耳に穴が開きそうなくらい聞かされてきましたけど、いざ実物を目の当たりにすると、どうなのかなって思いまして」


「あなたには、そう見えなかったのですか?」


「見えませんね。アーシュラ様はそう見えるんですか?」


「…………」



 ヤハンニの問いに、しかし答えは返らない。

 アーシュラはヒオウガ族の中でも信心深い女だ。言い伝えを固く信じているということは、ヤハンニもよく知っていた。



「本当に言い伝えなんてものに従っていいんですか? 導士さまが言った通り、その気になれば国盗りだって難しい話じゃない」


「そんなことをすれば、我らの始祖が定めた禁を破ることになります」


「掟に従って氏族を滅ぼすことになるなんておかしい話だと思いますけどね」


「…………」



 ヤハンニの言う通り、ヒオウガ族は減少傾向にある。

 定住地がないからということもそうだが、現在の居住地に隣接する国家が圧力をかけてきており、最近では小競り合いにまで発展していることも原因の一つだった。

 氏族存続のために言い伝えに従い座して待ち、逆に滅ぼすことになってしまっては本末転倒だ。



 このヤハンニのように、現状を憂いている者も多くいた。



「確かに、あなたのように掟を古臭いものと断じる者も少なくありません。それだけ、我らは追い詰められているということですが」


「今回のことでそれが余計強まりましたよ。なにせ随分とまあ可愛らしいというか、あれでしたから」



 ヤハンニは暗に頼り甲斐がなさそうなことを匂わせると、アーシュラは否定するように(かぶり)を振った。



「では、私と反対ですね」


「へえ。ではアーシュラ様は何か見抜いたと?」


「外見は確かに可愛らしいお姿でしたが、中身は本物です。私のわずかな所作を見て、間合いを看破したようですから」


「あー、やっぱりあれ、そういう動きだったんですね。なるほど白銀十字勲章授与は伊達じゃない、と」



 だが、それだけの功績を挙げていても、ヤハンニにはアークスが導士に相応しいものだとは思えなかった。

 もともと抱いていたイメージと、アークスの印象が大きく乖離しているからだろう。

 ヤハンニがそれ以上話さないままでいると、アーシュラが口を開く。



「引き揚げます。それと、予定通りあの者に連絡をしなさい」


「例の件、やっぱりあいつにやらせるんですか?」


「ええ、適任でしょう。あなたもそれを念頭に入れて動くように」


「承知しました」



 二人はそうやり取りを終えると、王都の闇の深い部分へ消えてしまった。




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