百十二話 エメラルドを探せ
この日アークスは、いつも懇意にしている大店を訪れていた。
自分の屋敷を持っている貴族ならば商家の者を呼び立てるということも可能だが、まだアークスは爵位も得ておらず、成人もしていない。たとえ日頃から贔屓にしていようとも、この状況で呼びつけるのはさすがに態度が大きすぎるような気がして、いつものように先ぶれを出しての訪問になった。
そんなアークスを出迎えたのは、大店の店主と、いつも取引をしている番頭だった。
彼らと軽い挨拶を交わしたあと、応接室に通される。
室内にはガラスのテーブルと本革のソファが置かれており、花の香りが仄かに漂っていた。こちらがソファに腰掛けると、それを確認した大店の店主と、いつもやり取りをする番頭も対面に座る。
一緒に入ったメイドが、赤い花びらが沈んだガラスの水差しを手に持つ。
注がれた水に口を付けると、口の中に薔薇の香りが広がった。
香りの余韻を楽しんでしばらく。
アークスは恰幅のいい店主に言葉をかける。
「悪いね。出迎えてもらっちゃってさ」
「いえいえ、アークス様には刻印具のことでいつもご贔屓にしていただいていますから。本来ならばこちらから出向かねばならないところをいつも出向いていただき、身のすくむ思いでございます」
「それは言い過ぎだと思うけどな」
「何をおっしゃいますか! アークス様はこのお歳で白銀十字勲章を授与され、魔導師ギルド内に工房を持つほどのお方! むしろこちらはこれまで通りお取引を続けていただいていることに感謝しております!」
「あ、ああ……そうか。じゃ、身軽じゃなくなったら、屋敷に来てもらうことにしようかな」
「ということは、身軽でなくなるご予定でも?」
「そうなりたいなぁとは思ってるかな」
「それはそれは……アークス様とは是非これからも良いお付き合いをしていければと」
「ああ。俺もうまくやっていければと思うよ」
こちらがそう言うと、恰幅のいい店主は頭を垂れる。
これまでは重要な刻印部品の取引以外は、番頭とのやり取りばかりだったが、最近では店主の方も、手が空いていればこうして顔を出してくれるようになった。
先ほど店主も言ったように、ギルドで刻印具の開発をしているだから当然と言えば当然だが。
「で、その後、ひも付き輝煌ガラスの売れ行きの方はどう?」
「はい。おかげさまで好評でございます。特に役所や官庁は導入に意欲的ですし、新し物好きの上級貴族の方は、ぜひ抱えている職人に作り方を覚えさせたいと申し出が殺到しております」
「じゃあその場合は、取り決め通り魔導師ギルドや職人ギルドを通して、スイッチ式のロイヤリティの支払い申請をしてもらうようにしてくれ」
「はい。承知いたしました」
以前に、紐付き輝煌ガラスやスイッチ式輝煌ガラスを開発したが、それにあたってこの大店には、それらの販売に関しての窓口をやってもらっていた。
魔導師ギルドは商品の直接的な販売をしないため、こうして一度技術や商品を信頼できる大店に卸して、その利益の一部をロイヤリティとして収めてもらうのが主流となっている。
上級貴族の場合は個人の顧客と違うため、お抱えの職人に生産や売買に制限を付けて、技術ごと売り渡すという形式を取っているのだ。自分のところや魔導師ギルドなど、マージンはかなり取られているが、それでも入ってくるお金はかなりのものらしい。
店主のほくほく顔が、それを如実に示している。
「それでは今後とも、当商会をどうぞご贔屓に」
店主はお礼の言葉と付け届けをくれたあと、腰を低くしたまま部屋を辞する。
そして、再度番頭と向かい合った。
番頭は、相変わらず揉み手だけで火が熾せそうなほどの擦りぶりだ。
指紋があるのかどうか疑わしくなるが、それはともあれ。
「それで、言っておいたもの、用意してくれたかな?」
「いやはやいやはや、アークス様が宝石をご所望になられるのは初めてでございますね。もしやどこか貴族のお姫様に贈り物ですかな?」
「いや、そういうわけじゃないよ。つまんない話だけど、いつもの魔法関係だ」
「そうでございましたか。もし贈り物をするのであればいつでもお申し付けくださいませ。必ずやお相手の方にご満足いただける品をご用意いたします」
「あはは……そのときはまあ、よろしく頼むよ」
へりくだる番頭に、愛想笑いを返す。
今回、店を訪れるにあたって、前もって見せて欲しいものがあると申し入れておいたのが、それが先ほど番頭が贈り物勘違いした宝石だ。
――エメラルドを探しなさい。
思い出されるのは、いつかチェインに言われた言葉だ。
あのとき、チェインは自身に「いいことを教える」と言ってその話を口にした。
エメラルドが自身にどういう「いいこと」をもたらすのかはわからないが、まずは手元に取り寄せようと思い、こうして大店に声を掛けたというわけだ。
番頭はガラスのテーブルの上に布を敷き、さらにその上に宝石を並べていく。
「まず、石化山で産出したソーダ石。こちらが紅玉で、ゼイルナーから取り寄せた金剛石。そしてこちらがサファイアバーグ産最上級の青玉にございます」
「おお、すごいな。これで全部か?」
「はい。これらはどれも私どもが扱っている宝石になります」
宝石は窓から差し込む陽光が当たって、どれもこれもキラキラと輝いている。
色味も鮮やかで透き通っており、上質そうだ。
だが、見せられたものの中には、自分の目当ての宝石は一つもなかった。
「ええっとさ、エメラルドってあるかな?」
「えめ……? なんでしょうか?」
「エメラルドだよエメラルド。知らない? 緑色の宝石で翠玉とか緑玉とか言われるやつなんだけど、研磨するともっと緑の輝きが強くてさ」
「翡翠ならわかりますが……私も三十年この仕事をさせていただいていますが、見たことがございません」
「そうなのか……」
「お力になれず申し訳ありません」
こちらが残念そうな顔を見せると、番頭はひどく申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、ないものは仕方ないよ」
「その、エメラルドでございましたか。お探しいたしましょうか?」
「ああ、頼む。翡翠とは違う緑色の宝石だ。片っ端から当たって欲しい」
「承知いたしました」
そんな風にエメラルドに関して今後の方針を取り決めたあと、改めて考える。
確かに自分も、これまでエメラルドというものを見たことがなかった。
エメラルドという言葉自体聞いたのも、あのときチェインに夢枕に立たれたときだけだ。
実物を目にしたのも、その名前を聞いたのも、あの男の人生を追いかけたときのみ。
もしかすればこの世界には、エメラルドは一般的に流通していないのかもしれない。
だからこそ彼女は、「探せ」と、そう言ったのだろう。
どこにでもあるようなものならば、探す必要はない。手に入れろと言うだけで済むことだ。
それでもそう言ったということは、手に入れるのが困難だということに他ならない。
だが、探せと言っても、自身は鉱山を持っているわけでもないし、エメラルドがどの鉱山で取れるのかも知らない。あの男の記憶を洗い直すが、そう言った記述がある資料を読んだ覚えもない。
「……そういや、近々ギルズが来るって手紙が来てたな」
どう動くべきか頭を悩ませていると、ふとそんなことを思い出したのだった。
●
自宅の応接間兼書庫でもある、塔型の部屋にて。
いま自身の対面には、チューリップハットをかぶった一人の青年の姿があった。
目は狐のように細く、口元には常に薄い笑みを浮かべており、うさん臭さを積み込めるだけ積み込んだというほどに、妙な雰囲気を満載している男。
大仰な身振り手振りを交えつつの会話の中、周囲をよく観察しているのは、新たな商機を探すためか。
旅の商人、ギルズ。
手紙が来たあと、しばらくして屋敷にその姿を現した。
出迎えるなり、紐付き輝煌ガラスに目を輝かせたり、家に置いてある物品がどういうものか質問したりするなど、相変わらず商魂はたくましい。
アークスはそんな彼と、応接間で少し話をしたあと、無慈悲な言葉を突きつけた。
「――交渉は決裂だな」
「そんなちょっと待ってえな!!」
取り付く島もない返事を聞いたギルズが、ソファから立ち上がって悲鳴を上げる。
しかしこちらは、硬質な態度を崩さない。
ソファの上で腕を組んでどしっと構え、硬い表情を向けたまま。
「待ってって言われてもな」
「アークス君、この前話聞いてくれるっていうたやん! どないしてそうなるんや!」
「言ったな。言ったけど、取引するかどうかはまた話が別だろ?」
「せやけどな……」
そう、自身にとってギルズは、まだまだ油断のならない相手だ。
素性もわからず、取引の目的も定かでなく、何より話しをしていて得体が知れない部分も見受けられる。まさかこちらをハメてくる……ということはないだろうが、こういう手合いは自分の予想しえない利益を素知らぬ顔で得るタイプの人間だ。「黙っていただけで嘘を付いたわけじゃない」的な面の皮の厚さを出す恐れがあるため、慎重にならざるを得ない。
そもそも、だ。
「俺が作ってるものを扱わせてくれって?」
「せや」
「それ、一体どれくらいの利益が出るんだ」
「利益の方は出るまでちょっと時間かかるかもしれへん。せやけど、コネが増えるんは約束するで」
「俺に損して得取れってか? だけど俺は素人だからな。コネが増えることで俺がどんな風にどう得するのかをきちんと説明してくれないとわからないんだよ。それが解消されないと、やっぱり取引には応じられないな」
「確かに、せやろなぁ」
「俺もそうだけど、ギルズの方はどんな利益を得るんだ?」
「そら、利益の一部をすこーし、な?」
「それだけじゃないよな?」
「いやー、ははは」
ギルズはそうして、誤魔化し笑い。
「俺は訊いたぜ? 教えてくれよ?」
「アークス君。なんでもかんでも教えてもらえるて思うたら大間違いやで?」
ギルズは含みのある笑みで追及をかわそうとするも、そんな手は自身には通じない。
「そうか、なら俺も別にいい」
「うぐぐ……」
商談らしい商談の経験がない以上、自分ができる交渉術は忍耐のみだ。
相手がめんどくさいと思って手を引くまで、手を緩めてはならない。
いずれにせよ、こちらは無理にいますぐギルズと取引する必要はないのだ。
下手に出なくてもいいというだけでも、気が楽ではあった。
「なあアークス君。儲かるのは保証するで?」
「それは絶対条件だろ? 取引相手に損させる商人なんか論外だ。儲かったうえでさらにどういう利益があるのか、それを教えてくれないとな」
「そんなん売り先の間口が広がるからに決まってるやん」
「そんな手広くなってもなぁ。いまの俺の利益になるのか?」
「色んな知り合いができるんはええことやで。仲間がぎょーさんおったらぎょーさんおるほど、助けになることもあるんや。少なくとも貴族てそういうのん、必要にしてるやろ」
確かに、コネを多く作るのは、貴族も重要視するものだ。
横のつながりを広げることで、自分の持つ既得権益を守るために利用するのはままある。
だが、それが一介の商人との取引で増えるかと聞かれれば、どうなのだろうか。
そもそも自身はいまのところそういったコネを必要としていないので、魅力はほとんど感じられない。
……こういうのは、やり方が難しい。
自分はそんな交渉をした経験などまったくないので、その辺りの塩梅がよくわからない。
それに、
(ギルズと信頼関係なぁ……)
特にこういった話では、儲けさせる、損はさせないという輩が一番信頼できない。
あなただけに良い話がある、というのは詐欺師の常套句。
あの男が知り合った営業マンらしき男は、損はさせるかもしれないけど仕事は保証する。
確か酒の席でそんなことを言っていたはずだ。
ラスティネルの倉庫での一件があるため、まったく信頼できない相手ではないが、やはり取引には二の足を踏んでしまう。
「そんな胡散臭そうに見んといてや」
「って言ってもなぁ。自覚あるだろ? むしろわざとやってないか?」
「どやろなぁ」
「そういうとこだぞ? そういうとこ」
薄笑いを浮かべてはぐらかすギルズに、苦言を呈する。
この男は本当に何を考えているのか。そんな態度を見せられると本当に自分と商売がしたいのかも疑わしくなってくる。
すると、ギルズがおどけた様子で言う。
「とかなんとか言いがかり付けといて、ほんまは取引できるような品物がぜんぜんあらへんとか……」
「そんなことはないぞ?」
そう言って、一応用意してきた物品を取り出す。
テーブルの上に出したのは、以前に工房で作った瞬間湯沸かし器のポットだ。
ゴッドワルドたちにも見せたものと同型の物である。
「これは?」
「瞬間湯沸かし器だ」
「瞬間? っちゅうことは……」
「あー、瞬時に湧くってわけじゃないけど、かなり早いぞ。こうしてポットに水を注いで、この台の上に置くと、だ」
まもなく、ポットの注ぎ口から湯気が出てきた。
「ほ!」
「これは火を使わないで素早くお湯を沸かせるって代物だ」
そんなことを言いながら、茶葉の入ったガラスのポットにお湯を注ぐ。ポットの上部は湯気で曇り、茶葉は注がれるお湯の水流でポットの中を暴れまわり、やがて成分が抽出されてお湯が高茶色に染まっていった。
中身をカップに注ぐと、湯気と共に芳香が立ち上る。
それを見たギルズは、まるで宝物でも見つけたかのように目を輝かせた。
「……これ売れるで。特に北の方ならバカ売れや」
「そうか?」
「そらそうやで? 極端に寒いところで湯沸かすなんて、簡単にはでけへんのや」
「確かにそうだな。これ一式あれば、雪を溶かしてすぐ使えるか。一応、寒冷地仕様に改造しなきゃいけなくなるだろうが……」
「せやせや。大助かりやで。そら、平地でもありがたがられるやろけどな」
そりゃそうだ。男の世界でもこの手の商品はすこぶる人気だった。
初めて買った者が、世界が変わるとまで言い出すほどだ。
この世界、農村部では湯沸かしだけで三十分から一時間かかるところだってある。お湯がお手軽で沸かせるとなれば、人気商品間違いなしだ。
……紐付き輝煌ガラスは大店に卸すことになったが、この瞬間湯沸かし器などいくつかの物品は自分のところで取り扱うことになった。
いまのところ、こういった武器に直結しないものであれば、という条件は付くが。
「こんなんまで見せといて、交渉決裂とかほんまに殺生やで」
「懇意にしてるところ以外で見せたのはギルズだけだ。それだけでも、十分だと思うけどな」
「ま、せやけどなぁ……」
「ギルズにはラスティネルの倉庫の件で借りがあるからこそだ。それに、これだけのものが出せるなら、別に武器に拘らなくてもいいだろ?」
「せやな。どっちかゆうたら、ワイにはこっちの便利な方がええな」
「ま、次に来るときまで考えといてくれよ」
「わかったで。次は販売先まで用意しといたるわ。あと、ひも付きの輝煌ガラス、もう少し見てってええかな?」
「ああ」
話が終わったあと、ふとギルズに訊ねる。
「……そうだ。ギルズ、エメラルドって知ってるか?」
「えめ……なんやって?」
「エメラルドだ。エメラルド」
「さぁ……聞いたことないなぁ」
「そうか。ギルズも知らないのか」
悩むように眉をひそめるギルズを見て、こちらも同じように眉間にしわを寄せる。
あのあと、何度か王都の宝飾店でも探したが、結局エメラルドを見つけることはできなかった。商人たちに訊ねても、「見たことがない」「知らない」という芳しくない返事しかされず、こちらは途方に暮れるばかり。
サファイアやルビーなど他の宝石や、組成が同じ宝石であるアクアマリンが存在するにもかかわらず、エメラルドだけないというのはやはり不思議で仕方がない。
「そのエメなんとかが、重要なんか?」
「重要ってわけじゃないけど。そういや見かけないなって」
「見かけない? なんやアークスくんは見たことがあるんか?」
「ああ、少し前にちょっとな」
「どんな宝石なんや?」
「磨くと緑色に輝く宝石だよ。翡翠とは違うんだ。心当たりはないか?」
「さてなぁ……欲しいんなら、探してみるわ」
「見つかったらでいい。声を掛けてくれ」
……そんな風に、ギルズの最初の会談は終了し、エメラルドの件に関しても、行き詰まりを見せていたのだった。