第十一話 人攫いとの戦い
大店を出たあと、騒ぎを聞きつけて、商業区画の裏通りへ入ったその後。
追われているらしい少女を見つけることができたのはいいが、いまは彼女を追っていた人攫いの男と対峙している。
対策なしに裏通りに入ったのは、やはり不用意だったのかもしれない。
深く考えず行動に及んでしまったのは、やはり魔法というアドバンテージがあったからだろう。この世界、一般人に比べ魔法を使える人間はそう多くはない。そのため、何かあっても魔法で脅かして切り抜けられると、心のどこかで現実を舐めていたのだ。
その結果が、大人の魔導師と対峙するというこの状況である。
裏通りに踏み込んだのは、余計な正義感だったのだろうか。
事前に衛士に声をかけておけばよかった。
もしくは周囲の大人に何かしら伝えておくのでもいい。
そんな考えが去来するが、いまはもうすべてが後の祭りだ。
慎重さを欠いたツケは、きっちり払わなければならないらしい。
しかし、なぜか人攫いの男は近付いてこようとしない。
魔法で捕縛しようとしているのか――そう考えるが、未だに呪文を唱える素振りもない。
「さーて、どうやって捕まえるか」
どうやら、まだ捕まえるための魔法を吟味しているらしい。
暢気なことだ。
かなりの油断が見て取れる。
それも、子供が相手だからだろう。
ならば、付け入る隙はあるかもしれない。
(次、口を開いたら)
仕掛けよう。そう考えた直後、男が呪文を唱えるため口を開いた。
「ぃよし! これだ『――我が力をその身とし、汝、縄となりて戒めよ。そして』」
人攫いの男が詠唱を始め、アークスもそれに合わせて詠唱しようとした、そんなときだ。
『――赤い舌は帳を焦がし、悲痛なる叫びを追い風にして災禍となる。行け。空を鮮烈に染め上げよ』
黒髪の少女が、突然呪文を詠唱する。それに驚いたのは、もちろんアークスと人攫いの男だ。特に人攫いの男は長めの呪文を用意していたようで、咄嗟の判断を迫られた。
人攫いの男はひとまず現在の詠唱を中断し、別の呪文を口にする。
だが、一足早く少女の魔法が完成した。
宙に浮かんだ夕日色の【魔法文字】が魔法陣をなして、そこから炎が生み出される。その炎が宙をうねるように暴れ回ると、人攫いの男へと向かって一気になだれ落ちていった。
呪文と魔法の効果を見るに、どうやらオリジナルの呪文らしい。以前に伯父は、同じような歳でオリジナルの魔法を使う子供は存在しないと言っていたが――いるところにはいるということなのだろう。
一方、人攫いの男も、遅れて防御の魔法を間に合わせるが、行使速度を重視したため詠唱の要点を端折ったらしく、出来上がったドーム状の魔力の覆いは随分と薄っぺらく弱弱しい。
一見して、少女の方が有利に思えるが――
(いや、あの呪文じゃ効かない)
断定する。少女の魔法は効かないと。
案の定、少女の攻性魔法は、人攫いの男の防性魔法に危なげなく防がれた。
その様子を見た少女が、驚きを露わにする。
「防がれた……!」
「キヒ。いや驚いたぜ。急に聞いたことのない呪文を唱えるからなんだと思ったが、まさかその歳でオリジナルの呪文を組み上げるとはな」
「どうして、なんで効かないの……?」
少女は、呪文に自信があったのだろう。通用しなかったことにいまだ困惑している。
しかして、その答えは、
「――いまのは成語の構成が悪かったからだ」
「え?」
「さっきの呪文に使われた【帳を焦がす】っていう成語は、夜が関連しているんだ。昼間にそれが入った呪文を唱えると、威力が下がる」
「そ、そうなの?」
「ああ」
そう言うと、人攫いの男は「ほう?」と感嘆とした声を出す。
「そういうことだ。その年で随分詳しいじゃねぇかボウヤ、やっぱいいとこの坊ちゃんか? 銀色の髪なんて珍しいもなぁ」
人攫いの男はそう言いながら、じりじりとにじり寄って来る。
それに合わせて、少女と共に後ろへ下がる。
しかし、逃げる先はない。ここは袋小路。しかも三階、四階建ての建物に囲まれているため、たとえ魔法で跳躍力を強化しても逃げることは不可能だ。
……その後も少女が、魔法を何度か唱えて攻性魔法をぶつけるが、すべて人攫いの男に防がれる。
だが、それが男には煩わしいと感じられたようで。
「ふん。綺麗な状態で連れてきたかったが……もういい。多少怪我しても魔法で治せばいいんだ。こっちも本気でいくぜ……」
「ちょっと、子供に本気出すなんて大人げないよ」
少女はまだ余裕があるのか、それともやせ我慢なのか、「んべー」と舌を出して挑発する。
「黙れガキが」
人攫いの男はそう言うが、まだ油断している様子が抜けていない。
少女も、そして自分も、先ほどのやり取りで魔法を使うことができるとすでにわかっているだろうに、この余裕だ。少女の使った魔法が微妙だったため、然したる脅威だとは考えていないのだろう。
そんな中、少女が唐突に低い声音を出した。
「…………しかたないな」
それは、先ほどまでの年相応の声はどこへ行ったのかというような、そんな声音だった。
冷たく、どこまでも冷たい、冷酷で静謐な響きを伴う言葉。
何かを切り捨てる、ということを否応なしに意識させられる、そんな語意を孕んでいた。
「大きな音が鳴る。耳を塞いで」
「え?」
少女はそんな警告を口にすると同時に、外套の下から短刀を取り出す。
詠唱中の接近に対処するための自衛手段か。
そして何故か彼女は身体に魔力をみなぎらせ始めた。
使用する量以上の魔力を、溢れさせているらしい。しかもかなりの量だ。これは、リーシャの魔力量にも匹敵するか、それ以上に多い可能性がある。
その尋常でない様子を見た人攫いの男も、さすがに顔色を変えた。
『天蓋を焦がす跫音。眩くあって空にあり――』
『ッ、縛鎖を司る者共は戒めに喘ぐ科人を冷たく――』
人攫いの男と少女との詠唱合戦が始まった。
どちらもお互いに意識が向いている。
付け込むならば、ここだろう。
『――貪欲なる回収屋は物の卑賎を選ばない。落ちているものこそ彼らの宝。選り好みなく蓄えたるその右腕を受けよ』
「え――?」
「なに――?」
二人の詠唱している呪文よりも短い呪文を、早口で唱え切る。
それに合わせて右腕を振り上げたその直後、【魔法文字】が浮かび上がってまとわりつき、そこに引き寄せられるように、周囲からあらゆるものが右腕に向かって殺到する。
周囲の瓦礫にゴミ、欠けた鉢植えなどなど。
すぐさま、廃品の集合体でできた腕が形成される。
「わぁ……!」
呪文を唱えていたはずの少女が、ふいに感嘆とした声を漏らす。
しかして、完成した魔法は、
「――【がらくた武装】」
「この! おかしな魔法を――」
人攫いの男に向かって、巨大な右腕を振り抜こうと動くと、しかし男はほくそ笑んだ。
「バカめ、この間合いじゃ届かねえよ!」
「このままだったらな――ロケットパンチで『ぶっ飛びやがれ』!」
そう口にした途端、廃品の集合体が人攫いに向かって吹き飛んでいった。
「はっ? しま――!?」
人攫いの男は、まさか腕が切り離されて発射されるとは思わなかったのだろう。
防御は無論のこと間に合わない。
スクラップの右腕は振りぬくのと同様の勢いで、人攫いの男に衝突した。
がしゃんがしゃんと、廃品同士がぶつかる音と共に、人攫いの男がゴミに埋まる。
……なんとか切り抜けられたか。
そう安堵の息を尽きそうになった折、少女が何かを言おうとしているのに気づき、慌てて止める。
「やっt――もご!?」
「それは言っちゃダメだ!! フラグ! フラグになるから!」
最悪の呪文詠唱だ。
止めはしたが――しかし、一足遅く、呪文の大半を言われてしまった。
だが、しばらく窺っても、人攫いの男が動く気配はない。
なら、大丈夫か。そう思って、少女の口から手を放すと、
「ちょっと急になにするの!」
「倒したあとに「やった!」とか「やったか?」なんて言うと、倒せてなかったりするんだよ」
「……なにそれ? 何かの魔法みたいな?」
「そうじゃないけどさ」
そうではないが、男の記憶がある以上、気分的に口に出して欲しくはない。
そんな中、ふと少女が何かに気付いたように声を上げた。
「あっ!? いまはそんなことよりも!」
「あ、ああ。そうだね」
確かにそうだ。こんなやり取りをしている場合ではない。
倒した魔導師がどうなっているか、それをきちんと確かめなければ。
と、考えた折、少女が急に飛びついてきた。
「それよりもさっきの魔法だよ! さっきの魔法! ゴミとか瓦礫とか集まってきたやつ! あれなに!? ねえねえねえ!」
「…………」
「どうしたの? 教えてよ。さっきの魔法。ねーねーねー」
アークスは胡乱げな表情を浮かべるが、少女は気にした様子もなく、【がらくた武装】のことを聞こうとする。
そんな彼女に、
「いや、それよりももっと大事なことが、ね?」
「……? なにかあった?」
あったもなにも、本気で気付いていないのかこの少女は。
「倒した魔導師のことだよ。確認しないと」
「…………あっ」
一拍も二拍も遅れて、少女は気付きの声を上げる。それほどまでに魔法に気を取られていたのか。あれか、もしやこの少女は結構な魔法バカか。魔法バカなのか。
ひとまず少女を落ち着けさせて、人攫いの男をゴミの上からつま先でつつく。
しかし、人攫いの男は動かない。
「……大丈夫そう?」
「たぶんね。一応魔法で縛ろうか――」
人攫いの男から目を離した、一瞬の隙。
そのわずかな間に、身体が持ち上げられる。
「――ッ!?」
何事か、自由な首だけ振り返れば、ゴミで汚れた人攫いの男。彼に後ろから抱え上げるように拘束された。
「キヒ、油断したな?」
「この、死んだふりかよ――ぐむ!?」
「おおっと。呪文は唱えさせないぜ。お前らの呪文はガキにしては怖すぎるからな」
人攫いの男に、口を塞がれた。手足を動かして暴れるが、子供の力ではなんの痛痒にもならないらしく、体格差もあってかびくともしない。
「やれやれ本当に手間かけさせやがって……初仕事でこの体たらく。慣れねぇことはするもんじゃねぇな」
人攫いの男が自嘲気味に何かを呟く。
その一方で、少女が叫んだ。
「――っ、その子を放して!」
「放すわけねぇだろうが。――おおっと、お前も魔法は使うなよ? 下手に撃ったらこのガキに当たっちまうぜ?」
「く……」
盾にされてしまったため、少女も魔法を使うことができない。一方、人攫いの男は口が自由であるため魔法が使える。
絶体絶命だ。
この状況、どうすればいいのか。口がふさがれているため、こちらも魔法は使えない。
彼女の機転に期待するか。
いや――
(どうするどうするどうする――?)
何か手はないか。いま自分に残されているものは。なにか。なにかなかったか。
バッグの中には財布と、買った魔法銀と顔料。どれも、この状況では役には立たない。
あとなにかあると言えば――
――魔力。
そう、魔力だ。魔力がある。使い切るまで魔法を使わなかったため、まだ残量には余裕があるし、なにより、あの熱い魔力が残っている。
練ってから、ずっと消費せずに持て余していたあの魔力のことだ。
魔力は放出すると波動になる。
あれを放出すれば、あるいは状況を打開できるかもしれない。
一か八かやってみるか。
そう考え、魔力を思い切り解放した瞬間だった。
「へ……?」
身体から解き放っただけで、熱い魔力が思っていたものよりも何十倍もの威力の波動となって噴き出した。それはまるで、空気を限界まで注入した風船が、破裂したかのような勢い。
もちろん、それを放った人間がただで済むはずもなく――
「うっぎゃぁあああああああああ!?」
当然、ロケット噴射の如き勢いで吹っ飛ぶ。
そして、その高圧ガスめいた後方爆風を直で浴びた人攫いの男はというと、
「ぐあぁあああああああああ!?」
自分と似たような声を出して、反対方向に勢いよく吹っ飛んでいった。
「あいててて……」
なんとか起き上がる。身体をしこたまぶつける羽目にはなったが、これでなんとか危機は脱したようだ。
見れば、今度こそ人攫いの男は動けない様子。ぴくぴくと痙攣しており、完全に気を失っている。
一方、その一連の様子を見ていた少女は、驚いた顔を見せながら、何を言うかと思えば。
「……おっきなおならで吹っ飛ばした」
「それ違う! おならじゃなくて魔力!」
魔力の波動を後ろ向きに放出したため、そんなイメージが湧いたのかかもしれないが、しかしいくらなんでもあまりに不名誉である。
それでも、少女のとんちんかんな感想は止まらない。
「でもでも、魔力を出したってそんなに吹っ飛ばないよ?」
「おならはもっと吹っ飛ばないだろ!? おかしいだろ!?」
「えー、でもー」
「でもじゃないってば! ぼくの名誉にかかわるからもうやめて!」
彼女とそんなことをしばらく言い合ったのち、人攫いの男を縛り上げたのだった。