第百話 夢のマイホーム計画(切実)
ときは、論功式典が行われる少し前のこと。
「――ここが俺の家かぁ」
時刻はお昼を回った頃、アークスは王都の貴族たちが多く住む一角で、二階建ての屋敷を見上げていた。
素焼き瓦を用いた鮮やかな赤の三角屋根がよく目立つ邸宅。
暗色の木材の柱に、壁には白の漆喰を使用し、塗りはところどころにムラがあって、シワが血管のように浮き出る。
門や入り口には輝煌ガラスが完備され、男の世界の洋風建築にありがちな円柱状の塔のような部分も。
先ほど口にした「俺の家」との言葉通り、すでにこの物件はアークス名義のものとなっている。
西への旅に出る少し前くらいから、ノアに手頃な家を探してもらっていたのだが、それが先頃ついに見つかったというわけだ。
物件購入に関して一番の問題だった金銭は、魔力計開発の報奨金が魔導師ギルドから出ていたため、それについてはクリア。あとは、それなりに屋敷と呼べる住宅が見つかれば、そこに決めようと気長に考えていたのだが、思いのほか早く良い中古物件に巡り会えた。
築年数は経っているらしく、多少古ぼけてはいるが、いまはこれで十分。虫に涌かれると嫌なため、その辺の手入れはしないといけないが、まあその点は刻印を用いてどうにかするつもりだ。
ノアが、その場で屈んで目線を合わせ、小さな拍手をくれる。
「おめでとうございます」
「ああ、これでやっと気兼ねなく生活できるよ」
吐き出したのは、安堵にも似た吐息だ。
これでようやく、父親や母親、使用人たちを気にせずに生活することができる。
もう癇癪や口さがない陰口を叩かれずに過ごせるというわけだ。
リーシャと離れることにはなるが、それについてはそれほど気にすることでもないだろう。
王都から離れるわけではないし、魔法院に入れば顔を合わせる頻度も増えるのだ。
お互い寂しい気分になることはないだろうと思われる。
腕を組んだカズィが、屋敷を見上げて言う。
「レイセフトの本邸よりも手狭だな」
確かにカズィの言う通り、この邸宅はレイセフトの屋敷やクレイブの屋敷と比べると随分と規模が小さく、手狭だ。部屋数も執務用の部屋やゲストルーム以外は最低限しかないといった具合である。
しかし、
「これくらいでちょうどいいよ。どうせ使うのは俺たちとこれから雇い込む使用人くらいだしさ」
「ええ。広いとその分、使用人を雇う数も増やさなければなりませんからね」
「確かに、それもそうだな。キヒヒッ」
「ですが……」
話をしていると、ふいにノアが懸念ありげに目を細めた。
「なんだノア? 何かあるのか?」
「ええ。これからさらに功名を挙げるのであれば、ずっとこのままというわけにはいかないでしょうね」
「あー、やっぱり?」
それについては、アークスも考えていた。
心当たりに頷いていると、カズィもそれに気付いたように屋敷に向かって顎をしゃくる。
「なんだ。このくらいじゃ見栄が足りねえってか?」
「当然です。貴族は外側を見られますから、屋敷一つとっても、豪華な屋敷を構える財力。一等地に手に入れる横の繋がりなどが見えてきますし、特に屋敷の庭はきちんと手入れをしていないと侮られます」
それは、ノアの言う通りだろう。
古来より、内装を豪華にすることで、屋敷を訪れた客人に実入りが良いと思わせ、取引をしたくなるような心理を働かせるという駆け引きもあるのだ。
レイセフトは軍家として成功しているため、質実剛健でも問題なかったが。
そういった見栄というのも、貴族として成功するための一つの戦略だろう。
だが、それに関しては一つ懸念があった。
「……俺、侯爵の家の庭みたいにはしたくないぞ」
「あれは特殊です。珍しいとまではいいませんが、自己主張の激しい庭に仕立てる貴族もいないわけではありません」
「あれ、珍しくはないんだ。そうなんだ……」
あんな感じの悪趣味なのが、王都にはそこそこの数あるらしい。男の世界には、なになに調とかなんとか風とか建築様式があったが、この世界ではそういった文化はそこまで醸成されていないのかもしれない。
「庭は、金銭のかけ具合……も当然見られるのですが。一番はその奥に見える本質です。他人を迎える体裁がきちんと整っているか。庭を見た者に物語を想像させられる教養はあるか。また、よい庭師を迎えているかなど……人脈まで見えるものです」
「はー貴族って面倒くせぇ」
「マジ貴族って面倒くせぇ」
そんな風に、カズィとぼやきの声が重なった。
すると、ノアが胡乱な視線を向けてくる。
「……なぜアークスさままでそんなことを言うのですか」
「え? ほら、俺ってどっちかっていうと庶民派だし」
「ずっと貴族のお屋敷にいたのに庶民派というのは理解に苦しみますね。アークスさまはいつ庶民的な経験をなさったのですか?」
「ほら、下町を出歩けば庶民的な気分味わえるだろ! それだよ!」
ノアにかなり苦しい言い訳をしていると、カズィが庭先に視線を向ける。
「で? ここの庭はどうするんだ?」
「伯父上の家に植えさせてもらっていたソーマの株を移さなきゃならないから、ほとんどないようなものだろうな」
「そうなるとお前の大好きな訓練とかできないだろ」
「うーん。伯父上の屋敷の庭を借りるか、どっか手頃な場所を探すよ。いい気分転換にもなるかもしれないし」
二人とそんな話をしていた、そんなときだった。
「――へぇーここがアークスの家なんだ。結構こぢんまりしてるんだねー」
「ああ、そうなんだよ。まあでも、これくらいがちょうどいい――へ?」
釣られて返事を返したが、それがおかしなことにふと気付く。
声の方を振り向くと、そこにはスウが立っていた。
イタチの目陰を作りながら、屋敷を見上げる黒髪少女。まるで自分たちと一緒にここに来たかのように、輪の中に自然に溶け込んでいた。
「ちょ! スウ、一体どっから!」
「お屋敷買ったって聞いてね。見に来たんだ」
「そんな情報一体どこで聞いたんだよ……」
「ふふん。親切に教えてくれる人がいるんだよ?」
「どこにそんな物好きが……」
妙なことを口にして、得意げに胸を張るスウさん。
情報源になるかもしれない二人を見ても、当然のように知らないと首を横に振るばかり。
一体どこから聞きつけてきたのやら。本当に謎の多い少女である。
ともあれ、
「あのときのウチのご主人様のとんでもないツレか」
「ツレってな……」
「ということは、一緒に魔法の勉強をしているという例の方ですね?」
「そう。二人ともよろしくね」
スウが、ノアとカズィに挨拶する。
こうして使用人に対してナチュラルに上からというところが、彼女の身分を窺わせる要素だろう。
カズィとは一度やり合った仲だが、お互い蟠りのようなものはないらしい。
カズィもさっぱりした性格だし、スウも懐が深い性格だ。思うところもないのだろうと思われる。
しばしの挨拶が終わると、スウはこちらを振り向いた。
そして、にこりと微笑み――
「アークス。おかえり」
「え、あ、ああ、ただいま……」
不意打ちじみた言葉と笑顔に、こちらはついつい狼狽えてしまう。
改めてそんなことを言われるのはなんだか少し照れくさかったが、おかげでようやく帰ってきたのだなという実感が湧いてきた。
王都に帰ってきてからも、スケジュールが目まぐるしく、ジェットコースターだったからというのもあるのだろう。
「連絡寄こさなくて悪かった」
「ずっと忙しかったんでしょ? なら仕方ないよ」
スウはそう言うと、横の方へ視線をずらし、
「それで、左腕、大丈夫?」
「ああ。思うようには動かないけど、まあなんとかなると思うよ」
そう答えて、ふとそこでまた、おかしなことに気付いた。
「ん? スウ、なんで俺が左腕怪我してるってわかったんだ?」
「へ?」
「だってそうだろ?」
そう、自分たちが王都に帰ってきてから、彼女に会うのは今日が初めてだ。怪我のことはまだ話していないにもかかわらず、それを知っているのは流れ的におかしい。
そんな何気ない疑問をぶつけると、何故かスウは焦ったように取り乱した。
「え、ええと、だってほら、それ! 包帯してるし!」
「それはそうだけど」
「腕に包帯巻いてるなんて、怪我をしてるかこじらせた魔導師くらいしかいないでしょ。あっ、もしかしてアークスも……」
「違うわ! 勝手に人を中二病にすんな!」
暴走しがちな想像を、ツッコミで食い止める。
彼女の台詞から察するに、この世界にもそのビョーキに罹患している患者はいるようだが、別に自分はそうではない。
……確かに、こちらの世界には魔法というものがあるため、むしろ罹患したら病状は向こうの世界よりひどくなるのかもしれないが。
「怪我した腕は私が治してあげるからね」
「え?」
「ちゃんと完治するまで、私が面倒見るから」
「あ、うん。ありがとう……」
真剣な表情を向けて来るスウに、若干戸惑いながらもお礼を言う。
よくわからないが、スウは気負っている様子。彼女には関係ない怪我であるにもかかわらず、こうして考えてくれるのは不思議だが。
しかしどうしてこの少女は、こちらが照れ臭くなることを素面で言うのか。
なんというか、顔の火照りが収まらない。
他方、微笑ましいものでも見るようにしている執事が一人、にやにやしている不躾な執事が一人。
「これはこれは……」
「キヒヒッ」
そんな奴らにひと睨み利かると、スウがまた屋敷を見上げて、
「これで、魔法の勉強をする場所も確保っと。あ、使う部屋は日当たりのいい南向きがいいなー」
「たまり場にする気満々だな……」
「当然でしょ? だってここが一番集まりやすそうだし」
「そうだよなぁ。確かに」
この家の主は自分なのだ。誰に気兼ねする必要もない。
「あとー、おやつとお茶の用意もよろしくね」
「人の家でわがまま放題ですか」
「何言ってるの? 貴族は訪れたお客様をきちんともてなさないといけないんだよ?」
「押しかけてきたヤツはその分に入らないと思うけどな」
先ほどの照れ臭さはどこへやら。
結局はいつものように、ぎゃあぎゃあとしょうもない言い合いをすることになった。
「ふふふ、久しぶりの感触」
…………もちろん、隙を突かれて頬っぺたも堪能されたわけだが。