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コメディー〔現実世界〕

夏の香り

作者: 剣月しが

件名:姉さんです!

――――――――

夏です! 夏、到来!

最近、とても暑いですよね。何故なら夏ですから。

もう、ほぼ疑いようもなく夏なんですけど。

一つだけ疑わしいのが、庭の向日葵(ひまわり)が枯れまくっていること。

本当に夏なの?

――――――――




 ここ数年、夏になると必ず僕の姉さんはメールをくれる。




件名:Re:姉さんです!

――――――――

えぇ、確かに夏ですとも。僕が保証します。

僕は、この真夏にクーラーをつけないという、常に死と隣り合わせの危ない生活を繰り広げているんですけれど、流石に耐えられない。

今はリスのように氷をガリガリと(かじ)って涼をとっています。

――――――――




 僕は学生生活のため実家を離れ、単身東京に出てきており、この向日葵(ひまわり)も死滅する暑さの中でも、電気代を節約しなければならない程の極貧生活を続けていた。




件名:心配事

――――――――

身体は大切にしなきゃ駄目ですよ。姉さんは心配です。

まぁそれはそうと、今、うちに親戚の男の子が遊びに来ているんです。

彼は今年から小学二年生という若さ(みなぎ)る少年なんですが、お母さん達がみんな買い物に行っちゃった所為(せい)で、リビングに私と彼の二人きり。非常に気まずい。

向こうは何か本を読みながらコチラの様子を(うかが)っている感じなのですが、恐い。

どう接して良いか分からないので恐い。

だって、小学生が『君主論』を読んでる時点で、かなり恐い。

恐怖が集まって形成された有体物、それが彼なの?

――――――――




 僕は、実家のリビングで、少年を前に困惑している姉さんを想像して少し可笑(おか)しくなった。




件名:Re:心配事

――――――――

いくらうら若き少年が君主の座を虎視眈々と狙い、威風堂々とリビングに鎮座しておられるからといって、大の大人がいつまでも二の足を踏んで恐れている場合ですか。

現状を打破せんと「あっつ~! 温暖化ここまできちゃったか!」などと呟いて、冷やかな視線を投げかけられてみるのも一興でしょう。

幽霊を見るかの如き視線も案外爽快かもしれませんよ。

――――――――




 数日前の局地的な豪雨の所為(せい)か、それとも連日の酷暑の所為(せい)か、今日は外の蝉達の声が聞かれない。


 実家の庭の向日葵のように死んでしまったのかもしれないし、今は雌伏(しふく)のときと割り切って太陽が弱まるのを待っているのかもしれない。




件名:vs 氷の帝王

――――――――

安心してください。たった今、私の渾身(こんしん)のモノマネ、「静か過ぎる…コダマ達もいない…」が見事にスベったところです。

それはもう、完全なる沈黙でした。無視とも言います。

私の目から少しだけ食塩水が出ました。

ただ、爽快感というのは弟くんの言う通りで、少しあったかもしれません。恐いもの見たさで二投目のギャグを振りかぶったけれど、脳が全力でブレーキを掛けました。

――――――――




 きっと、画面の向こうで繰り広げられている戦線膠着(こうちゃく)状態は、親戚一同が買い物から帰ってくるまで続くことになるだろう。


 姉さんは、氷の帝王を懐柔する(すべ)を持たない。




件名:Re:vs 氷の帝王

――――――――

それが誰のモノマネかは存じ上げませんが、二投目は危ないところでしたね。僕は脳の言うことを聞くべきだと思います。

あまり無茶をすると身体から塩化ナトリウムが枯渇してしまいますよ。

しかし、惜しい。僕が実家に帰っていれば、大人の本気『直下型カルピス』を投下爆撃することによって、若君とは仲良くなることができるんだろうけど。

何故なら、カルピスは体にピースを与えてくれるだけではなく、ギスギスした人間関係にもピースを与えてくれることは周知の事実ですから。ギスピス。

――――――――




 姉さんは、僕のように絶妙な濃度の希釈カルピスを作ることができない。




件名:ギスピスについて

――――――――

ギスピスとは初めて聞きました。凄いですね。

きっと、この緊張から解放された後のギスピスの美味さたるや想像を絶することでしょうね。

今、外からは燦々(さんさん)たる陽光。これが、ひやりとした気持ちを(とろ)かす和平の光だと良いんだけれど。

だって、汗ほとばしる夏とはいえ、これほど冷や汗をかいた夏日がありましょうか、いやない。

ただ、もう夏休みも中頃に差し掛かったというのに、私の中でギスピスの魅力が尽きることを知りません。鰻登り。

ところで、ギスピスって何?

――――――――




 苦学生の僕は、電車賃などの関係から、今年の夏休みも、このまま帰省しないつもりだ。




件名:Re:ギスピスについて

――――――――

まぁ、あと二、三年も経てば、僕も実家の方に戻るので、そのときはきっと手助けをしてあげましょう。

就職活動は地元で行う予定ですので。

――――――――




 氷を噛む程の極貧生活とはいえ、勉学に対しては誠実な姿勢をみせていた僕は、このまま何事もなければ数年で卒業できるはずである。


 このまま東京に残るという選択肢もあったが、両親が心配なこともあり、就職は地元でしようと考えている。




件名:無題

――――――――

そっか。もう、そのときは弟くんの方が年上になっちゃうんだね。

――――――――




 氷を含んでいる頬が冷やされて、痛い。




件名:Re:

――――――――

そうですよ、姉さん。僕を敬いなさい。

――――――――




 今ばかりは、蝉時雨の喧騒が恋しく思えた。




件名:尊い姉さん

――――――――

近頃は、年功主義ではなく、能力主義の世の中と聞いていますよ?

私のような特殊な存在は、どこへ行っても引く手数多(あまた)なはずです。多分。

小さい頃から泣き虫な弟くんよりも、きっと多くの内定を貰えることでしょう。

弟くんよりも有能な姉さんを敬いなさい。

――――――――




 相変わらず、姉さんは冗談が好きだ。




件名:Re:尊い姉さん

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僕のメンタル面を(いたずら)に攻撃するのは止してください。

容易に折れますよ、僕の心は。

――――――――




 最後に泣いたのはいつだったか。僕は追懐してみる。




 ……あれから、もう四年になるか。




件名:精霊馬さん可愛い

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ちなみに、今年のキュウリのお馬さんは乗り心地が良かったです。まるでグリーン車のよう。

あと、「仏壇の扉は開けておいて」と、お母さんに伝えておいてください。暑くて仕方がありません。

――――――――




 僕は知らぬ間に自分の口角が上がっていることに気が付いた。




件名:Re:精霊馬さん可愛い

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センシティブな話題過ぎて僕が迂闊(うかつ)に触れられないところを。

流石、姉さん。

――――――――




 四年前の事故から、姉さんの時間は動かなくなってしまった。




件名:尊敬に値する姉さん

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でしょう? 敬いたくなりました?

あ、お母さん達が帰ってきたみたいです。そろそろメール、切り上げますね。

弟くんもちゃんと滋養のあるものを()って、天に御座(おわ)す聖なる神様に頂いた身体、どうかお大事になさってくださいませ。

――――――――




 うちが仏教徒なのは、姉さんが一番知っているでしょうに。


「今晩の献立は奮発して何か栄養のあるものでも」と、一瞬、僕は思ったが、冷蔵庫に今ある食材達を何とかしなければならないので、何とか思い(とど)まった。




件名:Re:尊敬に値する姉さん

――――――――

うん。そうします。

じゃあ、また。来年。

――――――――




 蝉達の声は聞こえない。口の中の氷はもう融け切ってしまっていた。


 どうにかお金を貯めて、来年のお盆は実家に帰ってみるのも悪くないなと、僕は今年も感じさせられている。


 不意に開きっぱなしの窓から、夏の香りのする風が吹き込んだ。


 外の陽射しを見ると、まだまだ夏は続きそうに思えた。

 拙作「夏の香り」は、「マグネット!」のイベント、第四回 三題噺 短編コンテストに応募した同タイトルの短編小説を大幅に改稿して投稿しております。ちなみに、お題は「メール」、「神」、「リス」でした。

 どこか余韻のあるコメディー作品にしよう思い執筆したのですが、結果は残念ながら落選となってしまいました。ただ、たくさんの方々の応援が嬉しく、本当に有り難かったです。

 力不足の私ですが、これからも読者の皆様に楽しんで頂けるような作品を投稿していきたいと考えております。何卒宜しくお願い致します。


(追記)

「マグネット!」2018年三題噺特集ページにて、編集部ピックアップに選んで頂きました。不安だらけの参加ではありましたが、三題噺の楽しさを知るとてもいい機会になりました。この場をお借りして、お読みいただきました皆様に、改めて感謝致します。本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 余韻の残る作品でした。姉の正体がわかってしまった後にもメールのやり取りが続く点が良いですね。
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