見失う現実
23 見失う現実
『それでは!united beauty schoolバトル祭を開始します!皆さん準備はよろしいですか?…それでは…スタート!!』
開始を告げるブザー音が鳴り響き、会場一面にバトル音楽が流れる中、須堂 恵はウィッグの襟足部分から垂れ下がる髪を下に向かって良くクシを通し、左手の人差し指と中指の間に毛束を挟んだ。
そして、右手に持つ鋏でゆっくり切る。
『…。』
手を一度止め、その切った感覚を意識し、その感触を肌で感じ、須堂 恵は一言呟いた。
「絶好調。」
そう言葉を終えた後のカットスピードは凄まじかった。
須堂 恵のカットは洗練された綺麗な切り方とは言えない。
しかし、一切雑な素振りも無い。
それは須堂 恵が感覚的な人間である事の証明だった。
切る工程の中で効率良く、そして、最善の方法、さらに、最善の切り方、綺麗ではなく、雑も無い、それはまさに無駄が無い切り方だった。
『スランプに悩まされていたなんて恥ずかしいぐらい思うように切れる。切った過程から次のセニングの切る工程まで全てが把握できてる。更にもう完成が見える。…悩んでたスランプは解消された。…本当に切と多壊さんには感謝しなきゃな。』
そして、須堂 恵は改めて思った。
『…主将戦を切に任せたのは悪かったかな。』
須堂 恵は目の前の切る作業に集中していた。
だが、頭の中で他の事に気をつかえるほど手は思うように動き、まるで右手に持つ鋏が自分の指先の様に思えていた。
『流はいつにも増して真剣だな。あいつは調子づくと失敗するけど本気になると怖いんだよな。でもだからこそ今日は見てて安心できる。』
今の千場 流のカット工程は慎重で、いつもの荒さは無く、丁寧でとても真剣なのが伺える。
須堂 恵はそれを見て安心した。
『やっぱり心配なのは切か…。』
そう思い。
神鳥 切を伺う須堂 恵。
しかし、神鳥 切は普通だった。
普通にカットをし普通に工程を進めていた。
『よし。大丈夫そうだな。』
須堂 恵は神鳥 切を見て普通のカットでいつも通りな事に大丈夫だと思った。
しかし。
『…ん?…。いつも通り?…普通…?』
須堂 恵は違和感に気づいた。
普通な事に、いつも通りの神鳥 切な事に。
改めて普通でいつも通りなそれこそが大問題だった。
千場 流の場合いつもは感情的だが、本気の時は冷静になるタイプ。
それに対し、今まで神鳥 切はいつもは冷静だが、感情が出てくることで本領を発揮するタイプ。
周りを気にせず自分自身が展開する精神世界を作り、集中力が桁違いだからこそ強い。
しかし、今の神鳥 切は淡々と工程を重ねている。
『並の奴らならそれでも切は勝てる…けど、京乃 十夜はそれじゃ勝てない…お前が1番それに気付いてるはずなのに…どうしちまったんだ…?』
バトル開始直前。
神鳥 切は対角線上にある1階フロアにいた人物を見つけて驚いた。
「い…為心…。」
決してここに鷹柱 為心がいる事に驚いたわけではない。
しかし、彼女が着ていた服が先ほど須堂 恵と会話していた女性と一致した事に驚いていた。
バトル前に意識を切り替えて、考えないようにしていたが、目の前の現実に悩みの蓋が開いてしまった。
その衝撃から神鳥 切は止まってしまった。
しかし、自力で意識をそらし目の前にあるウイッグに手をつける。
『今はやめよう…集中するんだ。』
もう周りはカットへ入っていた。
それらを見て、神鳥 切も焦り、取りあえず襟足部分の髪をクシで撫で下ろし鋏を入れた。
そして気づく。
『あ…ここはこんなに切る予定じゃなかった…少しスタイルの変更を加えて前下がりボブに変えていこう。そうすると…あれ…?…当初予定してたグラデーションが入るとフォルムが変わる…それじゃダメだ…そうすると…全体をこの長さに…合わせる…?』
焦った事で初歩的なミスをし、作る予定だったスタイルが出来なくなってしまった。
神鳥 切はさらに焦りを感じた。
『なら…もうスタイルを今から変えるしかない。どれにする…この長さならまだボブ系スタイルはいける。とりあえずここを繋げてスタイルを作って行こう。』
神鳥 切の心境は今までと違っていた。
1つ1つを切ってその都度構成を考えて、完成するスタイルを雲を掴むように探る状態だった。
今まではそうならないように慎重に、そして、本気で切っていた。
だが、今回は考案しつつ、慎重に切り、更にこの状況を相手に悟られないように振舞わなければならない。
神鳥 切は複数の事を考え、実行していた。
その時、目の前で切っていた京乃 十夜から言葉がかかった。
「随分と迷走してるね。」
『バレた。』
神鳥 切はそう思った。
そして、さらに京乃 十夜は言葉を続ける。
「まさかノープランで来たわけじゃないだろうし、その感じだともしかして…失敗した?」
すべて京乃 十夜に悟られていた。
「…。」
神鳥 切は何も言えなかった。
「シカトかよ。まーいいや。勝ちはもらったよ。」
京乃 十夜はそう言い残し技術に戻る。
神鳥 切は困惑していた。
『こんな時に限ってなんで失敗したんだ。千場の大事なバトルで。失敗してはいけない局面で。なんでこのタイミングなんだ。千場の為に勝たなきゃいけないのに。あいつの為に全力で戦わなきゃいけないのに。恵と為心を見たから?…恵に嫉妬をしたから?…あの2人を目撃しなければ失敗しなかったのか?…クソっ!クソっ!あいつらの所為かよ。』
心の中のザワつきに整理をつけようと頭を回す。
しかし、出てくるのは苛立ちばかりだった。
『…わかってる。自分の心が弱いだけだ。あいつらの所為にした自分が嫌いになる…。』
頭と心で反抗し合う感情と折り合いをつけようとしていた。
『いや…自分が嫌いだ。』
神鳥 切の腑に落とした所は自分自身だった。
全てをもう投げ出してしまいたいと思う感情が浮上し、一瞬手が止まった。
『あぁ…。恵もこんな感じだったのかな…。』
もう何もしたくない。
逃げ出したい。
この場から立ち去りたい。
神鳥 切はそんな感情を抱き、さらに何をしても失敗に向かってしまう様な不安にかられ、負の思考が神鳥 切を戒めていた。
しかし、その時だった。
「切くん!!頑張れ!!」
「負けたら承知しないだから!!」
盛り上がる観客の方面から2人の女性の声が聞こえた。
神鳥 切は虚ろな瞳で声の聞こえた方を見た。
声の主は上条 明と鷹柱 為心だった。
そして、上条 明が更に大声を張り上げた。
「私をセンシビリティに連れて行きなさい!!」
「…え?」
神鳥 切は上条 明のあまりにも意味のわからない言葉と鷹柱 為心からは想像のできない大きな声での声援に驚きと疑問で思考が停止した。
しかし、上条 明が負けた時の多壊 陽との会話もあり、不思議と答えをゆっくり探し出すことができた。
神鳥 切達がこのバトル祭でセンシビリティへの出場を獲得し、応援する存在として招待しろ。
上条 明は神鳥 切にそう訴えていたのだ。
自分達の思いを乗せて神鳥 切達に託しているのだ。
『…。』
掛けられた言葉は些細な物だが、その言葉の裏にある思いは大きく今の神鳥 切の心には深く響いた。
そして、気付けば上条 明の言葉で負の思考に浸っていたのが嘘の様に消え、鷹柱 為心の声援で気持ちが押し上げられた。
『なら、俺はここで負けてはならないよな。諦めるなんて許されないよな。俺は今、皆んなの気持ちを知っているのだから。』
神鳥 切は答えが見えた。
あの時の逃げてしまった須堂 恵の抱いた感情。
その時の自分自身と千場 流が抱いた感情。
この時の鷹柱 為心と上条 明が抱いた感情。
神鳥 切は知っていた。
『今やれる事をやるしかない。』
神鳥 切は正気を取り戻した。
『今のこの完成が見えないスタイルじゃ勝てるはずがない。勝つなら、負けるリスクを負わなければならない。なら、一層の事全く別のスタイルに変えた方がまだマシだ。スタイルを考案してたら間に合わない。今まで見てきたスタイルからコピーを作るしかない!』
思考がまとまり、神鳥 切は首つけ根の長さに残していたボブスタイルに対し、コームを髪の根元まで入れ刈り上げ始めた。
決意した後の神鳥 切はまるで別人の様だった。
それを気にしていた隣の須堂 恵は。
『切の空気が変わった!』
それまで須堂 恵は神鳥 切を自分と重ね心配していた。
しかし、先程までの神鳥 切とはまるで別人だった。
虚ろの様だった瞳は見開かれ、腰を落とし正しい姿勢へと変わり、そしてなりより笑みは溢れ楽しそうだった。
『あいつの何かが変わったな。』
目の前にいた京乃 十夜も神鳥 切の変わり様に気づいた。
しかし。
『今更巻き返したところで残念ながら無理だよ。』
心の中でそう囁いた。
「残り20分です。」
その時、残り時間を示すアナウンスが流れた。
『くそッ!せっかく切が本調子になったのに時間が足りねぇ!』
須堂 恵はそう思った。
『…まだ集中しきれてない。あの感覚が今必要なんだ。もっと…もっと集中しろ。』
神鳥 切自身も葛藤していた。
『こい…こい…。』
全神経を今の手元のみに集中させ、神鳥 切のカットスピードは徐々に上がって行く。
周りの雑音は遠くなり、自分だけがそこに居る感覚。
視界からではなく、外側から操作する感覚。
『…こい!!』
気付けば以前経験した感覚がそこにはあった。
『よし。逆算して残り時間は…セットで8分は欲しい…カットできる時間は12分ないぐらいか。…間に合うか…?…いや…間に合わせる!』
猛烈なスピードでカットする神鳥 切の目の前で京乃 十夜はセットに入っていた。
『今更本気を出したところで遅いのに。そもそも流ちゃんの為にどうしてそんなに頑張れるのかね。俺ならやだね。』
そう思いつつ京乃 十夜は終盤に差し掛かり、作ったスタイルにスプレーをかけ始めていた。
「終わりました。審査お願いします。」
この会場で、このバトルの中で、京乃 十夜は誰よりも先にスタイルが完成した。




