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小さな約束

15 小さな約束



「はい…どうぞ。」


ドアが開くと一人の女性が入ってきた。


「突然お邪魔してすいません。」


神鳥 切は驚いた。

そこに居たのは妹の親友、黒駄 未沙だった。


「黒ちゃん!?どうしたの?…もう…ここに来て大丈夫なの?」


数日前の東北大震災の日。




❇︎ ❇︎ ❇︎




黒駄 未沙は神鳥 切に言われるがまま近くのマンションの屋上に居た。

遠くを見つめ、古里が海に消えていく様を眺めていた。

育った地、思い出の地、大切な地、全てが簡単に海に飲み込まれていく。


「…。」


そして、黒駄 未沙は数分前の出来事が脳裏に焼き付いていた。


「あ…プーちゃん…。」


逃げ行く人込みの中を家に向かった神鳥 美撫。


「黒ちゃん高いところに避難して!ここは海から近い!もしかしたら本当に死ぬかもしれない!あそこのマンションなら多分大丈夫だから!俺は美撫を追いかける!!」


そう言って神鳥 美撫を追いかけて行った神鳥 切の背中が頭から離れなかった。

嫌なイメージだけが黒駄 未沙を襲っていた。

あの時、2人をなんとしてでも止めるべきであったと、自分自身が嫌われようが、憎まれようが、恨まれようが、大切な親友と、大好きな親友の兄、神鳥 切をなんとしてでも引き止めるべきであったと。

黒駄 未沙は心から後悔していた。


「…え…人…?…嘘…?」


その時だった。

屋上から眺めていた先に流されているボートがあった。そして、2人がいるのを発見した。

黒駄 未沙は親友の神鳥 美撫とその兄である神鳥 切が生きて帰ってきてくれた事に喜んだ。


「帰ってきた!無事に2人が帰ってきた!よかったっ!」


本当に嬉しかった。

心が安堵した。

地震の規模がかなり大きかった為、予想外の津波に黒駄 未沙は2人を心配していた。

最悪の場合も考えていた為、心苦しさが胸一杯に膨らんでいたが、2人は帰ってきた。

嬉しさのあまり黒駄 未沙は大声を上げた。


「みぃなぁーーっ!おにぃさぁーん!」


自分はここにいるよ。2人ともおかえりと伝えたかったのだ。

すると屋上にいた街の大人たちの1人が、


「やばいぞっ!あのままだとこのマンションにぶつかる!早く助けに行かないとっ!」


「え?」


「追突した衝撃で海に投げ飛ばされるって言ってんだっ!急げ!」


そう言って大人たち数人は階段を使い、下に降りて行った。


黒田 みさは生きていた2人を見つけ、安心し、肩を撫で下ろしていたが、まだ2人の危険は続いていた事に改めて気づく。

そして黒駄 未沙も全速力で階段を駆け降りた。

3階フロアに着く途中に衝撃音が耳に入ったが、おそらく、ボートがマンションにぶつかった音だと直ぐに理解した。

黒駄 未沙は焦った。

2人は無事ではない可能性を否定できなかったからだ。

そうして3階フロアに着いた時。

目の前の光景に驚いた。


「…やめろ…ダメだ…離れちゃっダメだっ!やめろっ!ここまで来てっ!…そんなのってっ!…あっ!…あぁ…や…やぁめぇろぉぉぉぉ!」


その場から続く通路の奥で神鳥 切だけが塀の外に体を乗り出し、荒れ狂い叫んでいるのが見えた。

黒田 みさは瞬時に理解した。

きっとあの塀の向こう側に親友の神鳥 美撫が兄の神鳥 切と腕一本で繋げられているのだと。

直ぐに全速力で走り出した。


『お願いっ!間に合ってっ!』


「やだっ!死にたくないっ!待ってお兄ちゃんっ!嫌だっ!嫌だよっ!お兄ちゃんっ!お兄ぢゃんっ!おに……」


急に神鳥 美撫の声が聞こえなくなった。


「みぃな゛ぁぁぁあ!!!」


神鳥 切の叫び声が聞こえた瞬間、黒駄 未沙も理解してしまった。


「…い…いっ…やぁぁぁぁあああ!!!」


間に合わなかった。

目の前の現状を受け止められず、悲鳴をあげた。

そして、親友は海に落ち流されながら。


「お…にうぐ、ちゃぁぁん!!」


必死に助けを求めていた。

それを目撃してしまった黒駄 未沙は


「…あっ…ぁあっ…。」


あまりの衝撃に耐えきれず、その場に崩れるように倒れ、気絶した。



❇︎ ❇︎ ❇︎



まだあれから数日しか経っていない。

それなのに、黒駄 未沙はここへ来た。


「…いえ…本当はまだ実感がなく……」


黒駄 未沙は神鳥 美撫を見て驚いた。


「え…?」


まるで一瞬、時が停まったかの様だった。


「き…綺麗…。」


口に手を当て、言葉を失い、自然と涙が溢れ出た。


「東京の美容師さんに、たまたま頼める機会があって…美撫が喜んでくれたらなって…思ったんだ…。綺麗だよね…今にでも目を開けそうなのに…眠ったままなんて…嘘みたいだよね…。」


冷たい空気が流れた。

押し潰されそうな空気に抗うかの様に、黒駄 未沙は泣きながら言葉を続けた。


「あっあのっ!…今日は…私…どうしても…お兄さんに…伝えておかなければならない事を…言いに…ここまで来たんです…。」


「伝えたい…こと?」


「美撫は…私にずっと…自分の夢を語っていました。お兄さんは凄い人なんだと。」


「え…?美撫…が?」



❇︎ ❇︎ ❇︎




「すごーい!それ、本当にお兄さんが切ったの?」


黒駄 未沙が物珍しそうに神鳥 美撫の髪型を見ていた。


「そうだよ!凄いよね!?私もびっくりしちゃった!」


2人は休みの日にカフェでそんな会話をしていた。


「でも何でまた急に髪なんか?」


黒駄 未沙は素朴な疑問を感じた。


「美容室代を自分のお小遣いにしたかったみたいよ?」


「何それー!笑っちゃう!」


「本当に笑っちゃうよね!…でも…。」


「でも?」


「普通はそんな事で髪なんて切れるようになれるはずがないんだよね…。」


「え?どういう意味?」


黒駄 未沙は神鳥 美撫の言葉が理解出来なかった。

現に、目の前にはもう既に神鳥 切が切った髪型が存在するからだ。


「私もね、美容師になりたいから色々と調べたの。そしたらさ。美容師になるまで下積みでアシスタントを3年から長くて7年もするんだって。しかも、その中でもカットの練習が1番難しいのに、カットの事を何も知らない、ど素人のあの人はそれをたったの2ヶ月で出来ちゃったんだよ?信じられない。」


「それが本当なら…お兄さんって…。」


「うん。多分才能があるんだと思うんだよね。…でも才能は才能でも、きっと努力の才能なんだと思う。指の絆創膏かなり酷かったから。」


「そうなんだ。」


「でも、努力無しで才能に恵まれるのも羨ましいけど、努力する才能があるお兄ちゃんは本当に凄いと思う。…その1つの目標、いや、必ず成し遂げたい目標にゼロから成し遂げてしまう才能が本当に凄いなって思うんだよね。それが…とてもかっこいいって思ちゃう。」


神鳥 美撫はまるで恋する乙女かの様に頬を照らした。


「なんか…お兄さんかっこよくて…それに意外と可愛いね。」


黒駄 未沙は神鳥 切の意外な一面を見た。


「そうでしょー?私もそう思うの!それに…」


さらに神鳥 美撫は言葉を続けた。


「私…結構嬉しいんだ。私が夢に見る美容師に大好きなお兄ちゃんが美容師になってくれたらいいなって本当に思うんだけどね。」


神鳥 美撫はさっきとは違う何処か遠くを見て寂しそうにそう呟いた。


「その言い方だとお兄さん美容師にならないの?」


「うん。ならないみたい。一時期は色々と調べてたみたいだけど、それももう無くなっちゃった。多分理想と違ったんだと思う。」


「そう…なんだ…。美撫は残念?」


「すっごく残念!だから…私が美容師になって…髪を切ってくれる事がこんなにも嬉しくて、そして、凄くいい世界だって私がお兄ちゃんに教えてあげるんだ。」


その時、黒駄 未沙は、その言葉を発した神鳥 美撫が

何処か輝いていて、そして、凄く大人に見えた。




❇︎ ❇︎ ❇︎




「美撫は…美撫はっ…お兄さんが…美容師になる事を……望んでます。」


「…え…?」


「だから…美撫はいつも…お兄さんが美容師を諦めてしまった事に…。」


「ずっと…怒ってたって事か…。」


「きっと…そうだと思います。」


妹は、神鳥 切が美容師に成る事を恨む事など、ましてや、許す許さないなど、悩む事など、初めから関係なかったのだ。

どんな時でも兄を思い、評価をし、神鳥 切が知らないところで、神鳥 美撫は兄を支えていた。

黒駄 未沙はそれを伝えに来なければならなかったのだ。

きっと、兄である神鳥 切は悔やんでいるだろう。

後悔しているのだろう。

きっと、前に進めていないだろうと思い、神鳥 美撫の意思や、願いを、伝えなければならないと意を決してこの場所へとおもむいたのだ。


「…俺は…そんなことも知らずに…。」


神鳥 切は決意の眼差しに変わった。


「…黒ちゃんの前で…美撫に…誓うよ…。俺…本気で…美容師に…なる。」


その言葉を発した瞬間、風が吹き、茜色の夕陽が神鳥 切を照らし、その光景は一瞬、時が停まったかの様だった。




❇︎ ❇︎ ❇︎




「俺が…美容師になるのは…もう目覚めないかもしれない…妹と約束したからなんだ。」


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