妖4
((衣羽、お前はそこでじっとしてろ))
少女の頭に直接低い声が響く。足元を見れば、いつの間にか陣が描かれ、その中に立っていることに気づく。
((それがお前を隠してくれる。だから、動くな))
言われずとも、緊張から足は動かず、頷く事が精一杯だった。
"隠す"とは言うものの、目の前に広がる光景はリアルで隠れている実感は湧かないが…。
(ミキ君を…信じるしか無い…)
そう自分に言い聞かせ、強く握った手にはジワリと汗が滲んでいた。
「…さて。童よ。何しにここへ来た…? 」
「わかってるでしょ? 僕がここに来た理由。」
「カッカッカ! そうじゃのう。愚問だったのう。」
少年の両手には橙色の光が纏われ、すでに臨戦態勢だった。
「蛇…か。我とはあまり相性は良くないじゃろう? 」
そう言って狐は青い炎を手の平に出して見せ、応戦の構えを取る。
「…"半端者"に負ける気はしないけどね」
そしてその言葉は合図だった。
「爆ぜろ! 狐火!! 」
「此の力、我が盾となれ!! 」
その詠唱は二人同時。
青い炎は燃え盛り弾け飛ぶ。
橙色は少年の腕に合わせて広がると、炎を受け止め反射させる。
青と橙がぶつかり合う度に花火を連想させる。
そんな光景とは裏腹に、小刻みに手の平の角度を変えるミキ。
盾の向きを調節し、反射先を狐へと向けていた。
「知っておるぞ!! 管理人には相手を傷つける力は使えないとな! そうやって我の炎を受けるだけで勝てると思うておるのか!? 」
狐火の勢いは止まらない。
攻防一線かと思った、その時だった。
伸ばしていた腕を曲げると盾となっていた橙色が頭上に集まり塊へと成る。
止まない炎はミキだけを避けるように降り続く。
そして、少年は呟いた。
「これだから、"老害"は困るんだよ」
刹那、大きくなった塊は炎を押し退け一直線に狐へと飛ぶ。
「……っ!? 」
避ける間もなく、直撃だった。
狐に当たり弾けた塊。
外傷こそ無いものの、朱に塗られた唇の隙間から鮮血が飛んだ。
「なん…じゃ…これは…っ」
衣服を握り、賽銭箱に手を付いた彼女の表情は「信じられない」といった表情だった。
「"攻撃"じゃあない。ただ僕は、”還した”だけだよ」
「そ、そんな…事が…」
「ふふ。今の"巳の管理人"はね、ちょっとだけ術の応用が上手いんだよ」
唇を噛み締め少年を睨む狐。
毛が逆立ち面積の広がった尻尾が怒りを体現していた。
「小童めが…馬鹿にしおって……」
血を吐き出し口を袖で拭った彼女は、何故かここで笑みを浮かべた。
「しかしやはり童は童。甘いのう…」
徐に腕を上げ、指をさす。
「………なに言ってるの?」
「…………!! ミキ! 衣羽だ!! 」
白蛇の声に気づかされた時には遅かった。
「………えっ? 」
衣羽は狐の腕に抱えられる様にして拘束されていたのだ。
少女を隠していた筈の陣は崩れていた。
先程の炎の弾幕から飛び火したらしい。そこから綻びが出てしまい、衣羽の存在を稲荷神に伝える形になってしまっていたわけだ。
「衣羽………っ! 」
「カカカ、甘いと言ったじゃろう? 」
少女は狐の豊満な胸に押し付けられ、息が出来ない程に抱き寄せられる。
「ふむ。女子よ、これまた奇っ怪な奴じゃ。真に人間か? 」
白く長い指は衣羽の顎を掴む。
そして、"ペロリ"と頬を一舐めされたのだ。
「…………っ!? 」
「やはりそうじゃ。汝からは一寸たりとも"気"を感じぬ……」
「まさかとは思うけど、"お稲荷さま"ともあろう貴女が、人間に手を出すなんて事…しないよね? 」
珍しく焦った表情のミキが、そんな問いかけを投げる。
衣羽の頬に自分の頬をすり寄せながら、狐はニヤリと笑った。
「童よ。汝はちと勘違いしているのう…」
そう言った直後。
衣羽は黄金色の吸い込まれそうなほど綺麗な瞳と目が合う。
そして…。
「……っ!? 」
…わけもわからぬまま、唇が重なった。
紫煙の香りが鼻に抜けたのが彼女の最後の記憶。衣羽の意識は途切れたのだった。