妖3
現在時刻は午前9時を少し過ぎた頃。まるで一般的な会社員のような出社時間に2人と1匹は朱い神社の前に居た。
中には昨日は居なかった作業員が数名見える。奥の方にはクレーン車が本堂を崩し始めていた。
「……居るね」
鉄骨の中を真っ直ぐに見たミキが呟く。
つられて助手も見てみるが特に何かが見える事は無かった。
「居るって…その…狐が? 」
”稲荷神社”と掲げられた鳥居を見上げる。
まだ撤去されてはいないが所々ささくれていたり色が禿げていたりと、元々手入れが行き届いていた所ではない事が伺えた。
「結界が張ってあるね。まあ、”辛うじて”…って感じだけど」
そう言った彼が光を纏った手の平を鳥居の入口に添える。
するとこれまで見えなかった薄い膜のようなものが浮かび上がった。
「これが…結界…? 」
「うん。そうだよ。」
そして少年は膜を突き破る様に手を奥へと差し込んだ。
いとも簡単に裂け目が出来てしまう。
「ふむ。なんだ、変な力の波長だな」
ツチの低い声は警戒が混ざっていた。
「そもそも、神社は本来神聖な所だ。そこを巣にしているなんて、普通の妖じゃあないね。」
「ああ。少し厄介かもな」
「こ、ここに居るのは…何なの…? 」
衣羽の問いかけにミキは首を傾げるだけだった。
手際よく結界が破れていくと共に緊張も広がっていく。
人が通れる大きさまで開くのはあっという間だった。
奥から流れる風が、とある匂いを運んできた。
「この匂いは…? 」
少し心地良いような、お線香に近い匂い。
「衣羽から嗅いだ、煙管の匂いだ」
「え…じゃあ、これが…? 」
「そうか。じゃあやっぱりあの歯型の犯人はこの中で間違いないって事だね」
そしてミキは特に躊躇うこともなく、結界の向こう側へと渡った。
「あっ! み、ミキ君…っ! 」
「ほら、早く。修復し始めてる」
「えっ!? 」
「早くしないと閉じちゃうよ」
「衣羽! 突っ込め! 」
「はっ、はいっ!! 」
ツチの声に背中を押されるようにして衣羽も神社の敷地へと足を踏み入れたのだった。
――…そこは、別世界のように澄んだ空気が流れていた。
外観で見ていた鉄骨も、作業員も、クレーン車も、無い。
まるでこの空間だけ切り取られた様だった。
鳥居を背に、奥に進めば朱に染まった本堂が見える。
そして……
「汝共、何者じゃ」
…それは、居た。
朱く長い髪の毛。着崩した衣服から露になった肌。
なにより目を引いたのは、真っ白な獣耳と九つの尻尾だった。
"人外の者"であることが衣羽でも理解できる。
人間の形をしたそれは賽銭箱に腰を掛ける。
煙管から出る煙が晴れれば、見惚れるほどに美しい顔が現れた。
黄金色の瞳が真っ直ぐにこちらを見据えている。
そして、対峙する少年も言葉を発する事も無く 朱 を見つめていた。
張り詰めたその場は互いにの力量を図っている様でもある。衣羽は唾を飲み込むのがやっとだった。
そんな中、先に動いたのは人外の者。
煙管をつかんだ指は口まで運び、吸い口を喰わえれば深く煙を吸う。
香煙を吐き出しながら、それはもう一度言葉を漏らした。
「……汝共は何者じゃと聞いておろうが」
苛立ちを込めた声音だった。しかし、問いに答える者はいない。
また少しの沈黙が流れるが、痺れを切らした 朱は舌打ちをした。
「黙っておらんで名乗ったらどうじゃ。勝手に我の所に入って来たのそちらであろう。"ふほーしんにゅー"とやらになるのじゃぞ」
「軟弱な結界なんか張っているからだろう」
答えたのはいつの間にか衣羽の肩に乗った白蛇だった。
鋭い黄金色の視線がこちらに向く。
恐怖で肩を竦めるが、そんな衣羽など気にも留めていないそれは目を細めて煙をふかした。
「ふむ…いつぞや見た顔じゃな」
「なんじゃったかのう」と悩むように煙管の吸い口で額を小突く。
「ふんっ。まさかここに居たのがお前だったとはな。ずいぶん忘れっぽくなったもんだ。そろそろ歳なんじゃねえのか?」
皮肉を口にしたツチはミキの肩へと移動する。
「ああ、思い出した。土蛇か。そうかそうか。その小憎たらしい口はそうじゃった。
……となると、その白い童は"管理人"かのう…」
不敵に笑みを浮かべると、煙管の灰を地面に落とし懐に仕舞った。
「随分若いのう。しようがない。無知な童に我から名乗ってやろう」
やれやれといった様子で立ち上がると、朱い髪をかき上げながら言う。
「我は白狐の"色葉"。
稲荷神とも呼ばれておる。…まあ、昔の話じゃがのう」
そして、それを待っていたかの様に、少年もようやく口を開いたのだった。
「僕は槌之土 巳己。
……知っての通り、管理人だよ」