2.さて、どうすっかな
からりと軽快に扉を開いて、わたしはそのままぴしりと固まった。
視線の先には、一人の男子。
え、うそ、先客?
まず、そう頭をかすめたのは、彼が制服を着ていたからだ。わたしと同じようにクラブ紹介をサボろうとする奴がいたんだろうか。
でも、同い年の新入生にしては妙に落ち着いている気がする。
てことは、上級生?でも、たしか2年生以上は午後休みになってるんじゃなかったっけ?
色んな仮説が浮かんでは消え、を繰り返す。いや、ていうか、保健の先生はどこだ。
「いらっしゃい、どうかした?」
わたしの登場に一瞬驚いた顔をした先輩(推定)は、次の瞬間、にこやかにそう声をかけてきた。
人当たりの良いさわやかな笑顔。しかも、ちょっとどこの芸能事務所から出張してきたんですかってレベルのイケメンだ。
思わず、顔が引きつりそうになる。
うん、この人に近づいたらヤバい気がする。
イケメンは遠くで鑑賞するものであって、近くにいたら面倒なのだ。わたしは、それを嫌というほど思い知っている。
「あ…の……クラブ紹介の最中に、ちょっと、気分が悪くなって……」
だから、思わずしどろもどろになったのは半分は演技ではない。ホールに戻った方が良いかも、いやでも、という心の葛藤があったせいだ。
だがもちろん、目の前の彼はそんなわたしの心中など知るよしもない。むしろ、しどろもどろなのは体調が悪いのを無理にしゃべってるせいだと勘違いしている様子だ。
「そりゃ大変」
そう呟くと、彼はちょいちょいとわたしを手招きする。
「大丈夫?熱でも測る?」
言いながら、勝手知ったる顔で救急箱を取り出し、中を漁る。いやいや、待て。それ、あんたがやって良いことじゃないよね?
「体温計、確かここにあったと思ったんだけどなあ」
何で知ってる。ものすごく声に出して突っ込みたかったが、もちろんできるはずもない。じりじりしながらわたしが突っ立っていると、彼は不思議そうに首をかしげた。
「とりあえず、座ったら?気分悪いんでしょ?」
「あ、ありがとうございます……」
うん、お気遣いは有り難い。でも、当然みたいな顔してそこにいるけど、どう考えてもおかしいよね?
「あ、あった、あった」
目当てのものを見付けた彼は、嬉しそうにわたしの前にやってくる。
「はい、体温計。寒気とかある?」
「あ、いえ、それは大丈夫です」
受け取りはするが、ここで熱を測れと?誰とも知れん男子と二人っきりで、それは大分抵抗がある。
「そう?じゃあ、この入室記録、書いて。ここにクラスと名前と、生徒番号も」
当然のようにノートを差し出しても来るけど、本当に、いい加減気づいてほしい。
あんた、誰だ?
「……………………あの、先生は……?」
もちろん、直裁的に聞けるわけないから、遠回しにそう言ってみる。返ってきた答えはあっけらかんとしていた。
「さっきまでいたんだけど、ウチの学年主任に呼び出されて行っちゃったんだよね。すぐ帰ってくると思うけど?」
的確な返答、ありがとう。でも、それ以上に聞きたかったことに応えてくれてない!いや確かに、わたしの問いかけにはちゃんと応えてるけど、わたしの不審オーラ見えてないのか?空気を読め!
「そう、ですか。あの……で、貴方は、先輩……ですか…………?」
こうなったらもう、直接訊くしかない。おそるおそるそう聞くと、彼はようやく思い出したように笑った。
「あっ、ごめんごめん。そうだよな、誰だお前って感じだよな。おれは2年の結城遥斗。今日は2・3年が午後から休みだから、調べモノしに来たんだけど、先生が呼び出されちゃってね。留守番を仰せつかってたとこ」
それで良いのか、保健医。普通、そういう場合って鍵閉めていったりするもんじゃないの?それとも、この先輩は先生の信頼の厚い人ってことなんだろうか。
「そうなんですか。あ、わたし、1年の中原です」
「中原さんね。熱、測んなくて大丈夫?」
「あ、多分……。熱っぽくはないので」
「そっか。とりあえず、奧にベッドあるから休む?」
「勝手に休んでても、良いんですか?」
「先生が帰ってきたら言っておいてあげるよ。しんどいんだったら、無理しない方が良いんじゃない?」
押しつけがましくなく、かつ面倒見が良い。顔だけじゃなくて、性格も良いんだなあ。
うん、なおさら近づきたくない。
「じゃあ、休んでます」
ことさら硬い表情を作って、わたしは先輩にぺこりとお辞儀する。それに対して、彼は気にする風もなく、愛想よく笑う。
「お大事に」
「ありがとうございます」
そう言って、もう一度頭を下げ、渡されたノートに名前とクラス番号を書き込む。
ノートを渡すと、一瞬驚いたような顔をされた。……まあ、気持ちは解らんでもない。でも、笑顔の爽やかさが上がっている気がするのは何でだ!?
「先生のことは気にしなくて大丈夫だから、ゆっくり休んでて良いよ、中原人魚さん」
うん!そうだよねえ!インパクト強い名前だもんねえええ!!ああ、もう、絶対名前覚えられてるよ。泣きたい。
もう何も言うまいと、わたしはその言葉にさらに会釈を返し、ベッドへと向かった。
姿が見えなくなって、大きくため息をつく。
「さて、どうすっかな……」
あの先輩がどんな人かは知らないけど、絶対面倒なことに巻き込まれそうな気がする。
とりあえず、考えられる様々な状況を考えていたら、結局そのあとは眠れなかった。
全く、これでは何のために保健室へ潜りこんだのかわからない。自分の巡り会わせの悪さに、わたしはうんざりとため息をついた。