荒ぶる魔王選定戦(1)
魔王様と婚約してから半年と少し。
とうとう魔王選定戦最終戦がやってきた。
最終戦では、数百人の応募者の中から乱戦トーナメントで絞られた十人が魔王様と一対一で戦うことになっている。
最終戦会場となっている魔王軍訓練場の扉から中をのぞくと、最終候補者の人たちが闘志を剥き出しにして簡易椅子に座る魔王様をにらみつけていた。
それにしても、最終候補者のバラエティは豊かだ。
竜族の人や岩の肌をした人など人型を取っている魔族以外にも、透明の巨大バケツゼリーのような魔族や、水牛と虎のハイブリッドのような魔物らしさあふれる魔族など、見たことのない種族がいっぱい。
ゼリーっぽい魔族さんは書類仕事をすることはできるんだろうか?
「雪子、早く届けて来てちょうだい」
まじまじと最終候補者を観察していると、後ろからメイド長にせっつかれた。
雪子ははっと背筋を伸ばし、メイド長が怒っていないのあを確認してちょっとほっとする。
「すみません、なんていうか普段見ないような人がいっぱいで入りづらくて」
「ああ、あなた箱入りだものね」
メイド長は肉感的な唇をくいっと持ち上げた。
「箱入り?」
「ええ。あなたが怖がるといけないからって、あなたが魔王城に来てすぐ、人型を取れない魔族が城内から左遷されたのよ。補償金が高かったせいか人型の魔族まで左遷されたがったのは良い思い出ね」
なにそれ知らない!
ってか魔王様、そんな理由で部下を左遷しちゃ駄目でしょ。
駄目上司! 駄目魔王!
「ほら、試合開始まで15分しかないわ。早く行きなさい」
「は、はいただいま」
メイド長に背中を押され、転がるようにして訓練場の中に入る。
雪子が訓練場の中に入ったことを確認したメイド長は背を向けて魔王城へと戻っていった。
だだっ広い体育館の中を壁沿いに進み、大量の目玉にぎょろりと睨まれたりしつつ南側の壁際に座る魔王様にお茶のセットを届ける。
ソトヅラ完備の魔王様はしっかり開かれた赤い瞳を不敵に輝かせていて、ちょっと胡散臭い。
「お飲み物をお持ちしました」
簡易机の上にバスケットを乗せ、保温瓶やカップやお菓子を取り出す。
保温瓶の中身は砂糖とシロップを既に投入済みの紅茶の味のしない甘い液体だ。
「ありがと」
白磁のティーカップを優雅に傾ける魔王様に突き刺さる視線。
採用試験で試験官が目の前でティータイムを始めたら殺気の一つや二つわくのは当然だ。
しかし魔王様は気にした様子もなく、料理長お手製のクッキーをもりもりと食べ続けている。
待機しているシェムさんが書類をめくって高らかに呪文を唱える。
候補者の一人が返事をして前に出てきた。
どうやら呪文ではなく名前だったらしい。
「これより、第一戦目を始める。他の者は白い線の外に出るように」
普段と違い高圧的な言い回しをするシェムさん。
レアだ! 耳に焼き付けておかなきゃ!
「じゃあ、行ってくる」
魔王様が立ち上がる。
金糸で刺繍された白いマントがひらめいた。
コスプレみたいだけど、金髪で色白のせいかなぜか似合ってしまうのが不思議だ。
「いってらっしゃいませ」
魔王様が前へ進んでいく。
訓練場の真ん中、白い枠線によって囲まれた100m×100mの内部が戦闘エリアだ。
武闘家らしい魔族と白色の魔王様が対峙する。
戦闘エリアを囲むようにペールグリーンの結界が立ち上がる。
壁際に控えている軍の人たちが発動させたんだろう。
「用意、始め!」
シェムさんの声が響き、悠然と構える魔王様に武闘家が突っ込んでいく。
ひょろ魔王様が肉弾戦!
魔王様が負ける気しかしない!
しかし魔王様は武闘家が到着する前に白い光で包まれ、瞬間移動してしまう。
武闘家がどんな速度で突撃しても魔王様の瞬間移動の発動の方が早い。
「今の魔王は攻撃型で移動魔法は不得意なんじゃなかったのか? 移動魔法を無詠唱発動させるなんて聞いてないぞ」
ギャラリーの候補者の人たちがざわつく。
「そりゃあ、俺が仕込んだからねえ」
後ろから聞こえた穏やかな笑い声。
いつの間に後ろに人が、と振り返ると、スーツ姿のクラヴィスさんが腕を組んで戦闘エリアを眺めていた。
「え、クラヴィスさん?」
「久しぶり、雪子ちゃん。間に合ってよかった」
いやいや、なんでいるんですかクラヴィスさん。
この前、もう二度と会わない的な空気で別れましたよね私たち。
「ほら俺、前魔王だから。審判補助員としてシェムシュに呼び出されてね。……おっと、見ててごらん、あと五秒で試合が終わるよ」
クラヴィスさんに促されて魔王様に視線を戻すと、魔王様が赤紫色の光を武闘家に放ったところだった。
武闘家はそれを走ってよけるも、赤紫の光がそれを追尾し、やがて着弾する。
黒い煙を上げて床に伏せる武闘家。
「そこまで! これにて第一戦を終了する」
戦闘エリアを囲んでいたペールグリーンが解除され、軍の人たちが武闘家を運びだしていく。
魔王様はそのまま第二戦をするつもりなのだろう、無感情にそれを見送った。
その間、シェムさんが素早くこちらに近づいてくる。
「おお、これはこれは。ようこそおいでくださいましたな」
「久しぶりだねシェムシュ。あれはちゃんと魔王をできてたかな」
「それはあなたの目で確認いただければと存じますぞ、白の鍵」
シェムさんとクラヴィスさんが笑みを交わす。
「ではそろそろ」
シェムさんが審判員と書かれた椅子に戻っていく。
次に呼ばれた候補者は10Lバケツほどの大きさの巨大ゼリーさんで、ぽよんぽよんと跳ねながら戦闘エリアに入っていった。
「クラヴィスさんって、なんで白の鍵なんですか?」
「ん? なんでって?」
「シェムさんが漆黒の影ていうのは気付けば側にいるのが影っぽいからかなっていうのでわかるんです。メイド長が緋色の死神なのも、昔緋色の魔法で無双してたって話からわかりますし。でも、クラヴィスさんがなんで白色で鍵なのかはさっぱりわからなくて」
戦闘エリアでは巨大ゼリーさんがミニゼリーを生み出して魔王様に突撃させていた。
ミニゼリーがそれぞれ爆発して散らばったかと思えば欠片がそれぞれ好き勝手に動き出したりしてちょっと気持ち悪い。
「白色なのは俺の魔法が白色だからだよ。鍵の理由は、移動魔法と解除魔法のせいかな」
「移動魔法と解除魔法、ですか」
「そうだよ。どんな扉や結界でも、それがないかのように内側に入り込んで解除するっていうのが俺の得意技でね。俺自体が鍵みたいなもんだってことでそう呼ばれるようになったんだよ」
「へえ、鍵をなくしても安心ですね! 便利だなぁ」
「でも、鍵をなくすと施錠できないから結局新しい鍵を買うことになるんだよね」
「わー……残念ですねそれ」
あ、魔王様がめくるめくゼリーの突撃にキレた。
赤紫色の炎で焼き尽くされたゼリーから煙が上がる。
「そこまで!」
戦闘エリアの結界が解除された瞬間、ゼリーから立ち上る生臭い煙がこちらまで漂ってくる。
吐きそうになるくらい臭い。
「換気が必要だね」
クラヴィスさんが宙を左手で撫でるようにすると白い光が訓練場全体を包む。
そして数秒、光が消えると、爽やかな森の香りがあたりに漂うようになっていた。
「突然の森!」
「気に入った? 森の中とここの空間の空気を交換したんだよ」
「すごいですクラヴィスさん! 白の空気清浄機って二つ名はどうですか」
「んー、ちょっと長いかな」
クラヴィスさんの笑みがこわばる。
空気清浄機はお気に召してもらえなかったみたいだ。
そうして第三戦、第四戦と続き、第七戦が終わると休憩時間になった。
戻ってくる魔王様のために保温瓶に残った紅茶をカップに注いでいると、クラヴィスさんはすいっと魔王様に近づいた。
「ベルちゃん、ちょっと」
「ん、なんだよおっさん」
「良いから耳を貸しなさい」
クラヴィスさんが魔王様の耳に口を寄せる。
一番近くにいる私でさえ聞き取れない小声はきっと周りにわからないように空気を遮断する魔法を使っていたりするんだろう。
魔王様の眉根が寄せられ、瞳の中に不機嫌そうな色が宿る。
しかし魔王様は何かを決めたように頷いた。
「雪子、城に戻ってライラにおっさんの分のコーヒーを持ってくるよう頼んでくれるかな。頼み終わったらすぐ戻ってきて、そっちの、候補者の近くに置いてある余ったベンチにでも座ってて」
「え、メイド長に持ってきていただくなら私が持ってきますよ」
「雪子はコーヒーの淹れ方わからないでしょ。調理場で四苦八苦するよりはここで次の魔王候補者を観察しててもらった方が良いかな」
なんと。
私、お茶くみ担当だと思ってたら観察担当だったのね。
まったく気づかなかった。
ごめん魔王様。
「わかりました。行ってきます」
訓練場の壁沿いに出口まで早歩きして、外に出たところで吊り革でお城までひとっとび。
魔王様の執務室でシェムさんの代わりに書類整理をしていたメイド長に伝言を伝えると、メイド長は「あの方の好みの豆はあったかしら……。深煎りブームの中で浅煎りを指定されても困るのよね」と悩ましげなため息をつきながら調理場へと駆けていった。
豆の違いだけでなく焙煎にも種類があるなんて、コーヒーは奥が深そうだ。
そうして戻ってきた訓練場で、候補者の人たちの近くに座り、失礼にならないように観察する。
残っているのは緑色の鱗を肌にのせた竜族の人と、フランス人形みたいな背の低い女の子、ジャージ姿の茶髪のお兄さんの三人だ。
とりあえずこの人たちなら魔物っぽい人たちと違って書類事務をできそう。
でも、十歳くらいの女の子が魔王の仕事をするには荷が重いんじゃないのかな。
なんかけっこうハードそうだし、魔王。
子どものうちから夜更かしして仕事してたら成長に悪そう。
「あと15分で第八戦を始めます」
シェムさんの声が響く。
戦闘エリアを挟んでむこうでは魔王様が紅茶を飲んでいて、クラヴィスさんは……あれ、いない。
トイレかな?
クラヴィスさんを探してあたりを見回した時だった。
「動くな。動いたらその喉をかき切る」
背後から響く低い声。
首元に突き付けられた黒い魔力はナイフのように鋭利だ。
そして、あてつけるように放たれる禍々しい威圧感。
視界の範囲にいるのは竜族の人と女の子。
ということは、後ろにいるのはジャージ姿のお兄さんだろう。
「あの、なんですか」
できるだけ静かに聞くも、黒い魔力の主はそれに答えず声を張り上げた。
「おい、魔王! これがおまえのお気に入りのオモチャだろう? これを切り裂かれるのと俺を魔王にするの、どっちが良いか選ばせてやるよ」
首元の魔力がぐいっと押し当てられる。
熱いような痛みと共に息が苦しくなる。
やばい、これ、このままだと死ぬかも。
「あの、苦し」
「苦しくしてんだよ。ほら、もっと苦しがれよ。おまえの魔王様に命乞いしてみな」
喉の皮膚が灼けるように痛い。
目の前の世界が色を失っていく。
「まお……さま」
簡易椅子から立ち上がった魔王様の目が細まる。
私には見慣れた糸のような目。
「なんだその目は! 俺がそんなんでビビるわけねーだろ!」
ああ、魔王様、なんか後ろの人が逆切れしてます。私に被害があるのでやめてください。
「君が僕の奥さんを利用するって言うなら、僕も奥さんを使わなきゃいけないね」
魔王様の穏やかな声が訓練場の空気を揺らす。
「な……」
ああ、逆切れが悪化してます。魔王様、しゃらっぷ。そして早く助けてください。
灰色の世界が黒い世界になりつつあります。
って、魔王様、その右手の魔力玉はなんですか。
やたら大きい魔力玉ですね。
……もしかしなくてもそれ、放つ気ですよね?




