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金環日食から金環月食へ

本日2度目の更新です。

 魔王様と約束をした日。

 雪子は順調に夜番との交代を終え、裏庭に向かった。

 裏庭は庭とは名ばかりのイモ畑だ。そういえばここで初めてキャッチボールを使えるようになったんだっけ。あれから一か月しかたっていないのに、もう何か月もたったような気がする。

 空を見上げれば、満月の下の方が欠けていた。


「お待たせ」


 声と共に一陣の風が吹き、思わず目をつぶる。

 恐る恐る開いた目の前には、馬よりも大きい真っ白に光り輝く鳥がいて、そこからスーツ姿の魔王様が地面に降り立った。


「迎えに来たよ」


 差し出されたのは一輪の赤い薔薇。

 トゲが全て取り去られたそれはキズなく綺麗に開いていて、鼻を寄せればしっかりとした香りが胸に広がった。


「貸して」


 魔王様が薔薇を雪子の髪にあてがう。そして左耳の上あたりに差すと、どこからともなく取り出したピンで器用に固定した。


「似合うよ。それと、手袋つけて」


 満足げに笑った魔王様は雪子に手袋を差し出し、それがはめられたのを見届けると雪子の膝の裏に腕を回して抱え上げた。

 お姫様抱っこの状態から持ち上げるようにして真っ白な鳥の上に雪子を乗せ、自らもその後ろにまたがる。雪子を後ろから抱きかかえるようにして安定させた魔王様は手綱を軽く引いた。


「飛ぶよ。しっかり掴まって」


 魔王様の合図と共に大きな鳥が翼を広げる。短い羽根をいくつかまとめてつかむのと鳥が飛びあがるのが同時だった。

 みるみるうちに遠ざかる魔王城。城下町の明かりが星のようで、上と下を星で挟まれたような気持ちになる。


「魔王様、この子って魔王専用車の友達ですか」


 サイズも含む見た目といい、乗り心地といい、色が違う以外は魔王専用車との違いは見当たらない。


「種族は一緒。でもこいつは先週仲良くなった僕専用の高級車」


「高級なんですか、っていうか車なんですか」


「魔界での高級車だよ」


 クルマって車輪がついてるものを言うと思ってたんだけど……。これが魔界クオリティか……。


「もうすぐ着くよ、ちゃんと掴まって」


 魔王様が雪子を背中から包み込むようにする。耳元に差された薔薇の香りにグリーンシトラスの香りが加わって胸が跳ねる。

 とくとくと鳴る鼓動を感じながら近づく地上を見ていると、以前も来たことがある岬が近づいてきた。

 波の音と潮の香り、そして水面にうつる星と、太い三日月のような月。

 あれ? 三日月?

 見間違いかと思って空を見上げると、そこには確かに太めの三日月が浮かんでいた。さっき見た少し欠けた満月とは全然違う月。まさか今の間にタイムスリップでもしてしまったのか。

 ずしりとした衝撃がお尻から全身に伝わって大きな鳥が着陸する。体勢を低くした鳥から降りた魔王様に腰を掴まれて降ろされると、鳥がこちらを一瞥した。


「乗せてくれてありがとう」


 声をかけると、きぃ、と短く返ってきた。律儀だ。


「雪子と初めて喋ったとき、人間界では金環日食があったでしょ」


「もうすぐ完成ってタイミングで魔王様に連れてこられちゃって見逃したあれですね」


「うん、それは悪かったと思ってる。だから、魔界での金環食を見せてあげようと思って」


 魔王様に合わせて空を見上げれば、月がどんどん細くなっていくところだった。


「魔界には太陽はないけど、月はある。そして、いつもは月の側に浮かんでいる星が、数年に一度月と重なるときがあるんだよ」


 裏庭で見た時はほぼ満月だった月は今にも消えそうに細くなって、でも次の瞬間、影の下から光が出てきて、光の輪ができた。

 これが金環……月食。

 黄色みがかった白い光は空の上で綺麗な輪になっていて、まるで指輪みたいだ。


「雪子、手袋取って」


 なんでこのタイミングで、と思ったけれど言い返すのも面倒で視線を月から外さずに手袋を取る。手袋をエプロンのポケットに入れるのを見計らって、魔王様が雪子の後ろに立った。

 そして顔の左肩に顔を乗せる。


「魔王様、顔が近いです」


「んー?」


 魔王様の香りが鼻をくすぐってくる。魔王様と視線を合わせないようにひたすら月を見ていると、魔王様が左手を上げた。

 月の近くに差し出された人差し指と親指。そこに挟まれているのは、白っぽく輝く指輪。


「こうやって見ると、空に浮かぶ指輪を取ってきたみたいじゃない?」


 耳元でささやかれて、胸と腹がきゅうっとなる。

 魔王様の右腕が後ろから私を抱きしめるように伸びてきて、私の左手を取った。

 そしてそのまま私の左手を持ち上げて、魔王様が持っていた指輪を薬指の先にあてる。

 はめるというより押し入れるに近い動作でぐぐっと指輪を押し込まれた。無茶な。


「無茶じゃない。ちゃんと入った」


 抑えたつもりが口に出てしまっていたようで、魔王様は苦笑交じりに後ろから抱きしめてきた。

 中心に赤紫色の宝石が埋め込まれただけのシンプルな指輪は暗がりの中でも白銀の光を返している。


「雪子、好きだよ。ずっと一緒にいてください」


「……はい」


 思わず答えてしまって、あれ、これはもしかして恋人を通り越してプロポーズなんじゃないだろうか、とか、いやこういう形の告白なのかもしれないとか、慌てて考え始めた私を、魔王様はくるりと回転させた。

 向かい合う形になって魔王様の顔を見れば出会った頃と変わらない大学生のような顔で、惚れた弱みなのか、どうしようもなくイケメンに見えてしまって困る。


「しばらく先にはなるけど、らぶらぶハッピーウエディングしようか」


 そう言って笑う魔王様は今まで見たことのない甘い笑顔で、糸のように細められた目も今日はとても素敵に見えた。

 ああ、さっきのはやっぱりプロポーズだったんだ。

 恋人っぽいこととかデートとか全部吹っ飛ばしてるし、結婚なんてこれっぽっちも考えてなかったけれど、でもまあ、これはこれで私たちらしいのかもな、なんて思う。

 魔王様の顔が近づいて、おでこに落とされたキスに目を瞑る。次に触れたのは右頬で、その次に唇に柔らかいものが触れた。

 すぐに離してもう一度。唇に触れたそれは今度は長く、体温を伝えてくる。

 やがて唇を離した魔王様は赤い目を半月状に光らせた。


「僕、白馬の王子様になれてる?」


 いつかの夢の中の会話を彷彿とさせるように魔王様が聞く。


「白馬の王子様って言うより、白鳥の魔王様ですよね」


 そばで大人しく待機している白い大きな鳥を見ながら言えば、「白馬は高級車で代用可能だって言ってなかった?」と返ってくる。


「冗談ですよ。大成功です、魔王様」


 恥ずかしくなって抱き着く。魔王様が抱きしめ返してくれて、嬉しくなる。

 なによ。なによこれ。

 私、幸せかもしれない。



次回、最終話です。

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