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新旧魔王の夜の時間

「来ると思ってたよ、ベルちゃん」


 雪子が朝帰りをした日の夜のこと、魔王アベルは城下町のワインバルに来ていた。

 ワインボトルを前に本を読んでいたクラヴィスが鷹揚に本を閉じる。


「うちのに追跡魔法かけるなんて良い根性してるね、おっさん」


 今朝方、抱き寄せた雪子から妙な違和感を感じて調べれば、雪子の耳の後ろを中心にアベルが掛けた魔素避けの魔法に混じって追跡魔法が組み込まれていた。ずいぶん前に仕込まれていたらしいそれがなぜ急に主張を始めたのかはわからない。主張をしていると言えど巧妙に隠されたそれを分解し魔力の主を辿った先がここだった。


「ふふ。一年前かな、初めて雪子ちゃんに会った時はびっくりしたよ。そのときはおつかいだったのかメイド服だったけど、俺が組み立てた魔法を思いっきり纏ってがんじがらめで、雪だるまみたいだったからね。ベルちゃんは相変わらず防御系はからきしみたいだね? 守護魔法も魔素避けも追跡も、全部俺の組んだ魔法をつぎはぎに使い回して」


「うるさい」


「過剰さは使いこなせていない印だ。だから他人に干渉されても気づかない。構造から理解していればもっと早く気づけたはずだろう?」


 クラヴィスが店員にコースを頼む。ついでに「少し早めにお願いできるかな、ここの彼がお腹ぺこぺこって顔してるから」と微笑みを足せば、若い女性店員は頬を赤らめた。アベルの機嫌が更に悪くなる。


「さて。せっかくだし乾杯しよう。俺の可愛い弟子との再会を祝して」


「僕にとっては厄介で面倒な師匠だけどね」


 ワイングラスが掲げられ、二人の唇を濡らす。渋くむせるような香りにアベルは顔をしかめながらも嚥下した。


「おっさん、あれは僕が見つけて連れて来た。本人の了承なしにあれに介入して良いのは僕だけだ」


 グラスをテーブルに置き、まぶたをしっかりと開いた状態でクラヴィスをねめつける。そんなアベルにクラヴィスは楽しそうに肩を揺らした。


「そう言うと思ったよ。だからメッセージを残してあげただろう」


「あれは伝言をすぐに忘れる程度に鳥頭だからね」


「おや、じゃあベルちゃんは聞かなかったわけだね? 禁酒令を出した可愛い可愛いメイドちゃんが魔界の酒にあてられて眠りこけたっていうのに、何を飲んだか一切聞かなかったんだね?」


 まさか。


「ブルームーン」


「なんだ、ちゃんと伝言できてるじゃないか。ちなみにそれ、雪子ちゃんはノンアルコールだと信じてたよ。ほんと、素直で可愛いよね」


 カクテル、ブルームーン。青紫の花のリキュールと蒸留酒、レモン果汁でつくられたそれは魅惑的な見た目と甘さを裏切り、ワインよりずっと度数が高い。

 そんな食わせ物のカクテルは、交際前の男女二人組のうち女が飲むときだけ特別の意味を持つ。「叶わぬ相談」。すなわち「あなたとはお付き合いできません」という拒絶のメッセージだ。

 雪子があえてそれを選んだなら自惚れても良いのかと思ったし、そうでないなら条件を破ったことを責めたかった。

 しかし、目の前の人間の口ぶりからすれば、どちらでもなかった。


「俺がどう動いたか知りたくて来たんだろう、アベル。俺が彼女を手に入れようとしたのかどうか、それが気になって仕方がないんだろう?」


 空になった前菜の皿にフォークを置き、クラヴィスはにやりと笑う。その笑みは魔王選定戦で見た時と同じだった。大局的に見ればクラヴィスが勝つ、しかしそこを譲ってあげようという、横柄な笑み。


「そんなもの興味はないね。僕はうちのメイドが世話になった礼と、追跡魔法をかけたことについての責任追及に来ただけだ」


「意地っ張りだなあ。主従っていうのは性格まで似るものなのかな」


 メインディッシュが二人の前に運ばれる。骨付き肉が目の前でサーブされ、クラヴィスが「彼に多めに」と店員に告げる。魔王引き継ぎのときを思い出す。当時アベルはまだ成長期の途中で、食べても食べても空腹になるような時期だった。クラヴィスは大皿料理が出る度にそのほとんどをアベルに渡していた。

 その時と同じ態度で、まるで当時から成長していないと言われているようで癪に障る。


「僕はもうガキじゃない」


 肉を噛みしめる。雪子だったら刺激が強すぎて胃の中で爆発を起こすであろう調味。強い塩味に、痺れる痛み。物心ついた時から好きな味付けだ。


「自分の大事な人には美味しいものを沢山食べてもらいたい、そういう気持ちを持ったことはあるかい」


「……あるよ」


 雪子を魔界に連れてきたその日、彼女はスープを一口飲んで倒れた。粘膜を赤くただれさせて熱にうなされた彼女に慣れない治癒魔法をかけ、それから慎重な挑戦が始まった。どんな食事なら食べられるのか。どんな味付けが好きなのか。どの食材が好きなのか。元人間のライラは身体を魔族としたせいで味覚はあてにならなかったし、人間の食事を知っているという新人コックも完璧とは言えなかった。

 味覚の問題で多くを食べられない以上回数を増やすしかなく、おやつの時間を頻繁に設けた。スプーンを口に入れた一瞬の表情やその後のカトラリーの動かし方を見極めたのは現料理長であるネイサンだった。彼は人間の食事について多少知識があっただけでなく、その観察力で雪子の好みを探り当てて見せた。

 美味しそうに食べる雪子は見ているだけで楽しい気分になれた。夜のおやつ会というネイサンと雪子の二人だけの夜食の時間を黙認したのも、雪子が好きな食べ物を見つけてもらいたかったからだ。


「それを愛と呼ぶんだよ。俺のは弟子への愛だけどね」


 クラヴィスが最後に注文したのは、コーヒーと紅茶、そしてデザート全種類。


「雪子ちゃんはいつも、色んな店でできるだけ多くのスイーツを食べようとしていた。なぜだかわかるかい」


「甘い物が好きなんだろ。あいつは食い意地が張ってる」


 紅茶がアベルの前に、コーヒーがクラヴィスの前に置かれる。


「不正解。雪子ちゃんが甘い物が苦手なのは知ってるはずだろう?」


 目の前に並べられたデザートは5種類。プリン、アイスクリーム、シフォンケーキ、冷凍フルーツ、ガトーショコラ。どれも美しく盛り付けられている。


「一つゲームをしよう。俺はこの中でベルちゃんが一番好きだと思うものを当てる。もし当たったら、ベルちゃんに三日間結界魔法をかけさせてよ」


「結界魔法? また人体実験かよ」


「そんなところかな」


「乗ってもいい。ただし条件がある。もし外れたら雪子から手を引け」


「いいよ」


 即答だった。クラヴィスは手帳を破いて軽く書きつけ、その紙を折ってシュガーポットの下に置いた。


「答えは書いた。俺はもう手を触れない」


 書き替えの魔法が使われていないか見極め、何の変哲もない紙切れであることを確認してからフォークを握る。プリン。ガトーショコラ。アイスクリーム。シフォンケーキ。冷凍フルーツ。ガトーショコラ。プリン。


「決まった。プリンだ」


 宣言してからシュガーポットの下の紙を抜く。

 そこに書かれていたのは

 「プリン」

 その一言だけ。


「どうしてわかった?」


「俺は一度雪子ちゃんとこの店に来たことがある。雪子ちゃんは全種類食べて、心底美味しそうに冷凍フルーツを食べていたよ。でも、持ち帰り用に買ったのはプリンだった」


 クラヴィスは穏やかに笑う。

 そして長い指でアベルを差し「かけるよ」と言って指先を数度回転させた。白い光がアベルを包み、やがて光が雲散する。


「この魔法は恐怖の感情をきっかけに発動して、接触した者と自身の双方に痛みを与えるんだ」


「なんだそれ」


「たまには遊んでもいいでしょう」


 デザートを完食して紅茶を飲み干す。クラヴィスは何かを考えているような様子で、やがてよからぬことを思いついたように目を半月型に細めた。


「気づいたんだけど、俺はゲームに勝ったから雪子ちゃんから手を引く必要はないわけだね」


「あれは僕のだよ」


「それは雇い主としての発言かな?」


「そうだ」


「じゃあ、俺が新しく雇い主になるって言って、雪子ちゃんが了承すれば万事解決だ」


 クラヴィスの口角がゆるりと上がる。


「今日は良い夜だったよ。おやすみ、ベルちゃん」


「待て」


 立ち上がるクラヴィスの腕をつかんだ瞬間、痺れるような痛みがアベルの体に走る。


「っ!!!」


「これ、思ってたよりクルね。いったいベルちゃんは何を怖がっているのか、ちゃんと考えると良いよ」


 店員から領収書を受け取ったクラヴィスはしれっと笑う。そしてそのまま転移魔法で消えた。

 発動の予兆を一切見せない、完璧な転移だった。




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