初めての夜遊びは過去の味(4)
真夜中のお茶会でお腹いっぱいになるまでケーキを食べた私たちは夜明けの街を歩いていた。
灰色の鳥がけたたましく鳴いて起きる時間を知らせてくる。
「私、徹夜したの初めてです」
「それなら俺は、健全な雪子ちゃんを悪い道に引きずり込んだってことになるのかな」
手袋越しに伝わる手の温度が高くて、酔ってるのかな、と感じる。
「次は早朝カフェだけど……どう、朝ごはん食べられそう?」
無理です。飲み物が入るかどうかさえ怪しいレベルです。
首を横に振る私に「やっぱり」とクラヴィスさんは苦笑する。
「テイクアウトもできるプレートパックで出してくれるところへ行こうか。お店で飲み物飲んで、食べられそうなら食べて、無理なら持ち帰ろう」
商店街はどこもクローズ札のかかっていて、開いているお店はない。人のいない静かな街を二人きりで歩いていると、なんだか別世界に来てしまったような気持ちになる。
太陽のない世界は夜明けが来ても空がやんわり明るくなるだけで、空が眩しすぎるような状態にはならない。ゆっくりと明るさを増してくる空は菫色で、バーで飲んだブルームーンを彷彿させた。
「着いたよ。カウンターで注文して、代金は先払いなんだけど」
「私払います。約束ですから」
クラヴィスさんの視線の先には、トリコロールカラーのサンシェードが張り出しているお店。ウッドデッキにテラス席もあって、昼時はさぞかし混むんだろうと思う。
カウンターのメニューにはドリンクが何種類かと「エッグマフィン又はサンドイッチ」と書いてあった。
「今のお時間はお飲み物をご注文いただくとお食事がつきますので、お好きな方をお選びください」
店員さんの案内に従って、クラヴィスさんがアイスコーヒーとサンドイッチ、私がフルーツジュースとマフィンを頼む。
夜カフェからの代金を考えると私の支払う分が少なすぎて挙動不審になってしまう。
「壁際の席でいいよね?」
クラヴィスさんはそんな私の様子をわかっているはずなのに気付かないふりをして二人分の商品の乗ったトレーを持って進んでいく。
財布をしまいながら壁際のテーブルに向かい合わせに座ると、ソファに身体が沈み込んだ。
「いっぱい奢ってもらっちゃってすみません」
「気にしないで。取材に付き合ってもらってるのは俺の方なんだから」
クラヴィスさんがアイスコーヒーに口をつけるのに合わせて紙コップに入ったジュースに口をつける。果肉感たっぷりのジュースは酸味があって美味しい。
ケーキのせいで紙の箱に入っているだろうマフィンを確認する気が起きてこず、ちびちびとジュースを飲んでいるとなんだかどっと気が抜けてしまう。
なんだろう、眠い。突然、とっても、眠い。
「クラヴィスさん……15分だけ、寝てもいいですか」
既に目を閉じた状態で聞けば「起こしてあげるよ」と返ってくる。その言葉に甘えてソファに上半身を横たえると、自分でもびっくりするほどあっけなく意識が沈んだ。
「雪子ちゃん、来るから起きて」
まっさらな頭の中に声が入り込んできて目を開ける。
「来る……? あ、起こしてくれてありがとうございます」
ゆっくりと体を起こすと、クラヴィスさんの真後ろで白い光の柱が立ち上がっていた。
光の柱が消え去ると同時に現れたのは紺のシャツをまとった男の人。
いや、ただの人じゃない、魔王様だ。
「何してんだよおっさん」
不機嫌な声と共に開かれた目がクラヴィスさんを捕捉する。
「ん? 朝食だけど? それよりも久しぶりに会ったのに挨拶がそれなんて俺は教育方法を間違えたのかな。ちゃんと朝ご飯食べた?」
「うちのメイドを昏睡させておいて良く朝食だなんて言えるね。しかも一晩通して連れ回すなんて、いかがわしいことでもしてたんじゃないの」
「ん? いかがわしいことをしても良かったのかな」
「ほざけ」
お怒りモードの魔王様をあしらうクラヴィスさん。というか、この二人知り合い?
「雪子、帰るよ」
「ベルちゃん、今代の魔王ともあろう人が他人のデートを邪魔するのはいけないよ。ね、雪子ちゃん」
私に話を振らないでください!
っていうか既に魔王様に腕をつかまれてるんですけど。逃げようがないんですけど。
「待って魔王様、ジュース飲み干すまで待ってください」
あいている左腕で氷が解けて薄まってしまったジュースを一気飲みして、鞄を取りがてら封を開けていないマフィンをつかむ。
「雪子ちゃんって良い子だよね」
「おっさんにはあげないよ」
魔王様に腕を引っ張り上げられるのに合わせて立ち上がると、クラヴィスさんもトレーを持って立ち上がった。
クラヴィスさんの醸し出す大人の余裕。魔王様の不機嫌オーラはまったく効いていないみたいだ。さすがイケオジ、一味違う。
「雪子ちゃんはどうなの?」
「え?」
「こんなわがまま坊やのところなんて辞めてうちで働いてみない?」
今それを私に聞きますか! クラヴィスさん、あなた私が魔王様に捨てられたら雇ってくれるみたいなこと言ってたじゃないですか、話の流れ的に最初からクラヴィスさんにお世話になることにはなってなかった気がするんですけど違うんですか!
「私は」
「帰るよ、雪子」
魔王様は私に最後まで言わせてくれなかった。その代わりに私の肩に腕を回して抱き寄せてくる。胸がどきどきする。恥ずかしい。でもちょっと嬉しい。なんでだ、これまではこんな気持ちになることなんてなかったのに。もしかして、好きだから? 私が魔王様のこと好きだからなの?
「あんまり束縛すると嫌われるよ、ベルちゃん?」
「放っとけ」
魔王様と私の周りに白い光の筋が立ち上る。
「またね、雪子ちゃん」
クラヴィスさんの声に「ありがとうございました! また連絡します」と返すけれど、クラヴィスさんの姿は光で見えなくて、次の瞬間には魔王様の執務室にいた。
「雪子、馬鹿なの? 外泊禁止や条件付の理由わかってないよね? 魔界は危ないんだよ?」
「ク、クラヴィスさんは危なくないですもん」
魔王様から離れながら言うも、魔王様の機嫌は直らない。
「どうだか。それとも、雪子はああいうのが好み?」
「クラヴィスさんはそういうのじゃないです! 優しいし大人だし包容力があるし素敵だけど、でもそういうのじゃないんです」
だって私、魔王様のこと好きになってたみたいなんですもん。言わないけど。
魔王様の意地悪な口調についかっとなって反撃すれば、魔王様の赤い目が剣呑な光を強めた。
「へえ、大人で素敵で? そういう男を前にしたら雇い主との約束も破るんだ? いったいバーで何を飲んだの?」
バーで何を飲んだか。
クラヴィスさんの予想通りの質問に用意されていた答えを返す。
「ブルームーンです」
「……そうか。あー、もういい。下がって」
魔王様は何か逡巡したように一瞬視線を泳がせて、でもすぐに突き放すような言葉と共に視線が伏せられた。
「ここまで送ってくださってありがとうございました。それと、朝ご飯まだでしたらどうぞ」
手つかずのエッグマフィンの入った箱を魔王様に差し出すと、視線を合わせないままながらも受け取ってくれた。
お辞儀をして部屋を出る。
魔王様のせいで眠気が一気にさめてしまったけれど、体がずっしりと重い感じがする。
クラヴィスさんにお礼のお手紙を出したらぬるめのシャワーを浴びて寝よう。
ヘアゴムを取って頭皮マッサージをしながら部屋に戻る。途中でメイド長とすれ違わなかったのは幸運だった。もしも頭皮を揉みながら歩いている姿を見られたら、きっと見咎められただろうから。




