初めての夜遊びは過去の味(2)
「いらっしゃいませ、ようこそキャプテンルビーの船へ。今宵は特別に海賊の宴へとご案内いたしましょう」
白シャツに黒いウエストエプロンをつけたギャルソン風の人が頭を下げる。
なんだか遊園地みたいだ。
ギャルソンさんについていくと店内はカウンター席とテーブル席があって、おじさんたちやカップルがグラスを傾けていた。
木の壁や床を照らすちょっぴり暗い照明に、お店の隅にある酒樽やボトルシップ、バーカウンター奥の壁に一面ずらりと並んだお酒の瓶がオトナな雰囲気だ。
クラヴィスさんと壁際のカウンターに座ると、木のカウンターの上に落花生に似た殻付きのナッツが五つ置かれた。
「このナッツは先出しみたいなものだよ。殻はそのまま置いておくか、床に落として大丈夫」
そう言いながらメニューを広げるクラヴィスさんに「掃除が大変そうですね」と返すと、「職業病だね」と笑われてしまった。
「シンデレラとマティーニを。それと海老と貝のアヒージョと堅パン、オリーブ」
いかにもバーっぽい注文をしているクラヴィスさんに呆けていると、クラヴィスさんが顔を近づけてきた。
内緒話かな、と耳を向けると、クラヴィスさんが囁くように言う。
「このお店は夜の始まりから夜明けまでやってるんだけどね、夜明けの一時間前になると真夜中のお茶会っていうイベントが始まるんだよ。楽しみにしていて」
真夜中のお茶会! 素敵な響きです。あと二時間くらいかな……待ちきれないかも。
そわそわとあたりを見回していると、バーテンダーさんがグラスを差し出してきた。
クラヴィスさんの前に置かれるカクテルグラスには透明の液体が入っていて、オリーブの刺さったピンが渡されている。私の前には黄色っぽいオレンジ色のカクテル。
「シンデレラに乾杯」
そう言ってそっとグラスを持ちあげるクラヴィスさんに合わせて、カクテルに口をつける。
甘い。オレンジジュースに……パイナップル? でも酸っぱいし、不思議な味。
アヒージョとはあまり合わないけれど、アヒージョ自体もすごくおいしい。堅いパンをアツアツのオイルに浸すと柔らかくなって、バターなんかいらないくらい。
「雪子ちゃんは本当に幸せそうに食べるね」
「幸せそうなんじゃなくて、幸せだからですよ」
ぷりぷりのエビを噛みしめる。美味しいって、幸せだ。
「雪子ちゃんは今のお屋敷が初めての職場? それとも他に仕事をしていたのかな」
唐突にそう聞かれて堅いパンをなんとか飲みこむ。
「今のお屋敷が初めてです。でも、もうすぐ転職するかもしれません」
そうだ、今日はクラヴィスさんにこの話を聞いてもらおうと思ってたんだった。
「それはどうして? 今のお屋敷に不満があるの?」
「雇い主が今のお屋敷を出るとおっしゃっていて、それで、ついてくるか、このままお屋敷に残るかを選ぶようにと言われたんです。この話は周りには内緒だって言われてるので誰にも相談できなくって」
「迷ってるんだね。おおかた、今の雇い主に恩があるけれどついていく勇気が出ないってところかな」
緑と黒のオリーブがクラヴィスさんの口の中へ消えていく。
私でもわかっていなかった迷う理由をいとも簡単に解きほぐして提示されて、ちょっと戸惑う。
「雇い主は今のお屋敷を出ても仕事はあるしお給料を払ってくれる気はあるみたいなんです。でも、たぶんですけど、今の仕事仲間は一緒に行かないと思うんです。私だけ雇い主についていくのもどうかなって思って。だけど、私、雇い主がいなかったら生きていけないというか……なんだろう、どうやって生きていけばいいかわからないというか」
まとまらない思考のまま口に出す。飲み物に口をつければ、温度変化のせいか酸味が引いて甘さを増していた。
「雪子ちゃんは……言いたくなかったら言わなくてもいいんだけど、この世界の生まれではないよね。悩んでいるのはそのせいかな」
周りの音がとまった気がした。クラヴィスさんの声を残して周りが遠ざかってしまって、まるで取り残されたように耳鳴りがする。
「知ってたんですか」
ぎぎぎ、ときしむような音と共に首をクラヴィスさんに向ける。
クラヴィスさんは穏やかな顔で私の視線を受け止めた。
「なんとなくね。でも雪子ちゃんが隠したいならそれで良いと思ったし、雪子ちゃんが魔族であろうとなかろうと俺の友人であることは変わらないよ」
その声はいつも通り優しくて、低くたゆたうように私の中に入ってくる。
魔界に来たばかりの時、魔王城で働いていた人たちが人間は魔族のおもちゃだと喋っているのをよく聞いた。そのたびに肩身が狭くて、私の居場所はどこにもないような気になって。私はいつも魔王様の執務室に逃げ込んで、「種族がなんだって言うの、お茶もろくに入れられない魔族より雪子の方がよっぽど役に立つじゃない」と言い切るメイド長やシェムさんに匿われてすごしていた。
自分が受け入れられたのは嬉しかったけれど、同時に、仕事ができないなら存在価値がないのではないかとも感じて。ずっと、いつかお払い箱になるんじゃないかと、怖くて。
でも、クラヴィスさんは、私が人間でも、友達だと言ってくれている。
シンデレラを飲み干すと、甘さと酸味が喉を抜けた。
なんだかすべて話してしまいたい気になって、改めてクラヴィスさんを見る。私の視線に気づいて顔を向けるクラヴィスさんの顔には優しいものがあふれていて。
ああ、話してしまおう。なんて。
「私……、私がこの世界に来ることになったきっかけとか、話してもいいですか」
声が尻すぼみに小さくなってしまう。
早まったかも、と言いながら後悔して、でもクラヴィスさんは。
「うん。聞きたい」
そう言って、私の決意を固めてくれた。




