メイド生活カムバック(2)
魔王の執務室はこの数週間の慌ただしさも落ち着き、通常の様子を取り戻していた。
ライラは執務室の窓を磨きながらアベルの様子を伺う。
今見ているのは通行手形に関する報告書。通行手形とは人間たちが伝説の剣と呼んでいる剣のことで、今朝方無事に人間の地に戻されたらしい。前魔王が就任してすぐに人間との関係性改善のために作ったというその剣は普段は岩に刺さっており、人間が魔王に会おうと強く望むときや魔王が人間を呼び出したいときにのみ抜くことができるようになっている。剣を抜くことで魔法が発動し、剣の所持者を安全に魔王城に辿り着けるようにしてあるのだと前魔王が言っていた。
前魔王はこの世界の誰よりも転移魔法が得意だった。危険と真っ向から対決することなく、それ自体を別の場所に飛ばしたり隔離したり、それが難しい時は逃げるが勝ちだと言って姿をくらましていた。その移動の速さはまるで世界のすべての扉を開ける鍵を持っているようで、前魔王は白の鍵と呼ばれていた。
そんな前魔王が鍵を使うのをやめた相手がアベルだった。80年前の代替わりのための魔王選定戦で、アベルは誰よりも強かった。アベル以外の魔王候補者が転移魔法により魔王城から追い出された中で、アベルは転移魔法に魔力そのものをぶつけることで発動不全に陥らせ、流れるように攻撃魔法を放った。前魔王はアベルの攻撃をすべて回避し、その戦いは夜が明けても決着がつかなかった。やがて前魔王は穏やかな笑みを浮かべて「決めた。君を次の魔王にする」と宣言し、その被服の端をアベルの魔法にさらした。
それがアベルが魔王となった瞬間だった。
「魔王様がこの座につかれてから、なんだかあっという間だった気がするわ」
席を外しているシェムシュの代わりに書類の整理に手を貸す。緊急度に応じて手早く分けていると、アベルはペンの動きを止めた。
「魔王選定戦のとき、色んな意味で若かったんだよなー。魔王になってから十年くらいは黒歴史って言うか……思い出すと恥ずかしいな」
「あら、でもちゃんとお仕事されてましたわよ? 就任前よりも大陸の治安は安定しているし、東の大陸も落ち着いているんじゃありません?」
今ライラが仕分けた書類だって、緊急性が高いとしたもののうち半分以上が前魔王の時代ならば後回しか廃棄の対象になっていたものだ。魔界が百年前と比べて平和になったのは疑いようがない。
「そういえば、前回通行手形を使った人間たちってまだ生きているのかしら」
「70年前の第五東区についての抗議団だっけ。たしか人間の国よりもこっちの方が快適だからって住み着いたんだよね」
「ええ。あの人間たちは自分で魔法を使っていなかったから、もしかしたら普通の寿命をまっとうできたのかしらって気になって」
「これまで誰も文句を言いに来なかったから、もし亡くなってたとしても十分生きたんじゃないかな」
アベルの動かすペンが紙とこすれてサラサラと音を立てる。ごみ箱の中に大事なものが落ちてしまっていないかを確認しながら中身を回収するとライラは顔を上げた。
そしてアベルの顔をまっすぐに見つめる。
「あの子はいつまで生きられるのかしらね」
アベルは顔を上げない。
「あの子の無効化は呼吸をするように発動しているし、魔法を使うときも空気中から魔力を取り込んでいるから、私ほど寿命が短くなることはないと思うけれど」
アベルのペンのスピードが落ち、少し考えるように下唇が噛まれる。
「でもきっと雪子は、寿命がどうであれ全力で生きると思うよ」
「そうね。夜遊びしたい相手もできたみたいだし」
書類をめくったアベルの手が完全に止まった。
「なにそれ」
「外泊許可申請があったのよ。夜カフェから深夜カフェ、早朝カフェのカフェ巡りですって。まさかあの子が一人でそんなことするはずないじゃない?」
「誰と行くって?」
「そこまで聞くのはプライバシーの侵害じゃないかしら? 来週の金曜で許可を出そうと思っているけど、良いわよね?」
ライラは自慢のつややかな唇を持ち上げる。
可愛い坊やはどう反応するかしら。
「良いよ。ただし飲酒は禁止って条件つけといて」
意外にもアベルは難癖をつけることなく許可を出した。飲酒を禁止にするあたりは過保護だと思うけれど、まあ良いだろう。
「かしこまりました」
回収したごみと掃除道具を持って執務室を辞す。
外泊許可を願い出た雪子の楽しそうな顔と、表情を変えずに許可を出したアベルの顔を交互に思い浮かべれば、なんだかわくわくする。
手に入るうちに動かないと、横から攫われちゃうわよ、魔王様。




