誘拐の理由とメイド長の過去(5)
「まさか、ゼノと再会することになるとはねぇ」
メイド長が苦笑する。
「なんだよ、災難みたいな言い方するなよ」
「戸惑ってるのよ。もう二度と会えないって思ってたんだもの」
メイド長が左手を上げる。
その薬指にオレンジ色の紐が絡みついているように見えて「どうしたんですか」と声をかけると、メイド長は頬を染めた。
「結婚指輪みたいでしょ、恥ずかしいけどこれがゼノとの契約印なのよ」
左手の薬指の契約印。絡みつくようなそれは確かに指輪に見えて、なんだか素敵だ。
「でも、雪子には契約印なかったわよね?」
「呼び出しの魔法がそれ自体で契約印になるように組まれてたよ。だからライラのそれはこいつの意思だろ」
魔王様の言葉にメイド長の顔が更に赤くなる。
「さー、俺は寝よっかな。ライラ、お前の部屋どこだ。送る」
立ち上がるゼノに「ちょっと待ってよ」と言ってメイド長が続く。
「おやすみなさいませ、魔王様」
そう言って辞するメイド長のお辞儀は、いつも通り綺麗だった。
それを見送る料理長がテーブルの上を片付け始める。それを手伝いながら、メイド生活80年ってことは魔王様は80年も魔王様をしてるんだ、と思い至る。
80年……そういえば第五東区の襲撃は70年前ではなかったか。
「第五東区を襲撃したの、魔王様ですか」
お皿を重ねながら問えば、「そうだよ」と返ってくる。
「なんで襲ったんですか。人間の方では住民皆殺しみたいな風になってますけど」
酒瓶に少しだけお酒が残っている。せっかくなので飲み干せば、意外と強くてむせかける。
「あそこは闇市場で、魔族や魔物を売り物にしてたんだ。誘拐事件は日に日に増えていってね、被害者の家族からの上申書が机の上で山になるし、嘆願への対応で他の仕事ができないくらいでね。人間には散々警告を出したけど改善されなくて、予告した上で焼き払った。あの地域は当時商売人と買主しか入れないようになっていたから、遠慮せずにやった」
魔王様の顔を見る。その目は開かれている。
「雪子は僕が怖い?」
問答無用で人や建物を燃やす人を怖くないといえば嘘になる。
でも、その後ろではたくさんの人が苦しんだり悲しんだりしていて、多少無理やりにでも対処しないと、悲しいことがもっと増えていたのかもしれない。
「守らなきゃいけないものがあったのなら、私はそれを責められません」
私は生きるために生き物を殺して食べている。ゼノに魔力を渡すために妖精や魔物の命だって奪った。それと魔王様のやったことにどれだけの違いがあるだろう。
「そっか」
遠慮の塊となっていたサンドイッチはちょっと乾いていて、パンが上あごの裏にくっつく。水分が足りなくて、近場にあった瓶から水をコップに注いで飲み干す。急に喉が熱くなって、食道から胃まで熱が降りていく。
「馬鹿、それ酒だ」
「失敗しました」
透明のお酒の度数はどれくらいだったっけ、確か色のついたお酒の4倍くらいだと聞いたことがあったような、うーん、思い出せない。ともかく一気に煽ったのはまずかったかもしれない。
でもすぐに酔うことはないだろうと片付けを続行して、「お邪魔しました。おやすみなさい」と挨拶する。
頭を下げた瞬間ちょっとふらっとした。
でも頭を上げて歩けば意外と大丈夫で、なんとなく胸やけがするような気がするけれど勘違いとも言えなくもない。今日も美味しかったね、なんて料理長と話しながら調理場にお皿とグラスを運び、ついでにお水をもらう。目を閉じて飲み干せば、冷たさがふんわりと気持ちよくて。
そして私は立っていることを放棄して、床に潰れた。
おでこに感じる冷たさに意識を呼び戻されると、胸やけが静まっていくのを感じた。どうやら眠っていたらしい。
火照る頬に冷たい風が送られて、服の締め付けが緩められる。
「男と二人きりになって潰れるくらいなら僕の部屋で潰れてくれた方がよっぽどマシだったよ」
そんな声に目を開けずに耳を傾ける。
「いつも心配かけるんだから。禁酒令出した方が良いのかな」
それはやめてください。私、お酒と一緒に食べるつまみが大好きなんです。塩辛にチーズに乾燥イカに干物。あの塩っ辛さが疲れた体に沁み渡るんです。禁酒令出されたらお仕事ボイコットしますよ、私。
「声出せないくらいまで酔っちゃってるんじゃ駄目だね。部屋に帰らせようと思ったけど中途半端に吐いて窒息死されても困るしなあ」
うう、魔王様うるさい。寝かせてください。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。ほら、いいよ。このまま寝て」
ほんとですか。やった。
「おやすみ、雪子」
おでこに温かいものが一瞬触れて、安心感と共に私の意識は沈んだ。




