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誘拐の理由とメイド長の過去(4)


 人間は魔力や魔素を体に保持することができない。むしろ、少量でも魔素を取り込むと体が蝕まれ高山病のような症状を発症する。

 しかし、ライラは人間であるのに少量の魔素への抵抗力があり、魔力を体に保持し扱うことができる能力を持っていた。もっとも、人間界にいるうちは人間界に魔力や魔素がないためにその能力に気づくことはなかったが。

 魔界に来てから、ライラは人間とも魔族とも言えない種族として暮らすことになった。一度会った人間には「魔力持ち」と呼ばれて気味悪がられ、かといって魔族からは脆弱な人間として扱われる。

 強くなりたい。

 それがライラの願いだった。

 だから、前魔王軍が進軍して来た時、ふいに森の先に指を向け、何キロも先の場所に光の柱を生じさせた一人の男の姿に魅かれずにいられなかった。

 遠くの様子を知り、そこまでいかずとも魔法を展開する。しかも、その威力はライラの知る中では類を見ないもの。

 すぐさま頼み込んだ。役に立たないかもしれない、楯にしてもいいから、魔法を教えて欲しい。

 すがりつくライラに、彼は笑った。


「いいだろう、精霊と契約をした人間の娘。ただし条件がある、死に急がないと誓えるか」


 そして、ライラは金色の鎌の弟子になった。

 魔王軍による勇者軍の殲滅はすぐに終わり、金色の鎌とライラは軍の一部の人員を連れて修行がてら大陸の安全確保のために大陸全体の見回りを始めた。

 魔力の枯渇を何度も繰り返しその器を広げることで、大陸中心部にあっても魔素あたりをすることもなくなった。


「ねえ師匠、私、ほとんど魔族みたいな体になったわ」


 嬉しそうに報告するライラに「魔素が平気になったくらいで魔族になれるわけねーだろ」とデコピンを食らわせた金色の鎌は、ふいに「おまえ年齢は」と聞いた。


「もうすぐ18」


 身長はもう伸びなくなっていた。身体に保持できる魔力の増加率も横ばいになってきており、魔力の少なさを制御の正確性を磨くことで補うように方向転換を始めたさなかだった。


「良く聞け。おまえが元いた世界ではどうだったか知らないが、この世界で魔力を使う人間の寿命は短い。おまえは修行だって言ってかなり体に負荷をかけているからな、もってもあと数年で死ぬ」


 金色の鎌はライラの頭を撫でて、言い聞かせるように言った。


「おまえは精霊と契約しているだろう。精霊が肉の器をもたないということは、精神体そのものだと考えることもできる。契約者が死ぬと精霊も消滅する場合があるのは、精霊の精神が契約者の死に耐えられないからだという説がある」


「私が死んだら、ゼノは死ぬの? ただでさえ短い人間の命なのに、その半分も生きられない私に引きずられて、死ぬの?」


「あくまでも可能性の話だ。でも、今のうちから考えておけ。おまえがどうしたいのか、どうしたら一番納得できるかを、な」


 ゼノの力を借りずに強くなりたくて、ゼノと行動することは少なくなっていた。でも、悩んだときや壁に当たったときはいつだってゼノが支えてくれた。大事な人だった。たとえ私がしわくちゃのおばあちゃんになって死んでしまっても、ずっとずっと生きて、幸せでいてくれればいいと思っていた。私の命が残り僅かならなおさら、私は彼を道連れにしてはいけない。そんなの、絶対に嫌だ。

 毎晩考えて、満月が欠け、新月が来て、また満月が来た。


「師匠、精霊との契約を終わらせる方法を教えてください」


 そう言ったライラに、金色の鎌はわかっていたかのように一枚の紙を渡した。

 そこに書かれていたのは精霊との契約を切る方法と、その代償。

 精霊には絆の深さに応じた期間の眠りを。人には精霊から受けた恵みに応じた魔力の器の崩壊を。


「師匠、もし器が壊れたらどうなるんですか」


「完全な崩壊ならただの人間になるだけだろうな。でも中途半端に壊れると魔力が暴走する可能性がある。もし自力で暴走が止められなくなったら」


 金色の鎌はとても優しい笑顔で、でも決意を秘めた目で言い切る。


「俺がライラを終わらせてやる」


 終わらせる。それは目の前の弟子思いの師匠に酷な選択をさせることと同義だ。そして彼はそれを自分から引き受けると言っている。

 戦闘に入るのでなければ虫を殺すことさえ躊躇うような彼が、私のために、私を。

 私はあなたが師匠でよかった。あなたの弟子になれてよかった。

 そう言って泣くライラの頭を彼はいつものように撫でてくれた。おまえは俺の唯一弟子だ、世話のかかる弟子ほど可愛いっていうのはホントだな、まあこれは俺が師匠から言われた言葉なんだけどな。そう言った金色の鎌の声は最後まで優しかった。


「さよなら」


 18歳と数か月。

 ライラは初めて血を吐いた。

 ああ、意外と早かったな、と泣きそうになって。その夜、ライラは契約を切った。

 体中を駆け巡る熱に、胸元を串刺しにされるような痛みが体を貫いて、死んでしまうのではないかと思った。

 魔力が暴走して狂ってしまうよりは良いのだろうか、それとも狂ってしまった方が楽なのだろうか。

 のたうちまわり、朝が来て、昼が過ぎ、夜になって、地獄のような一日が過ぎた時、ライラは急に楽になった。

 ただ体から魂のようなものが抜けていくような感覚が強く、試しに発動させた光の魔法は体の周りで無作為に発動した。

 戦力としては落ちるものの集中して的を決めれば漏れ出る魔力を集合させることも可能で、金色の鎌の率いる魔王軍の安全維持活動は続いた。


「ライラ、聞け。魔王討伐派が動きだした」


 そろそろ魔王城に戻ろうか、というときだった。鳥の形をした伝達魔法が金色の鎌に舞い降り、魔王討伐派の動向を知らせた。魔王討伐派は魔王制度の廃止を実力行使をもって訴える過激派組織だ。

 転移魔法を使って可及的速やかに帰城する必要があると言った師匠に、ライラは頷いた。

 転移を魔法を発動させ、安全維持活動のために行動を共にしてきたみんなと一緒に次の町へ飛ぶ。補給と休憩をして、次の町。

 すぐさま戦闘に入れるよう、金色の鎌の力は極力使わずに移動した。

 しかしそれが裏目に出た。

 移動中にライラの器の崩壊が急に進み、金色の鎌とライラだけが目的とは違う都市に飛ばされてしまったのだ。

 現状を把握する時間はなかった。

 周りを魔王討伐派に囲まれ、なすすべもなく魔力無効の拘束魔法でできた檻に入れられていた。


「久しぶりですね、金色の鎌。あなたに介入するよりもそちらのお嬢さんの方が簡単だったので利用させていただきましたが……どうやらお嬢さんの器は限界のようですね」


 白いフードを被った男はそう言って心底楽しそうに笑う。


「さあ、お楽しみの時間ですよ」


 白いフードの男から金色の鎌に向かって魔法が繰り出され、金色の鎌はそれを真正面から受けた。

 苦しげな師匠に手を伸ばそうとすると「触るな」と語気荒く叱られる。


「素晴らしい師弟愛ですねえ」


「あんた師匠に一体何したのよ」


 嘲るように笑う白フードの男を睨み付ければ、白フードはなんともないように答える。


「ちょっとした精神攻撃ですよ。数時間もすれば精神の死を迎えるでしょう。あとはうちの傀儡術師が遊んで差し上げますよ、魔力の豊富な人形としてね」


 檻からは出られないと踏んだのだろう、白フードの男と共に周りにいた男たちが去っていく。

 二人は地下倉庫のような場所に取り残され、ライラの横で師匠が苦しげに呻く。


「師匠、しっかりしてください」


 触れないようにしながら声をかける。

 金色の鎌は眉根を寄せて何かを振り払うように暴れ出す。


「師匠、しっかりして! お願いです師匠、私が暴走したら私をとめてくれるって約束したじゃないですか」


 金色の鎌の動きがとまる。薄く開けられた目。


「来い、馬鹿弟子」


 かすれた声で言われて近づけば、師匠はライラの頭を撫でる。


「俺からおまえにプレゼントをやろう。最後のプレゼントだ」


 金色の鎌の体の周りを黄色の魔法が包む。そしてそれはライラの体をも包んだ。


「今は失われた秘法だ。しっかり見とけよ。一生に一度見れるかどうかの奇跡だからな」


 金色の鎌が聞いたことのない言葉で詠唱を始める。普段無詠唱の彼には珍しいことで、ライラはその言葉に静かに耳を傾ける。


「長生きしろよ」


 最後にそう言って、二人を包む黄色の魔法が目をつぶすほどの光量となる。まぶたを閉じ、さらに目を手で覆って、一瞬意識を失った。


 ふっと意識を覚醒させれば、光は消えている。

 いつの間に床に倒れていたのか、体を起こそうとして服が違うことに気づく。手も、ごつごつとしてまるで男のもののようだ。

 いったい何があったのか、体を起こして周りを見れば、自分が倒れていた。

 オレンジがかった赤毛にそばかす。池にうつるときに見た自分の顔と全く同じその顔はまぶたを閉じていて眠っているようだった。

 体を起こして自分を見て、顔を手でさわる。場所を移動したわけではない。でも、自分が自分ではなくなっている。

 自分が着ている黄色のローブや爪の形、そしてこの状況。

 簡単な魔法を出してみれば、今まで使っていた真紅の魔法ではなく、炎のようなオレンジ色に近い魔法が出現した。

 まるで師匠の魔法を混ぜ合わせたような色。

 床に水を撒いてその水に顔をうつす。見づらいが、それは見慣れた師匠の顔だった。


「……馬鹿師匠」


 師匠は精神の死を前にしてその身体をくれたのだろう。確かにライラは生きたかった。できれば、ゼノと一緒に生きたかった。そのゼノを切り捨ててしまったのは自分だけれど。

 魔力の器は身体に付属するものらしい。ずっしりとした安定感のある器の感覚を感じながら檻に魔力を向ける。

 抵抗なく消滅した檻のあっけなさに戦慄する。


「私たちは……こんなものに捕まって」


 こんなもののせいで師匠を失ってしまったのだろうか。

 自分の体だったものを抱き上げれば、うつろな目が開く。


「師匠、お目覚めですか」


 聞きなれているはずの師匠の声は自分が出すと体を反響して違うものに聞こえる。

 ライラの身体をした師匠は何も答えない。

 もしかすると本当に精神の死を迎えてしまったのかもしれなかった。


「帰りましょう、師匠。他のみんなは心配だけど、転移魔法が使えないわけじゃないし、みんなエリートだから大丈夫ですよね」


 野太い男性の声を少し高めに出そうと努力するも、あまりうまくいかない。

 まあ、努力はゆっくりすればいいだろう。

 魔族の一生は長い。

 あと五百年は続く人生で、女子の姿に戻れる可能性だってゼロじゃないだろう。

 転移魔法を使えば、全く疲労することなく魔王城に辿り着く。

 その先はライラの独壇場だった。

 師匠の身体と魔力をライラの魂でもって使いこなせば、それは師匠の魔法を凌駕した。それもそのはず、魔素の多い魔界で生きられないはずの人間が魔界で生き抜くために精神論を振りかざして限界を超えてきたのがライラだ。魔法は意思に大きく左右される。それゆえ、ライラの魔法は一撃一撃が重く、大規模だった。

 戦闘は数日で終わった。

 そしてライラの身体が限界を迎えて機能を停止させたのもその日だった。

 師匠の魂は永遠に失われ、その魔法の知識も永遠に失われた。

 ライラはそのまま魔王軍に残り、筋トレや服装、化粧や髪型で女性への道を歩んだ。

 周りはそれを気味悪がったりもしたが、自分はライラであると名乗ることや、ライラらしい話し方を聞くうちに何が起きたのかを悟った。

 そして、ライラは戦場で赤毛に染めた髪と黄色のワンピースをひらめかせるようになる。

 空中に浮かび、ルージュを引いた肉感的な唇を持ち上げる姿に、周囲を焦土と化すその圧倒的力に、周りはこう呼んで怖れるようになった。

 『緋色の死神』と。


 それから、「俺、転職するわー」とのたまった魔王のために新魔王の選定戦を準備したり、一年間の引継ぎに付き合ったりして、ライラは新魔王の姉のような立場になった。

 緋色の死神が魔王の側にいれば魔王に手を出す愚か者はいなくなるだろう。

 そう考えた結果、引継ぎが終了しても新魔王の側にいることを選び側仕えのメイドとして始まったメイド生活も早80年。気付けばメイド長となり、後進の指導にあたるうちに師匠の言葉の意味をこれまでとはまた違う視点で捉えられるようになってきたところだった。



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