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いざ魔王退治(4)

 それにしても、私がいない二週間で魔王城に何があったのだろうか。

 先ほどまでの魔王城のお化け屋敷っぷりを思い出しつつ、ゾンビの同僚なんていなかったはずだけどなぁと扉を開ける。

 魔王の間を出たそこは先ほどと同じように薄暗く異臭が漂って……いない。

 おかしい。

 さっきまで散々私たちを怖がらせていた不気味に揺れるシャンデリアも、生臭い臭いも何もなく、明るい廊下に爽やかな空気、シンプルな照明器具に白い壁が続いていた。

 それは私にとっては見慣れた光景で、まるで狐に化かされたような気持ちになる。


「あら、雪子ったらどうしたの?」


 後ろからメイド長が心配そうに声をかけてくれるけれど、思考が停止してしまってうまく答えられない。


「いやあ、最高のお化け屋敷だったよ。魔王もライラもこの短時間でよくあそこまで準備したよなあ」


 ゼノの楽しげな声に振り向けば、ゼノはメイド長の腰を抱いてご満悦そうな空気を出している。


「ほら、一昨日の夜にアシュレイ……いや、雪子に魔王と魔王城のイメージを聞いただろ? そのとき、なんて答えたか覚えてる?」


 魔王と魔王城のイメージ。そういえば聞かれた気がする。

 魔王は教科書の挿絵のイメージだったから大きな鎧をつけた牛の角の化け物で、魔王城は暗くてゾンビとかが襲い掛かってきたりシャンデリアが落ちてきたりするお化け屋敷みたいな……あ。


「もしかして、あの恐怖体験って全部私のイメージのせい……?」


 恐る恐る聞けば、「それ以外に何がある?」と返される。


「魔王からのサービスだろ。噂では聞いてたけどほんとに雪子に甘いんだな」


 ああああああこんなことになるならもっと素敵なイメージ抱いておけばよかった……!

 だって魔王城だよ、よく考えてたら転生したとしても私の元職場なんだよ、そんな変な場所なわけがないじゃないか。ってか魔王だって! 散々魔王様と一緒にいたのにちょっと周りの状況が変わったからって私の中の魔王像が180度変わっちゃうとか! 私の馬鹿! ぽんこつ!

 頭を抱える私の耳にはメイド長の「あなたの素直なところはとても魅力的よ」という慰めの言葉は入ってこない。

 ふらふらと歩きだした私は、この後の給仕で魔王様にどう弁解しようかとそれだけを考えていた。




「で、そのスライディング土下座は何?」


 魔王様の執務室。

 魔王様にお茶とスイーツを提供し、その足元に滑り込むようにして土下座をした私に注がれたのは魔王様の乾いた声だった。

 これはまずい。ほんとにしっかり謝らなくては。


「大変申し訳ございませんでした! 弁解させていただきますと、わたくし全く別の見知らぬ世界にいるものだとばかり思っておりまして、まったくもって、決して、この魔界の魔王城をお化け屋敷だと思っているわけでも、魔王様が悪逆非道だと思っているわけでもありませんでして!」


「いやー、僕悲しかったなぁ。僕の魔王としての仕事内容は良く知らないかもしれないけど、従業員に対しては完全週休二日で残業代や休日手当も出しててボーナス算定表だって魔界の中では高水準のはずなんだよ? それなのにたった二週間で魔王っていう職業に対するイメージがそんなことになっちゃってたとはね」


「大変申し訳ございませんでした!」


「しかも僕が知らないうちに精霊と契約してるし? 先月改訂した就業規則に雇い主に無断での従属契約は認めないって書いてあったよね?」


「それについては知りませんし従属契約したつもりもなかったですがすみませんでした!」


「雪子の魔力量とか生物としての格って精霊よりずっと下でしょ。上位の者と契約するってことはその者に従うってことだよ。すなわち、雇い主がいるのに他の雇い主を得るってこと。忠実義務違反だし場合によっては競業避止義務違反になるからね、それ」


「すみませんでした!」


 魔王様の言葉は難しくてよくわからないけどとりあえず謝るからクビだけは勘弁してください! ティラミス王国へ帰る選択肢を切った以上私に残ってる選択肢はここで働くことしかないんです!


「顔上げて」


 絨毯に擦り付けていたおでこを上げると、魔王様が足を組んで座っていて、靴先が目の前にあった。


「反省した証しに靴でも舐めてもらおうか」


 魔王様の目が怖い。これが乙女ゲームなら胸キュン必至の鬼畜ボイスだけど、実際聞くとかなり恐怖をあおってくる。

 逃げたい。このままこの部屋を出て自室に引きこもりたい。でも逃げたって雇い主は魔王様のままだし、もし辞めたとしてもこの魔界の中心部で特技のない人間を雇ってくれる場所なんてない。


「や……やらせていただきます……」


 人生、諦めと勢いと諦めだ。

 口を開いて、つややかな茶色の革靴に顔を寄せる。綺麗に磨かれた靴からは革製品独特の香りとつや出しクリームのにおいがして、マズそうだしお腹壊すだろうなぁと泣きたくなる。

 舌先を靴に伸ばした時だった。


「ストップ!」


 急に動かなくなった身体。

 目だけ動かせば、魔王様は私の顔に靴が当たらないようにゆっくりと足をどけた。そして私の前にしゃがみこむ。


「ごめん。悪乗りしすぎた」


 その言葉と共に体が動くようになって、不自然な体勢で停止させられていた私は重力に従ってぶざまに床に潰れる。

 痛い。


「ねえ雪子。そんなにクビになるのが嫌? 人としての尊厳を踏みにじられてもここで働きたいの?」


 ずりずりと体を起こした私が見たのは切なげな顔だった。


「私には、ここしかないので」


 そう答えれば魔王様の顔はさらに苦しそうに歪んで、吐き出すような「そっか」と共に腕をつかんで立ち上がらされた。


「僕……どこで間違えたんだろうなあ」


 呟くようにこぼされた言葉に申し訳ない気持ちになって、でも何を言えばいいかわからずに黙っておく。


「うん、もう良いよ。有給明けの2週間の無断欠勤は査定に響くけど事情が事情だから解雇はしないし、労働者の内心まで縛る気はないから。明日から仕事に戻ってね」


「ありがとうございます……!」


 査定に響くっていうのがつらいけど解雇回避! それに魔王様にあらぬイメージを抱いちゃったこともお咎めなしっぽい。

 しかも、明日から仕事ってことは今日はお休み!

 やった! 寝よう! ごろ寝しよう!


「ああ、ところで」


「なんですか」


「服脱いで」


「はいぃっ?!?!」


 魔王様がワンピースの襟元に指をかけてくる。


「これ。自分で脱ぐか脱がされたいか選んで」


「脱ぎませんし脱がされたくもないです」


 魔王様がこわれた。

 どうしよう。変態。セクハラ。パワハラ。


「自分で脱いだ方が良いと思うけど。雪子って意外と繊細でしょ」


「繊細なのとここでストリップするのとは全く何も関係ないと思います」


 困ったなあ、という顔をする魔王様にむしろこっちが困ってるんですと言ってやりたい。

 でもそれより先に。


「頑固だな」


 そう言って魔王様の手が私の目を覆う。手の温かさがまぶたに落ちて、視界が奪われた不安を安心感が打ち負かそうとする。

 しぃぃぃっという何かが裂けるような音がして、次の瞬間、鎖骨の下に熱を感じた。胸元に広がる熱は時折痺れを感じさせて居心地が悪い。

 しかしその熱と痺れはやがて消え、魔王様の手がまぶたから離れた。

 胸元を見ればワンピースが襟からみぞおちまで裂かれていてぎょっとする。

 会長さんのお屋敷で襲われたことを思い出して背中から上る寒気に腕を抱える。闇の中で浮かぶ金色の瞳と白い鉤爪が今も迫ってくるようで、記憶の情景と目の前の魔王様が重なりあう。

 魔王様は私をどうにかするんだろうか。


「ちゃんと治ってるか確認して。しっかり傷を確認できなかったし触ってないから、不完全だったら教えて。」


 そう言って椅子に座りシフォンケーキにフォークを伸ばす魔王様。

 言われるままに胸元を見れば、そこにあるはずの4本のかさぶたとミミズ腫れがすっかりなくなっていて、下着の中までしっかり確認しても、どこにも傷の痕はなかった。


「綺麗に治ってます。ありがとうございます」


「それは良かった」


 治療するなら治療するってちゃんと言ってください。嫌な記憶を思い出して怖くなっちゃったじゃないですか。

 文句を言えば、「治療するって言っても服脱ぐのは嫌がるでしょ」と返ってきた。

 あながち間違ってないです、魔王様。


「えっと……私、部屋に戻りますね」


「夜のおやつ会はここでやるから来て」


 そういえばメイド長の性別の秘密を聞かなきゃいけないんでした。ゼノとの過去話も聞きたいし、楽しみ。


「それと、これ。その格好で城内をうろうろしないでよ。出歩くなら着替えてからにして」


 魔王様に渡されたのは軍の研修所に置き去りにしてしまった鞄で、中には吊り革が入っていた。

 内ポケットの中のお小遣い、使い損ねちゃったな。それに、せっかくできた友達との飲み会もできなかったし。

 うう、私をティラミス王国に連れ去った人間許すまじ。いったい誰が仕掛け人よ、王様か? 王様なのか?


「学校の最終成績も含めて、今回の件は夜に話すよ」


「よく私が考えてることわかりましたね」


「まあね」


 感嘆する私に魔王様が目を細める。

 ちょっぴり普段らしさが戻ってきたかもしれない。


「あと、約束守って。二週間も待たされるなんて、そろそろ我慢の限界」


 約束?

 魔王様と約束なんて恐ろしいことしたっけ?


「城下町で一番美味しいタルト、楽しみにしてるから」


 それか! そういえば確かこの約束も解雇されたくなくて言っちゃったやつだった気がする。どんだけクビと戦ってるんだ私。


「夜にお持ちいたしますのでご安心ください。失礼します」


 さらばごろ寝。

 開店前から並べばホールで手に入るだろうか。いや、ホールじゃなくてもピースでいいか。手に入らなかったらどうしよう。他のお店をめぐって他の美味しいものを見つけるしかないか。

 思考を走らせつつ久しぶりに握る吊り革。肘を直角より少し広めに曲げて手を上げる。


「自室前!」


 ぷぁーん、しゅー、ごっとん。

 揺れる視界が固定化すれば、ちゃんと部屋の前にいて。

 部屋の中の脱ぎ散らかったパジャマやゲーム機にむしょうにほっとした。

 ワンピースを脱ぎ捨てて飛び込んだベッドはブルーローズの香りで、嗅ぎ慣れたそれを胸いっぱいに吸い込む。

 ただいま、私の部屋。

 おかえり、アシュレイじゃない、私。

 大きく息を吐けば、窓の外で小鳥の声がした。



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