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いざ魔王退治(2)


 扉を開けた先にあったのは大理石の床にひときわ大きなシャンデリアの下がった広間。これまでの薄暗さが嘘のように明るいその部屋の最奥にはゲームで見るような大きな椅子があり、魔王が鎮座していた。

 黒い大きな鎧に覆われた体につややかな黒いマント。顔を隠す大きなフードに覆われた頭からは牛の角が生えている。


「妖精さん!」


 ルシアンが妖精に魔法を出すよう指示を出すも、その魔法は魔王の手前で消失する。


「無駄だ」


 低く響く魔王の声。でも、なぜか聞いたことのあるような声。


「よく来た、勇者。そしてその仲間たちよ。華々しい宴を始めよう」


「させるか!」


 ギムレットが剣を振りかぶって魔王に討ちかかる。でも魔王には数歩及ばず、壁にはじかれるように吹っ飛んだ。


「嘘だろ、おい」


 呻きながら言うギムレットはちらりと私たちを見て、更に「嘘だろ」と繰り返す。

 その視線は私たちではなくさらに後ろに向けられているようで振り返る。


「え……?」


 さっきまでいた頑強なおじさんたちが消えていた。数十人いたのに、誰ひとり、跡形もなく。


「選べ、その剣を置くか、その身を横たえるかを」


 ギムレットが立ち上がる。


「俺は諦めない」


「ああ」


 ルシアンが同意と共に一歩下がって私の横に並ぶ。右となりにいたトムが私の斜め後ろに下がる。

 その瞬間、首に冷たいものが当たった。

 顎を引いて見れば、ルシアンの持つ小刀が私の首にあてられている。


「あー、トムだったか? おまえ、王国軍の暗部所属だもんな」


 ルシアンが下がるのと一緒に後ろに下がっていたゼノが「後ろからはトムの持ってる毒塗りの錐が狙ってるから動かない方が良いぞ」と楽しげに教えてくれる。私は全然楽しくないよ、ゼノ。


「魔王、取引だ」


「面白い。言ってみろ」


「俺に討たれろ。そうしたらこいつを助けてやる」


 魔王は動じなかった。まあ、そうよね。残酷で悪逆非道な魔王が人間の女子が一人目の前で死んだところで気に掛けるはずもないのだから、私の命なんか取引材料になるわけがない。


「人間が約束を守ると言うのか?」


「ああ。俺だって男だ」


 くく、と魔王は笑った。なんだか懐かしい笑い声。


「良いだろう。結界を解除する。殺してみろ」


 ギムレットが剣を構えて走り出す。

 魔王はきっと新しいゲームをしようとしているにすぎない。そうでなければ、あんなに近くにギムレットを寄せるわけがないし、あんな風にギムレットの剣がその体に吸い込まれることも、引き抜かれた剣に血が付くことも、血が、血がついて、白い大理石に赤い滴が垂れてる……?

 椅子から崩れ落ちるようにして床に膝をつく魔王。

 白い床の上にできる赤の水たまり、そのコントラストが私の目を貫く。


「あー、これは痛いな」


 その声は、私の知っているものだった。

 でも、まさか。そんなはずがない。

 ここにいるはずがないし、悪逆非道な魔王が、まさか、そんなわけがない。


「魔王……様……?」


 かすれた声で言えば、床に崩れ落ちている魔王がゆるりと顔を上げた。フードが後ろに落ち、金髪がこぼれる。赤い目が切なげに揺れた。


「遅いよ、雪子」


「魔王様!」


 駆け寄ろうとするも、ルシアンとトムに阻まれる。関節固めのように押さえつけられて、一歩も動けない。


「魔王様、どうして、どうしてですか」


「んー? だって、気づいてほしかったから」


 何にですか。ってかそれ以前に私のために殺されようとするとか、馬鹿ですか。大馬鹿ですか。


「ねえ、そのままそっちの世界で住んだら? 僕が殺されたら、雪子は家族が手に入るよ? 雪子がずっと欲しがってたあったかい家族がさ。周りはみんな人間で、危険なことだってない。体だって、人間の国は魔素がほとんどないから、この城の外を歩くときよりもずっと楽なはずだ。それに本物の王子様だっている」


 なんでそんなこと言うんですか。

 この世界に私を連れて来たのは魔王様なのに。私に居場所をくれて、美味しいものもくれて、昔のことなんか思い出す暇がないくらい仕事や勉強を押し付けて駆けずり回らせて。いつだってわがままばっかりで。それなのに優しくて。いつだって迎えに来てくれて。


「なんで迎えに来てくれなかったんですか。魔王様、私約束したじゃないですか。試験が終わったら城下町で一番美味しいタルトをご用意しますって。それとも、門限を破った私はもう要らない子ですか?」


 目の前がにじむ。ぼやけて、魔王様なのかなんなのかわからない。白い床が眩しい。何も見えない。こぼれる涙がうっとうしい。


「そんなわけないでしょ。……帰ってきて、雪子。帰ってこい」


「覚悟!」


 ギムレットが剣を振りかざす。その剣の向かう先は、心臓か、首か。


「やめて!!!」


 思わず目をつぶる。鈍い音。

 目を開けたくない。開けたらきっと見えてしまう。私は、間接的に魔王様を殺してしまったんだ。私が。私なんかのために。


「あー、ちょっと可哀想だったかな? 人間って脆いから手加減難しいんだよね」


 のんきな声が真上から聞こえて、思わず目を開ける。

 そこにいたのは魔王様で、目の前にある胸や腹はきれいな白いシャツだ。

 左右で仰向けに倒れているトムとルシアンに目を見開くと、魔王様はくくっと笑った。


「なんか三人とも突然の眠気に襲われたみたいでね。うーん、もっとゆっくり倒れるかと思ったらばったりいっちゃったからびっくりした」


 魔王様の手のひらが私の頭を撫でる。温かい手のひらの感触に一瞬止まった涙が堰を切ったようにあふれてくる。


「魔王様、馬鹿、大馬鹿」


 抱き着けば、少し筋肉質なその体がしっかりと受け止めてくれた。


「成長したね、雪子」


 魔王様が私のおでこに顔を寄せて、止まる。


「ああ、ゼノ。お仕事ご苦労様。契約切っていいよ」


 そう言った魔王様に。


「え、やだ。今の俺の契約者は雪子だし」


「へえ。そんなこと言っていいの? 後悔しない?」


「後悔? なんでする必要がある」


「正解は10秒後に」


「は?」


 ぽんぽんと会話を交わす魔王様とゼノ。

 もしかしてこの二人、知り合い?


「直接会ったのは一昨日の夜だけどサケルを通じて何度かやりとりはしてたからね。それに……ほら、来たみたい」


 後ろで扉が軽い音と共に開く。


「魔王様! あいつら弱すぎ!」


 飛び込んできた声はメイド長のもので。魔王様から体を離せば、メイド長は肉感的な唇を持ち上げた。そして口を開こうとして。


「ライラ?」


 メイド長が私を呼ぶ声より先にゼノがメイド長を呼んだ。



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