いざ魔王退治(1)
昔、私には友達がいた。くだらないことを話して、大切なことは話せなくて、でも、楽しい友達がいた。
みんなで漫画を回し読みして、先生の悪口を言って、少女漫画やライトノベルの王子様にあこがれた。
王子様はかならずヒロインを見つけ出してくれる。そしてヒロインだけを見て、一途に愛をささやいてくれる。邪魔や障害はあるけれど、必ず最後はハッピーエンド。
いつか私にも王子様が来てくれるかな、という私に「見つけてもらうのを待つよりも自分から王子様を迎えに行った方が早いと思う」と言った彼女は無事に王子様を見つけ出すことが出来たのだろうか。
部活の資料だと言って堂々と漫画を持ち寄れた中学生活は小学校よりずっと楽しくて。
でも、私は捨ててしまった。
魔王様に魔界に連れて行かれる前に、自分から捨ててしまったんだ。
だから、そんな私が運命に遊ばれるようにして死んでしまうことも、生まれ変わった先で王子様が他の誰かのものになってしまっていることも、仕方がないことで。
これはきっと、私があの場所で生きることを諦めてしまったことへの罰なのだと、思う。
「罰だなんて誰が決めた?」
そんな声に顔を上げると、そこは灰色の雑居ビル街だった。
自分の服を見れば、私には似合わないレモン色のワンピース。そしてポケットに入っている封筒。
これはきっと夢だろう。
私はいま、六年前の私になっている。
「ねえ、雪子の言う王子様って誰?」
隣にいるのは、黒いシャツとスラックスの男。金髪に整った顔、まっすぐに向けられた赤い目は、今日は開かれている。
魔王様、最近夢でよく会いますね。
知らず知らず口に出してしまっていたのだろうか、魔王様の目が細められる。
ああ、いけない。それよりも質問に答えないと。
「王子様は……そうですね、白馬の王子様というように、白い馬に乗ってるんです。でも今は馬に乗ってる人なんていないから、高級車に乗ってる人です、たぶん。それで、薔薇が似合います。一輪だったり花束だったり、とにかく薔薇を差し出して言うんです。迎えに来ましたって」
あとはイケメンで、甘い笑顔で、声が穏やかで、他には……うーん、お金持ち? で、らぶらぶハッピーウエディング。綺麗なドレスを着て、みんなに祝福されて、すっごく愛されてる感じで幸せなキスをするんです。
そう続ければ、魔王様は唸るような声を上げた。
「王子様って、国の王の子どもである必要はないわけ?」
「そういえばそうですね。まあ、わかりやすく本物の王子様でもいいんですけど、自分を見つけてくれるお金持ちで一途なイケメンだったらみんな王子様だと思います」
「えらく適当だね」
「そんなもんですよ」
薄雲に守られながら、半月のような太陽がじわじわと三日月型に近づいていく。太陽が減っていくほどに気温が下がっていくような気がした。
「雪子の言う王子様とらぶらぶハッピーウエディングとかいうのが出来たら、人生は成功なの?」
「そうですね。大成功なんじゃないですか」
「罰ではなく」
「とんでもない! むしろご褒美です。チートです。勝ち組です」
「そっか」
太陽を影が覆うようにすすみ、光が細くなる。
「さ、もう戻りなよ。起きる時間らしいよ?」
「え、もうすぐ金環日食完成ですよ? 本物は魔王様のせいで見逃しちゃったんですから、夢の中でくらい見させてくださいよ」
「また今度ね」
いじわる、どけち、と言い募る私の頭に、魔王様の手が乗る。くしゃ、と優しく撫でられた瞬間、目の前が白くなった。いや、黒かもしれない。
「おはよう、アシュレイ」
肩を優しく叩かれて目を開ければ、トムが私の顔を覗き込んでいた。
なんだかとても楽しい夢を見た気がする。誰かに頭を撫でられて、その手がすごく好きだと感じたような、気のせいのような。
「おはよう、トム。みんなは?」
「さっきギムレットが起きたから、ルシアンを起こさせてるとこ」
上半身を起こせば、ギムレットがルシアンに脇腹を殴られているところだった。ルシアンの寝起きはびっくりするくらいに悪い。
「おはよう、ギムレット。大丈夫?」
顔をゆがめるギムレットに声をかければ、赤髪を跳ねさせたままで「ありがとう。まあ、痛い」と返ってきた。お気の毒です。
赤と青の攻防戦はしばらく続き、ようやく起きたルシアンは「おい、ギムレットどうした? なんで朝から疲れてるんだ?」と平然とのたまった。ギムレットに謝るべきだと思う。
そうして、まだ暗い中、私たちは会長さんのお屋敷を出た。
朝ごはんのコーンスープとクロワッサンサンドがお腹の中で眠気を誘ってくるけれど、屈強な魔王討伐派ナントカ支部長さんたち数十人に囲まれるとそうも言っていられない。
指示されるまま右のギムレットと左のルシアンに挟まれて手を繋ぐ。ルシアンはお屋敷の空き部屋で待機させていたという妖精たちを連れていて、妖精たちに手を繋がせるのに苦労していた。
「うっかり置き残してしまうといけませんから」
みんなが手を繋いで離れていないことを確認してから、頑強なおじさんの一人が「転移展開」と呟く。
そして聞き取れない言葉であれこれと唱えると、足元が黄色く光って視界が黄色くぼやけた。
ぐらり、と立ちくらみのような奇妙な揺れを感じて踏みとどまると、目の前には大きな建物が現れた。
ライトアップがされていないからよく見えないけれど、尖塔っぽいものが空に伸びているような感じだし、いかにもヨーロッパのお城と言った様子だ。
「これが魔王城です。勇者様、この門の前に伝説の剣を」
ギムレットが腰につけた伝説の剣を抜く。
両刃の剣を縦にして正面に構えたギムレットが門に近づくと、剣が光り輝きだした。
暗闇の中で光る剣を持つギムレットはまさに勇者で、強気に笑うその表情が格好良く見える。
門がギィィィィっと耳障りな音をさせながら開き、剣のツバと柄の間にはめ込まれていた朱色の宝石が魔王城に向かってオレンジ色の光を伸ばす。まるで道しるべのようなその光はまっすぐに伸びて、魔王城の入り口らしきところを示した。
「あとは剣に従って進むのみです。勇者様、皆様、我々は後衛を致しますゆえどうぞお先に」
「ああ。ついてこい」
大きな態度でうなずくギムレット。父親くらいの年の人たちにそんな言い方はよくないと思うよ。それに、屈強なおじさんたちが先に行ってくれた方が安全な気がするよ。
ぼそぼそと呟く私に、ルシアンが「あくまでも俺らが主体となって魔王を倒すんだからこれでいいんだよ」と小声で返してくる。
そんなもんなのかな?
さくさくと、門から意外と距離のある魔王城まで数百メートル進んで、ギムレットの掲げる剣の力で扉が開くのを待つ。
重たい、さびた金属をきしませるような音をさせて開いた扉の先は薄暗くて廃墟のようだった。
黒い何かが五匹ほど飛んでいく。
「魔物か?!」
ルシアンが妖精を使って火の玉を繰り出すも当たることはなく黒い何かは逃げていく。飛び方がふわふわしている感じからするとコウモリだろうか。
足を踏み入れると廊下一面に高級そうな赤い絨毯が敷かれていて足音が響くことはなかった。
ぎいぃっぎぃっという音がする方を見れば、豪華なシャンデリアが揺れている。しかし揺れるような風が吹いているわけでもなく、不気味だ。しかも光が弱すぎる。ロウソクではないようだし、魔法の光なんだろうか。
剣からほとばしるオレンジ色の光を頼りに進んでいくと、甲高い悲鳴のような声や女の高笑いのような声が聞こえてきた。
お、お化け?!
「まるでお化け屋敷だな」
「あの、私たちって魔王城に来たんですよね? お化け屋敷に来たわけじゃないですよね?」
ルシアンの言葉に思わず後ろのおじさんたちを振り返ると、おじさんたちは「魔王城のはずなんだが……なぁ……」といぶかしげに答えてくる。
「前に来たときは普通の城だったんだぞ」
ギムレットと違い私は勇者ではないせいか、おじさんたちは砕けた口調で答えてくれる。
ほんとかなあ、とギムレットの後に続いて階段を上って行く。階段を上がってすぐに扉があるけれど、剣の光はそれを示さず、右折するように誘導する。
「これ、開けちゃ駄目なの?」
「従わずに魔物が出てきたら困るだろ」
立派な飾りのついた扉になんだか見覚えがある気がして開けたくなったけれどルシアンにとめられる。
左右をルシアンとトムに、後ろをおじさんたちに挟まれて自由行動が出来ない状況で進んでいく。
なんだかどぶ臭ささと血生臭さが混ざったような異臭がする。臭いの元はどこだろう、と鼻をひくつかせていると、斜め後ろの扉がバンッと開いた。
闇の中から現れたのはどろりと溶けた皮膚をもった緑色っぽい茶色の人間。目玉が零れ落ちそうなそれは、ゾ、ゾンビだ! ぜったいゾンビだこれ!
「ぬぉおおおおおおおおおおお」
なんか叫んでるし!
意外と動くの早いし! 襲ってくるし!
「いやぁぁぁぁああああああああああ!」
思わず叫び声を上げつつ全速力で走る。でも私の足は遅い。私の足の遅さをみかねたルシアンが妖精に火球や雷の球を投げさせる。ゾンビが一瞬ひるんだのを認め、ルシアンが攻撃を続行させる。トムが私の手を引っ張ってなんとか走らせようとする。ギムレットの持つ剣が新たな階段を示し、階段を駆け上がる。
息が切れる。心臓が叩きつけるように鳴って肺が痛い。脇腹も痛い。
トムが私の腕を引っ張り上げる。
ようやく階段が終わると、後ろでおじさんたちが「あれは諦めたみたいだから安心しろ」と教えてくれた。
よかった。本当に良かった。
「それにしてもアシュレイ、足遅いね……精霊に助けてもらった方が良いんじゃない?」
トムが言って、そういえばゼノに魔王城の中で呼ぶように言われてたんだったと思い出す。
魔王城のお化け屋敷っぷりにすっかり忘れてたよ。ごめんゼノ。
きぃきぃ鳴りながら揺れるシャンデリアの下を歩きながらゼノを呼ぶと、数秒もしないうちにゼノが現れた。
「もっと早く呼んでくれるかと思ってた」
おや、ちょっと拗ねてる?
「ごめん、お化けが怖くて呼ぶの忘れてた。さっきなんてゾンビが出たんだよ、ゾンビ!」
見てよこの目の端に浮かんだ涙を。
ゾンビの怖さを訴える私にゼノは肩を揺らして「それは大変だったな」という。ゼノは精霊だし幽霊に片足突っ込んでる様なものだからゾンビなんて怖くないのかもしれない。
「アシュレイ」
ゼノが私の耳に顔を寄せてくる。私にしか聞こえないような小声で「体全体に無効化をかけておいた方が良い」とささやくと人ひとり分離れた。
ゼノに無効化の影響が出ない位置だ。
『キャッチボール』
周りに聞こえないように呟いて皮膚に意識を向けると、つっぱるような感覚を感じてほっとする。ゼノに魔力を渡すようになって、キャッチボールを発動しているときは皮膚に薄い膜がかかっているような、つっぱるような感覚があることに気づくようになった。キャッチボールは火や光を発生させるような魔法と違って地味な分ちゃんと発動しているかどうか心配だったので、その心配がなくなったのは大きな進歩だった。
「それにしても、変な場所だな」
後ろでおじさんたちが呟く。
「ああ。空気中の魔素や魔力も少なすぎる……ほぼゼロなんじゃないか? 大陸の中心部とは思えない」
「体内の魔力が少ないやつはろくに魔法の発動が出来ないかもしれないな」
「おまえでも?」
「俺がここでぶっ放すなら……そうだな、子供並のが数発……それで弾切れってとこか」
「くそ、なんちゅー場所だよ」
ぼそぼそと喋るおじさんたち。魔族でも魔法が使えない場合があるのか、と耳を澄ませていると、天井からぶら下がるシャンデリアがひときわ大きく揺れた。
そして。
「走れ!」
後ろから野太い声が上げられ、考える間もなく前に走る。後ろで大きくガシャンと鳴って、振り向けばシャンデリアが落ちていた。
設備点検……してください……!!!
背中を冷や汗が垂れていくのを感じる。粟立つ肌をなだめるように腕をさすっていると、再びゾンビが襲ってきた。しかも3体同時登場だ。
もういやだ! 帰りたい!!!
声にならない叫び声と共に走って、ルシアンやおじさんたちが魔法を繰り出す声を後ろで聞く。
魔法の光が爆発するたびに雷が落ちた時のように影が伸びる。
ほうほうのていでギムレットについて階段を上り、廊下をさらに走って行けば、剣の光は一つの扉を示して固定された。
「ここまで緋色の死神が出てこないとなると……戦場は魔王の間か」
後ろの声に振り向けば、頑強なおじさんたちが鋭い目を光らせている。
「緋色の死神ってなんですか」
「魔王専属の魔術師だ。数百年前の前魔王の時代から魔王についている。百年前は金色の鎌と呼ばれて黄色の魔法を使うやつだったんだが、急に緋色……炎の色をした魔法を使うようになって、その威力が格段に上がってな。あれはひどいぞ。金色の鎌が目の前の草を刈るとするなら、緋色の死神は周囲一帯を焼き尽くす。魂すら残らないらしい」
それはすごい。死にたくない。
「それだけじゃないぞ、まだ漆黒の影も出ていない」
まだいるんですか。
「って言っても、漆黒の影はよくわからないな。見た奴がいない」
「見た人がいないのにいるって言えるんですか」
「ああ。そいつを認識した奴は死んじまうが、死んじまったやつを遠くから見たやつがいるからな。影だか空気だかが揺らいだと思ったら死んでたらしいぞ」
なんか漫画の暗殺者みたいな存在ですねその人。そう呟くと、「暗殺者、ね……」となぜかトムが反応した。暗殺者に憧れでもあるんだろうか。
「さあ、行くぞ」
私たちのお喋りが終わるのを待っていたのか、ギムレットが私たちを見る。
「アシュレイ、必ず魔王を倒そう」
ルシアンの青い瞳に頷けば、ルシアンが一歩前に出る。ゼノに視線をやれば、ゼノは「大丈夫だ」とルシアンの代わりに私の横に立った。
「開けるぞ」
みんなが魔法や剣を準備する。
丁寧に装飾された大きな扉は金属音を上げながら両開きにゆっくりと開いた。




