魔族の世界は危険がいっぱい(5)
夜風が穏やかに流れていく。
お屋敷のお庭には赤や濃いピンクの花が咲き乱れていて、ほんのりスパイスの香るホットミルクと共にエキゾチックな空気をかもしだしていた。
「アシュレイ、こんなところにいたのか」
ルシアンが私の座っていたベンチの端に腰を下ろす。
「なんだか眠れなくって」
会長さんは朝と夜の境目の時間が狙い目だと言って、夜明けを告げる灰色の鳥が鳴く声を合図に魔王城に入ることを決めていた。
灰色の鳥が鳴くまであと何時間あるんだろう。明日に備えて早く寝るようにと言われても、まだ夜は始まったばかりの時間で、そんなにすぐには寝付けそうにはなかった。
「俺も……なんだか、さ。明日だって思うと」
風がルシアンの青い髪をなでていく。さらりと風に揺れる髪は庭を照らす魔法の光を反射して菫色のようにも見える。
「俺がまだ今の半分も背がなかったころ、俺のそばにはいつも姉がいたんだ。優しくて、村で一番だってくらい綺麗な顔をしていてさ。でも、魔物が村を襲って、畑も倉庫も荒らされて食糧がろくにない状態になって。冬が近づいた時に現れたのが魔族だった」
ルシアンが魔法の灯りを見上げる。青い目に光が映って、まるで涙が浮かんでいるようだ。
「魔族は姉を連れていった。高笑いして去っていった。俺らはその冬を越した。次の冬も、その次の冬も越した。どんなに待っても、姉ちゃんは帰ってこなかった」
青い目が白いまぶたで覆われる。艶やかな睫毛が長い。
「姉を連れていったのが本当に魔族だったのか、そんなことはどうでもいいんだ。すべては魔物のせいだ。魔物さえいなければ姉はいなくならなかったし、苦しい思いだってしなくて済んだ。だから俺は、魔物をけしかける魔王が嫌いだ。殺したいくらい、憎い」
ルシアンはふぅっと大きく息を吐いて、膝の上でぎゅっと拳を握りしめていた。
「会長が言っていた。魔王は人間を保護するつもりだと。保護だって。笑わせるな。それじゃまるで弱い動物じゃないか。希少動物みたいに、俺らをオモチャにする気なんだろう」
会長さんも魔王が人間を保護するという考え方に反対らしい。人間を保護するだなんてとんでもない、という会長さんの言葉に、周りのおじさんたちはこぞって賛成の意を表したのだとルシアンは言った。
「魔王……倒して帰ろう。そうしないと、守れないんだ」
青い髪がうつむいた顔にかかってその表情を隠す。
けれど、もう何も失いたくないと思っていることが伝わってきて、どんな言葉をかければいいか私にはわからない。
そろそろ戻ろう、というルシアンに手を引かれて部屋に戻ればギムレットとトムは既に寝ていて、私たちは静かにそれぞれの布団に入り込む。目を閉じると、ホットミルクのおかげかすんなりと眠りに引き込まれていった。
遡ること一日前。
静まる夜の中、昼間のごとく明るい執務室の中に白い光が立ち上る。
白い光が消えれば、そこには赤紫色の魔力の檻に閉じ込められたスーツ姿の青年がいた。
金色の目に白い鉤爪、その先に血を付着させた青年は何が起こったのかわからないようにあたりを見回している。
「君は現行犯逮捕された。これからいくつか質問をするけれど、答えたくなければ答えなくてもいい。弁護者が欲しいなら呼んでも構わない。名前は?」
早口で告げる金髪の男。机を前にして座っている男をにらみつける。
「黙秘ね。家名は?」
金髪の男は手元の紙にペンを走らせながら言葉を続ける。
「黙秘ね。君はたった今まで何をしていた? そろそろ答えた方が身のためだよ」
金髪の男は赤い目に怪しげな色をたたえて微笑みかける。青年はそのまなざしを真っすぐに受け止め、ひゅっと喉を鳴らした。
「俺はペットで遊ぼうと思っただけだ」
「ふうん、それは君のペット?」
「そうだ」
「本当に?」
剣呑な色をたたえた赤い瞳。室内の気温がすぅっと下がる。
「それはいつから君のペットになったの?」
「今日だ。うちに来たばっかりの、遊びがいのありそうなやつだ」
「そう。君の家はどこ?」
「言うかよ」
「わかった。じゃあ、この調書にサインしてくれるかな」
青年のもとに一枚の紙とペンが飛んでいく。青年にペンを取る気配はない。
「あれ、寒い? トイレに行きたかったりもする? ちなみにサインしない限りずっとそのままかもしれないね。何が、とは言わないけど」
室内の気温がさらに下がり、金髪の男は口角を引き上げる。
スーツ姿の青年は金色の目を茶色くし、鉤爪を引っ込めてペンを手に取った。そしてサインをするとペンを握ったまま床に膝をつく。
「おや、魔素あたりかな。魔力は出してないんだけど」
金髪の男は椅子に深く腰掛けたまま青年がサインした紙を宙に浮かせて手元に飛ばす。
「誘拐に監禁、強姦……は未遂だけど怪我させてるから強姦致傷だな、あとは俺のペットとか言っちゃう馬鹿には駄目押しで虚偽申告も付けとくか」
別の紙にあれこれと書きつけながら、金髪の男はすっと目を細めた。




